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終わらぬ星巡り

広瀬、秋辺と斉藤が出逢って一年が過ぎ、彼女は高校二年生になっていた。
 夏休みも終わり、彼女の学校では二年生の生徒からも受験の話が持ち上がるようになった頃だった。

「斉藤はもう進路決めたのか?」
「うん、地元から離れた国立。独り暮らししたかったから丁度いいかなって」

彼女の顔には広瀬によく似た輝きに満ちた笑みが零れるようになっていた。彼女は相変わらずクラスから浮いていたが彼や、彼の周りにいる一部の生徒にはそんな笑顔を見せるようになっていた。

「バイクの免許を取るって言った時も驚いたけど、独り暮らし赦してもらえたんだ。やったじゃん」

彼女は去年の暮れに親に様々な嘘を重ねてバイクの免許を取りに行ったのだ。取った理由は広瀬たちがバイクで出掛けるという話を訊いたからで、これがあれば電車やバスよりも手軽に移動できると思ったからだ。
 彼女の住んでいる地元から出て親から離れて住む、というのは結構前から計画していたことだった。バイトだってしたことが無い彼女だが、それ以外の家庭でするべきことは苦も無くできるようになった。独り暮らしをすれば、必然的にバイトだって許してもらえるし、なにより監視の目は今より収まる筈だからだ。

「そう言えば今度の日曜に先輩とバイクで出掛けることになったんだけど、斉藤も行く?」
「え、なにそれ行く」

ツーリング次いでに隣街のショッピングモールに行くという広瀬の誘いを彼女は即答で了承した。
 そして当日の日曜日、彼女は広瀬に教えてもらった地図を暗記し、両親にはまたカフェに行くと嘘を吐いて出掛けた。地図を暗記したのは彼女がスマホどころか携帯電話も買えずにいるからだが、今のところ彼女は深く必要だとは思っていなかった。
 しっかり道を覚えていた彼女は迷うことなく道路を安全に走り待ち合わせ場所に向かう。
 彼女が走っている道はその辺では大通りで日曜日ということもあって車通りも多かった。彼女は前を走るトラックから大目に車間距離を取って走行し、交差点を直進しようとしていた。それ以降の記憶を彼女はあまり留めていない。事故以前に覚えているのは目の前の青信号と、前のトラックと彼女のバイクの間を通り右折しようと曲がった車の運転手と目が合ったこと。そして彼女は咄嗟にブレーキを引き、身体ごと避けようと身体を右に傾けた。
 次に見えたのは道路に半壊の状態で転がった自分のバイク。視界もぼんやりと安定せず、手足は動かせなかった。そして彼女に呼びかける男性の声とざわつく生活音のようなものだったという。



斉藤が目を覚ますと、そこは病院の個室だった。丁度看護師が彼女の様子を見に来た時で、一番に視界に入ったその看護師に斉藤は声を掛ける。

「あの……ここは……」
「目が覚めたのね。ここは病院よ。斉藤さんは自分がどうなったか覚えている?」

斉藤が事故のことを思い出そうとすると頭がズキリと痛み、頭を押さえると、看護師は「頭を強く打って脳震盪を起したのね」と言い、先ずは担当医を呼んでくると病室を出て行った。
 看護師が医者を連れて戻ってくるまでの間、彼女はずっとあれからどれだけの時間が過ぎたのか、親に嘘を付いていたことが知られてしまうのではとずっと怯えていた。今までがまるで天国のようだっただけに今は正しく急降下し地獄のようだった。

「斉藤さん、君の怪我の容体は外傷だけに留まっています。脳震盪の症状についても後ほど問診します。それと、君の右目のとこも」

医者に言われ、斉藤は初めて自分の右目に触れようとした。が、触れることは出来なかった。右目には包帯が巻かれ触れることが出来なくなっており、包帯の存在を気が付いたあと、目の周りの皮膚に張られたテープやガーゼの感触を感じ始める。

「結論から言って、失明はしていなくて外傷は瞼の少し上の部分にある。完治にはかなりの時間が掛かるだろうが、確実に治る傷ということは安心してほしい」
「……説明、ありがとうございます。あの、一つ聞きたいのですが、今日は何日ですか?」

斉藤の質問に医師と看護師は少し驚いたように反応を見せたが看護師が「十月二日、月曜日よ」と応えた。斉藤は咄嗟に出かけた叫びを噛み殺し、ベッドのシーツを握りしめた。事故を起したのが昨日、あれから既に一日経ってしまっているのだ。これでは確実に両親に知られている。
 どうしよう。と彼女の頭はそればかりだった。今回はなんて嘘を吐けばいい。駄目だいつも行っていると嘘をついているカフェからはもう何キロと離れた位置で事故を起したのだ。言い逃れは出来ない。

