銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -
個人的に一年の中で最も鬱陶しい季節だと思っているのは梅雨である。
台風のような休校になるような暴風雨になることもなく、じめじめとした気温に中途半間に降り続く雨。傘で道路で場所を取り、車の走る泥水の飛沫。持ち歩く教材も湿気る。などなど枚挙に暇がない。特にBL漫画の世界であると認識してからは雨に濡れて透ける服を自重しているのだが、そうすると自然と厚着になってしまい大変暑い。
出来れば友人とも駄弁らず、どこにも寄り道せず帰りたいのだが、最悪なことに雨足が強まってきた今現在、俺は傘を持っていない。
もちろん朝も雨が降っていたので差して来なかったわけではない。以前に盗難されたことも考慮し、持ち歩くようにしていたのだが、今回はそれ以前に傘がぶっ壊れたのである。
登校中に突風に煽られたビニール傘は大破し、その役目を全う出来なくなってしまったのだ。
ではどうするべきか。友人に借りるは無しだ、余計なフラグになりかねない。学生部にボランティア貸出傘があるが、学生部に向かうまでにキャンパス内を移動しなければならず濡れるのでこれも却下。タクシーは金銭面的に除外。
そうして最後に残ったのは過去の俺にはなかった選択肢。
「お待たせ、災難だねえ」
彼女である薫ちゃんの傘に入れてもらう、である。
「ありがとう、助かる」
「どーいたしまして。今季になって傘、大きいのに買い替えたからラッキーだったね」
彼女が持っているのは、大きな多間傘で、言う通り下ろしたての綺麗な紫色をしていた。この色のイメージは今までなかったが、淡く落ち着いた紫は似合っているように思う。
湿気で髪がハネると話していた彼女は、今日は後ろ髪をシンプルなヘアクリップで纏めている。頭が動くと、サイドの髪やピアスが普段よりよく揺れて視線を誘われる。
「俺が持つよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
傘を受け取ってみると、骨が多いだけあってビニール傘と比べかなり重い。
「アンブレラマーカーつけてみたんだよ」
俺が差した傘の持ち手に彼女の指先が掛かる。
ガチャポンで出したというマーカーは白猫のミニフィギュアで、どことなくミーコに似ている。
「ミーコちゃんに似てない?」
薫ちゃんもそう思っていたようだ。彼女のしなやかな指先が白猫のアンブレラマーカーを揺らす。
「似てる。可愛い」
同調する俺に嬉しそうに微笑んでいる薫ちゃんもまた、大変可愛い。
「実はねー…」
撥水素材のカバンから取り出されたのは、ガチャポンの丸い球体。ビニールに包まれた中身の白色が微かに見える。これはまさか、
「後で開けてね、濡れるから」
「ありがとう…え、めっちゃ嬉しいんだけど」
「よかった。二個連続で出たんだよ」
運が良すぎる。
というか本当に嬉しい。だが普段からビニール傘しか使わないので付けるのは少し勿体無いようにも思う。
つける場所に悩んでいると、薫ちゃんも一緒に悩み出して、すぐに案を出した。
「シリコン部分取れるし、筆箱とかにつけたら?」
「天才…?」
帰ったら早速つけるか。
「ほんとに大好き薫ちゃん」
*
中学の頃から雨は好きじゃない。
汗を吸った練習着とかの洗濯物がずっと乾かないし、生乾きは臭い。図書館で借りた本を濡らしてしまって弁償になった時とか、今思い出しても最悪の記憶。
梅雨入り前に久しぶりに開いた雨傘が金具が錆びていることに気がついて買い替えることにした。
ショップを散策していると、つい紫色の傘が目に入った。今まで特に選ぶこともなかった色だったけど、最近なんとなく目に留まるようになったのは、おそらく彼を思い出すからだ。衝動買いした傘は高かったけど、とても満足できた。
「ミーちゃんだ」
商業施設内に設置されたガチャポンの一つにまた目が止まった。
彼の愛猫によく似たアンブレラマーカーのガチャ。回さないわけが無い。
一回、二回と回して二つとも愛猫そっくりの白猫が当たって、つい顔が綻んでしまった。真山くん風にいうなら神引きって言うらしい。
意気揚々と買ったばかりの傘にマーカーをつけて梅雨を過ごす。長らくぶりに雨が好きだと思った。
「ごめん! 今日傘入れてくれない?」
今日、大学に来て真っ先に頼まれたお願いは、正に青天の霹靂だ。
バイトとか、色々あってたまたま時間が合わなくてガチャポンを渡し損ねていた時に、彼からの救助要請を受け取った。
突風に吹かれ彼のビニール傘はご臨終なさったようだ。
講義後は浮かれて、彼に傘を貸して一緒に下校する。
君を思い出して買った傘で一緒に帰るなんて幸せだと。自分で思っても気持ち悪いぐらいだから言わないけど。
ようやく渡したかった物も渡せて、自分的にはミッション完了。
「ほんとに大好き薫ちゃん」
私の想像よりも彼は喜んでくれたようだ。
傘で他からは隠れるからと、外では中々崩さない表情を崩して笑いかけられる。
昔、雨を浴びる傘の中で聴く声は、普段よりも美しく聞こえるってみたことがあったけど、本当にそうだ。
彼の低い優しい声が普段より響いて、よく聞こえて、ドキドキしてしまう。今は歩道を歩いているのにこの傘の中だけ、世界が違うみたいだ。
「私も大好き」
