真桐
伝わらない
「いる」
「…あ?」
ただのいたずら心だった。困らせてやろう、ムカつくことを言ってやろう。それだけだったのに、桐生の返事に真島は思いがけず狼狽えて、指に挟むタバコを落としかけた。
あいも変わらずキャバクラ通いをやめない桐生に、真島は女装してキャストとして隣に居座った。遊びの邪魔をされたら腹がって喧嘩を買ってくれるだろう。その目論見は狙い通りになるときがあればそうでもないときもある。結局無理やり喧嘩をしかけるし桐生も買ってくれるので、真島はこの方法を気に入っていた。
しかし毎回真島が出てくるというのに遊びをやめない桐生の学習能力のなさには呆れる。喧嘩ができればいい真島はいちいち教えてやることもなく、桐生に酒をつくりながら尋ねた。「ゴロ美はあ、いまフリーなんやけどお、桐生ちゃんは誰かええひとおるん?」どうせいないだろうと踏んでの質問だった。いないと返ってくれば「じゃあゴロ美が立候補する~!アフターも頑張っちゃお!」とはしゃぎ、慌てて否定するだろう桐生に「女にその気させといてなんやその態度は!」と喧嘩を売る予定だったのだ。
まさかいるとは、数パーセントすら思いもしなかった。
「…ええ?どこの女ァ?」
そんなうわさ聞いたことがないぞ。桐生一馬のことに関しては常にアンテナをはっているこの自分が知らないなんてことがあるというのか。絶対に聞き出してやる。動揺を隠すように真島はタバコを咥えなおし、肺を煙で満たした。
「いや。男」
「は?!…うえっ、ごほ、げほっ」
予想外の答えにせき込む。慌ててタバコを灰皿に落として落ち着かせると、桐生が気を使って背中をさすってくれた。
「大丈夫か?」
「お、おう」
驚いた。いろいろと。
桐生に意中の相手がいるというだけでも驚きだというのに相手が同性とは、一瞬だけ心臓が止まりかけた。いままさに女遊びの真っ最中のくせに、男が好きだったとはわからなかった。いままでそのケを見せたことはないし、そのような噂も聞いたことがない。ゲイではなくバイなのか。わかりやすいようでわからない男だと思っていたが、まさか恋愛に関してまでも読めないとは思わなかった。
真島は気を取り直して、桐生の周りにいる男の顔を思い浮かべる。刑事やホスト、シンパの顔は簡単に浮かんできた。あの中の誰かなのか、はたまた真島の知らない男がいるのか。桐生は意外と顔が広いので見当がつかない。妙に気になったので探りを入れてやろうと企んだ。
「え。どういう男?ええ男なん」
「性格に難はあるが、俺のことを考えていろいろやってくれるんだ」
「お。…おう」
惚気か。いや、まだ付き合ってないからその表現はおかしい。だが、相手にもそこそこ好意があるのはわかる。おそらく下心のない善意からくるものだろうが、血を血で洗う抗争に巻き込まれる桐生にとって、そういった善意に惹かれてしまうのかもしれない。――俺だってそれなりに面倒見てやってるのに。内心悪態をつきながら笑顔を消さない。
「でもむこうはそういう気がないらしくて、どうしたらいい?」
「どうしたらいいって」
もしかして恋愛相談を受けているのか?キャバクラだしそういうことは珍しくない。女性が喜ぶものやデートスポットをリサーチしにくる客だってよく見かける。もしかしてそれ目当てでキャバクラに通っているのだろうか。意中の相手が同性なのだし、女ではなく男がいるホストクラブに相談すればいいものを、やはり何を考えているのかよくわからない男だ。
「少なくとも好意はあるんやし、ちょいちょい遊びに行くとかして距離詰めるしかないんちゃう?」
「遊びにか。ゴロ美だったらどこに行きたい?」
「闘技場」
「……」
一瞬冷えた目つきにかわるものの、桐生は一計ありと腕を組んだ。
「闘技場ねえ」
「え。そいつ、賽の河原しっとん」
「ああ」
「…ふうん?」
ならば裏社会の関係者だろうか。あの場所――賽の河原のみならず闘技場に出入りするものなんて限られている。ガタイのいい男がタイプなのだろうか。女性的な男を好んだのかと思えばそうでもないらしい。性格に難があるというのならよほど顔がいいのか、なにか惚れることでもあったのか。ますます気になる。あの堂島の龍が惚れる男なんて誰もが欲しがる情報だ。誰よりも一番に知りたい。その思いが真島の志気をあげる。