「結……」

声が聴こえた。自分の名前を呼ぶ、正しく悪魔の声。
 母親の顔は事故を起した子供を心配しているような顔をしていない。湧き上がる怒りを耐えかねている、正しく般若の形相。その顔がコツコツとヒールを鳴らして近ついて来る。
 ――――バチンッ、と乾いた音が病室に響く。反響のあと、彼女の左頬がじわじわと痛みを感じてくる。

「なんてことをしてくれたのこのバカ!! お――お前が私に勝手に嘘をついて、勝手に事故を起して怪我した癖になんで私がお前の世話をしなければならないのよ!!」

怒号のような金切声に更に捲し立てられて、斉藤も部屋にいた医師も看護師も呆気に取られていた。

「いつもいつもあんなに〝良い子〟で居なさいって言ったのにどうして〝良い子〟にならないのよ!! 私はお前にこんなに手間をかけたって言うのにぃい!!」

感情の侭に怒鳴り散らし、自分の感情の侭に自らを支配していた親が斉藤には全く理解出来なかった。

「…………あんたのせいよ……私がこんな風に怪我をしたのも、嘘を吐いていたのも、ずっとずっと私を縛り付けて自由にさせてなかったから」
「は……? 何言ってるのよ……自由にさせてなかった? バッッッカじゃないの!! ずっと自由だったじゃない!! 何を勉強しても自由! どんな勉強法を取っても自由! 部活だって好きな所に入部させて、塾だって好きな所に入れてあげたじゃない!! それを……自由じゃなかったなんていうの!! そんなのはお前の我が儘よ!!」

今度は右頬を平手打ちされた。打たれた時に爪が引っかかったのか右頬から鮮血が流れ出る。それを見て流石に医師も止めにかかり、父親と一緒に病室から追い出そうとする。

「お前が悪い!! 私の教育通り〝良い子〟に成れなかったお前が悪い!! 私は間違っていないわ!!」

呪詛のように「お前が悪い」と言い続ける母親に、斉藤は無傷の左目で目線を向けることさえしなかった。
 それ以来、斉藤は誰の面会も受け入れなかった。一度事故の遠因となった衝突しかけた車の運転手とは両親が帰ったあと直ぐに会話をした。事故では、衝突の事実は無かったものの、バイクの転倒の原因になったことから賠償責任が発生し、全てを保険会社に任せる前に容体を確認しに来たと言う。自体が大きくならないよう、なにやら色々と言われたが彼女は上の空で、殆ど傍の看護師に言われたことをメモしてもらった。
 広瀬と秋辺から連絡は来なかった。



事故から二週間後、右目以外の傷の感知の目途がたち、二日後には退院という時に看護師から電話を取り次がれた。秋辺という男性からというので、斉藤は急いで病院一階にある公衆電話に向かった。

『もしもし、斉藤さん。怪我はどう?』
「だいぶ真面になりました。あれから私から連絡出来なくてすみません」

秋辺は厨二病的口調ではなく、普通のちゃんとした口調で電話を掛けてきた。斉藤はあのあとの事を聞こうとしたが、それよりも先に彼が突然切り出した。

『広瀬が引っ越しして転校した』
「えっ……!」

嘘でもギャグでもなんでもなく、事実だった。そう判るように冷静に、淡々と言わるが斉藤は動揺が隠せない。どうして、どうして彼が転校したのだと、理由が全く判らなかったのだ。

『斉藤の両親に広瀬が昔虐められていたことを学校中に広められたらしい。それでクラス内でも異様な雰囲気になって、ハブられるようになったんだって。それで……』
「それだけで!? 別にクラスで虐められたわけでもないのに!?」
『広瀬にとってはそれだけでも大事なことなんだよ。虐められていた時に向けられた視線と、過去を広められたあとのクラスからの視線がかぶるんだって言ってた』

独りで居た時が殆どだった斉藤には判った。向けられる視線全てに怯えていた去年までの彼女ならその恐ろしさが身を持って理解できる。

「でも……なんで、あの親が……私、広瀬くんのこと誰にも話してないのに……」
『どうやって調べたかは判らない。ただ広瀬と斉藤の校区は近いから、そこから根回ししたのかもな。二人の学校の生徒から訊いたけど、斉藤さんの両親、広瀬や周りの連中を不良とか非行に走ってるとか色々言って悪い噂をばら撒いてるらしい』

