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カケラひとつ

『映画とかどうだ? この前気になってる映画あるって言ってたよな』
『いいの? ありがとう‼︎ 今月の土日のどこかで空けるからもうちょっと待って』
 メッセージでのやりとりに、まるで少女のように心が躍る。
 付き合って二回目のデートに正直新鮮さなんてないと思っていたけど、今は新鮮さしかない。一回目のデートで手を繋ぐぐらいの進展しかなったデートなんて片手で足りる人数しかない。
 しかも行き先の指定なんて相手からされるのも私としては珍しい。しかもこの前回のデート、即ち一回目のデートで何となく話した内容を覚えてくれていたなんて嬉しさしかない。
「締め切り確認しないと」
 スマホでメッセージを確認しつつ、原稿途中のパソコンで締め切りの日程を確認した。月刊の文芸誌に出す原稿は、今のペースでは今週中に出来上がる。単発の短編小説の枠もいただいたが、それはまだまだ先。となると、来週再来週が妥当か。
『来週か再来週の休日とかどうかな?』
 深夜と言える時間帯にやりとりをしていたのだけど、彼のレスポンスはとても早い。もう、本当すぐに既読が付く。
『再来週の土曜でいいか?』
『大丈夫!』
 土曜日というところに突っかかる。だって、ねえ。もし帰り際に家に誘われることも無きにしも非ずということで。勘繰るなという方がどうかしている。
 私も私で速攻で返事を返してしまうので、余裕のなさがやばい。本当に熊谷くんと付き合ってからこんなことばかりだ。
 告白されて、付き合う前から何度か軽いおでかけはして来た。言葉にされなくても「付き合いたい」と言われているような感じがあって、お互いに準備期間のような、距離感とこちらの出方を伺っているような期間が少しあった。
 同じ会社にいた時から無自覚に優しさがある人だなとは思っていたが、お互い仕事を変えて、会い始めてからは「うわあ、彼女のことめっちゃ大事にするタイプだあ」と行動の節々で間抜けズラを隠すのが大変だった。大事にされた記憶があんまりない私からすると違和感しかないが、彼にとってはあれがきっと普通のことで、なんら特別扱いしているわけではないのだろうけど。
 とにかく、今は約束の日に間に合わせるために原稿を早くあげないといけない。


 いつも来ている映画館だけど、誰かと一緒に来るのは初めてだ。もう既に事前の時点で座席の予約を忘れて彼にやってもらったという失態を起こしているが、起こってしまったことがどうしようもない。
 待ち合わせの十分前に映画館内に入ると、今日見る映画のポスター前で熊谷くんが既に待っていた。
「早いね? お待たせ」
「今来たところだったんだ。待ってないぞ」
 今までの相手と比べるなんてまあ失礼だけど、感覚が底辺にあるからこんな簡単なことでも好感度は鰻登りになる。
 チケットの発券を済ませ、会話しながら指定されたスクリーンに向かっている間に映画の話をする。シリーズものではないし、コアすぎる話でもないので熊谷くんも見やすいと思う。とかそんな話をした。
「ああ、予告とかは見た。前に真澄が言ってた人食いサーモンと原付ラビットよりは分かりやすい」
「あれはチープさとその場のノリを楽しむものだから……」
 付き合う前に観ている映画の話になって【人食いサーモンVS原付ラビット】という映画をおすすめしたら「面白くはないけど、なんか意味わかんない感じが逆に良い」と熊谷くんの語彙を消失させるほどのインパクトだったらしく、それから映画の話をするようになったので、彼的にも少し気になる程度には変化があったのかもしれない。
 席に座ってからは、当然なんだけど喋らなくなって、静かに映画を楽しむ。
 ドラマもアニメもゲームも家の中で楽しめるものが好きだけど、映画も好きだ。家で見るのもいいけど、こうやって映画館に見にきて、圧倒的な没入感に浸れるのが良い。
 映画館で見る映画って、観れる時間も限られているし、本当に映画を観ることしか出来ないから拘束されているように思う人がいるのも仕方ないし、好き嫌いがあるのも分かるけど、私はこの、暗い室内で大きいスクリーンで楽しむ映像が好き。映画にだけ集中出来る空間が堪らない。
「……終わったぞ」
「あ、うん」