後日闘技場へ遊びに行った。受付にきけば毎日のように桐生が参加しているので盛り上がっているらしい。言ってみるものだ。自分は喧嘩ができて好都合だったが、筋の通らない喧嘩はしないと豪語していた男が、好きな相手のために信念を捻じ曲げているという事実に少し苛ついた。そんなにも惹かれる男がこの世にいるというのか。是非そいつに御目通りかないたいものだと、闘技場のエントリーを済ませながら舌をうった。
桐生が連日闘技場に通っているというのならば真島とて毎日通うに決まっている。生傷が絶えないが桐生と喧嘩できるのは日々の潤いだ。顔にできた擦り傷を保護テープでおおい、上からファンデーションでなじませる。違和感は残るが傷が露出するよりはマシだ。濃い目にチークをつけてホールに出る。一週間ぶりにSHINEへ顔をだした桐生のテーブルは自分専用席だ。ヘルプもつかせる気はない。すでに酒の注文を済ませた桐生の隣を占拠し、とりだしたタバコにライターを差し出す。
「悪いな」
「ウチの仕事や~!」
「ゴロ美も好きに飲んでくれ」
「うん!」
キャバクラらしくシャンパンを入れてくれたようだ。最近は本気でゴロ美をキャバ嬢として扱っているらしく、フルーツの盛り合わせやワインを用意したりと売り上げに貢献していた。キャバ嬢としての収入なんて大したことないが、桐生一馬が貢ぐという事実は面白いのでありがたくいただいている。
シャンパンで喉をうるおした真島は桐生のこめかみについた切り傷を見つけた。
「桐生ちゃん、怪我しとるぅ。どうしたん?」
指さして聞いてみれば、心当たりがあるのか桐生は確認するように傷口にふれた。すでにかさぶたはできているので痛みはないのだろう。
「ん?…ああ。さっき闘技場でな」
今日も参加していたのか。しっかり勝利を収めたようだが怪我をするとは珍しい。相当な手練れ相手だったのかもしくは意中の相手だったのか気になってくる。
「そういえば好きな相手は来た?」
「ああ。だが戦いが目的だったみたいだからなあ」
「そらそうやろ。そんあと酒とか飯を誘うなりせんと」
「神出鬼没で試合が終わったらすぐにいなくなっちまったんだよ」
「ほおー」
ドライな男らしい。そんな男のどこがいいのだ。いかにもつまらなさそうではないか。口をとがらせながら桐生の空いたグラスにシャンパンをそそいだ。
「どうすればいい?」
「ううーん」
悩んでしまう。真島とて男と付き合ったことなどないし、相手がどういう男もわからないからアドバイスのしようもない。
「街中で会ったりしないん?」
「あるにはあるんだが、喧嘩好きで俺自体には興味なさそうなんだ」
そんな男のどこがいいのだ。好きになる要素がどこにも見当たらない。ずいぶんと厄介そうな相手に心を奪われているようで面白くない。桐生ならば少し声をかけるだけで男女問わずついてくるだろうに、よりによってそんな難解な男に捕まるなんて、自分を見ていないような気分にさせられむかついてきた。応援するのが癪になってくる。
「そいつは強いんか?」
「まあ。本気を出されたら俺も苦労する」
「ふーん!」
どこのどいつだろう。桐生一馬にここまで言わせる相手にいら立ちを隠せず、自分もタバコを咥えた。
「なにか怒ってるのか?」
「べつにい~?」
折角喧嘩するための口実づくりにキャバ嬢の恰好をしているというのに、なぜ自分がストレスを受けなくてはならない。人様の恋愛を邪魔するつもりはないが少しは困ってしまえといたずら心がわいてしまう。
「試合や喧嘩の最中に誘えばええんやない?こんあとメシいこ~って」
どうせそんな暇はないだろうし、もし持ち掛けたとしても相手は怒るか呆れるだろう。痛い目に会え。そんな思いで提案すると桐生はそれもありだとばかりにうなずいて、お礼に追加のシャンパンを入れてくれた。釈然としないままおごってもらい、さっそく試してみるという桐生の頭をかち割ってやりたくなった。
「兄さん、このあとメシに行かねえか」
「ああ?」
街中で喧嘩を仕掛けた時のことだった。珍しく誘いに乗った桐生との攻防中、そう聞かれて思わず聞き返す。それからすぐに先日の会話を思い出した。
――こいつ、俺で練習しているな?