秋辺から伝えられる両親の執念のようなものを垣間見て手や足が震える。そこまでして束縛してどうなるかと。そこまでして自分の思い通りになる子供を育ててどうなる。そうやって育てられて巣立つ子に〝良い子〟としての未来があるのか。
 いや、〝良い子〟とは世間一般に認められるものではない。〝良い子〟とは、あくまで親に従順に従う良い子という意味だったのだ。そこに気が付いた時にはもう遅かった。

『僕も、学校で色々あって近々地元を離れる。斉藤さんや広瀬とはもう会わないし、広瀬もそう言ってた』
「……まって」
『さよなら』
「まって!!」

通話が切れたことを意味する、ツーツーという音が受話器から聞こえる。斉藤は両手に握りしめた受話器を少しずつ耳から外しながら、どこを見ていればいいか判らない視界が大きく揺らいで、そのままその場にへ垂れこんだ。
 受話器がぶら下がり揺れながら無機質な音を鳴らし、それと合わさったりずれたりしながら斉藤は荒く息を吐いた。
 たまたま近くを通った看護師がへ垂れこんだ斉藤を目にして駆け寄って来た。

「さ、斉藤さん大丈夫!?」
「はーっ……はーっ……は、は、あははっ! あははははっ!!」

息を吐く声からそれは徐々に笑みと変わり、狂い乾いた笑い声が院内を響かせる。看護師が応援を呼ぶ隣で彼女は笑いながら泣いていた。



それからまた一週間が過ぎ、予定より五日後に斉藤は退院を果たした。
 秋辺からの電話より二日間、彼女は真面な食事も取れず、かと言って眠ることも出来ず一日中、部屋の天井を眺めていた。それからカウンセリングも進められたが子、親ともにそれを断った。両者が話を合わせたわけではないが、斉藤は意味がないと判断し、両親は直ぐに学校に戻して勉強させたいと今までと変わら主張したという。
 家に帰ったあとも関係は大きく変わらなかったが、母親が勉強をして今までの分を取り戻せという言葉に斉藤は全くその通りにしなくなった。そして会話もしなくなった。主に斉藤が一方的に無視を始めたのだ。母親だろうが父親だろうが無視して彼女は勝手にバイトを始め、好きなものを買い、好きなことをするようになった。
 両親の理想を彼女は壊してやりたかったのだ。今まで無知で二人の企みを知らず純粋に従ってきた人形が、意思をもって反逆する様子を見せつけたかった。いや、意思を持つというよりは壊れてしまったのかもしれない。
 そして彼女はあと一つしたいことがあった。そのためにある人に電話を掛けた。

「おう、よう来たな結」
「久しぶり、おじいちゃん」

去年に電話を掛けてきた母方の曽祖父。あれ以来電話を取ることは出来なかったが、自身がバイトして買ったスマホで手軽に電話を掛けたのだ。目的は勿論、魔術刻印を相続すること。
 母親があれだけ拒んだ魔術師になって自分が手塩にかけた人形が、すでに自分の手元にないことを見せつけてやるのだと彼女は考えたのだ。曽祖父は彼女の電話に乗り気で返事をして奈良にある本家に彼女を呼んだ。

「結よ。電話では言いそびれたが、魔術刻印を受け継ぐということは我が家の伝統を受け継ぎ、後世へと繋ぎ何時しか根源に到達するという、渇望を叶えるという責務を背負うことになる。それでもええんじゃな?」
「うん。魔術は……これから学ぶよ」
「ああ……結ならきっと素晴らしい魔術師になるじゃろう」

それから彼女を襲ったのは言葉にし難い激痛と、先人たちの遥かなる魔術の記憶。
 どれだけの痛みで泣き叫ぼうとも斉藤にはそれを耐える確信があった。なぜならば、この時感じる痛みよりも、今までの苦痛の方が何十倍も、何百倍もマシに思えたからだ。
 魔術刻印が無事に移植されたからといって直ぐに魔術が使えるようになるわけではない。その日は本家で魔術師に関することを説明を聞き、彼女の家の魔術についても伝えられたあと、一人でも鍛錬が出来るように書物を受け取り、次の日に実家に戻ることにした。

「判らんことがあればなんでも聞くがいいぞ。本当はここに住んで魔術を学んでほしいがな……・」
「うんごめん。色々ありがとう」
「後継者にものを教えるのは魔術師の務めじゃからな」