 エンドロールが流れ、明かりがつき、いろんな席から人が去って行く中で、熊谷くんがそっと声を掛けてきた。余韻に浸っていたので全く気が付かなかった。
 私も席を立って、館内から出る。
 映画の話がまた止まらない。誰かと映画なんて全くなかったし、喋りたいという欲が勝って、観ながら思っていたことを彼にどんどん溢していく。そんな私に熊谷くんは嫌な顔せず、聞いて反応して自分の考えていたことを言ってくれる。
 彼と一緒にいると、誰かと話す楽しさが思い出される。ここ数年は、職場で同僚と仕事の話をしたり、今では触接誰かと話す機会すら減って、個人的な話をする人はもう、彼ぐらいなものだろう。
「昼に食べたいものとかある?」
「特に決めてなかった」
「じゃあ、俺が調べたところでいいか?」
「いいよー!」
 映画館から近いからすぐ着く。と手を繋いで歩き出す。


 可愛い、と何度も飲み込んで我慢した言葉がまた出掛かる。最近やっと付き合い始めたは加計真澄はとても可愛い人だった。
 俺が何か彼女にするだけで一喜一憂が感じ取れる。好きなものの話をするときは目が輝いて、これでもかと笑みを浮かべる。その姿が堪らなく可愛い。どうしよう。
 仕事を辞めて、カフェで再会して付き合いたいと思ってから、少しずつ進展していこうと思っていた。前の職場であんなことがあって、それ以前にも男性絡みでいい思い出が無いと言われれば慎重に成らざる得ないし、何より、絶対に逃したくない絶対に俺を好きにならせると思ってしまった。
 口にはしないが好意は隠さなかった。隔週に一度は会うようにして、連絡も取って「近いうちに告白する」というのを伝わるように。けど引かれない程度に。そうしたら真澄も慣れて行ったようで少しずつ表情が軟化していった。職場にいた頃は笑いはしたけど警戒心が強い硬い表情をしていたこともあって、整ってはいるが可愛いとは思ったことはなかったのだが、それがどうだ。警戒心がなく屈託なく笑う彼女は頗る可愛い。
「めっちゃ雰囲気いいね。どうやって見つけたの?」
「普通に食べログとか」
 どうせなら家で料理でも作ってやりたかったけど、家に呼ぶのはまだ早い気がしてやめた。
 真澄は「健康志向の小難しい料理よりは、単純に美味しくていっぱい食べたい派」と前に言っていたので単純に料理の評価が高いところを選んだ。店の雰囲気はまあ良いことに越したことはない。新しく明るいキラキラとした感じよりもちょっとレトロな方が好みらしい。
 昼食時で人が多いからか、真澄はあまり喋らず淡々と食べていたものを口に運んでいた。途中、美味しさのあまり目を輝かせて俺に分かるようにジェスチャーで訴えかけてくるので「良かったな」と頷いた。やっぱりお前可愛いよ。
 昼食後、映画以外の予定を決めていなかったので、今日は解散にしようかと思えば真澄から本屋に行きたいと誘われた。断る理由もないのでついて行くことに。
「複数あるからちょっと時間かかるけど、熊谷くんはどうする?」
「俺も探したいの思い出したから」
「分かった。先に見つけたらお会計してていいよ」
 仕事用の資料だと思うので俺も急かさず、別行動にした。実際探している雑誌がある。
 文芸誌なんて、前までは全く興味が無かったから本屋のどこら辺にあるのかも分からなかったが、最近はだいぶ覚えてきた。そもそも本を読むなんて体大時代にレポート作成のとき以来だ。
 雑誌の名前はもう覚えた。巻末を見ると確かに真澄の名前がある。『新作出ます‼︎』と一言だけのコメントがらしいと思う。新作も絶対買う。
 真澄が言った通り、俺がレジで会計を終えた頃に真澄が列の最後尾に並んだ。分厚さそこそこの新書サイズの本が5冊は彼女の手をいっぱいにする。
「持つか?」
「大丈夫。何を買ったの?」
「新刊」
 レジ袋に入った文芸誌を見ると、真澄は一瞬目を見開いたが、その後とても照れ臭そうに微笑した。
「……ありがとうございます」
 控えめすぎてほぼ掠れていたが、毎月楽しみにしてると言えば、今度は顔を赤くした。
 本屋を出れば陽は傾き始めていた。
 帰したくないと思う気持ちもあるが、早るべきではない。ここまで付き合うまでの期間を置いて、せっかく信頼を得てここまで来た。ちゃんと真澄を見ていると分かってもらうために。
「家まで送る」
「うん、ありがと」
