カケラひとつ

「大学の同窓会に行くことになった」
 ああ、そう言えば、と最近は回数の増えた夜の通話中に、既に決定された予定を告げられた。いや、通話の回数は戻ったと言うべきか、付き合った当初は今より頻繁だったしはち太が上京してからは少し減ったり、それ以外にも要因があったりして波があった。ーーそんなことはどうでもいい。
 大学と聞いて俺は自分が思ったより怪訝な声を出したのかもしれない。真澄が「友達がどうしてもって言うからさ」と弁解の言葉を発したのですぐに気がついた。
 そもそも大学時代に良い思い出がないことを聞いていたら、俺もそんな声の掛け方をしたわけだが。
「何時に終わんの」
「わ、分かんない」
「……分かった、迎えに行くから終わりそうになったら連絡しろよ」
「え、」
 我ながら余裕のない奴だなと、通話を切った後に思った。
 元彼が沢山いるであろう場所に放っておくことに、ここまで苛立ってくることなんて想像も出来なかった。今まで自分が付き合いで合コンに出ていたことを思うと虫が良い話だし、お互いに合コンに行くことは許してきた。しかし同窓会と言われるとどうも胃に悪い。もし、行かないでほしいと頼めば真澄は同窓会を断ってくれたのだろうかと、無駄なことをずっと考えている。
 そして同窓会当日の朝、正直顔を出す真澄本人より同窓会を意識していると思う。
 たかが同窓会、合コンではない。されど同窓会。話に聞く碌でもない元彼がいっぱ来る同窓会。嫌だ、休みたい。休んで迎えに行く時間までずっと何もしたくない気分だが、今は仕事でもしてないと自分でもわけが分からないことをやらかしそうな気がする。何より何も知らない弟にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。それに昨日の夜につい力の入れ過ぎで箸を折ってしまったこともあって、既に変な心配をされている。
「おはざーす、熊谷」
「うるさい」
「え、いきなり…?」
 朝一番に兎原に挨拶されることすら既に今日の俺には耐えられない。流石にこれはまずい。
「……おはよう」
「え、なに、怖いんだけど」
 切実に早く定時になってほしい。
 朝の部を終えて昼食を取るときにスマホを見たら真澄からメッセージが来ていた。
『お昼は友達と合流してランチ中! 同窓会は16時から!!』
 いや早くないか。16時からは早いだろ何時間呑む気だ。
 それにしても、一緒に送ってきた自撮り可愛いな。真澄は自撮りを撮るタイプではないし、おそらく写真に写っている友人のどちらかが撮りたいと言ったんだろう。それにしても加工アプリを通しているとはいえ妙に可愛い気がする。
「熊谷」
「…! はい」
「ADが呼んでるぞ、振り付けがどうって」
「すみません、ありがとうございます」
 裏道さんが親指でさした方にADの姿が見えて流石に焦る。ADの呼び声も裏道さんの声も全く耳に入ってこなかった。
 スマホをズボンのポケットに押し入れて、椅子から立ち上がる。
「朝からなんか変だけど、どうかしたの」
「いえ」
 はち太に優しくせんといてと言われたときには裏道さんに相談も出来たが、今回のことは流石に相談できない。
「お前さ」
 言葉を選んでいるうちに沈黙が長引いたのはまずかったか、裏道さんが先に言葉を発した。
「もう少し信用してやれば?」
「……何も言ってないです」
「いや流石に分かる、前も似たようなことあったし」
 裏道さんには前に彼女がいると話したことがある。名前もどんな性格なのかも教えてはいない。それを教えたのは真澄と全く会えなくなって、付き合っている意味も分からなくなっていたとき。
 きっと、裏道さんは俺と真澄が喧嘩してるとか、また会えないせいで自然消滅しそうになってるとか、浮気されてるんじゃないかとか、そんな風に思っているのかもしれないが。
