このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

短編集

 今まで何度も通った廊下。番組に出演する役者の楽屋とスタジオがある階なことがあって、ここは朝から賑やかだ。何人もの自分と同じ舞台スタッフとすれ違い、朝の挨拶をして、更衣室へ向かう。更衣室と言っても荷物を置くためのロッカーが所狭しと並んでいるだけの小さな部屋で、別に着替えるわけではない。
 舞台スタッフの仕事は大学卒業後ずっとやってきたが、教育番組の舞台裏というのは、普通の舞台とは少し違う。毎回違う子どもたちがスタジオを出入りするというのは、スタッフ的にも辛い。親はともかく、子どもの相手が得意でないとキツイだろう。
「さーて朝の部始めるよん」
 やる気があるのか無いのか分からないディレクターの掛け声の後、番組の収録が始まる。掛け声と同時に虚無顔だった体操のお兄さんが目に光を灯すのは何度見ても見飽きない光景だ。
 さて、舞台スタッフと一口に言っても様々な種類があるわけだが、私の場合は演者のアシスタントが主だ。道具の作成なんかは道具が勤めるが、私の場合は演者がそれをスムーズに使用できるようにするアシスタント……まあ要はお手伝いさんだ。
 ABC体操が終わって、歌のお姉さんお兄さんの歌が始まり、体操のお兄さんが一旦舞台裏に戻ってくる。
「裏道さん、今日はコレです」
 ウサオくんが頭に飾りをつけるのに難儀していたので手伝っていたが、先に着け終わったクマオくんもいるし、裏道さんの方が先だと思い、彼の分の被り物を渡す。
「なんか前よりデカくないですか、蜘蛛」
「ディレクターがでかい方がインパクトあるとか」
 渋々、前回よりも大きくなった蜘蛛の被り物をつけて、裏道お兄さんの目の光が完全に消えてしまった。
「さあもう出てください」
 まだ梃子摺っていたウサオくんの頭に同じ被り物を押し込むように無理やり付けて舞台へ押し込んだ。もう何回もきぐるみの頭に別の被り物を付けてるのに慣れてくれないのだろうか彼は。



「はいカーット! お疲れちゃん!」
 朝の部、昼の部も終わり、子どもたちも見送って演者たちは疲労しきった表情筋を無にして立ち尽くす。今日が今週最後の収録ということもあって疲労が限界まで来ていた。ウサオクマオは頭をとって大きく息を吐いた。空調の効いている室内とはいえきぐるみ内は蒸れて暑い。
「裏道さん飲みに行きましょ!」
「行かない」
「行きましょうよ! 熊谷も」
「行かない」
 いつものように兎原が裏道と熊谷を飲みに誘うが、これまたいつものように即答で断れてしまう。それでもなんだかんだ無理やり連れて行っては、彼が飲み潰れるので、一斉目に断るのは当然だ。
「あ、これ返しに行かないと」
 裏道がズボンのポケットから取り出したのは油性ペン。昼食の間に急遽コバイキンの追加注文を受けて、仕方なく描こうとしたのにペンがなくて困っていたらアシスタントの女性が貸してくれたのだ。
「それってあの子のっすよね、舞台アシ」
「そうだけど」
「俺が返しに行くんで、飲みに行きません?」
「いや意味わかんない」
 俺が借りたのに、お前が返しに行ったら単純に変だし、嫌なやつだろ、と正論を言われるが何故か兎原は行きたがる。
 流石に露骨なので、裏道も勘繰った。熊谷は呆れるようにため息を吐く。
「お前、まだ諦めてなかったのか」
「だってさあ〜」
 聞いてくださいよお、と追い縋る兎原を無視しながらアシスタントを探しに踵を返す。歩き始めてもついてくるので裏道もとりあえず話を聞くだけにした。
 兎原曰く、彼女が転職してきた時から気になっては居たらしい。数ヶ月前に転職して来た彼女は、仕事に関してとても真面目な女性だ。彼女がくる前までいたアシスタントが力不足だったわけでは決してないが彼女が特に優秀だった。それは裏道も感じていて、彼女が来てからスムーズに仕事が出来る様になった。
 そして兎原にとって特に気を引いた要因が「ギャルっぽかった」というので「全部台無し」とつい裏道は溢してしまう。
 確かに髪の色とかピアスだけを見るならギャルっぽいのだが、仕事で関わる間はお互い仕事に集中していてそんな風には思わなかったし、何より彼女は無表情な部類だ。クール系と言って差し支えない。それをどうしたらギャルっぽいと思うのか。
「ギャップなんすよねぇ、前にメイクの子と話してるの見たんすけど、めっちゃ笑顔で、めっちゃギャルって感じ。アリ寄りのアリだって」
「……離れろ」
「裏道さあん!」
 肩を掴んでいた手を振り払って、軽蔑と侮蔑の目線を向ける。冷え切った目線に恐怖を感じて震え上がる姿は正しく子ウサギ。ついて来ていた熊谷も頷いている。
