終わらぬ星巡り

ベディヴィエールは自分のマスター、ヘリオトロープのマイルームの前で右往左往していた。ヘリオトロープというのは偽名で本名は斉藤結という。名前については先日の第六特異点で自分とは別の〝ベディヴィエール〟が聞いたことによって、霊基に刻まれた記憶により知ったことであった。
 そんなことより、彼が今、彼女の部屋に入ることを躊躇しているのは、何も相手が女性で、王とは違う、新たな主君という理由だけではない。

「本当に入っても良いのでしょうか……」

彼は俗に言う「お気に入り登録」されたサーヴァントで、彼女が部屋に呼んだサーヴァントである。しかし自分が本来英霊の座に登録されていない英霊であることを知っている彼は英霊としての自己肯定度はそう高くない。寧ろ、自分とほぼ同時期に召喚された他の英霊が呼ばれるのだと思っていた。そして、彼が来るまでマイルームに呼ばれていていた先人に言われた言葉を思い出す。

『体感、僕より人と近くにいるのに慣れていない感じだったけれど、慣れてくると本当に良いマスターだよ。凄く月並みな感想で申し訳ない』

人と近くにいることに慣れていない。多くのサーヴァントを使役するこのカルデアではかなり致命的なような欠点ではあるが、そのことについても記憶がある。特異点で名前を聞いた時に、「藤丸立香たちとの距離感が判らない。どうやったら普通に接する事が出来るのかが判らない」と嘆いていた。カルデアに召喚されて既に数日経っているが、確かにサーヴァントの中でも壁を感じる者もいた。
 要約すると、ベディヴィエールはマスターとの距離感が判らないでいた。第六特異点でのことを無かったことにして接すればいいのか、それでもあのことを含んで接すればいいのか。
 緊張を抑えるため一度大きく深呼吸をして落ち着いた後、ルームのチャイムを鳴らす。「どうぞー」と返事が聴こえて緊張を隠しながら自動ドアに触れる。

「失礼します、マスター」
「うん。ようこそベディヴィエール。これからは基本部屋に呼ぶから好きな時間に来ていいよ。何か物とかも持ってきても良いし」

ベッドに座ってタブレットを見ていたヘリオトロープは、ベディヴィエールが入ってくるを見て、それから顔を上げて立ち上がり、マイルームについて説明した。
 彼女はやはり、特異点の〝ベディヴィエール〟と同一視しているようには思えなかった。彼女は特異点では藤丸が呼んだ「ベディ」という略称が移っていた。しかしカルデアに戻ってきてからそう呼ばれたことはまだ一度もない。その方が彼も少しほっとしていた。彼女の影の部分を知っているとマスターとサーヴァントとしての関係以上の何かへと踏み込んでしまいそうだったからだ。



彼がヘリオトロープの部屋に呼ばれ始めて三日が経ったが、これと言った変化は無かった。
 だが、何処か見られているような監視されているような視線を受けることがあることにはベディヴィエールは気が付いていた。しかしそれは何処か悪いようには感じなかったので三日間黙っていたのだが、矢張り気になったのでヘリオトロープが最初に呼んだ英霊の一人である作家英霊の元をベディヴィエールは訪ねた。

「ほう、マスターからの視線とは」

キャスター、アンデルセンはヘリオトロープを良く判っているサーヴァントだと一部で知られているような存在である。彼は今丁度、執筆を止めて休憩をしていたところでベディヴィエールの相談を受けた。受けたとは言ってもどこか煩わしそうな様子だが。

「それは単に、見ているだけだろう。その行動に害も無ければ他意もない」
「見ている…?」

所謂人間観察だとアンデルセンは言う。元々人と関わることが苦手である人間は他人に極力嫌われず、しかし関わらないように他人をよく観察し、行動を見ていることが多いのだと。ヘリオトロープにもその性質があると、その作家は語る。

「マイルームに呼ぶ分には話したいという気も多少はあるだろうがな。前に呼ばれていたヘンリー・ジキルも部屋に通うごとに会話が進んだと言っている」

ベディヴィエールは再び彼に言われた言葉を思い出す。彼の言っていた「慣れるまで」の期間は彼女が呼んだ相手の行動や性格を判断している期間だったことを知る。
 彼の安堵した顔を見てアンデルセンはカップに入ったコーヒーを一口飲んだ。

「このコーヒーもマスターが淹れて持ってきたものだ」
「そうなのですか…?」

意図の判らない話題にベディヴィエールは小首を傾げる。

「毎回、俺が休憩しようかと思った時間丁度に持ってきては、進捗はどうだの、今度読ませてくださいだのと言って去っていく。ヤツ自身は人との関わり方が判らないとは言うが、ヘリオトロープは人を見る目がちゃんとしている、十分優秀なマスターだと思うがな」

――本当は、かなり無理してるんでしょう。……見たら判るよ。

第六特異点での記憶が思い出される。自分とは違う自分。しかし正しく己にかけられた言葉は、確かに自分を心配して掛けられた言葉だった。
 山間の東の村で、ベディヴィエールの看病に残った彼女は寝物語のように自らのことを語った。それは同情を誘った行為でもなく、ベディヴィエールが抱えた物を少しでも他人に漏らし易くして心だけでも休まる時間を与えたかったという彼女の優しさだった。結局はベディヴィエールは話を訊くばかりで最期の時まで言うことは叶わなかったが。

