銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -


 BL漫画的フラグの警戒度数は薄いとはいえ、薫ちゃんの兄と顔を合わせる時はいつも緊張感がある。
「こんにちは、お邪魔します遥芳さん」
「いらっしゃい。ゆっくりして行って」
 本人の性格がキツいとかそういう原因ではない。薫ちゃんに似た穏やか(順序的には逆か)で思いやりのある性格をしている。彼氏という他人でありながら、歳の離れた妹と同い年の男にも同等に接するような懐の広さ。問題は内面ではなく外見だ。
「薫、紅茶淹れたから。ミルクと砂糖は好きに入れて」
「ありがとうお兄ちゃん」
 デカい。
 単純に身体が俺とは一回り…いや二回りは背丈意外にも色々と大きい。兄妹が並ぶと大人と子供に見えるし、薫ちゃんはよく首が痛くなるからしゃがんで欲しいと不平を言うらしい。
 身長が190cmある男は弟の周りにもいるし、その三郷くんも筋肉がある方だがこの人に関してはもう筋肉がついているとかいう域ですらない。もうゴリラの域。職業スポーツインストラクターって言ってたし。
 力では一瞬で握り潰されるだろう。万に一つBL展開になったら勝ちようがない。つまり本能的な危機意識が働いている。

「表情硬いよ」
「…気が付くの薫ちゃんぐらいだから大丈夫」
「まあにぶちんだからねお兄ちゃんは」
 表情の硬さを薫ちゃんに指摘されてしまった。本人の前ではしっかり応対できているはずなので、やはり薫ちゃんはよく気がつく。俺の硬い頬を、痛くならない程度に指でぐりぐりと押される。
 両手で口角のあたりを押し上げられて無理やり笑顔を作らされた。その俺の顔を見て薫ちゃんはクスリと笑う。
「お兄ちゃんがそんなに怖い?」
「人間的にはいい人だと思ってる」
「それは良かった」
「俺が考えすぎなのは重々理解してる」
「そんなことないよ」
 そう、考えすぎなのだ。
 いくらBL漫画に”そう言うシチュ”が多いとはいえ、彼にはすでに揺るぎない番がいて、俺は新刊の噛ませにすらならない立ち位置にいる。
「いい人だと思ってるから危険というか、距離感も大事だし」
「伊織くんとは普通に接してるのに、それとは違うの?」
「弟の彼氏と、彼女の兄だと色々違うよ」
 薫ちゃんは頭をひねる。解決策を考えてくれているのか、俺の考えを理解しようとしてくれているのか。
「本当に怖いなら無理して関わる必要はないよ。家以外に会える場所はいっぱいあるからね」
「今はそこまではいいかな」
 傾けていた首を反対側に倒した。薫ちゃんは目を丸くして言葉に出さずとも「なぜ?」という言葉を表現している。
「薫ちゃんの家族だからね、大切にしたいよ」
「……意外」
「意外!?」
「あーごめん、いい言葉が思い当たらなくて。悪い意味じゃないんだよ。嬉しい」
 ローテーブルを挟んで正面に座っていた薫ちゃんが俺の隣に座り直す。
 驚いたが、よく考えれば自分でも正直意外の他に言葉は出てこない。自分の利己的な部分は誰よりも理解している。自分が良ければ良い。薫ちゃんと出会ってからは薫ちゃんを。利他ではなく俺と薫ちゃんだけ、という考え。
 だが薫ちゃんと長く接していると、彼女が大切にしているもの、したいと思っているものを俺も大切にしたいと思うようになった。
 優先順位が大きく変わったわけはないが。
「優しいね」
「薫ちゃんに好かれてたいし」
「言わなきゃいいのに」
 文字列だけでは引かれたような言葉だが、声色は優しい。笑って掠れた言葉と同時に隣に座った彼女の身体が俺に凭れ掛かる。
「でも、そうだね…考えを新たにするのは悪いことじゃない」
「でしょ?」
 薫ちゃんはドッと笑った。俺もつられて笑った。

