銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -


 薫ちゃんは早急に疫病神と縁を切るべきである。

「ほんとーにごめん薫! クリーニング代出すから!!」
 学内を歩いているとずぶ濡れの薫ちゃんと不運男の小賀を視線の先で見つけた。
 薫ちゃんは全体的にしっかり濡れた、おそらく羽織っていたであろうシャツを手に持っている。
 足元には大きな水溜り、そして転がった空のペットボトル。何があったかは明白だ。
 基本的に自分が不運だと思っていない小賀と許容範囲がとんでもなく広くポジティブな薫ちゃんが一緒にいるとそこそこな不運が二人に襲いかかる。
 それでいて二人はお互いに波長が合うのか仲が良いので困りものだ。
「うんまあ普通のミネラルウォーターだし大丈夫……っくしゅん。いや、やっぱ寒いかも」
 季節は残暑に入り、半袖シャツ一枚だけだと薄寒いだろう。透けてはないが着ているシャツも濡れているわけだし。
「あ〜…あ! 俺の着る?!」
 何言ってくれてんのお前。そういうのは自分のつがいにしてやれ勘違いされんぞ、いやいないんだったな。
 薫ちゃんもちょっと腕組んでアリかナシか考えるんじゃない。絶対に許しませんからね!
「いやいいよ流石に」
 俺が声をかける前に”友人との距離感についてカップル間の齟齬で痴話喧嘩”イベントは回避された。
 よし、今こそ声をかけよう。
「薫ちゃん大丈夫?」
「あっおはよ。大丈夫だよ」
 さすが体育会系、何があろうと挨拶を欠かさない律儀さ、愛おしい。
 ではなく、
「小賀、今度は水かよ」
「ごめんって本当にわざとじゃないんだって」
「分かってるよコガちゃん」
 わざとだったらどうなるか分かってるんだろうなお前ほんとによ。
 俺に不運がかかってもコイツとはBLフラグになる確率は低いし、まあ百歩譲って構わんが、薫ちゃんに不運がかかるのは別問題である。ある意味水元よりタチが悪い。
 こういう不運イベントは注意を引くという点で効力はトップクラスである。『私がいないとダメなんだよね』『ほっとけなくて…』などは常套句だ。こういうのは幼馴染系にもあるとおり付き合いが長くなればなるほど後々に効いてくる。
「薫ちゃんはこれ着てて」
 俺が来ていたカーディガンを彼女の肩にかける。俺も半袖Tシャツになるが薫ちゃんが風邪を引くよりは良いだろう。
 彼女はは肩に乗ったそれがずり落ちないように指先で摘んでかけ直した。
「もう遅いけど濡れちゃうよ」
「良いから良いから」
「ほんとにごめんなぁ」
 薫ちゃんは今度学食を奢ってもらうことを約束して許すそうだ。
 小賀と接点持つとラッキーすけべで系で巻き込まれたのち小賀のつがい候補と一悶着、などに巻き込まれそうだから薫ちゃんには近づかないで欲しいが、何度も言う通り二人はなぜか仲が良いので、文句も言いづらい。
 そうして床の片付けも終えて疫病神が去ると俺は薫ちゃんに聞いてみることにしてみる。
「薫ちゃんってなんであんなに小賀と仲良いの?」
「え? なんでって言われると難しいな。水元くんとか真山くんと変わんないと思うよ?」
「でも”コガちゃん”でしょ?」
 薫ちゃんがあだ名で呼ぶは小賀だけである。高校の時からそう呼んでいると言うのは聞いたのだが、俺すら普通に名前呼びなのに。それだけあだ名というのは特別だ。それがたとえ他も呼んでいるあだ名だとしても。
「言ってなかったっけ、それ、元々罰ゲームだったんだよね。普段絶対使わない呼び方で暫く過ごすっていう罰ゲーム」
 まあ俺が今まで読んできた参考資料にもそういうのはあった。だがそういうのはあくまで一過性のものだ。のちにつがいになるカップル♂ならともかく。
「コガちゃんも治さないし、というか無期限だったし。大学入学して、今更戻そうって持ち掛けるほうが恥ずかしいじゃん」
 もしかしたら今までのように薫ちゃんが気が付いていないだけで、高校在学中に小賀は他の男と”俺のことも名前で呼び捨てにしろよ”みたいなイベントを消化していた可能性がある。あの疫病神は、運が悪い割にBLフラグの回避が無意識にながらも上手いので、不運で回避していたのかもしれないし、薫ちゃんにも分からないが故に伝える機会がなかったのかもしれない。
「ひどいよね。絡みがない同じ班員ってだけなのに面白がって急に呼び捨てで呼ばせたり、あだ名で呼ばせるの強要させるんだから」
「嫌がらなかったんだ?」
「罰ゲームで付き合え、は流石に怒るけどさ。本人いる前で嫌って言うわけないじゃん。あ、でもその時に”あいつらが引くぐらいこれから仲良くなろうぜ”って言われて良い人だなあって思ったりはした」
 それを受け入れられる薫ちゃんも十分すごいよ。
「彼本人がどうしようもない不運をどうこう言っても仕方ないしね〜」
 …そういうところ、そういうところなのだ。善人だから、不安になるからやめてほしいとは言いづらい。そういうところが好きだ。嫌いになったりなどはないがこういう考えを持たなくなった薫ちゃんは薫ちゃんじゃない。誰にでもそうだからBL漫画のモブ女性の枠から外れられるのだろう。
 以前に小賀とフラグが立ちそうなのは爆運の持ち主だろうとは思ったが、薫ちゃんのように突き抜けに包容力のある人物もあり得るだろう。
 だが薫ちゃんに至っては俺がすでに先約済みなのでご遠慮いただきたい。キャンセル待ちとかないです。
「…とりあえず、薫ちゃんは今日それ着てて」
「うん。ありがとう。えへへ嬉しい」
「そんなに?」
「だって明日は元々会えない日だったのに、会う口実出来ちゃった」
 確かに明日は同じ授業もないし、前後の講義の関係で昼食も一緒に取れないし、夕方からははお互いにバイトが入っている。
 俺が着るとピッタリな袖が、薫ちゃんだと余って手の約半分が隠れて指先だけ出ることで華奢に見える。萌え袖というものに本当に萌えるとは思いも寄らなかった。口元を隠すように破顔する表情が輝いている。
「ヒュ…可愛すぎて心臓出るかと思った」
「押し込んであげようか?」
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