 会社勤めを辞めてから引っ越した部屋は、俺の借りている賃貸から近いところにしたと言っていた。実家にあった私物も送ってもらったら思ったよりも物が多くて部屋を変えたという経緯らしい。趣味で買った漫画やアニメ、ゲーム、映画、そして仕事に使う資料なんかが生活スペースを圧迫していて、住めないと言っていたのを思い出した。
 マンションに着いて外観を見ると見覚えがあった。去年に出来た新築でチラシを見たことがある。確かに広かった記憶があるがその分、賃料もそこそこな値段だった記憶がある。
「よく借りたな」
「三階まではまだ一人暮らしでも借りれるレベルだよ。賞金とかもあってバイトしなくてもなんとかって感じ」
 売れなかったらバイトするしかない、と本気のような冗談の後、真澄はオートロックで閉じられたラウンジの前に立った。
「じゃ、またな」
「…………ちょっと」
 繋いでいた手を離そうとすると、その手を強く握り返されただけでなく、もう片手でホールドされた。真澄が持っていた本屋の袋がガサガサと揺れるのも気にしない様子。
「その、まだそんなに家具揃ってないけど、見ていく?」
 音を聞かれたら羞恥心でどうにかなりそうなぐらい、俺の心臓は鼓動を早めていた。


「梅こぶ茶ならあるけど、飲む……?」
「あ、ああ……」
 女性の部屋に初めて入るとき並の緊張を感じていた。真澄の言う通り、物はあるが家具は揃っていない。
 前のアパートから使っているという年季のはいったローテーブルの前に不自然なほど新しい大型のテレビやそれに合わせた棚に、これでもかとディスクのパッケージやらゲームのパッケージが、レンタルビデオ屋のように並んでいる。
 ソファーとテーブルがまだ買えていないらしく、ソファーの代わりにクッションに座った。座椅子は作業部屋の環境が整うまで別室に置きっぱなしらしい。
「はい」
「ありがとう」
 熱い梅こぶ茶を飲んでも味を感じない。部屋の様子から明らか部屋を見せるために呼んだ訳ではないから。正直生活感があまりない。誘われるまま、部屋に入ったのは間違いだったかもしれない。
 生活感はなくても、この部屋で真澄は寝食を過ごしている。その事実だけでどうしようもない感情が湧いてくる。 
 カチカチと時計の秒針が動く音が聞こえる。会話が止まってしまった。ずっと黙っていたら暴走してしまう自信があった。
「またおすすめ教えてくれよ」
「あっ、うん。ちょっとまって」
 なんとか話題を振ると、真澄も馬に蹴られたみたいにすぐさま動き出す。テレビの横にある本棚から何がいいかと、漁っている。
 何個か取り出した映画の題名を見せてきたので、今選べと言うことだろうか。とりあえず適当に一番目についたものを指さすと、真澄はそれをDVDプレイヤーにセットした。
 今日二本目の映画は、正直内容が頭に入ってもすり抜けていった。映画館と違って、明るいし、真澄の細かな仕草が目に入りやすい。画面を注視しながらカップを手に取ったり、耳にかけていた髪を掛け直したりしている。
「どうだった?」
「……ああ、良かった」
 他の事ばかり考えていて、いつの間にか、真澄の顔が目と鼻の先まで近くなっていた。
 なんとか「良かった」以外の感想を捻り出すと、真澄は目を薄めた。
「ねえ、」
 声が甘い。俺の手に触れようとしてくる手はきっと、きめ細やかで、強く握ったら壊れそうなほどに柔いのだろう。
 身体ごともたれ掛かってきそうな真澄の肩を押さえ静止した。細めていた目が見開いて、すぐに眉を落とした。
「駄目だ。良くない」
「何が」
「誰よりも大切にしたい。だから真澄とはゆっくり進みたいと思ってる」
 肩を押さえていた手を離して真澄の前髪を掻き上げる。そして目の前に晒された額に軽くキスをしたあと、そっと抱きしめた。
 焦る気持ちも分かる。きっと今まで関係を迫られてきたことの方が多かったから、感覚が狂っていても仕方がない。けど身体を交わせる以外にも愛情を伝える方法はあるはずだ。
「……ごめん」
「謝るな。真澄は悪くない」
 抱きしめた身体は、目に見えていた以上に細く華奢で、心配になる。
 両手が背中に周って抱きしめ返されると、俺も抱きしめ返した。
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