ぶっつけ本番ではタイミングを見計らうのも難しいと考えたのだろうか。人を練習台にしやがって。ドスを握る力が強くなり、真島は絶対にこの喧嘩を買ってやるとばかりに身体のエンジンをかけた。
「余裕があるようや、なッ」
「そういうわけじゃないんだが」
「集中せえ!」
最近は避けるのもうまくなった桐生に攻撃を当てるのは難しい。素早さではこちらが上だ。撹乱し、隙をついてはドスを突き出す。油断しようものなら喧嘩の最中にうつつをぬかすなと叱り飛ばすつもりだった。だが桐生は気を抜いているわけでも舐めているわけでもなかった。素早く掴みかかろうとしてくるわカウンターを狙うわで気がぬけない。
好きな相手との喧嘩で実力をつけたのか。そんな疑惑が頭に浮かび、無性に苛ついてきた。十年も刑務所に入っていたお前の実力をここまで引き戻したのは自分のおかげだろう。それなのにお前は別の男に入れ込んでいるのか。台無しにしてやりたい。こっぴどくフラれてしまえ。そんな意味の分からない悪態ばかりが脳内を占拠する。
結果は引き分けだった。たぶん自分が先に倒れたが、目が覚めると桐生もダウンしていた。珍しく長丁場の喧嘩で、タフな桐生も体力が尽きてしまったらしい。なんとなくヨソの男の元に向かわせるのは気分が悪い。ふつふつと邪魔したい欲がわいてくる。
きっと踏み台にされているのが気に食わないのだ。自分を練習台にして他の男のために身を尽くそうとしている桐生に腹が立っているだけ。だったら桐生が片思い相手のところにいけないよう、あいつの時間をうばってやろう。
ちょうど桐生がゴロ美に貢いだ金もある。食事をおごってやると言えば桐生はのこのことついてきた。行きつけの居酒屋で腹を満たし、カラオケにも連行する。意外にも桐生は拒むことなく、むしろ喜んでついてきた。深夜遅くまで突き合わせても文句を言わないし、連日誘ってもついてくる。改めてよくわからない男だなと思いながらも、こうして遊ぶのは楽しいと真島も思い始めていた。
遊んでいて気づいたことがある。桐生はキャバクラでしか恋バナをしない。本気でゴロ美をキャバ嬢だと思って話しているフシがある。真島自身、ゴロ美であるとごり押ししたしそのほうが好都合ではあるのだが腑に落ちない。普通の真島吾朗に対してはプライベートの話をしてくれないのか。キャバクラではあれだけ慕ってくるというのになんていう差だ。もう少し真島に対しても心を開いてもいいだろう、日に日にその欲求は高まっていき、ついにそれは爆発した。
キャバクラにやってきた桐生は現状報告のように真島――ゴロ美に相談する。やれ一緒に食事に行くようになっただの、カラオケに誘われただのと喜びを隠せない様子で語った。気分のいい話ではない。真島が誘った内容と同じことを桐生の想い人がしている。そんな時間どこにあったのだと言わんばかりに桐生はデートを楽しみ、滅多に見せてくれない笑顔で幸せをあらわした。あれだけ自分が邪魔をしたのに、あれだけ自分が時間をつぶしたのに。さも関係ないと言わんばかりの桐生にとうとう言ってしまった。
「きっしょ」
硬直し、血の気をなくして表情を失った桐生の顔が目に焼き付いて離れない。我に返ったときには桐生は姿を消していて、テーブルには自分一人だけが残されていた。
やってしまった。人の恋路を悪く言うつもりは一切なかった。同性だろうが異性だろうが好きにすればいい。神室町なんてそれ以上に異常な恋愛を楽しむもので溢れている。真島だってヤクザだから一般人では知りえないような魔窟を覗いたこともあった。
だから桐生の恋愛を否定する気は一切なかった。ただ、ただただつまらなかっただけ。桐生が真島を見ずに意中の相手のことばかり考えて思いにふけり、楽しそうにする姿が嫌だった。疎外感があった。自分だけのけ者にされているようだった。寂しかったのだ。だからかまってほしくてたくさんのことを仕掛けたのに、桐生はこちらを見向きもしなかった。重い後悔のあと、真島はたいして酒を飲んでないはずなのに嘔吐し、その日は眠れなかった。
