終わらぬ星巡り

マスターとの距離を置こうと思ったのは、本人が思うよりもずっと前だ。けれど、それを実行できるようになったのは12月に入ってからで、私はそれを深く後悔していた。
 マスターと過ごす時間は暖かく、とても優しい。
 なにより、傍にいると愛おしさが溢れて止まらなかった。触れたい。傍にいたいと、時間が経つごとに私自身を律することが難しくなっていく。そんな自分を私は許すことが出来ない。
 傍に居てはいけない。触れたいと思ってはいけない。なぜならば、私はサーヴァントで、彼女は現代に生きる人間であるから。一時の影法師である私は、これからも生き続けるただの少女に介入してはいけない。
 そう、今までが近付き過ぎたのだと、自分自身に言い聞かせる。
 彼女が話しかけても無視をしよう。呼ばれても断ろうと思っていても、私の足はマイルームに向かい、彼女の姿を見かけると無意識に言葉をかけてしまう。
 今日だけ……明日からは……と先延ばしていたらいつのまにかもう別れの日は刻一刻と近づいていた。

「パーティーが終われば私は退去しますが、卿は最後までいるのでしょう」

私がマスターと距離を置き始めから、以前よりも増して共にいることが多いトリスタンは、まるで私に釘を指すように言葉を発した。
 何故かと言えば、先刻マスターから頂いたケーキの箱に入っていたメッセージカードに原因がある。
 このケーキは先ほどマスターから、彼女の契約してる全てのサーヴァントに贈られたプレゼント。手作りのケーキに直筆のカードまでついていて、こういった細やかさにはいつも嬉しくなってしまう私がいる。
 そして私のカードには26日を迎える最後の時間に会いたいという旨の言葉が添えられていた。トリスタンにはこのメッセージを見られてしまったために、彼はこうやって私に釘を刺している。

「マスターからのお誘いですから」

本当なら呆気なく、何もなく消えるつもりだったが、呼ばれて会わないのは騎士として、紳士としても矜持に欠ける。
 ならば、最後に嫌われるぐらいはしておこうと思っている。
 何を言われても受け流し、私の意思はなにも伝えない。そうすればきっと彼女は私を嫌ってくれる。私をその程度の人間だったと失望して、きっと忘れてくれるはずだ。
 種は植えた。これからマスターは元の世界で、自分の意思を尊重して生きていく。それを手助けこそはしても邪魔してはならない。私の存在は、彼女を人間らしい人間として育てつつも、成熟後には必要のない存在。誰かと親しくなり、誰かを好きになるには不必要なもの。
 だから、私は嫌われて、忘れ去られるべきだ。
 夜から開かれたパーティーは立食会のようなものだった。穏やかな曲が流れ、料理を口にするもの、マスター方を誘ってダンスをするサーヴァントなど、楽しみ方は沢山あるようだったが、私は料理をお出しするスタッフとして過ごした。マスターとの関わりを減らすために、頻繁に移動する役を買って出た。宮廷の執事役をしていた頃の経験もあり、スタッフとしては僅かには役に立つことは出来ただろう。

「折角だから踊ろうか」
「良いんですか!」

けれど、気が付けば目でマスターを追ってばかりだった。
 異世界から来たという男性の我が王は、マスターの理想にもっとも近いのだという。
 ああ、マスターに自然に笑顔が浮かんだ。その笑顔の為に、私は今まで彼女の傍にいたというのに。
 目に毒だと、目を反らした。それでも、我が王とユカリが手を繋いでいる光景が頭から離れなくなる。私は、ユカリと手を繋いだことは一度もない。彼女と手を繋いだら私は一体どうなってしまうのだろうか。私は、私自身を抑することが出来るのか。スキルがあっても確信が出来ない。
 気が付けば約束の時間が迫っていた。パーティーの片付けも終わり、多くのサーヴァントが退去を完了し、残りは私のように約束がある者、ぎりぎりまで居たいと言う者、まだ何か用がある者だけになった。
 静けさに拍車をかける窓もない廊下でマスターが来るのを待っていた。