 話題の遥芳さんの淹れた紅茶を飲みつつ、話題の方向が変わる。
「薫ちゃんが男にうっすら警戒心ないのも良くわかる」
「えっ」
「あんなお兄さんが近くにずっといたら大抵の男怖く無くなる」
「お兄ちゃんあんなゴツさだけど中身は本当に怖くないよ?」
 それは判っている。
 だが逆に一般的な女性はうっすらと男性を怖いと思ったり嫌っていると言う。それは本能的なものもあるし経験則などもある。俺は薫ちゃんにはそれが希薄であると感じている。
 性別の違いで、違うように見えるが顔の造形は似通っている。自分の顔を怖いとは思わないのは当然だ。あの人もまた薫ちゃんと同じように無表情時の目が鋭いタイプだ。
 あれが怖くないならそりゃ大抵の男は怖くないだろう。
「痴漢とかナンパから友達助けたりとかさ」
「…ぐうの音も出ない」
「危ないから本当にやめてね」
 警戒心の薄さは、身の安全に直結しているが、悪いことばかりではない。
 身近に美形の家族がいることで薫ちゃんは人を美醜で判断しない。これはルッキズムの激しいBL漫画の世界においては唯一無二の長所だ。
 本当にさまざまな要因が良い方向に向いた天然記念物のような女性なのだ薫ちゃんは。
 ご両親が長期不在なのを高校入学から経験しているし、というかそれ以前からも不在が多かったと聞いているのにグレたりしていない時点で相当すごい。部活というよりどころがあったというのも強いのだろう。
「……」
「どうしたの?」
 口元に指を置いて伏せ目で考える仕草をしている。
「この調子で父にあったら──くんの心臓が保たないと思って」
 え、そんなに見た目厳ついの、薫ちゃんのお父さんって。
「どんな人?」
「私とお兄ちゃんの顔に、お兄ちゃんの体格だけど笑ったりしない寡黙系」
「ひえ〜」
 あれか、俺が普段関わらないようにしている作画の違うイケおじというやつだ。レベルが高すぎて憧れ枠になってる系。
「二人って性格、お母さん似なんだ」
「そうでもないけど…家にいる時に一番喋るのは母だね。私含め三人は相槌担当」
 ご両親はまだ写真だけだが、薫ちゃんが話を聞いてニコニコしながら相槌を打っている様子は想像に難くない。
「バレー勧めてくれたのは父だし無関心とかじゃないよ」
 無関心だったら薫ちゃんはここまで出来た人間には仕上がっていないだろうな。
「そういえばどうしてバレーだったの?」
「小学生の時に長身でいじられて気にしてめちゃくちゃ猫背だったから」
「そうなの?」
 意外だ。今の彼女だけを見れば全く気にしないだろう。実際に気にしているところを見たことがない。背筋も綺麗に伸びている。
「相談とかしたくないじゃん、思春期で容姿のことを家族に。でもすぐにバレて。そしたら父が『バレーをやるといい。バレーは長身が活かせる、それに常に上を向くから自然と背筋が伸びる』って。気にしてるのに伸ばす方を推すの」
「どうして?」
「私も同じように聞いたら、」

『自分を悪く言う人間のことなんて気にするより、慮って大切にしてくれる人のことを薫も大切にしなさい』

「──それは良いことだね」
 普段からそばで見守ることだけが親の愛情ではない。彼女のいう父親の言葉には娘を想った切なる気持ちが籠っていて、本人をそれを理解している。
「受験の時、シャーペンと消しゴムをくれたでしょ」
「…たまたまね」
 BL漫画界の呪いか、昔から女子の顔はもやがかかったように判別が出来ていなかった。だから本当に偶然、隣の列でカバンをひっくり返して忘れたペンケースを探す、泣きそうな雰囲気だった女子を助けた。それが薫ちゃんだった。
「部活を辞めた私の選択肢を肯定してくれたのが──くんなんだよ」
 ドッと心臓が脈を打つ。
 辞めると決めたとき、周りに反対されたとは聞いている。以前のヤンデレ女とか、当時のチームメイトとか。だから同じからのポーチとペンケースを間違えて持ってきた時、まるで自分の選択を間違いだったと言われているように思ったのだろう。
 決して深く考えてあげたわけではない。予備があったからあげた。そんな些細な出来事。
 でも薫ちゃんはそんな小さなことも大切な思い出にしてくれている。
「大好き」
「俺も、大好きだよ」
 やっぱり、この子以外なんて考えられない。
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