銀桂の薫りはあなたの気を惹く -Exhibition -


「涼しっ」
「お邪魔しま〜す」
 夏である。
 大学生にとっては長い長期休暇、バイトを入れたり恋人や友人とどこかに遠出などをするが、このBL漫画の世界で泊まり込みのバイトなどは見えている地雷である。となればどこかへ遊びにいく、のだが今年の夏は近年と比べてもかなり危険な暑さを記録している。もはや山に行こうが海に行こうが涼むことは難しい。
 なのでここは冷房のしっかり効いた室内で遊ぶ、が正解だ。
 ということで、冷房が効いており、お金も掛からないマヤセンの家に集合が一番コスパが良い。
「カップル揃って僕の家を避暑地にしないでよ」
「ごめんて、夕方になったら出るからさ」
「お土産あるよ」
「それはもらう」
 夏休みに入れば当然高校生のガキどもも休みなわけで、そして俺ん家が一番集まり易いということもあり、休み中でも弟は友人一行を家に招いている。
 鉢合わせを避けるためには俺が外出すればいいだけなので短絡的に考えていたのだが。
「銀木さんちに居ればいいじゃん」
「お兄ちゃん、真夏の間は在宅になるの。カレシくんも泊まりに来るし」
 不要不急の外出が躊躇われる時期に在宅になれることは良いことである。しかし家にいる時間が増える大学生カップルにとっては大変都合が悪い。しかもつがいも一緒となると、もはやお邪魔虫は俺たちの方なのだ。
「銀木さん。次のお土産はお兄さんカップルの話でよろしく」
「いいよ〜」
 家に入れてもらい、息をつく。
 彼は現在修羅場中なので一緒に駄弁ることが出来ないが。
「せっかくだし水元くんも呼ぶ? 彼の部屋空調弱いもんね」
「休みだし隣もうるさいだろうしな」
 マヤセンが水元にラインでメッセージを送る。すぐに返信が来て、ここに避難してくると連絡があった。ゲームを借りて遊んだりしていると、水元の部屋の空調の話になった。
 学生向けの安アパートということもあり、備え付けのエアコンは年季の入ったオンボロであるという話を聞いたことがある。そこに休みになったことで夜にマルチプレイを行うお隣が、昼間もことに及んでいたら熱中症は避けられないだろうという会話。
「こんな十分外にいるだけで熱中症になる時期に熱い部屋にいるとか無理だよね」
「しかも密室で運動」
「流石に窓は開けるんじゃない?」
「隣どころか外に聞こえるから閉めるんじゃないかな。前に通りすがりに聞こえたことあるからなんとも言えないけど」
「それもやばいけど、閉め切って? 生き急ぎすぎ」
「真夏に真冬の話描いてる僕に麦茶ックスの話を聴かせるなよ!! してもらうからな!!!」
「ごめんて、あとそれは勘弁してください」
 避暑地として気軽に遊びに来てしまったが、マヤセンは現在進行形で夏の大イベントに向けて同人誌の執筆中である。
 薫ちゃんは注いだ麦茶を飲みながらマヤセンの剣幕に冷や汗を頬に掻いていた。
「麦茶ックスってなに?」
 真山に聞こえないように配慮してか耳元でヒソヒソと質問される。
 本来ならときめくような仕草も内容によっては効果を失うものだ。
「暑い部屋で氷と麦茶が入ったグラスを長時間放置してたら汗掻くし、氷が溶けてグラスに当たるとカランって音が鳴るでしょ」
「うん」
「それを行為が始まって時間が経ったっていう暗喩にしてるってこと」
「しんどそう」
 あまり理解できていない反応である。
 知識のない薫ちゃんに言葉で説明するのは難しい。そもそもそのシチュエーション自体が絵面ではなく雰囲気を感じるものというのもあるだろう。俺も雰囲気を楽しむBL漫画は教材にしないし詳しいわけではない。
 だがおそらくそう言ったものも網羅された真山のコレクションには例があるだろうが、見せるのは流石に憚られる。
 するとチャイムが鳴った。哀れな水元のご到着である。
「あ、水元くんだ。おつかれ〜〜」
 鍵を開けに行く薫ちゃんに着いて行き、暑さと騒音被害に頭を可笑しくしている男を出迎えに向かった。