「信用はしてます。単に俺の気の持ちようなんで」
 何ヶ月も会えなくなったとき。裏道さんに話したあと、俺は三日置きにメッセージを送ることにした。返信が来ないどころか既読にすらならなかった時はショックを受けたが、新刊を出したとき「あ、これ仕事に熱中してるな」と分かってしまった。それまで心の奥底で愛想を尽かされたんじゃないかと懐疑的になった自分が許せなくなった。
 好きなこと、得意なことを仕事にしてどこまでも真面目に突き抜けていく真澄は俺には輝いて見える。そんな彼女をいつまでも信じていたいし、応援していたいと。
 だから俺は、真澄が元彼に流されることを心配しているんじゃなくて、真澄を捨てた男が、また何食わぬ顔で声を掛けることがたまらなく許せないだけだ。真っ直ぐで澄んだ色を濁されたくない。
「クマオくん元気ないよね」
「うらみちお兄さんはなんでか知ってる?」
 クマオ、ウサオの出るコーナーが終わって掃けた後、ステージで話す子供たちと裏道さんの声が聞こえる。いつものくぐもった彼の声なら聞こえなかっただろうけど、声をワントーン上げて言うステージ上の裏道さんの声はステージ傍からでもよく聞こえる。
「お兄さんも詳しくは分からないなあ」
「お友達なのに?」
「お友達だからこそ深く相手に立ち入らないこともあるんだよ、良い子のみんなも他人との距離感をしっかり測っていこうね! 例えば、みんなはお父さんお母さんの結婚する前の話とか聞きたい?」
「なんか聞きたくない〜」
「なんかイヤだよね」
「なんかね」
「そうだよね〜、お父さんお母さんののことでもちょっと聞いちゃいけない雰囲気を放つ会話をお友達に聞けないよね」
 自分が話のネタにされると言うのはどうも居心地が悪い。珍しくネタにされてることを兎原に笑われるのは腹が立つ。
「無理に聞くんじゃなくて、相手が考えて考えて、これは言っても良いなって思ってくれるように努力することも、お友達と仲良くする秘訣だよ」
「お兄さんもね」
「うん、そうだね。お兄さんも良い子のみんなと一緒に頑張るよ」
 やっと、長い収録が終わる。
 早く、早く会いたい。



 長い同窓会だった。みんな散り散りに帰って二次会に行く人だけが残って、私は、雪の降り始めた店先でみつ夫くんが来るのを待っていた。
 16時から22時までほぼ喋りっぱなし呑みっぱなしで全く時計が進まない。昼前から久しぶりに会う友達と話ししていたことと、タバコ臭い宴会室にずっといたこともあって喉の渇きが半端ない。酒の量はなんとか誤魔化しながら調整して、迎えがなくても帰れる程度には抑えられたけど、とにかく服が臭い。
 久しぶりに会うアイツは特にタバコ臭かった、ずっと吸いっぱなし。もう一人は酔って絡んできた。やけに酒を進めてくるヤツ。とにかくうざい。実名で作家をやってることもあって、私がそこそこ売れてることを知って性懲りも無く、やりなおさない? とか、今度食事にでも行こうとか、全てが面倒に感じる。友達が誘わなかったら絶対に来なかった。
 スマホを見たらあと5分で着く、というみつ夫くんからの返事が来ていて安心する。
 彼は付き合い始めて、気がついたらタバコを止めていた。酒も私よりずっと強くて逆に私が絡んでしまうぐらいで。酒の量を共有しようとして呑ませようともしてこない。
 多分、この先別れが来て、たまたま顔を合わせたとしても、彼は私に未練なんてないだろう。
 思えば、私は彼に迷惑をかけてばかりだった。
「なあ本当に二次会いかねぇの?」
「行かない。迎えくるし」
 それでもいい。今は別れなんて考えなくていい。
 昔の男のことなんてなんとも思わない。今はただ、
「真澄…!」
 呼ばれて振り返った。思ったより早く来た彼は肩で息をして、鼻先を赤くして、きっと心配して迎えに来てくれた彼の方を心配してしまうほど、心配してる顔を向けてくる。
