銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -


 わたしがあの子に助けてもらったのは大学に入学して暫くが経ち、図書館でバイトを始めた頃だった。
 昔から本が好きで、バイトも本に関わるバイトがいいと思って探していると学内の掲示板で学内の図書館で募集しているのを見つけて応募した。
 選考で無事に選ばれて初日の説明を受けている時に隣に並んでいたのが、その銀木薫さんだった。
『よろしくね』
『あ、あ…はい』
 にこやかに声をかけられてもその時は上手く返事が出来た覚えがない。
 銀木さんは色んな意味で有名だ。新歓で四人の先輩に誘われたのきっぱり断ったとかは、学年を超えて大抵の女子は知っている。軟派な男性を嫌う女子たちからはホープ扱いだけど、バイトで見た彼女はそんなことすら既に忘れているようで普通。
 いや、普通と言っても彼女の中では。彼女と仲の良い女子はよく持ち上げて褒めたりしていたけど、本人は全く興味がなさそうだった。
『薫ってなんでここのバイトに応募したの〜? バイトする必要ないじゃん』
『ミカもここにしたじゃん』
『薫がここにしたからだよ〜』
『なにそれ……単に移動時間を気にしなくていいからだよ』
 バイト中に二人が喋っているのをつい聴いてしまった。話の内容はお金関係は兄が管理してくれているし、お小遣いにも困ってないけど、社会に出た時の予行演習と一人で居ても暇だからと。
 本に関わることが好きなわたしはそんな軽い理由に少しムカッとしてしまった。募集人数は決まっているし他にもここでバイトしたい人はいただろうに、とか。
『そんなに本好きだっけ』
『嫌いでもないよ。本当になんでもよかった。ああでも、いいこともあったかな』
『なになに?』
『あ、あの、一応バイト中だから…ここ会話禁止だし』
 発話禁止のエリアで世間話が終わりそうになかったので咎めると、ミカという女の方はムッとした顔をわたしに向けてきた。
『ごめんね。ほらミカも静かに仕事して』
『はーい』
 申し訳なさそうに眉を下げ、わたしに向かって謝ると友人も咎めて静かに仕事を続ける。隣の子も銀木さんが言うと大人しく従った。それが余計に癪にさわる。
 確かにおしゃれで背も高くて目立つ。スタイルがいいから男子ウケも良さそう。でも、それを全く興味なさそうにしているのが気に食わない。謙虚そうに見えて結局は自慢しているようにしか見えなかった。
 いい子そうにしていても、フリだけで本当は不真面目に自分だけが良ければ良いとか思っているんじゃないかって。
 最初は思っていた。

 バイトの親睦会だった。未成年の学生と成人済みの学生が混ざった会。
 大人数が集まる場所は得意ではないけど、バイトの人しかいないと思って参加したら先輩たちが友人などを連れてきていて困惑していた。
 最初はソフトドリンクを飲んでいたのにいつの間にか席を移動してきた初対面の男性に絡まれた。
『ねえ、君も飲もうよ』
 差し出されたのはジョッキに注がれたお酒。
 本気ではない、脅しているわけでもない。単に酔ったテンションの戯れ。肩に手を置かれてグイグイと来る年上の男性にわたしは完全に萎縮した。
『いや…あの……』
『ちょっとぐらい大丈夫だって』
『本当に…』
『先輩。朝倉さん困ってますよ』
 銀木さんだった。わたしの正面の席でわたしと同じソフトドリンクを飲んでいる。彼女が声をかけるとわたしの隣に来ていた男性は彼女の隣に移動した。わたしのように肩を抱いて寄せようとする人を押しやった。
『誰にでもやるもんじゃないです』
『ごめんって。銀木ちゃんは真面目だねえ』
『未成年飲酒の教唆とセクハラ、どっちが良いですか?』
『ごめんごめんっ』
 笑って冗談として収めようとする銀木さんに男性も謝って同調する。
 彼はそのあとわたしに意識を向けることはなく、友人であるバイトの男性先輩の方へ絡みに行ったが、正面に座ったまま動かない銀木さんはわたしの方へ視線を向けた。
 バイト中に注意した時と同じ、眉を下げて「困った人だね」と言いたげな表情。
 そのあと、二次会を開催することになったけど、わたしはすぐに帰ることにした。銀木さんも一緒だった。
『二人とも帰るのー? 送ってあげようか?』
 さっきの絡んできた男性がまた絡んでくる。
 わたしが気まずくて少し間を開けて銀木さんの隣に立っていたところを、捕まえるように間に入り肩を組んでくる。
『だ、大丈夫です…』
 本当に怖い。こういう人ってなんでこう他人に絡むことに抵抗がないんだろう。言い切らないことを肯定と受け取られている。わたしは怖くて言えないのに。
『しつこいですよ先っ輩』
 腕を掴み頭を下げて、まるで慣れているような動きで男の腕を振り払った銀木さん。そのままわたしの肩に置かれた手も払ってくれた。
『ダメですよ。年下の女子を怖がらせたら』
『どこが〜』
『失礼な、私も怖いですよ〜』
 怖がっているようには見えない。彼女も男のテンションに付き合っている。でも萎縮しているわたしの言葉よりは意味をちゃんと受け取ってくれたようで、結果的にわたしと彼女に交通費を渡すだけで帰してくれた。
 お店から駅までの道を二人で歩く。
 彼女の表情はわたしからだと身長差もあって見えない。無言の空気がわたしには辛かった。
『あの…』
『ん?』
『怖くないんですか』
『なにが?』
『あんな絡み方されて……』
 新歓後に四人の先輩に告白をされて断ったっていうのは本当だったんだと、さっきのやり取りでなんとなく理解した。彼女は流されないけど、相手に嫌な気分にさせないような断り方をしている。だから告白を断っても、女子からの噂以外で聞かないんだろう。
『怖くないわけじゃないけど……望まないことをされる方が怖いし。嫌だから断ったんだけど、迷惑だった?』
『そんなことは』
 迷惑どころか二回も助けられた。それは本当に感謝している。
 物心ついた時から言葉に勢いがあったり、ああいうふうに善意のようで善意ではないものに不満はあったけど断ることが出来た試しはない。
 そんなわたしに出来ないことを当然のように受け流せる彼女が羨ましい。
『言葉にしなきゃ思ったことは伝わらないよ』
 
 かっこいい。

 こちらを見た流し目が、まるで男性のように切れ長で。でも女性らしく色づいた唇が言葉を紡ぐ。
 誰もがあなたのように言葉に出来るわけじゃない。そんな反論よりも彼女を褒める言葉が先に浮かんだ。
『…私にも、まだ言えてない思いはあるもの』
『え?』
『あっ駅着いたね。私こっちだから!』
 そういうと銀木さんはわたしとは逆の路線へ歩いて行った。
 わたしが向かう改札まで着いてきてくれていたんだ。
 彼女の人の良さは本物だった。あの容姿の良さをひけらかしているわけでも、誰かを誘惑しようとするわけでもなく、本当になんとも思っていない。告白を断ったも謙虚なフリじゃなくて、あの子にとっては本当に興味がない人だったのかも。
 なんでだろう。今まではどちらかというと嫌いで、嫌なところを探したり、ムカつくところばかり思い浮かんだのに、今は彼女の良いところばかり思い浮かべてしまう。
 顔が熱い。
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