「で、諦めてなかったってことは振られたのか」
「振られたっていうか、ドン引いてましたね、今の裏道さんみたいな目を向けられてたんで」
 大体は元カノの物を使い続けている無神経さと、金回りのだらしなさに愛想を尽かされていたのに、付き合う前から何があったんだと言いたげな目を裏道は兎原に向ける。
 兎原は頭から脂汗をどっと掻いて目線を逸らす。
「“家に帰ったら速攻元カノが置いてったもん全部放すし、ギャンブルもしないし貯金もするからマジで付き合って”って言ったんですよ」
「あ、裏道さん」
 熊谷の兎原の衝撃発言の暴露とほぼ同時に、スタジオから言われた当人の舞台アシスタントが出てきた。彼女は会釈した熊谷に会釈を返し、裏道の「お疲れ」の言葉に「お疲れ様です」と返し、兎原の「…どもっす」という消えかけの声を堂々と無視した。
「これ借りてたペン」
「わざわざありがとうございます」
 その後裏道とアシスタントは今日の被り物について少し話を広げた。なんでも彼女曰く好評だったらしく、これからも大きいサイズを採用するらしい。文句が出ないわけではないが、アシスタントに言っても仕方ないので「そうですか」と消えかかりそうな相槌を打つ。
 会話の節々で兎原が彼女に声をかけようとするのだが、彼女も巧妙に裏道か熊谷に話題を振る。
 いくら、因果な結果とはいえ、仕事以外でとことん無視されるのは可哀想に思えて来たのか、裏道がこんなことを言った。
「この後飲みに行くんですけど、一緒に来ますか?」
「え?」
「裏道さん…!」
「……」
 彼女は心底驚いたように目を見開いて裏道を見た。そして視界の端で表情と動きが喧しい兎原をチラリと見て眉間に皺を寄せる。
「無理に来なくていいんですよ」
 熊谷の言葉で彼女は更に困ったように、言いづらそうな顔をした。裏道は熊谷の方に振り返ると、彼はもう兎原の愚痴に付き合うのが疲れたのが、「とっとと振られろ」と言いたげにしている。つまりわざと断りにくいような言葉を吐いた。ここで断れば「本当に無理」ということは確定するからだ。だが、裏道に言われたから、という逃げ道もあることにはある。それに気がついたのか、裏道は心の中で「あっ」と兎原にトドメを刺してしまいそうなことを悟った。
「……お邪魔でなければ」
 長考のあと、彼女は控えめに頭を下げた。裏道は少し分からなくなった。


 いつもの彼らの言う飲み屋に集まったのは体大時代からの仲だという三人と私。歌のお兄さんとお姉さんはそれぞれに用があるとかで不参加になった。正直五人集まった中でアウェイな状況はご勘弁頂きたかったので、その点はまあ良いとしよう。
 最初の酒を聞かれ三人に合わせて頼んだ生ビールが目の前に置かれた。酒もタバコ止めて結構経つので心配だったが乾杯のあと、一口飲むと身体がアルコールが体内に周るときの快感を覚えているのか、すぐに半分まで飲んでしまった。あー旨い。
「つまみどうします」
「ささみ揚げで」
 それぞれが好きなつまみを頼みので、私も隣に座った裏道さんが持つメニュー表を横目に見つつ、一番に目に止まったものを頼んだ。
 すぐに注文して、ほぼ待たずに料理が来るので酒が進む。二杯目に頼んだのはハイボール。どこのウイスキーかは知らないが割合ウイスキーが多めで嬉しい美味しい。
 最初の二十分ぐらいは、まあ仕事の話をした。私が入ってから仕事がしやすくなったとか誉め殺しも良いところだが、悪い気はしない。私の苦労が少しでもこの人たちの助けとなっているのならアシスタントとしてこれ以上に嬉しいことはない。
「それでさ、」
「あ゛〜おもしろくなりてぇ〜」
 裏道さんが何か私に聞きかけたところで兎原くんの声で言葉を止めた。
 私は咄嗟に「は?」と声を上げた。
「いや、コイツ酔うと絶対言うから気にしなくていいよ」
「マジですか」
 まだ二杯目の途中というところで酔ってしまったらしいウサオは、二人曰くいつものように「面白くなってモテたい」と連呼している。
 いい感じに気持ちよく酔って来たというのに、一気に現実に引き戻されたような気がして、酒が恋しい。
「どうやったらモテるんすか〜! ねえ、どうやったら付き合ってくれるん〜〜??」
 やめて、私に話を振らないで。そもそもあのセリフを告白だと私は絶対に認めない。
 ムカムカと言葉に出していってやりたいことが喉まで膨張して上がってくる。
「面白くなりてぇ…」
 何回目かの繰り返しで、感情が弾けた気がした。残っていたハイボールを全部流し込んで、ジョッキを置いた。自分では普通に置いたつもりが、周りからしたら勢いが強かったのか、隣に座っていた裏道さんと、兎原くんは酔いながらもビクリと肩を震わせる。
