銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -


 油断していた。これは俺のミスだ。
「大丈夫か?」
「……ぅす」
 隣の男に差し出された水さえ、今は警戒しなければならない。
 いつもの飲み会メンツとは違うメンバーが多い飲み会。だが授業が同じで見知った顔であることに変わりなく、普段のように適度に飲みつつメインカップルたちに紛れるモブに徹していれば問題ないと思っていた。
 最初は平素と変わらぬ雰囲気だった。だが俺と同じようにメンツに拘りなく飲み会に参加して酒を飲みたいだけの学生が多いことをもっと意識しているべきだった。
「二次会の話出てきてるけどどうするよ?」
 隣で喋っている男の声すら、ぐにゃぐにゃに揺れてまともに聞き取れなくなってきた。
 酔った感覚ではない。以前に謎時空謎空間にて無茶振りお題部屋に閉じ込められなければ確信は取れなかっただろう。
 これは媚薬を盛られた。
「…………いや」
 全身が熱い。強制的な興奮。喉が渇く感覚。
 裾の長いセーターを着ていて良かった。辛うじて大問題な部分を隠している。コントロールのついていない状態を見られればBLコースまっしぐらだ。
「お前って実家だったよな。タクシー呼んでやるよ」
 タクシーに乗って運ばれるのは絶対俺の家じゃない。
 というかわざわざ俺に媚薬を盛った相手も理由も分からない。普通に考えれば今、俺に世話を焼こうとしているこの男なのだろうが、接点がない。盛ったタイミングも見当がつかない。俺は飲みかけのドリンクを放置してトイレには立たないし、すると料理を大皿から取るために視線をジョッキから目を離した一瞬か。
 だとすると相当手慣れている。
 あー…整理したらなんとなく理解したが、頭がもうまともに働かない。本格的に拙い。
「オレらパスなー」
「どしたん?」
「こいつ悪酔いしたみたいでさ」
「珍しー」
 馴れ馴れしく肩に触れる素振りをするので振り払う。
 表情を見られてはいけない。俯いてやり過ごすが、酔いも回ってきて気持ち悪い。
「おいおい立てねーんだろ」
 ああ確かに、いま立つのは拙い。だが少しでも時間を稼がせていただく。
 少しでも時間をかけ媚薬の効果が切れるまではいかなくても、自力で歩けるレベルに回復すれば逃げ切れるはずだ。
 身体を丸め顔を隠すと、男は小声で俺に言う。
「彼女、心配すんじゃねーの?」
 ゾッとした。これは生理的嫌悪。
 コイツ。彼女持ちをわざと狙ってるな?
 彼女持ちとか、女子に片想い中の男を逆NTRしていくBLがあるのは以前から承知していたが、まさか本当に遭遇することになるとは。恐ろしい。
 治安良い世界のはずなのに、たまにガクンと質が下がるのなんなんだよ。
「安心しろって、ちゃーんと送ってや、」
「こんばんはー失礼しまーす」
 聞いた瞬間に心が凪ぐ、僅かに高い声。
 薫ちゃん…?
 喧騒の毛色が少し変わる。密かに噂する声が聞こえてくる。
 というか彼女は今日、バイトのはずだったのでは。
「銀木さん今日バイトって──から聞いてたけど」
「バイト終わりに友達と飲みに行こうって話になったんだよー。そしたら偶然」
 七原が薫ちゃんに話しかける。顔を僅かに上げると、周りを見渡して俺を探していた彼女と眼が合う。一瞬驚いたようなリアクションの後、慌てずに問いかける。
「──くん体調悪そうだけど」
「悪酔いしたらしくて、美野に送ってもらうみたいな話してた」
「ふーん…そっか」
 薫ちゃんが座敷に上がってくる。
「大丈夫?」
 俺の横までくるとしゃがんで本当に小さな声で聞いてくる。
 もう一度目を合わせる。霞んでるし揺れているしで鮮明に確認できたわけではないが、薫ちゃんが浮かべている表情は、単なる心配の表情ではなかった。
 呂律も多分まともに回らないので目だけ左右に振る。「うん」とだけ返事が来た。
「もうタクシー呼んだの?」
「まだ。って銀木さんは今から友達と飲むんじゃないの?」
「んーそのつもりだったけど、結構辛そうだし。そもそも美野くんは彼の家知らないよね」
 末尾に行くほど薫ちゃんの声が低くなる。意図的につけた抑揚と言って良い。
「はい上着、前閉めて」
 壁に吊り下げていたアウターを薫ちゃんから受け取る。
 今日がロングコートで良かった本当に。
 不自然になりすぎない程度に前傾姿勢で、薫ちゃんに肩を借りて歩き出す。
 美野は諦めていないのか薫ちゃんに何か言っているようだが、俺の耳にはもうほとんど入ってこない。そのあとは一緒にバイトから上がったバイト仲間に謝罪をしているようだった。こちらは一言二言で終わる。
 退店すると夜風で少し熱が引く。
「タクシー呼んで家に帰ろう」
「…だめ」
「どうして?」
 そもそも今日の飲み会に参加したのは、家にフラグ小僧含め高校生どもが家に泊まることを知って、二次会後にネカフェへ避難するつもりだったからだ。今日は薫ちゃんがバイトがあることに加え、お兄さんカップルが家にいるのでお邪魔することは出来ないから。
 遅すぎない時間帯にこの状態で家に帰るとBL漫画の展開的に十中八九遭遇して、あっちのフラグに当たってしてしまう。
 このような状況で一人だとどこに行っても危険だ。
「ホテル入ろう。近くにいっぱいあるから金曜だけど空いてるでしょ」
 脳は回るが思考は口から出ない。舌がまともに回らない。だが無言から薫ちゃんは状況を読み取ったみたいだった。
 とは言え、この飲み屋街の近くにあるホテルと言えばラブホしかない。
「ちょっと歩くけど、頑張って」
 俺の足取りに合わせて薫ちゃんもゆっくり歩く。
 俯いたままで前の見れない俺の代わりに、彼女が引っ張ってくれる。ホテルに入って、無人受付で部屋を選んで鍵を受け取り、ようやく部屋に到着した。
 扉を閉めて、鍵も閉めると安心してカバンとかの荷物が肩からずり落ちる。
「大丈夫? 酔っただけじゃないよねそんなに──っ」
 キスした。
 もう我慢できない。顔を見てからずっとシたかった。野郎のせいでこうなったのは嫌悪でしかないし、単純に俺のミスだが、相手が薫ちゃんならなんの躊躇いはない。
「ちょ、っとおち、ついて」
 抱きしめた腕の中で踠いている。かわいい、好きだ。
「…媚薬?」
 下半身を擦り付けて、首に口を寄せると薫ちゃんは俺が盛られたものも理解したらしい。前に無茶振りお題部屋で二人で媚薬を飲んだ時も同じような状態になったから既視感があったのだろう。
 薫ちゃんは俺の腕から逃げようとする。彼女に嫌がられるのは初めてだ。寂しい、悲しい。
「なんで、」
「判別ついてる?」
 なんでそんなこと聞くの。ついてる、ついてるよ。
「薫ちゃん以外とセックスしたくない」
 本当だ。媚薬は効いてるけど、酔いもあって思考も浮ついてるけど、キスもセックスも薫ちゃんだけ。
 俺の恋人は薫ちゃんだ。
「良かった」
 すると彼女は抵抗をやめて俺を抱きしめた。
「じゃあ出しきっちゃおう」
 悪魔のような、天使のような囁きに俺は頷く。

R-18後半戦へ続く
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