早く謝らないと。そう思いながら神室町を捜索するも桐生は見つからなかった。舎弟を使っても見つからず焦りがつのる。あの日からひと月たとうとしていたころ、真島は事務所の執務室にて頭をひねっていた。結局桐生の好きな相手とは誰だったのだろう。闘技場に出場していたというし神室町の人間ではないのだろうか。ならば桐生も神室町に姿を現すはずなのにその影すら見かけることはできなかった。闘技場の出場者を洗ってみたが特別桐生と仲のいい選手は見当たらず、特定できずにいる。今までの会話からヒントを洗い出すもそんな奇妙な男がいるとは思えなかった。架空の人物にしては桐生が楽しそうにしていたし、実在する人物に決まっている。奇妙な感覚だ。
「あのお。親父」
「あ?」
桐生が見つからない。神室町からいなくなると探すのは困難を極め、真島の機嫌は悪くなるばかりだった。それでも舎弟としてするべきことをしなければならない西田は、怯えながらも言葉をつづけた。
「親父にお客さんが」
「今日、そんなんあったか」
アポのない客なんて客ではない。手持ち無沙汰でいじっていたドスを向けると西田はぎくりと肩をこわばらせた。
「ないんですけど、その、あのー、叔父貴のところの」
「ああ?」
なにを言いたいのかさっぱりわからない。ただでさえ機嫌が悪いのに殴ってしまいそうだ。いや、殴る。ぶっ飛ばしてやると椅子から立つと、西田の後に誰かいることに気づいた。
「あ?」
澤村遥だった。100億円事件以降桐生と一緒に過ごしている少女がなぜここにいるのだろう。そう小首を傾げると、遥は険しい顔つきで真島をにらみつける。
「真島のおじさん、おじさんと喧嘩したでしょ」
「え」
「ずーっと落ち込んでるんだよ!なにしたの!」
「ええ?」
桐生と一緒に暮らす彼女はすぐに異変に気付いたらしい。聞いても「なんでもない」というばかりでため息をついたり、料理中に呆けて焦がしたりと散々な様子だという。何かがあったと思うのは当然で、桐生をここまで返させる相手は限られると踏んだのだ。聞いても教えてくれないのならば桐生に詳しい人に聞けばいいと、遥はまず警察の伊達を頼った。伊達はすぐに伝手を使って最近の桐生の動向を調べ上げ、ここのところ真島とよく一緒にいるとまで突き止めてくれた。そしてある日を境にその交流が途絶えたことも調べてくれたのだ。
真島と何かあったのは明白である。
「せやなあ。俺が悪いから謝りたいのに、桐生ちゃんが見つからんねん。どこにおるか教えてくれるか?」
「なにしたの?」
「酷いこと言ってもうたわ。ちゃんと謝りたいねん」
「ほんと?喧嘩しない?」
「せん、せん」
心から反省している。この状態で喧嘩するほど人でなしでもない。しゅんとうなだれる真島の様子に遥も信用してくれたのか、今なら家にいると教えてくれた。
「ちゃんと仲直りしてね。私、しばらくヒマワリに行ってるから」
「助かるわあ。今度お礼するなあ」
しっかりしている子で助かった。念のため舎弟と一緒にヒマワリへ行くよう指示し、自分は桐生の住むアパートへ向かった。いかにも安っぽいアパートの二階の角部屋、『桐生・澤村』とまるでカップルのような表札がつけられた部屋の前で息をついた。――なにを緊張しているんだ。子供じゃあるまいし悪いことをしたならばさっさと謝ればいい。意を決してチャイムをならすも、壊れているのか何もならなかった。強く押せばいいのか何回か押せばいいのかと連打してみるも手ごたえがない。まどろっこしいからノックしようかと思ったとき、思いっきりドアがあいた。
「何度も押さないでくれ。セールスならおことわり、…だ」
苛ついた様子の桐生がだるそうにぼやきながら姿を見せる。のぞき穴でチェックする習慣がないのだろうか、真島の顔を確認するなり言葉尻が弱くなった。
「よ。よお。桐生ちゃん。鳴ってたんか?こっちからじゃ聞こえなくてのお」
ドアホンの故障だったのか、しっかりと部屋には聞こえていたらしい。悪質な来客だと思われてしまっただろう。そんなつもりはさらさらなかったのに悪い目ばかりが出ている気がした。
気まずそうに視線を彷徨わせる桐生が言葉を出す前に、真島は押し進めるべく片足を玄関に差し込んだ。桐生に謝る。誤解を解く。それは今日絶対にこなさなければならない目標だった。桐生がどんなに拒もうが先日の言葉を訂正しなければならない。
「桐生ちゃん、悪かった!」
「…あ?ちょ、おい。なにしてんだ」
