カケラひとつ

 今、人生初デート並みに緊張している。これは全て服を選んだ姉さんのせいだ。
 みつ夫くんと久しぶりに家以外でのデートに行くことになったのはもう一か月も前だ。まだ梅雨に入る前ぐらい、彼が急に〝付き合うってなんだろうな〟と無茶ぶり全快の質問を投げかけて来た次の日。
 本当は二連休だった休日が、作画担当の相方の気分で実質一日だけになり、彼を部屋で放置した挙句の質問だっただけに、流石に愛想を尽かされたのではないかと、内心肝を冷やしていた。けれども日曜には何事もなかったようにB級映画を楽しんだり、対戦ゲームで盛り上がって、その心配はほぼ忘れていた、その晩にまた相方からLINEが来た。また仕事関係なんじゃないかと、みつ夫くんの視線を受けながら画面を確認すると、意外なことが書かれていた。
『昨日言いそびれたんだけど、水族館の招待券余ってるから、消費手伝って』
 相手が言うには、取材の際に貰った招待券が多くて期限までに使い切れないから手伝ってほしいという意味らしく。折角なのでその厚意に甘えることになったのだ。みつ夫くんはてっきり魚は釣って食べる専門だと思っていたけど、「行く」と即答で、案外乗り気そうだった。
 次に休みが取れて、彼と日程が合うのは一か月後ということで今日を迎えたわけだが、今日に至るまでに私は焦りっぱなしだった。それはいま緊張している一番の原因である服。
 引きこもっている私は基本、部屋着しか持ってない。しかもデートは季節が変わった夏、つまり着ていく服がなかった。仕事が忙し過ぎて自分で選ぶ暇もなく、名古屋にいる姉に助けを求めデートに着ていく服を選んでもらったのだ。姉は私の普段の服の系統も理解しているため安心しきっていたが、執拗になんのための服か聞かれ、デートと白状したのが失敗だった。
 届いた服は、赤い夏用のカーディガン、その下に着る白いノースリーブ、ここまでは良かったが、スカートが出て来た時に私は固まってしまった。スカートなんて高校以来穿いていなかったことをこの時に思い出したほどに。姉に抗議の電話をしても「真澄いつ見ても外に出てなくて白いし大丈夫。太ってもないんでしょー?」としか言われない。「そういう問題じゃないから!」と怒っても「頑張れ二十八歳はまだ若いから!」と電話を切られた。
 絶対遊んでる。以前、顔ぐらい教えてよと言われ、頑なに拒否したことをまだ根に持ってるのかと、空になった段ボールにカッターで穴を空けまくってやった。
「えっっっっら……」
 自分でも吃驚するほどに大きな溜息が出た。
 そして現在、デート当日の待ち合わせ時間十五分前。結局、他に服をポチる時間もなく、送ってもらった服で挑むことになった。黒いレースのスカートは膝を丁度隠す程度の長さで、確かにギリギリ私の歳でも着れそうなデザインをしている。おあつらえ向きに服に合うヒールの入ったサンダルやカバンまで付いてきて、あの私はたがが外れたように笑いだしてしまった。
「おまたせ、早いな」
「熊谷くんがこれぐらいかなって」
 軽く一回見たぐらいでは分かりにくいが、彼はゴリゴリの体育会系、十分前行動は当然のレベル。だから彼が着くであろう時間を狙って、待っていた。
「……」
「え、なに」
 いや、分かるよ。服でしょ。似合ってないんでしょ。というかみつ夫くん相手でもスカートは初だよ。高校以来穿いてないんだから。OL時代もパンツスーツだったし。普段は干物女で、外に出ても可愛くない女で申し訳ない。
 全体を軽く流し目で見られたあと、彼は一言「行くぞ」と言って歩き始めた。正直、変に言葉を掛けられるよりは全然良かった。羞恥心で膝から崩れそうだったから。
 開館時間でもまだ夏休み前だったからか人は少ないように見えた。みつ夫くんにも招待券を渡して別々の受付から入館した。私が少し入るのに遅れていると、近くの邪魔のならない場所で彼が待ってくれていた。
「ごめん、おまたせ」
「いいけど。…どこ見たいとかあんの?」
 受付の人に貰ったパンフレットを持って、ゆっくり歩きだす。入口を入ってすぐには川の魚がなんとも美味しそうに泳いでいる。
「私はクラゲが見たいなあって。でも折角来たなら全部見るよ」
「ああ、そうだな」
 彼はパンプレットを取りやすいようにショルダーバックのポケットに差し込むと、当然のように私の手を握った。みつ夫くんの手は私には大きすぎる程で、少し冷たい。――本当に今日の私は大丈夫か?
