銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -
「お邪魔しま〜す」
「お邪魔します、お兄さん」
「ど、どうぞー」
見知った美形男女が一緒に家にやってきたことに脳が一瞬フリーズしたが、なんとか再起動を果たした。
薫ちゃんは今日、ミーコに会いたいという名目でうちに来た。以前家に呼んだ時は家に誰もいない日を選んだが、今日はあえて母もいる日を選んだ。
で、隣でいつものようにバラを背負っている東條くん。うちのクソガキから何も聞いていないが、彼が用もなく突発的に来たとは考えにくい。
「家出る時に偶然一緒になったから。お土産も同じお店のになっちゃった」
二人はマンションのお隣同士だ。お互いに名前で「薫さん」「伊織くん」と呼び合っていたことからお隣同士としてそこそこ交流があることは見て取れる。
そこで人当たりの良い薫ちゃんと、弟周りの恋愛関係以外では穏やかな東條くんが、大した理由もなく目的地が一緒なのに一緒に来ないわけがない。
薫ちゃんが母と話している間に、俺は部屋にいる弟に事情聴取を行いたいところだが、正直なところ、アレに構っている場合ではない。昨日、俺が彼女を家に連れてくると話をしたら散々ぶつくさ文句を言っていた。大方不機嫌の当て付けだ。相手にしても無駄なのである。
「ゆっくりしていってね」
「はい! ありがとうございます」
なんと母、挨拶して受け取った手土産を準備すると買い物に出掛けていった。
こうなってくると弟カップルをどうするかが問題となってくる。
薫ちゃんは現在、二回目のミーコとの邂逅に夢中だ。援護は望めない。……薫ちゃんとミーちゃんの組み合わせ、やはり最高だ。
弟も部屋から出てきて、東條くんと手土産のエクレアを食べ始めた。またそんなBLフラグになりそうな。
「伊織くんも撫でる?」
「いやあ…俺、おもちが家にいるからか警戒されてて」
すっぽりと薫ちゃんの腕(と胸)に収まったミーコを、東條くんの方へ向けるとシャーっと威嚇をされる。
家族内序列を把握していたり甘える相手をしっかり選んでいるミーコは、東條くんの家犬の匂いをしっかり感じ取っているようなのだ。
それにしても今回これはもしかして、俺用のイベントというよりは弟カップル用のイベントなのかもしれない。
身近な男女カップルの姿を見て、「なんで男の俺…?」という愛されていることに疑問を持った受けが、この後に肉体的にも精神的にも”わからせ”られるイベントの前振りなのではないだろうか。
「……」
実際、二人が仲良さそうに喋っている様子を弟は何か言いたげに睨んでいる。
今にも卑屈な凡人モノローグが聞こえてきそうだが、ただの弟カップルイベントに消化されるのも癪に触る。だが下手なことをしても”わからせ”セックスのダシにされるのを避けられない。
「あ、薫ちゃん。口元にクリームついてる」
「はずかし、」
どうせ綾人がやるのかと思ったが、どうやらこちらの方が先だったようだ。
口元を隠そうとした彼女の手よりも先に手を伸ばして、彼女の口元についたカスタードクリームを指で拭いとった。指についたものは勿体無いので舐めさせてもらう。外だと絶対にやらないが、目の前にいるのは弟カップル。弟に見られるのだけは逆を考えればキツいが、まあ…許せ。
「薫さんティッシュ使いますか」
「…使う。ありがとう伊織くん」
動揺した薫ちゃんは指にエクレアのチョコがつき、東條くんからティッシュを受け取った。彼女の膝の上にはミーコが鎮座して動けないからな。膝枕ミーコ、どちらも羨ましい。
そして弟の目つきはまた鋭くなる。
まあ、普段から女にモテる東條くんが相手を軽く否しているところしか見たことのない弟からすれば、薫ちゃんという、男に下心を向けていない女子というのは未知だろう。おそらく東條くんもそれは分かっている。分かっていて見せている。
だがいくら薫ちゃん自体のキャラが濃くても、ここはBL漫画の世界。彼女の役目はあくまでカップルの周りにいる引き立て役以外にはならない。