深く頭を下げて謝ったあと、続けて膝をついて土下座しようとすると桐生が慌てて止めてくる。人の恋路をバカにしたのだからこれくらいのケジメは必要だ。地べたでの土下座で許されるとは思ってないが誠意は見せるべきだと考えていたのだが、桐生はそれを望まなかった。
「ちょっと。ああ、もう。中に入ってくれ。こんなところでそういうことされたら何事かとおもわれるだろ」
あと少しで土下座が完成するところだったのに、桐生は真島の腕をつかんで無理やり部屋へと引き入れる。
こじんまりとした部屋はちゃぶ台とたたまれた布団くらいしか物が置かれていない。奥に続く部屋は遥の部屋だろうか。あとで彼女の好きそうなぬいぐるみでも差し入れしてやろうと考えながら、真島は再び桐生の前で頭をさげる。
「こん前は酷いことを言って悪かった。人の恋愛を悪くいうつもりはさらさらなかったんや。あんときはどうも虫の居所が――いや、言い訳をするつもりはないわ。ただ桐生ちゃんにはちゃんと謝らんといかんと思ってなあ。すまなかった」
「……べつに土下座するほどのことじゃねえだろ」
「いいや。ケジメもんや。本当にすまなかった」
「もういいから、頭をあげてくれよ」
真島の肩をゆすってそう言ってくれる。ゆっくりと顔をあげると、どこか痩せたような桐生がいた。目にクマができているし、全体的に疲れが見えている。それほどまでに傷つけてしまったのか。心臓を針で突かれているかのような嫌な痛みが胸にひろがった。ああ、本当に。なぜあの時自分はあんなことを言ってしまったのか。後悔しても昇華されることのない罪悪感に打ちのめされる。
「いいんだ。別に。男同士ってのはどうしてもそういうもんだってのは、頭じゃわかってたんだ」
「い、いやいや!そんなことないって!俺の知り合いにゲイもバイもおるが、引いたりせんし!一緒に酒を飲んだりもしとんねん!あれやで、普通にそいつのカレシに会ったことだってあるんや。せやから桐生ちゃんがだれが好きでも構わんの!」
桐生がバイであることは驚いたがその程度で退くほど真島もウブではない。
「ただ桐生ちゃんがそいつとばっかり遊んでるようでなあ、ただ詰まらんかっただけやねん」
今思えば子供じみた嫉妬だ。自分ばかりを見てほしい、そんな甘えた根性が恥ずかしい。別に桐生がどんな男と遊んだっていいだろう。それこそ恋愛をすれば真島のことなど二の次になるのは当然のことだ。おとなしく身を引けばいいのにそれができなかった。――なぜなのか。思わず小首をかしげる真島に、桐生もつられるように小首をかしげた。
「…そうだったのか」
「うん。堪忍なあ」
「いや…それなら、別に。…いいんだ」
少し顔を赤くした桐生に、ますます真島の首は傾いていく。いったい何がいいのか、なぜここで顔を赤くするのか。
「そういや、桐生ちゃんの好きな人って誰なん?いろいろ調べたけど見つからんかったし。最近は会えてるんか」
「…そうだな。ちょっといろいろあって会えなかったんだが、まあなんとかなりそうだ」
ホッと息をつく桐生から笑みがこぼれる。その様子に傷んだ胸が癒されるようだったが、同時に締め付けるような窮屈さが真島を襲った。いったいどうしてだろうか。仲直りしてお互いにハッピーになれると思っていたのに、どうもおかしい。
「そおか。それはよかったなあ」
「ただ、そうだな。やっぱり俺から言うべきなんだろうか?」
「そういえば、相手はわかってないとか言うとったなあ。ちょっと試しに言ってもええんやないか」
まただ。息が詰まるような胸のしめつけを感じる。和らいでいた痛みも再びその主張を激しくさせる。いつのまにか手はしっとりと汗ばんでいた。緊張か、はたまた焦りか。桐生一馬の思い人を知りたい一方、一切聞きたくない自分もいる。これは独占欲だ。桐生一馬を自分のものにしたいという、酷い激情だ。
ようやくわかった。桐生一馬が誰かのものになるのが許せない。誰かと二人だけの時間を過ごし、笑って安心するような時間を共有しあうのがたまらなく不快だ。
これは仲間外れなどという疎外感ではない。完全な、恋愛による嫉妬だと気づき、ごくりと喉をならした。たったいま選択を間違えてしまった自分を心の内で罵倒しながら、軌道修正の道を瞬時にはじき出した。
「まあ、もしふられたならいくらでもヤケ酒につきあうし。あ。試しに俺と付き合ってみるか?俺は優しいカレシになれるでぇ~?」