 海の魚エリアの魚群にはとても驚いた。アニメーションなんかで見るものが、本物で私の目の前で一糸乱れず泳いでいる。背景の濃い青と、微かなライトを反射して光る鱗がとても綺麗だった。
 実は、水族館も初めてだった。今までの彼氏とのデートと言えば街でカラオケとかゲームセンターに行ったりする程度で、みつ夫くんとの出かけのデートは映画だった。これまで家族や学校の遠足なんかでもたまたま来たことが無かった。
「熊谷くん見てよ。カニだよカニ。カニは調理したことある?」
「あるけど、今は時期的に無理だぞ」
「別に今食べたいわけじゃないからねっ。……でもちょっと食べたくなった」
 釣りをしている彼を見たことがあるからか、魚を見るとつい、彼が釣ったことがあるのか、調理したことがあるのかを聞いてしまう。私の毎度の質問にみつ夫くんは淡々と答えていく。お昼は回転寿司と、言うと彼は少し笑って了解してくれた。
 念願のクラゲは一番奥のエリア。最近バージョンアップされたというクラゲエリアには様々な種類のクラゲがアクリルの向こう側でふよふよと漂っている。ピンクっぽい色でタコのような見た目のタコクラゲ、触手が真っ白なレースのようなアマクサクラゲ、色彩豊かなハナガサクラゲ、他にも沢山のクラゲが水槽事に分けられている。
「クラゲが好きなのか?」
「好きってわけでもないんだけど、画像で見ても綺麗なんだから実際見たらもっと綺麗なんだろうなって」
 ――――知らなかった。水族館がこんなに楽しいところだったなんて。好きな人のために身の丈に合わないおしゃれをすることがこんなにも恥ずかしいことだったなんて。いつのまにか、握っていた手が熱くて、上がりつつある鼓動が伝わってしまわないか不安で。
「俺も、綺麗だと思う」
 みつ夫くんの方を見ないようにじっとクラゲを見てた。でも、繋いでいた手がぴくりと動いてほんの少し視線を向けると目が合った。
「今日の服、似合ってる」
「えっいやっあのっ……これはっ」
「真澄が選んだんじゃないのは姿を見てすぐに分かってたけど、聞かれたく無さそうだったし」
 本当は、握られた手を解いて走り出したいぐらいに恥ずかしい。本当に恥ずかしい、顔が火が出そう。でも、繋がれた手は痛くないぎりぎりでしっかりと繋がれて、動きそうにない。
「手、繋ぎたくないなら俺は良いけど……」
「え、」
「少なくとも俺は、一緒に居たいと思ってる」
「い、今それを……」
 一か月前、私がみつ夫くん言った言葉を今、返されるとは思わなかった。え、つまりは……え、本気で言ってるの?? まさか一か月前の謎をここで知ることになるとは。……ああ、私はなんて駄目な女なんだ。普段は干物で、外でも可愛くない女で、彼氏の考えていることも察することが出来ない。それでもみつ夫くんは私と、一緒に居たいと言ってくれる。
「いや、このままで、行こ」
「そうだな」
 普段は猫ぐらいにしか向けない笑顔が、私は大好きだ。なんて普段なら絶対言えないし、名前だってそういう時にしか呼べないけど。それでも、今日は来て良かった。

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