本家をあとにして、帰りの電車に乗り、田舎の風景を眺めていると、ふとガラスに薄く反射した自分の姿を目視した。
 中身は少しずつ変わろうとしている。けれど、外見はそのままだった。それに右目にも眼帯をしているのだ今の、昔のままの自分では不釣り合いではないかと斉藤は思った。そしてあることを閃く。
 家から最寄の駅からひとつ前の駅で降りて美容院に向かった。

「いらっしゃいませ。今日はどのようにします?」

彼女より少し年上の女性にそう言われ、斉藤は応える。

「私と判らないほどに変わりたいんです」

先ず最初に長い髪を切った。背中まであった髪は肩に付かないほどまで切りそろえた。この時点で頭の重さが解消されてすっきりとした気分になった。
 次に変えたのは髪色だ。今までは少し紫かかった黒髪をしていたがこれも大きく変えることにする。

「大きく変えるならブリーチとかしてみます?」
「……脱色ですか」

一度色素を抜けはあとから様々な色に変えられるというので、斉藤はまず髪の脱色を行った。そこから色の選択をした。

「初めから始めるという意味も込めて白とか、行けますか……?」
「大丈夫ですよー。髪質の問題とかでブリーチだけで出来ない場合はヴァイオレット系のカラー剤も入れますね」

そうして斉藤は、彼女という存在から少しずつ内面も、外見も変わっていく。それがとても満足だった。




その日は高校卒業を間近に迎える冬の開ける頃だった。彼女は大学進学後に住む予定の物件探しに街に出ていた。そんな時、駅前に止まっていた献血車が目に止まったのだ。目の前で足を止めると外でビラを配っていた人に声を掛けられ逃げることも出来ず献血車の中に入れられた。
 最初、彼女は面倒なことになったなあと、想いながらもアンケートに答えたり、献血前の簡単な検査を受け終わり、貰ったお茶を飲んでいた。すると献血車の奥に呼ばれ、言われるがままその中に入った。周りの人はその場で献血しているので可笑しいなと思っていると医者と思っていた人に以外なことを聞かれる。

「貴方は魔術師ですね」

質問というよりは既に断定された事実を伝えるような言い方だった。しかし、魔術師であることは隠匿しなけれなならないことであるため、斉藤は「知りませんよ」と応える。
 すると医師らしき人はこう言う。

「イギリスの時計塔」
「……はい?」

それだけを伝えられ、また今度追って連絡すると連絡先を控えさせると、普通に献血を終えそのまま外に出された。
 時計塔。最近魔術師となった斉藤でも曽祖父から訊いたことがある。魔術師が集まる、魔術師の総本山が時計塔なのだと。曽祖父も昔は時計塔の生徒だったと聞くが、詳しくは訊いたことが無い。
 そのあと物件を幾つか見たあと、すぐに家に戻り曽祖父に電話をかけた。

『時計塔か……他には何か言われたかのう』
「いえ別に、あとから連絡すると」

するとスマホではなくタブレットが勝手に起動し映像を映し出す。そこに移っていたのは昼間に献血車にいた医師っぽいひと。魔術での干渉だった。

「先ほどは突然声をかけて申し訳ありません。日本に拠点をもつ魔術師一家、藤原家の当代頭首、斉藤結さまですね」
『ほう、もうそこまで判っておるのか、お前はどこの一門だ?』

電話越しからタブレットに移る顔は見えないが曽祖父は斉藤に魔術の教えを説くときよりも重みを感じる声質で相手を威嚇するようだった。

「先代の頭首も居られましたか、私は天体科アニムスフィア一門の一人です」
『天体科……それが儂のひ孫になんのようじゃ』
「このたびは我ら天体科が管理している〝人理継続保障機関カルデア〟への来館ご招待に参りました」

カルデアというのは名前の通り、人理がこれからも揺らぎなく保たれるために設立された機関であり、現在は人理継続の為にマスター候補となる魔術師を集めているという。その数は四十八人。その中に斉藤も加えたいという申し出だった。

「私は別に構いませんけど」
『儂は反対じゃ。そもそも結はまだ完全に魔術を会得しとらんし、そんな何十人も魔術師がいるなかで、いきなり一般人に近い魔術師が入ってきてもお互いに干渉出来んじゃろう。幾ら人理継続とかで手柄を立てることで今後、我が一族が栄えたとしてもその確率は限りなく低い』
「おじいちゃん。だから良いんだよ」