「…いや。いい。たったいま、その必要がなくなった」
「いる」
「…あ?」
ただのいたずら心だった。困らせてやろう、ムカつくことを言ってやろう。それだけだったのに、桐生の返事に真島は思いがけず狼狽えて、指に挟むタバコを落としかけた。
あいも変わらずキャバクラ通いをやめない桐生に、真島は女装してキャストとして隣に居座った。遊びの邪魔をされたら腹がって喧嘩を買ってくれるだろう。その目論見は狙い通りになるときがあればそうでもないときもある。結局無理やり喧嘩をしかけるし桐生も買ってくれるので、真島はこの方法を気に入っていた。
しかし毎回真島が出てくるというのに遊びをやめない桐生の学習能力のなさには呆れる。喧嘩ができればいい真島はいちいち教えてやることもなく、桐生に酒をつくりながら尋ねた。「ゴロ美はあ、いまフリーなんやけどお、桐生ちゃんは誰かええひとおるん?」どうせいないだろうと踏んでの質問だった。いないと返ってくれば「じゃあゴロ美が立候補する~!アフターも頑張っちゃお!」とはしゃぎ、慌てて否定するだろう桐生に「女にその気させといてなんやその態度は!」と喧嘩を売る予定だったのだ。
まさかいるとは、数パーセントすら思いもしなかった。
「…ええ?どこの女ァ?」
そんなうわさ聞いたことがないぞ。桐生一馬のことに関しては常にアンテナをはっているこの自分が知らないなんてことがあるというのか。絶対に聞き出してやる。動揺を隠すように真島はタバコを咥えなおし、肺を煙で満たした。
「いや。男」
「は?!…うえっ、ごほ、げほっ」
予想外の答えにせき込む。慌ててタバコを灰皿に落として落ち着かせると、桐生が気を使って背中をさすってくれた。
「大丈夫か?」
「お、おう」
驚いた。いろいろと。
桐生に意中の相手がいるというだけでも驚きだというのに相手が同性とは、一瞬だけ心臓が止まりかけた。いままさに女遊びの真っ最中のくせに、男が好きだったとはわからなかった。いままでそのケを見せたことはないし、そのような噂も聞いたことがない。ゲイではなくバイなのか。わかりやすいようでわからない男だと思っていたが、まさか恋愛に関してまでも読めないとは思わなかった。
真島は気を取り直して、桐生の周りにいる男の顔を思い浮かべる。刑事やホスト、シンパの顔は簡単に浮かんできた。あの中の誰かなのか、はたまた真島の知らない男がいるのか。桐生は意外と顔が広いので見当がつかない。妙に気になったので探りを入れてやろうと企んだ。
「え。どういう男?ええ男なん」
「性格に難はあるが、俺のことを考えていろいろやってくれるんだ」
「お。…おう」
惚気か。いや、まだ付き合ってないからその表現はおかしい。だが、相手にもそこそこ好意があるのはわかる。おそらく下心のない善意からくるものだろうが、血を血で洗う抗争に巻き込まれる桐生にとって、そういった善意に惹かれてしまうのかもしれない。――俺だってそれなりに面倒見てやってるのに。内心悪態をつきながら笑顔を消さない。
「でもむこうはそういう気がないらしくて、どうしたらいい?」
「どうしたらいいって」
もしかして恋愛相談を受けているのか?キャバクラだしそういうことは珍しくない。女性が喜ぶものやデートスポットをリサーチしにくる客だってよく見かける。もしかしてそれ目当てでキャバクラに通っているのだろうか。意中の相手が同性なのだし、女ではなく男がいるホストクラブに相談すればいいものを、やはり何を考えているのかよくわからない男だ。
「少なくとも好意はあるんやし、ちょいちょい遊びに行くとかして距離詰めるしかないんちゃう?」
「遊びにか。ゴロ美だったらどこに行きたい?」
「闘技場」
「……」
一瞬冷えた目つきにかわるものの、桐生は一計ありと腕を組んだ。
「闘技場ねえ」
「え。そいつ、賽の河原しっとん」
「ああ」
「…ふうん?」
ならば裏社会の関係者だろうか。あの場所――賽の河原のみならず闘技場に出入りするものなんて限られている。ガタイのいい男がタイプなのだろうか。女性的な男を好んだのかと思えばそうでもないらしい。性格に難があるというのならよほど顔がいいのか、なにか惚れることでもあったのか。ますます気になる。あの堂島の龍が惚れる男なんて誰もが欲しがる情報だ。誰よりも一番に知りたい。その思いが真島の志気をあげる。
