終わらぬ星巡り

「それじゃあ私も出るわね。後片付け頼むわよ」
「はい」
「ああ、あと今日は中間試験の返却日よね? 帰ったら私に見せるのよ」
「はい」

斉藤はいつものように無機質気味に返事をして母親の言葉をやり過ごした。彼女の両親は共働きでいつも彼女より早く仕事へ向かう。だから斉藤は二人が出たあと、食事の後片付けも毎

日任されていた。
 リビングとダイニングを兼ねた空間にはこの家唯一のテレビがあるが、それからは映像も音も流れず家の中は静寂に包まれていて、好きでなくても親が居なくなると途端に独りであることを彼女は実感するのだ。

「片づけよ……」

独り言を呟いて自己完結したあと、言われた通り両親が置いたままにしている食べたあとの食器を下げて自分の分も含めて洗い始める。
 今朝も斉藤は食欲が無くて一枚のフレンチトーストだけを食したのだが、そのことに対して言われた小言が脳内の思考を占めてる。『夜遅くまで勉強して寝不足で食欲が無いのは自己管理力が足りないからよ』『風邪なんて引いても自分で何とかするんだぞ』『まさか課題が出来ていないなんて言わないわよね?』『学校は休むんじゃないぞ。内申点が下がって困るのは結なんだから』
 耳障りだと、斉藤は頭を大きく横に何度も振る。本当は返事もしたくなかったが、そうしないと今度は「聞いているの?」と睨まれる。やはりあの二人は異常なのだと斉藤は思い始めた。

「……行かなきゃ」

登校の時間になったことに気が付き急いで言われたことを終わらせ、前もって準備していた荷物を持って彼女は家を出た。
 斉藤が親と自分の環境が異常だと自覚したのはつい最近のことだ。まるで催眠術かマインドコントロールでもされていたかのように自分は至って通常で、逆に周りが可笑しいのだと錯覚していた。
 周りの子は部活や委員会、塾それら全てで毎日休日だって忙しくないし、学校帰りは寄り道をして色々な所に遊びに行く。バイトをして自分でお金を稼いで自分のお金で欲しいものを買っている。斉藤は部活の帰りでも塾に通うが、寄り道や買い食いは禁止されているし、そもそもバイトも禁止されてお小遣いも親に申請して文房具や教材なんかを買うだけ。学校の生徒たちが話題にあげるテレビドラマやアニメも家で自分でテレビを付けることが無いので判らない。彼女に与えられた娯楽は本だけだった。
 そんな彼女がどうやって学校の生徒たちと打ち解けるのか、両親はきっと考えたこともないのだろう。人間は自分と違う者、浮いている者を避ける傾向を持ち、それが行き過ぎると仲間外れにされ、最終的には虐めに発展する。それは外見的な問題、内面的問題など多々要因があるが、斉藤の場合は内面的問題だ。斉藤は努力もあって学年では上位の成績、部活でも好成績を収め、委員会にも属しているが、生徒たちとのコミュニケーションが取れずに孤立している。

「斉藤さんっていっつも何考えてるんだろ……」
「独りが平気な子って何考えてるんだろうね~」

そんなことを言われても何も反論出来ない。何て言えば善いのか彼女には判らない。子どもは親に習って人との関係のもちかたを教わる。けれど、彼女の親はいつも一方的に彼女に指示を出して行動させているだけで会話を必要としない。子どもの人格の形成は親との関わり方が最も反映されるのだから当然ともいえる。
 本当は皆と話がしたい。独りは全然平気じゃない。言えない。言えない。もし伝えたあと彼女たちはどんな反応をするのか。想像しただけで彼女は嫌になった。
 斉藤は席から立って教室から出て行った。一先ずトイレにでも逃げようと廊下を素早く歩く。