「じゃ、迎えきたから」
 自分でもびっくりするほど低い声が出て、肩に乗せられていた手を振り払った。
「迎えに来てくれてありがとう」
「なんてことない」
 なんとも自然に手を繋いだ。 
 いつもは私より暖かい手が手が冷たくて、申し訳なさと、愛おしさが募ってくる。
「あ、そうだ」
 歩道の端に寄って立ち止まって、同窓会に出る前に友人との買い物で買ったものを紙袋から出す。細長い箱が一つと、小さい箱が二つ。
「昨日電話したときに箸折ったって言ってたから、私の好みではあるんだけど」
 友達のウィンドウショッピングに散々付き合いながら、みつ夫くんがなんでか知らないけど箸を折ってしまったことを思い出して専門店に寄った。
「……ありがとう…こっちの箱は」
「こっちは箸置き。珍妙な魚の箸置きがツボに入って、もう一つははち太くんにも」
 魚の箸置きとしか書かれてなくて何の魚なのかは分からなかったけど、と付け加えると「何だそれ」と困ったように眉を下げて笑った。
 私の分も同じ箸置き買ったんだよと、箸と箸置きの入った箱を紙袋に戻して彼に渡しながら言う。すると彼は少し驚いたようだった。
 同じ、お揃いで何か物を買ったのはみつ夫くんと初めてだったなと、彼も思ったのだろう。私がずっと嫌がってきたから、みつ夫くんもお揃いに拘るタイプではなかったから何とも思わなかったけど。
「私と熊谷くんが魚で、はち太くんがクマさん」
 再び握り直した手はさっきより少し暖かくなっていた。歩き出して会話を続ける。
 他愛ない話、特に中身のない話、ちょっと昔の話、今日の同窓会の話、電話で話すのとは違うすぐ隣のでの会話は全く違う。駅のホームや電車内で周りの騒音が煩くてお互いに会話が聞きづらい時はちょっとみつ夫くんが屈んで距離を縮めてくるから、思春期みたいにドキドキするし、みつ夫くんの話も面白くて、気がついたら時間が経って住んでるマンションが見えて少し寂しく感じる。
 玄関の鍵を開けて、また声をかける。
「送ってくれてありがとう」
「当然だ。飲み屋周辺は特に危ないからな。…これからまた仕事か」
「いやあ、今日は散々歩いて喋って疲れたからもう寝るよ」
「そうか……寒いから暖かくして寝ろ」
「うん、ありがと」
 玄関のドアを閉めようとすると、ドアをみつ夫くんが掴んで静止してきたら咄嗟に驚きの声が出てしまった。
「……嫌だった」
「熊谷くん?」
「本当は元彼がいるところなんて行ってほしくなかった。信じているけど、それでも会ってほしくなった」
 心から信頼しているはずなのに最悪を想定してしまう不安。私のは単に自分が自分を一番に好きに思えない自己肯定感の無さからくるものだけど、みつ夫くんはどうしてそう思うの。
「別れる未来を考えたくない。俺はそう思ってる」
 ずっと一緒。なんてチープな言葉が脳内に浮かぶ。今までそんな言葉は何度も言われて、その度に終わってきた。ずっと一緒なんてウソ。
 でも、いつか別れるかもしれないという不安を否定されたのは初めてだった。
 どうして、どうして彼は私を好きになったのだろう。私は自分が大嫌いなのに、私より私を好きでいてくれるのか。
「好きです。俺と結婚してください」
 ドアを開けて、彼が中に入ってきて、私の両手を彼の両手が優しく包んでくる。
 付き合う時も彼は今みたいに簡潔に「好きです。俺と付き合ってください」とだけ言った。その潔さ、飾り気のない言葉が好きで私は頷いた。だからあの時と同じ言葉で私も返事をする。
「はい! 私も好きです。喜んで」
 視界が霞んでも、何とか喜びを伝えようと笑うと微笑み返され、どこまでも好きだと実感する。
 いつか来ると思っていた別れが否定されるなんて、全く想像もしていなかった。
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