後日闘技場へ遊びに行った。受付にきけば毎日のように桐生が参加しているので盛り上がっているらしい。言ってみるものだ。自分は喧嘩ができて好都合だったが、筋の通らない喧嘩はしないと豪語していた男が、好きな相手のために信念を捻じ曲げているという事実に少し苛ついた。そんなにも惹かれる男がこの世にいるというのか。是非そいつに御目通りかないたいものだと、闘技場のエントリーを済ませながら舌をうった。
桐生が連日闘技場に通っているというのならば真島とて毎日通うに決まっている。生傷が絶えないが桐生と喧嘩できるのは日々の潤いだ。顔にできた擦り傷を保護テープでおおい、上からファンデーションでなじませる。違和感は残るが傷が露出するよりはマシだ。濃い目にチークをつけてホールに出る。一週間ぶりにSHINEへ顔をだした桐生のテーブルは自分専用席だ。ヘルプもつかせる気はない。すでに酒の注文を済ませた桐生の隣を占拠し、とりだしたタバコにライターを差し出す。
「悪いな」
「ウチの仕事や~!」
「ゴロ美も好きに飲んでくれ」
「うん!」
キャバクラらしくシャンパンを入れてくれたようだ。最近は本気でゴロ美をキャバ嬢として扱っているらしく、フルーツの盛り合わせやワインを用意したりと売り上げに貢献していた。キャバ嬢としての収入なんて大したことないが、桐生一馬が貢ぐという事実は面白いのでありがたくいただいている。
シャンパンで喉をうるおした真島は桐生のこめかみについた切り傷を見つけた。
「桐生ちゃん、怪我しとるぅ。どうしたん?」
指さして聞いてみれば、心当たりがあるのか桐生は確認するように傷口にふれた。すでにかさぶたはできているので痛みはないのだろう。
「ん?…ああ。さっき闘技場でな」
今日も参加していたのか。しっかり勝利を収めたようだが怪我をするとは珍しい。相当な手練れ相手だったのかもしくは意中の相手だったのか気になってくる。
「そういえば好きな相手は来た?」
「ああ。だが戦いが目的だったみたいだからなあ」
「そらそうやろ。そんあと酒とか飯を誘うなりせんと」
「神出鬼没で試合が終わったらすぐにいなくなっちまったんだよ」
「ほおー」
ドライな男らしい。そんな男のどこがいいのだ。いかにもつまらなさそうではないか。口をとがらせながら桐生の空いたグラスにシャンパンをそそいだ。
「どうすればいい?」
「ううーん」
悩んでしまう。真島とて男と付き合ったことなどないし、相手がどういう男もわからないからアドバイスのしようもない。
「街中で会ったりしないん?」
「あるにはあるんだが、喧嘩好きで俺自体には興味なさそうなんだ」
そんな男のどこがいいのだ。好きになる要素がどこにも見当たらない。ずいぶんと厄介そうな相手に心を奪われているようで面白くない。桐生ならば少し声をかけるだけで男女問わずついてくるだろうに、よりによってそんな難解な男に捕まるなんて、自分を見ていないような気分にさせられむかついてきた。応援するのが癪になってくる。
「そいつは強いんか?」
「まあ。本気を出されたら俺も苦労する」
「ふーん!」
どこのどいつだろう。桐生一馬にここまで言わせる相手にいら立ちを隠せず、自分もタバコを咥えた。
「なにか怒ってるのか?」
「べつにい~?」
折角喧嘩するための口実づくりにキャバ嬢の恰好をしているというのに、なぜ自分がストレスを受けなくてはならない。人様の恋愛を邪魔するつもりはないが少しは困ってしまえといたずら心がわいてしまう。
「試合や喧嘩の最中に誘えばええんやない?こんあとメシいこ~って」
どうせそんな暇はないだろうし、もし持ち掛けたとしても相手は怒るか呆れるだろう。痛い目に会え。そんな思いで提案すると桐生はそれもありだとばかりにうなずいて、お礼に追加のシャンパンを入れてくれた。釈然としないままおごってもらい、さっそく試してみるという桐生の頭をかち割ってやりたくなった。
「兄さん、このあとメシに行かねえか」
「ああ?」
街中で喧嘩を仕掛けた時のことだった。珍しく誘いに乗った桐生との攻防中、そう聞かれて思わず聞き返す。それからすぐに先日の会話を思い出した。
――こいつ、俺で練習しているな?