「お待たせ、ベディ」

最後に私に向けて発せられた言葉を聞いたのはつい数時間前。結局、会話を完全に絶つことは出来なかったというのに、それでもこんなに心が落ち着かないことは過去に一度もない。
 そして彼女は、今まで私が彼女を避けてきたことを、まるで気にしていないように明るい笑みを浮かべる。

「最後に来てくれてありがとう……あのね、」
「――――マスター、今までありがとうございました。今まで私をサーヴァントとして扱ってくださって」

心が、いや英霊であるが故に霊基が軋む。
 ほんのりと紅潮した頬に対して、目が笑みを止める。言葉を遮られたことに驚いているようだ。

「なりそこないの英霊をマスターは使ってくださった。たった一度の契約でしたが、とても楽しい日々でした」

本心の中に、恋慕を隠す。それがきっと私にとって最適解なはずだ。



訳が、分からない。私は彼の言葉にとても混乱を隠せなかった。
 今日、朝にケーキの箱を渡すときも、トリスタンに彼のは来るのか確認を取った時も、パーティーの間もずっと、ベディのことを考えていた。アーサーと踊っているときも、勿論嬉しかったが、ベディと踊れなかったことが残念で仕方がなかった。
 けど、それでも良い。最後に一言ベディに「貴方が好き」と言えたらそれでいい。好きと言って笑顔でさよならをする。
 大丈夫、私が恋を知ったのはベディの表情を見たからだ。私の想いはきっとベディと同じはずだと、そう確信していた。

「さようならマスター。どうか平穏に、普通に、幸せに生きてください」

ベディの身体が光に包まれる。退去が始まっている。

「まって! まってよ!!」

声を上げ、手を伸ばしても触れることが出来ない。そういえば私たちは手も繋いだことがなかった。
 ダメ、遠くなる。ベディが、思い出が遠くなる。また私は何かを手に入れる前に全てを失うの。

「どうして!! なんでっ……ベディ…ベディ!!」

半透明のベディに手を伸ばしすぎて態勢が前のめりになりその場に転んだ。それでも私は彼に向って手を伸ばし続けた。

「――――――」

彼の退去を認知した。彼から最後の言葉はなかった。私に言いたかった言葉を一言も言わせずに、彼は消滅した。
 喉が痛い。目が熱い。心が痛い。それでも喉から出る絶叫と、目から流れる涙が止まらない。
 脳裏に張り付いたベディの顔に以前に失った友人たちの顔が重なる。その瞬間に心の自己防衛のようなものが働いたのか、私は一つの結論に至った。

「そっか…………これは、恋じゃなかったんだ……」

私はベディの表情を見て、私は彼への感情が恋だと錯覚した。けれど彼は私に何も言わなかった。なら彼の私への感情は恋ではない、なにか別のもので、私がベディに向けていた感情も、友人を思い出すのなら、きっとあれは友人に向けられる親愛のようなものなんだ。
 恋でないなら、ベディが私に「生きてください」しか言わないのも納得できる。

「そっか、そっかぁ……」

これが親愛を失った辛さなら、恋を失ったときの辛さはどれほどのものなのだろうか。

「なら私は、恋なんてしない」

涙も止まった私は立ち上がり、マイルームに戻る。
 荷造りを進めようと部屋を何日も整理していた。サーヴァントたちに貰ったものも幾つかは断捨離しなければならないだろう。
 そんな中、目に留まったのはベディヴィエールに貰ったクッキーの空き缶。その空き缶はヴァレンタインのお返しに彼からもらったもので、サイズ感の良さから小物入れに使っていた。つい先ほどまでこれも持って帰ろうかと思っていたが、何かが唐突に冷めてしまった私は、それも掴んでゴミ袋に向かう。――――けど、捨てられなかった。
 机に突っ伏して、銀色の装飾と彼を連想させる翠色のリボンがついたそれを、私は手放せなかった。

「恋じゃない……これは、恋じゃない…………恋であって良いはずがない……」

そう言い聞かせながら、独りを自覚した寂しい夜を、二年ぶりに味わった。
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