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終わらぬ星巡り

変わる勇気など彼女には無かった。あの両親が堪らなく怖いのだ。それに自分はあの二人に生かされている子供で、傀儡であると理解していた。彼女は実の両親の操り人形で、赤ん坊の時から大人になり成人し、巣立つまでをずっと支配される生き物だと。
 反抗すれは自分は〝良い子〟ではなくなる。〝良い子〟でなければ存在価値がないと教え込まれてきたのだから。
 でも、昨夜の実の祖父にまで理想を押し付け、怒鳴り、〝良い子〟として育ててきた自分のことをバカ呼ばわりにした母親への反抗心が、その日には溢れかえっていた。

「…………ねえ、よっよければ私もゲームセンターに連れて行ってくれないかな……」

声を掛けられた生徒たちはとても驚いた顔をしていた。声をかけた斉藤も、内心驚いていた。初めて自分から声をかけたのだ。
 今日もゲーセンに行こうぜ、と話をしていた彼等は茫然と瞬きも出来ないまま斉藤の顔を見たあと、男子生徒の一人が鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていたが「あ、ああ……俺は良いけど」と応えた。その返事を聞いた斉藤はぱあっと花を咲かせるように目を輝かせる。そしてワンテンポ遅れて他の生徒たちが別の意見をバラバラに言いあう。

「えー、斉藤さん来ても意味ないよー」
「お前らもいっつも人のゲームしてるところ見てるだけだろ。斉藤、資金はどれぐらいある?」
「えっ…と、二千円ぐらい……」

よしっ行こう!とノリが良いのは恐らくこのグループの中心人物。この前斉藤がトイレに隠れる時にぶつかった男子生徒だ。
 そして放課後、集まったのは斉藤が声をかけたときよりも数人少ない人数だった。

「人減ったの……?」
「ああそうなんだよ。斉藤は気にするなよ。それより急になんでゲーセン行こうと思ったわけ?」

その男子生徒と話しているあいだ、斉藤は後ろから感じる視線を気にしていた。彼はクラスの人気もので、彼女とは違う良い意味で目立つ生徒だ。そんな彼が学校から疎外されている斉藤に構っていることがきっと許せないのだと彼女は思った。

「ちょっと、気分の変化というか……どう言うべきか」
「……そっか、ならいいや! 今日は楽しもうぜ!」

溌剌と笑う男子生徒が斉藤には眩しく見える。
 ゲームセンターに付いた後、斉藤はその男子生徒たちを様々なゲームを周る。最初の方は彼等が楽しんでいるのを眺めていたが、時間が経つと徐々に斉藤も参加して楽しんでいった。彼女はゲームが上手く、案外と簡単に彼等に馴染んでいった。
 車の運転席のような場所に座ってレースを楽しむゲームだったり、太鼓を叩く音楽ゲーム、UFOキャッチャーでは少ない手数で景品を取って配った。

「はーっ……斉藤、ゲーム上手いなあ……」

斉藤がゲームセンターの端にあるベンチで休んでいると疲れて同じく休憩にきた彼が隣に座って来た。

「はい、ジュース」
「……いいの?」
「ああ、俺バイトしてるから。奢りな」

渡されたペットボトルのジュースを受け取った斉藤は、頭を下げてお礼をしたあと、厚意に甘えてジュースを飲んだ。あまり飲んだことの無い甘い飲み物は彼女の喉を潤す以外にも、別のことを教えてくれる。

「そう言えば、斉藤って部活とかやってるんだろ。良いのか」
「一日ぐらい休んでも親に連絡は行かないし、塾も今日は休みで」

本当は門限も厳しいのだが、昨日のこともあって勉強時間を増やすという名目で図書館で勉強すると前もって朝に言っておいたのだ。本当は図書館に行くつもりだったのだが、あの教室でゲームセンターに行くと言う話を訊いて斉藤は一歩踏み出してみたのだ。

「へえ、結構悪いな、斉藤も」

真面目過ぎて近寄り難かったのに、完全に詐欺だよなあ、と彼は笑う。良い意味なのか悪い意味なのか、分かり難かったが、斉藤は良い方に捕え、笑みを返す。

「……皆と違うって言うのはどうしても損だからな、俺もいつのまにか同じ側に周ってたのかも」
「どういう意味?」

すると彼は色素の薄く金に近い茶髪の横髪を耳に掛けて、質問に答える。

「俺、ハーフなんだよね、イギリスと日本人の。小中と見た目で虐められてて、長い間友達も出来なかった」

斉藤は内面的、行動での周りとの乖離が独りで居続けた理由だが、彼は外見的な要因で周りから疎外されて続けた人間だという。

「高校では変わろうと思って、出来るだけ笑って昔のことは忘れようって思ってた。そしたら何時の間にか周りにはいっぱい友人がいるし、ハブられることもない。ムスって独りでいて仏頂面してるより、笑ってる方が何倍も良いんだって判った」
「………………広瀬くんは凄いね。私には出来ないや」
「そんなことないぞ。斉藤にだって出来ないわけがない」

今までは溌剌とした少し幼く見える笑みとは違い、優しい気遣うような淡い笑みを見せる
 するとゲームを終えて戻ってきたメンバーが斉藤にビニール袋を見せる。クレーンゲームの成果のようでお菓子が沢山入っている。

「斉藤さんにもあげる!」
「え、でも私、持って帰れないし」

家にお菓子など持ちかえればどんなことを言われるか判らない。中学の卒部式に貰った花束でさえ花瓶なんてないと捨てられたことがあるぐらいだ。

「なら今食べちゃってよ、ほら何が好き?」

打ち解けられたものの、一気に様々なことを言われ慌てる斉藤は、咄嗟に状況を見ている広瀬に視線を向けるが彼は「頑張れ」とエールを送るだけ。彼女はなんとか一つお菓子を選ぶことしか出来なかった。