曽祖父の言葉もきっぱりと突っぱね、彼女は自分の意見を言った。

「私にはそれぐらい責任が多くない方が性に合う。私一人のちっぽけな人間に他の四十七人を出し抜いて出世するなんて事は出来ない。だから私は補助でも構わない。補助でいい」
「ありがとうございます。それでは資料を送りますので暫しお待ちください」

一度連絡が切れて、彼女と曽祖父だけが残った。曽祖父も今まで彼女のいた環境を知っているため、彼女が言うのなら構わないと認めてくれた。あとはあの両親をどうにか黙らせるだけだ。

『そうだ。英霊の召喚などよう判らんことも言っていたが、それなら使えそうなものがある。近いうちに送るから確認するのじゃぞ』
「ありがとう」

そう言って曽祖父との通話も切った。
 その後、カルデアへの移動は案外簡単に話を進めることが出来た。両親の介入が殆ど無かったことが原因だろう。魔術刻印を受け継ぎ、髪を染めてから明らかに相手から避けられるようになった。計画通りとはその通りだったのだが、この程度で手放す程度の存在価値だったのだと、怒りどころか呆れて何か言うことも出来なかった。
 曽祖父から贈られたものは俗に言う聖遺物というもので、こんなものを郵送してくるかと、文句が思い浮かんだが、中身を確認するとあまりぱっとしなかった。中でも不思議に持ったのは木箱の中に厳重に布に巻かれて入れられた木片。箱の中のメモには英語で「Round Table」と書かれていた。直訳で円形の机だが、円形の机で聖遺物になるとなれば想像出来たのは、アーサー王伝説の円卓の騎士だけだった。
 曽祖父が時計塔に居た頃に手に入れたものだというが、お伽噺染みたものをどうにも信頼出来なかったが、そもそも英霊召喚なんて行われてる組織だと聞くので斉藤は一先ず、その木片を持っていくことにする。
 そして彼女はアーサー王伝説と思い出したのはかなり幼い頃に読んだ絵本の話だった。確かあの本はアーサー王伝説ではなかったのか。ちゃんと思い出すことはなかった。
 こうして彼女は高校卒業を前に日本から旅立った。



斉藤がカルデアに到着して一ヶ月弱が立ち、彼女以外の魔術師がカルデアに増えてきた頃、彼女は避難所であるドクター・ロマニがいる空き部屋に逃げ込んだ。

「ドクター!」
「な、なんだい!? 君はいつも急に来るんだからもう」

すると彼女は空き部屋のベッドに顔を埋める。

「も~~最近来た魔術師に嫌味ばっかり言われるよ~~アキえも~ん」
「アキえもんって……日本の漫画の世話焼きロボットじゃないよ僕は」

彼女の曽祖父が懸念したように、彼女は普通の魔術師たちからは浮いていた。中には交友関係を持ってくれる人も居たにはいたが、それでも斉藤を下に見る魔術師の方が多くいる。彼女も下に見られる分には覚悟して来たが、陰口どころか聞こえるところで聞こえるように言われる嫌味にはうんざりしていた。

「こっちが下手に出てニコニコしてるからってあの野郎~」
「今も怒ってないじゃないか」
「怒っても仕方ないじゃないですか、事実だし」

斉藤はカルデアに来てからなるべく笑顔を絶やさないようにしている。それは過去に笑顔で居れば自分に害が及ぶことはないと教えてくれた人がいたからだが、どうやらそれは普通の人ではない魔術師には効かないらしい。
 そこで彼女は新たな心の防衛策を取ることにする。

「ドクター・ロマン。貴方のこの名前はとても素敵ですね」
「え、何急に。あ、ありがとう……」

彼女は覚悟を決めるように大きく息を吸ったあと、宣言する。

「これからは私のこと、ヘリオトロープと呼んでください」

それは過去に彼女が貰った神聖な名前だった。彼女の忌々しい過去の象徴でありながら、彼女の短い間ながらに彼女に転機を与えたことを思い出させる名前。

「ヘリオトロープ……南米原産の小さな紫の花。和名は確か……ニオイムラサキ」
「笑顔の似合う花だそうです。今は上手く笑えなくても、思い通りに出来なくても決して願いは違わない。そんな花だそうです」

彼女の浮かべた笑みはかつて憧れた人の笑顔から掛け離れたものになっていた。溌剌としていても何処か作っていることが判ってしまう笑み。無理をしていると判るそれを斉藤は――――ヘリオトロープは止めることが出来ない。これが彼女の心を保つ防衛策。見た目と名前で外からも、性格と笑みで内からも、彼女は自分の心に空いた孔を隠すことにした。

彼女が自らの孔に向き合うのは、また、先の話――――。
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