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終わらぬ星巡り

斉藤結は感情表現が下手であると同時に、自分の感情を把握することが苦手である。対人との関わりが大切である現代日本において致命的である欠点ではあるものの、斉藤はそういう少女だった。
 元々自らを売って人の前に出るような性格でもなかったが、自分の感情を読み取る能力に関しては、そもそも他人との関係が長い間おろそかであったことに関係する。
 自分の感情を真面に理解出来ない子供が他人の感情など理解出来るわけないように、逆も然り。どれだけ見て、観察して理解出来ても自分に欠けているものは理解出来ない。そう、ある感情の名前が彼女には判らないのである。

「マスター。本日は槍の試練の日。よければ私も同行させてください」

円卓の騎士。ベディヴィエールへのある感情への名前が思いつかない。
 斉藤は円卓の騎士たちに多くの憧れの念を抱いている。それそれに抱く憧れはそれぞれが違うベクトルで彼女の中に存在している。その中でも男の騎士王。アーサー・ペンドラゴンへの憧れは群を抜いている。
 小さい頃に読んだ絵本に描かれたお伽噺。その話に登場した王子様に斉藤は強く惹きつけられ、長年独りであった彼女の中で、その憧れは根強いものへと変化していた。
 『この物語のお姫様のように私は良い子じゃない』『王子様が迎えに来ることに期待はしていない』それでも少女だった彼女は夢を見続けた。傍に居ることは出来なくても、見ていられたらどれだけ幸福なことか、と。そんな王子様像に彼は最も近い存在だ。
 けれど、違う。違ったのだ。ベディヴィエールに対してだけはそれは違うと判るほどに違和感を感じた。アーサーへの強い憧れでもなく、円卓の騎士たちへの親愛のような感情とも違う。何かを。

「マスター?どうかなさいましたか…?お疲れなら周回は無くても構わないのでは」
「いや。うん。大丈夫」

優しい声で少し心配された程度でも、彼女が冷静に考えて纏めた感情の名前の中で一致するものはなく、考えは空に散漫していくようだった。
 ベディヴィエールと話している時はなんだかとても幸福な気持ちになる。空っぽな袋の中を柔らかいモコモコとしたもので満たされているような。軽いのに密度のあるそれで満たされているとき、身体はほんのりと熱を持つ。

「結さん。ベディヴィエール卿。こんにちは。これから周回ですか?」

周回へと向かう途中、斉藤とベディヴィエールはマシュと出逢った。
 マシュとベディヴィエールはギャラハッドという騎士を挟んだ縁を持つ。デミサーヴァントであるため、霊基を借りたギャラハッドの父であるランスロットと同僚という点でも、キャメロットで打ち解けあった仲という点でも、仲睦まじく話しているのは何らおかしなことではない。ほんの一言二言の会話だって普通だ。
 そう。普通のことの筈だと、斉藤は自らに言い聞かせていた。ただ、膨らんだ袋は萎むときは一瞬である。

「やっぱ、今日の周回止める」
「えっ……あぁはい。私は構いませんが」

二人が話していた間に割り込むように斉藤は呟いた。二人とも驚いていることに変わりないが、この中で一番驚き、慌てふためき、罪悪感に呑まれそうなのは斉藤自身だった。

「ごめん付いて来ないでー!」

マシュとベディヴィエールの呼び止める声も無視して斉藤は走って逃げた。










――――憧れでもない。親愛でもない。ならこの感情はなんて呼べばいい。

マイルームに戻って来た斉藤は偶々近くを歩いていたガウェインを巻きこんでルーム内に引き籠った。
 ベッドの上で、まるで繭のように敷布を巻き付けて防御姿勢に入った斉藤に対し、ガウェインは特に声を掛けるわけでもなく傍で見つめ続けた。下手に声を掛けるのは良くないと判っている。そして出来れば斉藤自身に自覚させたかったのだ。だから彼女の質問になっていないような嘆きには答えなかった。

「可笑しいの。ずっとずっと可笑しいの。カルデアに来てからは見てたらみんな判ったのに。今はずっと判らない……あの日からずっと…」

話を訊いているガウェインには「あの日」というものに心当たりはない。けれど彼女には何か心当たりがあるのだ。きっとその日から彼女がベディヴィエールへの想いがそれまでとは別のものに変わった日だったのだろう。