「んっ、わり」
「……や」

前から歩いてきた男子生徒を肩がぶつかり、相手は当ったことを軽く謝ったが、斉藤は咄嗟に声が出ず、頭を少し下げて逃げるようにトイレに駆け込む。

「さっきのってうちのクラスの斉藤だよな」
「あ、ああそうだな」

男子生徒は斉藤が駆け込んだ女子トイレの方に視線を向ける。

「なに、お前あんなんが好みなの?」
「そんなんじゃないけど、顔は普通に可愛いだろ」
「そうか? 俺はあのバーって長い髪が無理。流石に長すぎ」

斉藤の髪は背中の中ほどまで伸びており、毛量は多い方ではないがかなりの存在感がある。あの髪を一部では悪い意味で呼んでいる生徒もいるとか。

「それに性格も駄目。どんなに顔が良くても暗かったら盛り下がるじゃん」

男子生徒たちが喋っている言葉が聴こえないように斉藤は耳を塞いでトイレの個室に籠っていた。
 流石に個室からでは男子生徒たちの話声は聴こえない筈なのだが、それでも斉藤は恐怖で耳を塞ぎ、目もぎゅっと強く瞑る。斉藤にはすれ違いざまに聴こえる笑い声さえも、自分を悪く言っているように思えて、怯えて堪らないのだ。これじゃあ歩み寄るなんで出来やしない。
 自分の異常性に気が付いてからいつも怯える日々を過ごすしかない。苦痛な学校生活を過ごすしかないのだ。



「ただいま」

部活も終え、塾も終わり、家に着いたのは夜二十二時。両親はとっくに夕飯を食べ終えテレビを見ながら談笑している。
 斉藤の「ただいま」に殆ど無関心で漸く、彼女が冷えた料理に手を付け始めた所で母親に言われる。

「テストはどうだった?」

握ったばかりの箸を置いて、予め準備していた答案用紙を両親に渡す。それを二人は吟味するように眺めるのだ。その間も彼女は身動きも出来ず、心の中でお腹が空いたと呟き続ける。

「少し落ちたわね。ちゃんと課題はしているの?」
「はい」
「なら理解力が足りないの。もっと勉強時間を増やしなさい。……もう、良い子して。何度も言わせないで。私とお父さんには出来たんだから結に出来ないわけないでしょ」

もう興味ないわ、と言われるようにその場に放たれた答案を拾い、父親に渡した分も受け取る。すると家の電話がけたたましく鳴り響き、家中を振動させるようだった。電話の大きく不快な音に母親が顔を顰めたのが見えたので、斉藤が電話に出た。

「もしもし斉藤です――――」
『おうおう、結か丁度良かった』

声は母方の曽祖父だった。曽祖父は両親も斉藤にもよく判らない話をする。自分は魔術師の一族で、儂の子どもには魔術刻印は移せなかったが結には素養がある。と何度も、耳に蛸が出来る程だ。孫である母親は曽祖父は認知症でボケているといつも彼の陰口を言って嫌い、彼女のことを曽祖父からいつも遠ざける。しかし、斉藤本人は曽祖父の事が何とも嘘には思えなかったし、嫌っては居なかった。

『今度うちに来んか? 儂はそう長くない。せめて魔術刻印だけでも――――』
「おじいさまいい加減に私の子に変なこと吹き込むのは止めてください!!」

激情した母親が斉藤から受話器を奪い取り、電話越しに怒鳴りつけた。

「魔術なんて現代には都市伝説のような曖昧で悍ましいもの、結に吹き込んでこの子が更にバカになったらどうしてくれるの!!」

親の剣幕が、斉藤には大きな鬼のように見えた。恐ろしいく悍ましいのはお前の方じゃないかと、斉藤は言葉が喉から出そうだった。

『黙れぇい!! 一族の落ちこぼれめ!! お前が素質もなんもないから結に頼んでおるんだ!!』

母親の剣幕に曽祖父も負けず言い返しているが、電話である以上、向こう側が不利で、母親はすぐに通話を切ってしまう。そしてギロリと茫然と立ち尽くしている彼女を睨みつける。

「これからあのジジイから電話が来ても切るのよ。良い子だから出来るわよね?」
「………………はい」

〝良い子〟とは結局どんなものなのか、斉藤にはもう判らなくなっていた。
 
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