「面白いって何。兎原くんの求める面白さって何なの」
「えっ……いや、その……」
「何」
 面白いってなんだ、本当に。哲学とかではなく、どんな面白さを求めてるんだ。少なくとも滑稽ではあるよ。
「芸人みたいなコメディ的な? テレビドラマみたいな物語の面白さ??」
「ご、」
「……」
「ご、合コンでモテる……感じ?」
 ああもう自然に舌打ちが出る。ただでさえ一見真面目そうな格好をしていないのに柄が悪く見える。良くない良くないぞ私。
 ジョッキを持とうとしたが中身が無かったので諦める。怯え切った眼差しを向ける兎原くんの隣で、何事もないように店員を呼ぶ熊谷くんに便乗してハイボールをおかわりした。
「趣味は?」
「え」
「合コンでモテる面白い会話でしょ、お話しようよ」
 合コンなんて学生時代以来行ったことなんてないけど、まあこんな感じだった気がする。取り敢えず最初は趣味の話だ。そこから共通する趣味とか、例え一緒じゃなくても知らない趣味を一緒にしてみよう、とか話の広がりとか今後のタメになる。
 しかしなんてことだ、彼はまるで中学生初めての面接練習並みに緊張して、目を泳がせ言葉を詰まらせている。なんなんだお前は本当に。
「私は、舞台鑑賞かな。舞台ならミュージカルも普通の舞台も、2.5次元だって見るよ」
 湧き上がるムカムカを抑え、声の抑揚を抑え、本当にまるで合コンにいるような当社比七割ぐらいの可愛い声を出す。裏道さんと熊谷くんは完全に「何を見せられているんだ」状態。
「ま、マジ? 俺も舞台とか見るぜ」
 分からないのに適当に話を合わせるのってまあよく無いよね。汗が滝みたいになってるし。
「本当? じゃあ最近なに観た? 私はね……」
 それからちょっと最近観た舞台の話をした。昔から人気な舞台の新訳だったこともあって熊谷くんは「あ、それ知ってる」と話に入って来て、兎原くんそっちのけで会話が弾む。前から思ってたけど熊谷くんは情報の範囲が広い。広いけど深く詳しくないことを「それってどんなの?」とか聞いてくれたりして会話が続きやすい。これはモテそう。
 打って変わって兎原くんは顔の血の気を失っていた。
「……模範解答いただきました」
 おかわりを流し込みつつ、感情がスッと消えたように顔が真顔になった。自分でも分かるぐらい今の私は目が死んでる。
 一息吐いてから、溜め込んだ言葉を一斉に吐き出す。
「同調するのは、まあよくあることだと思うし、趣味が無いのはどうしようもないけど、会話に入る気あった? 分からないからって適当に相槌打ってんじゃないよ」
「はい」
「話してて面白くないし、そもそも会話になってないし。もし付き合っても普段の会話どうすんの? 適当に相槌打つの? 一日どころか半日で別れてやるよ」
「はい……」
「熊谷くんが模範解答過ぎたので参考にして出直してこい」
「は? キモいからよせ」
 力なく返事をしていた彼は、最後に十年来の友人にキモいと言われ机に突っ伏した。しばらくして静かになったと思えば酔い潰れて寝たらしい。
 急に静かになって、三人で飲み始めた。私も弱くはないのだが、二人は異次元に飲む。ペースに呑まれれば酔い潰れそうなほどに。
「タバコ吸っていい?」
「どうぞ…?」
 喫煙席なのでテーブルの端に置かれた灰皿を指さして裏道さんが私に問う。一応気を使ってくれているらしい。
「それでなんではっきり言わないわけ」
「はい?」
「いや、はっきり付き合えないって言えばいいのにって」
 まあ確かに、最初にあの場で「無理です」って言えなかったのは私の落ち度に違いない。それに今日だって、断ればよかったのになんだかんだ来てしまったし。
「正直、最初に呼ばれた時はちょっと嬉しかったんですよね」
 そう言った途端に二人からの視線を一心に受けるのは恥ずかしいので勘弁していただきたい。
「まあそんなちょっとの期待も秒速で粉々でしたけど」
「趣味悪いぞ」
「……どうとでも」
 気になってはいた。気になってはいたのだ。転職して、前にいた楽団と同じアシスタントに就いて、心身ともに浮かれて、ちょっとした下心でも優しくされたのが嬉しくて、好きになった。それが良くなかった。
 ほんの少しのとっかかりで、小さな好きが日にちが経つと共に大きくなって、あの問題発言があっても完全に冷めることはなかった。マイナスには限りなく近いけど。
「どうしよう……」
 好きになった人がどうしようもなく面白くなく、酒に弱くて、金銭感覚も絶望的だなんて。
 頭を抱え、大きくため息をつくと、「うんまあ頑張れ」と言われてしまった。
8/18ページ
スキ