「ガウェイン」
「はい。マスター」

敷布の繭から手を出してもっと近寄るように手振りとする。彼はそれに素直に従い。床に膝を突いて、ベッドに腕と顎を乗せるようにして斉藤の言葉に耳を澄ます。

「もっと良い子になりたい」
「良い子とは…?」

斉藤はガウェインに、カルデアに来る以前に両親に言われていた言葉を教えた。そしてその理由も。

「私が突発的なこと言わなかったらはマシュもベディも傷つかなかったもの」

彼女の思考が悪循環に陥っている事にガウェインは気が付く。良い子で、良いマスターであろうとする彼女は故に、一度失敗するとそれを引き摺る傾向がある。引き摺った状態が続くと思考が悪い方向に進み続ける。そうして悪循環に陥る。

「レディもベディヴィエール卿も、心配することはなくとも傷つくことはないと思いますが」

実際、傷ついているのは斉藤自身だ。自分の感情を理解しきれていない所。そして咄嗟に逃げ出してしまったことに。

「もう駄目なんだ。思考が回らないんだよ。判ってるのに。理解しているのに。みんなのマスターで居たいのに、ベディを見ていると全部可笑しくなる。これじゃまるで――」

斉藤が言いかけた言葉を遮るようにガウェインは咄嗟に、敷布を彼女から引き剥がした。斉藤から見た彼の表情は、第六特異点で対峙した時のように険しくなっていた。
 しかしその険しい顔は、悪いものではないことを斉藤は悟る。間違った方向へと進みかけた彼女の思考を諌めようとする。どこか優しさを持った表情。

「逃げてはいけません。……マスター。人に他人を重ねて見てはいけないのです。そうすれば、重ねた相手の印象に残るところばかり気にして見てしまうようになってしまう」

彼女は最も忌む親と、あろうことかベディヴィエールを重ねて見ようとしていた。その感情は斉藤が彼へと抱いているものとは似て非なるもの。人の心の大半を埋めることの出来る憎悪と斉藤は勘違いするところだったのだ。

「マスター……居られますか?ベディヴィエールです」

自動ドアを隔てた反対側から苦悩の原因である本人の声は聞こえる。

「マスターに無理をさせようとしていたことについて謝罪させてください。例えそうでなくても、どうか、理由を……」

元々防音の効いている施設だ。声の通りが悪い分、掠れて聴こえる声に斉藤の気持ちは揺れ動く。今の彼の気持ちが痛いほど伝わってくるからだ。
 ガウェインは「大丈夫ですね」と口パクで伝えるとマイルームから出て行き、入れ違いにベディヴィエールが入ってくる。ガウェインから返してもらったら敷布を強く握る。

「申し訳ありませんでした。マスターに仕える身でありながら、配慮が足らず、マスターの疲労も察せられないなど」

斉藤のいるベッドの前に傅き頭を下げる。そうしている間にも彼女のまた悪い癖が出る。何度も何度も言葉に出来ない懺悔が脳内を駆け巡る。

「違うの……」

漸く出た否定の言葉にベディヴィエールは頭を上げる。見上げた彼女の表情はとても言葉に出来ないほどに複雑で、彼を必死に心配させないように微笑を浮かべながらも、はやり感情が抑えられず流れ出した涙が頬を伝う。

「ベディが眩しくて優しくて暖かくて、全部、初めてで……ずっと自分のことが判らなかっただけなの…だから大丈夫」

熱い涙をひんやりと冷たい銀の腕が優しく拭う。一歩踏み込んだことによって腕が届いた。

「ああ…光栄です。マイ・マスター。…………そしてどうか、無理を為さらないで」

コツンと額で触れ合った。抱きしめあうことは出来なかったのだ。ベディヴィエールは別れが決まっていることが恐ろしかったからだ。
 額を触れ合わせている間にベッドに座ったままの前傾姿勢が辛くなり、斉藤が少しバランスを崩すと、額だけでなく鼻先同士が触れ合った。咄嗟に目を開けると徐々に顔を真っ赤にしていくベディヴィエールの姿が。ここで斉藤は突然冷静にあることを思い出す。たまたまテレビ放送で見た洋モノ映画。そこでラストシーンで鼻先でキスをする男女の姿が脳裏に蘇る。あの鼻先でのキスの意味を彼女はなんとなく調べたことがあった。
 意味を思い出した刹那にぎゅっと目を瞑っていた顔が真っ赤なベディヴィエールと目が合った。そしてふっと笑みを向けられた。

――――ああ、見たことある。

彼女は判ってしまった。自分が憧れだと勘違いしていたベディヴィエールへの感情と、今、ベディヴィエールが自分自身に向けた表情の真意を。そして、気が付いたことを黙っておくことにする。彼の優しさに溺れていたかったから。
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