普段、学校にいる東條くんファンクラブの女子とは違う、お隣の年上女性への対応。しかしそれとも違う自分だけに見せる表情や態度。その違いを弟に知らしめたい。と、考えていても東條くんなら有り得るだろう。
加えて弟が不貞腐れるポイントがもう一つ。
「お兄さんと薫さんは今日ずっとミーコちゃんと?」
「そう思ってたんだけど、こいつがさあ…」
「…なんだよ」
呼び方である。
東條くんには妹がいるらしいので、お隣さんとして兄妹を分けるため名前で呼ぶというのは流れとしては理解できる。逆も然りだ。薫ちゃんにはお兄さんがいるからな。
「昨日からうるせーから、どっか行こうか?」
薫ちゃんの肩に腕を回し、視線を向けてアピールをする。人が出来てる薫ちゃんの良心を刺激するのは大変心苦しいが、後で埋め合わせはさせていただく。
「…ごめんね綾人くん。私がミーコちゃんを見たいなって頼んだの」
「いや、その、気にしないんで…夕飯食べてくんですよね…? 昨日聞いたんで」
俺の言葉から察してくれたのか、想像以上に薫ちゃんの申し訳なさそうな反応攻撃は弟に効いているようだ。
少し歳の離れた兄弟あるあるである、捻くれたクソガキムーブなぞ彼女には効かんぞ弟よ。彼女自身が兄を持つ妹であり、上を疎ましく思う気持ちが多少あるからこそ本気で気を使っているのだ。
俺と薫ちゃんがこのまま結婚まで行くと、上も下もBのLしていることになってしまうがそこはスルー。
食器の片付けを申し出た東條くんに続いて薫ちゃんもソファーを立った。座っていた場所を追われたミーちゃんを抱っこしようとすると逃げられて悲し。
弟は薫ちゃんに先を越されて東條くんの方を見ている。俺は、三人もいいと言われてしまった。
水の流れる音で聞こえないが、二人がシンク前で何か話をしている。本当に仲良いな。
「──、布巾取ってくれないかな」
「はいは…………い??」
言われた通り布巾を持ちダイニングで向かおうとテーブルから顔を上げたところで、脳が事実を理解して本日二回目のフリーズをした。
薫ちゃんが俺の名前を呼び捨てで読んだのである。
やることやってる最中ですら変えなかった彼女が、俺を、呼び捨てで。
呼び方の件、実は俺自身にも刺さる内容だった。大学では基本的に周りのイケメンたちを名字で呼ぶので十分彼氏としての特別感を味わっていたのだが、身近な人物となれば話は変わってくる。むしろ俺より東條くんの方が付き合いが長い。イケメン相手に嫉妬などするだけ無駄であるが事実として受け止めるしかなかった。
だが、今、薫ちゃんは、俺を呼び捨てで呼んだ。その揺るぎない事実が今、俺の無駄な嫉妬を吹き飛ばしたのだ。
落ち着け。
再起動しろ一刻も早く。
この事実に行き着くまでに三秒経った。このまま無言だと彼女にまで俺のこの衝撃と含羞が伝播し、最悪の場合二度と呼ばれない。それは、ちょっと嫌だ。
だが正解も分からない、弟カップルの前でしていい狼狽え方ではない。一先ず気にしていないと言うふうにやり返してみよう。
「はい。薫」
違和感!!
今まで散々”薫ちゃん”と呼んできたのだ。これは違和感しかない。
そもそも俺が彼女の名前に「ちゃん」とつけて呼んでいたのは、この世界の男の名前が女子校すぎるからである。彼女の名前も男でも全然有り得る範疇だ。大学内におそらく存在しているであろう何某かおる(男)とのフラグを回避するには、分かりやすい呼んでいる子が女子であるアピールが必要だったのだ。男相手に「ちゃん」を付けるなどBL的に見られていないと有り得ないからな。
「うん」
ほらめちゃくちゃ照れとるがな。
隣の東條くんの入れ知恵だな。顔がそうだと言っている。
「あは、やっぱり違和感あるね」
「そ、そーね…」
ガチ照れを隠しているように笑っている。おそらく彼女も呼び捨てには違和感があったようだ。だが反応の感触自体は悪くない。
俺も今ガチガチに照れるからな。
「東條くんも夕飯食べてく?」
「いいんですか?」
「もちろん。母さんに連絡するわ」
ダシにされる予定が、まさかのダシにさせていただいたので、これぐらいは弟を売らせていただこう。