家に帰ったのは六時前、良い時間に帰って来れたと斉藤は思った。この時間にはまだ両親は帰っていない。制服から部屋着に着替えて、夕飯を作り、独りで食べたあと部屋で自習する時間まである。それなのに部活をずる休みした罪悪感など一切なく幸福感だけが彼女の中を満たしていた。
 楽しかった。心の中はそれでいっぱいだ。誰かと話す喜び、滅多に飲まないジュースの味と初めて食べたスナック菓子の味、そして自分のことを誰よりも限りなく近く理解してくれそうな人物までたった一日で知れたのだ。新しい参考書を買うと嘘を付いて貰ったお金を全て使ったこともすっかり忘れて、次はいつ行こうかと楽しみで、その日の自習は手に付かなかった。

「今週は大丈夫そうか?」
「うん!」

それから彼女は時折彼等と放課後を過ごすことにした。部活が休みで塾も休みの事が多い日曜日や祝日を狙い、その日は図書館も開いていないので勉強が許されるカフェに行くと嘘を付いた。最初に言った時はかなり反対されたが、家に居る時よりも少し煩い方が集中出来るというと、渋々月に一度だけ行っても良いと言われた。その時に渡されるお金は千五百円、その僅かなお金で一日中遊んだ。

「今日はバイト先の一個上の先輩も来たんだけど、良いか?」
「私は善いよ」

そう言って広瀬が紹介した人物は真っ赤に染めた髪と、黒い指先の開いた手袋や眼帯やらで痛く着飾った長身の男性だった。

「我が名はゲヘナ界の堕天使、ベリアル。貴様がグシオンから我への生贄だな」
「……あーうん、封印された本来の名前は秋辺って言うんだ……バイトの間は借りの姿でもうちょっとちゃんと喋るし、本当に良い人なんだけど……うん」

彼でも弁解出来ないほどの厨二病を患っており、バイトの時は現世に溶け込むために仮の姿と名で過ごしている設定らしい。広瀬は斉藤が流石に秋辺を引くのではないかと思っていたが斉藤は案外、秋辺を受け入れた。

「初めましてベリアル。貴方さまが高貴方だと知らず、なんの生贄も用意出来なかったことをお許しください」
「ほう……! まあいいだろう!」
(先輩めっちゃ喜んでる!?)

斉藤は結構飲みこみと口裏合わせが上手い。

「我も貴様を生贄と呼んだことは撤回し、代わりに真名を授けよう……」

えっ、と驚く斉藤と広瀬。斉藤は「確かに広瀬くんも悪魔の名前で呼ばれてるし」と妙に冷静だったが、広瀬は隣で笑顔が引きつっている。

「ヘリオトロープ! 遥かなる海の向こう、我ら堕天使の力も遠い国で生まれた明るく清らかな花だ。今はまだ蕾だがいずれその花は開花し、貴様はその名の通りに生きることだろう」

てっきり悪魔の名前を付けられるかと想像していた斉藤は拍子抜けだったが、一応付けて貰ったあだ名のようなものに、彼女を笑みを浮かべて「有難うございます」と応えた。その笑みを見て隣にいた広瀬も、良かった良かったと笑みを零す。
 その日は一日中街の色々な所を歩いた。斉藤の持ち金が少なく秋辺に奢ってもらうこともあり、斉藤は頭を下げっぱなしだったが、それでも彼等は厚意を斉藤に向けた。

「ヘリオトロープよ、グシオンは天界の間者として上手くやっているか?」
「え……あ、はい。私とは違って皆に愛されて毎日上手くやっています」

一瞬、何と言っているか判らなかったが、恐らく学校の事だろうと、斉藤が答えると秋辺は「そうか」と満足そうに頷く。
 広瀬が三人分の飲み物を買ってくると言って二人を公園に置いて行って、秋辺と斉藤だけの時間になんとも言えない時間が流れて行く。

「我は奴がゲヘナに居た頃から知っていてな、奴が天界に行ってからも様子を見ていた」

斉藤は最初にゲームセンターに行った時に訊いた、彼が虐めにあっていたという話を思い出す。バイトの先輩だと聞いていたが、秋辺の話を少しずつ訳していくと、どうやら彼等は幼馴染らしいのだ。家は近い場所だが学校の校区が違い、何時も一緒にいることが出来なかったという。

「ここ最近は貴様の話をよく聞くようになったのだ。貴様は天界で独りでいたのだと」
「…………」

独りが好きで独りで居たわけではない。秋辺はそれを理解してくれるのだろうか。そんな不安が彼女の中にはあった。

「ヘリオトロープよ。我慢するのは止め、自由に生きるが良い。グシオンも始終笑みを浮かべることで今の地位を手に入れはしたがな、あれは如何も生きづらい。偶には憤怒も現世の人間には必要だ」
「……貴方はどうなんですか?」

ふと出た言葉で、秋辺の目が見開かられた。そのあと、彼は大口を開けて笑う。腹を抱え、耐えがたいように笑い続けた。

「……僕は自分の意思で自分を偽っているのさ。それが自己を守る策だから。広瀬は笑みで、僕は名前で、斉藤さんは何で自分の心を守る?」

理解されるどころか、自分の真意さえも貫かれるような問いかけは、斉藤の心を大きく突き動かすことになる。しかしそれは今ではなく、また数年後の話だ。
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