「しかし、俺に訊きに来る必要もなかっただろう」
「えっ」
「俺よりもマスターのルーツを理解しているのはお前だ」

彼女が語った話をベディヴィエールは覚えている。藤丸立香たちとの距離感が判らない理由も、極力一緒に居たがらない理由も、あの言動の理由も知っているのは自分だけなのだと漸く理解する。そして理解するのが遅かったことをベディヴィエールは後悔する。自己肯定が高くないが故の弊害で、自分だけに話しているとは思っていなかった。

「何故…?貴方は知らないのですか……」
「マスターはお前だけに話したと言っていた。ドクターにも話していないと、な」

アンデルセンが聞いたのは「ベディヴィエールに自分の事を話したんだ。ドクターにも言ってないんだけど、なんだか彼の事が一番信用出来たんだよね」という言葉だけ。その時の彼女は見た事ないほどに気分が高揚して、それは幸福そうだったという。
 しかしベディヴィエールはその言葉に表情を重くする。アンデルセンから訊いた言葉が嫌だったわけではない。寧ろ光栄過ぎることだった。しかし自分はあくまで騎士王に全てを捧げた騎士。どれだけ剣を捧げたくとも、それだけマスターを想っても叶わないものがある。
 
「大方、マスターから話を訊いたことを無かったことにするつもりだったのだろう。…確かに、踏み込む気がないのならそれでもいいだろう。マスターも察して無かったことにする」
「そのようなこと…!!」

ベディヴィエールの表情から考えていたことを読まれたのだろう。彼に言われた言葉はマイルームの件からずっとベディヴィエールが思い悩んでいたことだった。
 確かにこのままうやむやに無かったことには出来る。しかしそうすればマスターは〝また〟独りになってしまうのではないか。「ベディ」と初めて呼ばれた時の心なしか酸っぱいような甘いような気持ちと、マイルームに呼ばれた時の嬉しさにも嘘を付いているようで。
 
「……有難う御座いました。今少し、考えてみます」

ああ。とだけの簡単な言葉のあとアンデルセンは執筆作業をしていたタブレットに視線を移し、ベディヴィエールを見ることがなくなった。しかし、彼が部屋を出る前に一言、「ちゃんと見るべきだ」とだけは聞き取れた。
 書斎を出て廊下に出ると、同じ廊下の列にある図書室から先ほどの話題の人、ヘリオトロープが出てきた。ベディヴィエールと目が合うと彼の方に控えめに手を振ったので、彼はマスターの元へ駆け寄った。

「書斎に用でもあったの?」
「はい。少し」

言ってくれれば本なら取りに行ったのに。という言葉を聞いて、先ほどアンデルセンと話したようにちゃんと見ているのだとベディヴィエールは思う。

「ミスターと話があったのです」
「へえ。まあ私もドクターとアンデルセンにはよく愚痴りに行くよ」

ヘリオトロープは話しながらマイルームの方へ足を運び始めるので、ベディヴィエールもこのまま一緒に向かうことにする。
 愚痴とは言うが本当は愚痴なのではなく、弱音や懺悔のようなものだと知っている。……見れば見るほど、彼女を理解するほど、マスターとなった特別な存在などではなく、ただの少女だと判ってくる。
 話題の選び方も、話す速さも、歩くペースさえも適度に相手をみて合わせていることに、しっかり見ることで漸く気が付く。
 マイルームに到着してヘリオトロープが最初に何か言う前にベディヴィエールは彼女の心に踏み込む決意をする。

「ユカリ」

第六特異点で聞いた名前を呼ぶ。数秒間、時が止まったように彼女の動きと言葉が止まった。しかし人工的に作られた赤色が彼女の目に合わせて忙しなく動いている。何を一番に言うかを止まった思考が必死に出そうとしている証拠だった。

「ユカリ。私は貴女のサーヴァントになれたことをとても光栄に、幸福に思っています」

歩み寄りって傍で跪き、令呪が刻印された左手を取り、手の甲にキスを落とす。ぴくりと動いた手を握って、驚きと動揺に塗れた顔を見上げ微笑む。
 ああ、見ていると判る。偽りだらけの今の彼女も、本当の弱い姿も全て、ヘリオトロープで、斉藤結という少女の一部なのだと。ベディヴィエールはもう、自らの想いを見ないことを止めた。

「…………ベディ、すこし…いやとても恥ずかしいので止めてもらっても…?」
「ああ!申し訳ありません!つい舞い上がってしまいっ」

赤く染まっていく彼女の顔に釣られベディヴィエールも顔を赤くして、手を離す。けれどお互いに一歩、歩み寄ったことは判る。

「ありがとう。私も貴方が私のサーヴァントになってくれてとても嬉しいわ」

マスターとサーヴァント以上の、二度と戻れない方向へ――――。
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