 *


 夕方。一番暑いピークの時間は過ぎて、少し日が傾き始めた頃に真山邸を出発した。
 とは言っても外気温は三十度を下回っていない。湿度の高さと、再び流れ始める汗によって肌に服が張り付くような不快な暑さをしている。予報では夜も気温は下がらず熱帯夜になるらしい。
「薫ちゃんって、こういうの詳しくないと思ってた」
「私ってどういうイメージ持たれてるの…?」
 最近は二人で避暑出来る場所をデート場所にあげることが多い。
 定番にカフェから始まり、ゲーセンや商業施設、映画館、水族館、博物館。そして今日訪れたのはプラネタリウムだ。市営ということもあり昼間は主に子供向けの投影が殆どなのだが、休日の夜時間にナイトタイムの大人向け投影を行なっている。大人向けと言っても想定年齢は高校生らしいが。
「映画より安いし座って見れる。何より涼しい」
 ドーム型になっている天井を見上げるために、座席は映画館よりも深く倒れる。
 推奨年齢が高いことによって騒がしさもない。男子高校生カップルらしき組み合わせは何人かいたが、ほぼ仰向け状態で上を向いているので視界に入ってくることはない。プラネタリウム、アリだ。
「良いかも」
「でしょ」
 横を向くと思ったより距離が近いことに気が付く。映画館の座席よりは少し幅が狭いようだ。
 肘置きに置いていた腕に彼女の腕が絡んできた。外はじっとりと暑いのに、サラサラと肌触りのいい彼女の肌が直接触れる。
「俺と付き合う前、っていうか大学まではバレーが恋人みたいだったって言ってたし」
「色々やって見たいことはあったからねえ」
 真山邸にいた時とは違い、今は耳元で囁かれる吐息混じりの声にドキドキしている。
 やはり場面や雰囲気、話の内容は大事である。
 投影が始まると非常灯以外の全ての照明が消され、天井に星が映し出された。
 聞いていて心地よい淡々としたナレーターの解説。子供向けの投影とは違い、小難しい天文学の話。真剣に映された星を見つめている薫ちゃんの横顔が、暗さに目が慣れてつい視線を向けてしまう。
「こっち見過ぎ」
 視線があって、口元がそう言ったように動いた。
 呆れたような表情ではなく、口角が少し上がってあざとく笑っているようにも見える。
 絡みついていた腕だけでなく、手も掴まれて遊ばれ始めた。両手で俺の指先を揉んだり、甲を撫でたり。しかし、先ほど俺と視線を合わせて以降、俺の顔にも手にも一瞥も向けることなく星に視線を注いでいる。
 まるで集中していない俺が悪いみたいじゃないか。これで投影に集中はするのは無茶振りが過ぎる。でも、それがなんだが良い。

「次はどこいこうか?」
 プラネタリウムが終わり、居酒屋で数杯飲んでほろ酔いで帰路に着く最中。
 俺も薫ちゃんもバイトが入っている関係で次に会えるのは三日後だ。
「他か〜、室内フェス系…は熱気がすごいか。満喫デート?」
「漫画読むとかだったらあんまりマヤセンとこと変わりないんじゃないかな」
「それもそうだね」
 飲屋街を抜け、少し行くとネオンが眩しいホテル街に入っていく。普段の飲み会などで帰宅するときは当然避けるのだが、この道を通るのが駅に一番近い。
 BLカップルに問わず、二人組がホテルへ入っていくところを素通りしたかと思えば、確かに薫ちゃんはその二人組を目で追った。
 チャンスだと思った。
「明日さ、朝早い?」
 俺の問いかけに彼女は足を止めた。繋いでいた手に力が込められる。
「お昼から……そっちは?」
「俺も昼から」
 俺の家には高校生のガキ、薫ちゃんの家には社会人のカップル。
 日々同居の家族の帰宅を警戒するというのは、実家住み大学生の宿命ではあるが、たまにはそこから逃げる選択も悪くはないだろう。
「い、こっか」
 声を抑えるべき場面ではないが、彼女のこの言葉は今日発せられた言葉の中で一番か細く、声に出さなかった言葉よりわかりづらかった。
「うん」
 聞き逃さず返事をして、薫ちゃんの手を引いた。
 
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