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カケラひとつ

 集中している日に来てしまったのは俺の失敗だった。
 いや、前々から予定はしていて、真澄にも今日に顔を見せることは言っていた。それに対する返事も「分かった。私も今のところは大丈夫」と概ね休日なのだと思っていた。
 カチカチカチカチとキーを叩く音は滞りなく一定のペースで叩かれ続けている。表情を確認しようと少し目を向けると、真澄はこちらが目に入っていない。度数の高い眼鏡が反射して余計に目元は見えないが、口元を見る限り表情は全く動くことなく、手だけが動き続け、資料を見るときだけ、身の回りにバラまかれた書架をめくってはまたキーを叩き始める。
 かく言う俺は、空いたソファーでそんなアイツを見ながらスマホを見るぐらいしかしていない。こんな集中している姿をみて、テレビをつけるわけにはいかなければ、テレビラックに並べられたゲームを拝借するのも心苦しい。
「充電コード借りるぞ」
「……んー」
 スマホのバッテリーが10%を切り、コードを借りるために声を掛けるが、返事は生返事。まあ仕方ない。今に始まったことではない。
 カーテンレースから西日が漏れ始め、カーテンを閉めるために立ち上がると丁度、真澄もひと段落ついたのか椅子に座ったまま腕を上にあげ伸びをした。漸くなにか言葉をかけようと一言目を口にしたところでスマホの着信が鳴る。
「あ、ごめん」
「いや……」
 スタンドに置かれたスマホを手に取って「もしもし――」と会話を始める。話している内容からして連載漫画の作画担当であるとすぐに分かった。
 一度立ち上がった椅子にもう一度座り、メモ帳に会話内容をメモしている。詳しい話は分からないが両者の折り合いをつけているのだろう。巷でも精神が不安定だと有名な作画担当らしいが、漏れる声から察するに今日はまともな精神状態らしい。
 通話を始めて三十分ほど経った頃には、部屋の何処にいても見える壁に掛けられた時計は十八時を示した。夕飯を作ろうかと、家に来る前に買ってきた食材を冷蔵庫から取り出して料理を始めた。キッチンにいると丁度死角になって真澄の姿は見えないがまだ打ち合わせを続けている。
「――――じゃ、今日書いた分メールするから確認しといて。え、いやご飯出来たみたいだし、お腹も空いたから。……はいはい、ごめんね、よろしく」
 完成した料理を各皿に盛り付け、二人用のダイニングテーブルに置く頃にやっと通話を切り俺と顔を合わせた。すると今まで無表情だった真澄はぱっと華やかに笑みを浮かべた。
「ありがとー、晩ご飯作ってくれたんだ」
「それは別に構わないけど、もう良いのか」
「うん。相方が今日は行けるってやる気を出してたから私も書いてたんだ。ごめんね、折角来てくれたのに」
 気にしてない。と俺の言葉で終わるこのやり取りは付き合い始めてからもう何回も繰り返した。正直、完全に気にしていないわけではない。だがこれは真澄の仕事であって、編集担当や相方との長電話も、締め切り地獄で会えないのも、ただ仕方ないで片づけるしかない。俺だって兎原の付き合いで合コンやガールズバーに付き合わされているのを許してもらっている。
「オコゼって見た目の割に美味しいよね」
 今朝釣って、捌いておいたそれを揚げ焼きにしたものと、魚卵を醤油に漬けたもの、そして白米を続々と頬張って、すぐに平らげた。朝も昼も碌に食べていないから相当腹が空いていたんだと思う。「ごちそうさまでした」と手を合わせ、食器を流しに置きに行く。俺も食べ終わり食器を運ぶと、洗い物を始めた真澄が手を出した。
「私が洗うよ」
「手伝う」
 〝恋人らしい〟という言葉には前々から違和感があった。真澄より以前に彼女がいなかったわけじゃない。その頃は気にも留めなかったが、滅多に顔を見ない、会っても特に会話もしない俺らは果たして恋人同士と言えるのか。
「付き合うってなんだろうな」
「ん? 主人公とヒロインは付き合ってないよ」
「そうじゃなくて」
 洗剤を洗い流し、軽く水を切った食器を渡すと、真澄はそれを丁寧にふき取り棚に戻していく。俺のつい零した言葉に対して少し考えたあと、再び一言呟いた。
「利害とかそんなの関係なく一緒に居たいかどうかじゃない? あ、これは漫画のセリフじゃなくて私個人の意見ね」
「……実際には全く会ってないけどな」
「んー……それは、ちょっと許して、ほしい……かな」
 差し出した食器を受け取りながら目を泳がせわざとらしく震えて見せる。濡れた手を拭いてその手で腕を引いた。身体を引き寄せて、頭に口を寄せると肩をビクつかせた。その反応が少し面白くて不本意にも笑ってしまう。
 普段の俺たちは普通の恋人っぽくはないのだろう。連絡をしてもすぐに返ってこないし、電話も出なければ、家に行っても死んだように寝てるかぐらいで、出掛けたりとか数える程度しか行ってない。それでも俺は真澄と出来るだけ長く一緒に居たいと思う。
「なあ、明日も居ていいか」
「それは良いけど」
「映画とか、ゲームでも、何でもいいから」
「うん」
 流石に女々しいかと少し思う。一緒にいるだけじゃ足りなくて「構え」だなんて言えるわけがない。でも、今日は来てよかった。
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