ぶっつけ本番ではタイミングを見計らうのも難しいと考えたのだろうか。人を練習台にしやがって。ドスを握る力が強くなり、真島は絶対にこの喧嘩を買ってやるとばかりに身体のエンジンをかけた。
「余裕があるようや、なッ」
「そういうわけじゃないんだが」
「集中せえ!」
最近は避けるのもうまくなった桐生に攻撃を当てるのは難しい。素早さではこちらが上だ。撹乱し、隙をついてはドスを突き出す。油断しようものなら喧嘩の最中にうつつをぬかすなと叱り飛ばすつもりだった。だが桐生は気を抜いているわけでも舐めているわけでもなかった。素早く掴みかかろうとしてくるわカウンターを狙うわで気がぬけない。
好きな相手との喧嘩で実力をつけたのか。そんな疑惑が頭に浮かび、無性に苛ついてきた。十年も刑務所に入っていたお前の実力をここまで引き戻したのは自分のおかげだろう。それなのにお前は別の男に入れ込んでいるのか。台無しにしてやりたい。こっぴどくフラれてしまえ。そんな意味の分からない悪態ばかりが脳内を占拠する。
結果は引き分けだった。たぶん自分が先に倒れたが、目が覚めると桐生もダウンしていた。珍しく長丁場の喧嘩で、タフな桐生も体力が尽きてしまったらしい。なんとなくヨソの男の元に向かわせるのは気分が悪い。ふつふつと邪魔したい欲がわいてくる。
きっと踏み台にされているのが気に食わないのだ。自分を練習台にして他の男のために身を尽くそうとしている桐生に腹が立っているだけ。だったら桐生が片思い相手のところにいけないよう、あいつの時間をうばってやろう。
ちょうど桐生がゴロ美に貢いだ金もある。食事をおごってやると言えば桐生はのこのことついてきた。行きつけの居酒屋で腹を満たし、カラオケにも連行する。意外にも桐生は拒むことなく、むしろ喜んでついてきた。深夜遅くまで突き合わせても文句を言わないし、連日誘ってもついてくる。改めてよくわからない男だなと思いながらも、こうして遊ぶのは楽しいと真島も思い始めていた。
遊んでいて気づいたことがある。桐生はキャバクラでしか恋バナをしない。本気でゴロ美をキャバ嬢だと思って話しているフシがある。真島自身、ゴロ美であるとごり押ししたしそのほうが好都合ではあるのだが腑に落ちない。普通の真島吾朗に対してはプライベートの話をしてくれないのか。キャバクラではあれだけ慕ってくるというのになんていう差だ。もう少し真島に対しても心を開いてもいいだろう、日に日にその欲求は高まっていき、ついにそれは爆発した。
キャバクラにやってきた桐生は現状報告のように真島――ゴロ美に相談する。やれ一緒に食事に行くようになっただの、カラオケに誘われただのと喜びを隠せない様子で語った。気分のいい話ではない。真島が誘った内容と同じことを桐生の想い人がしている。そんな時間どこにあったのだと言わんばかりに桐生はデートを楽しみ、滅多に見せてくれない笑顔で幸せをあらわした。あれだけ自分が邪魔をしたのに、あれだけ自分が時間をつぶしたのに。さも関係ないと言わんばかりの桐生にとうとう言ってしまった。
「きっしょ」
硬直し、血の気をなくして表情を失った桐生の顔が目に焼き付いて離れない。我に返ったときには桐生は姿を消していて、テーブルには自分一人だけが残されていた。
やってしまった。人の恋路を悪く言うつもりは一切なかった。同性だろうが異性だろうが好きにすればいい。神室町なんてそれ以上に異常な恋愛を楽しむもので溢れている。真島だってヤクザだから一般人では知りえないような魔窟を覗いたこともあった。
だから桐生の恋愛を否定する気は一切なかった。ただ、ただただつまらなかっただけ。桐生が真島を見ずに意中の相手のことばかり考えて思いにふけり、楽しそうにする姿が嫌だった。疎外感があった。自分だけのけ者にされているようだった。寂しかったのだ。だからかまってほしくてたくさんのことを仕掛けたのに、桐生はこちらを見向きもしなかった。重い後悔のあと、真島はたいして酒を飲んでないはずなのに嘔吐し、その日は眠れなかった。
早く謝らないと。そう思いながら神室町を捜索するも桐生は見つからなかった。舎弟を使っても見つからず焦りがつのる。あの日からひと月たとうとしていたころ、真島は事務所の執務室にて頭をひねっていた。結局桐生の好きな相手とは誰だったのだろう。闘技場に出場していたというし神室町の人間ではないのだろうか。ならば桐生も神室町に姿を現すはずなのにその影すら見かけることはできなかった。闘技場の出場者を洗ってみたが特別桐生と仲のいい選手は見当たらず、特定できずにいる。今までの会話からヒントを洗い出すもそんな奇妙な男がいるとは思えなかった。架空の人物にしては桐生が楽しそうにしていたし、実在する人物に決まっている。奇妙な感覚だ。
「あのお。親父」
「あ?」
桐生が見つからない。神室町からいなくなると探すのは困難を極め、真島の機嫌は悪くなるばかりだった。それでも舎弟としてするべきことをしなければならない西田は、怯えながらも言葉をつづけた。
「親父にお客さんが」
「今日、そんなんあったか」
アポのない客なんて客ではない。手持ち無沙汰でいじっていたドスを向けると西田はぎくりと肩をこわばらせた。
「ないんですけど、その、あのー、叔父貴のところの」
「ああ?」
なにを言いたいのかさっぱりわからない。ただでさえ機嫌が悪いのに殴ってしまいそうだ。いや、殴る。ぶっ飛ばしてやると椅子から立つと、西田の後に誰かいることに気づいた。
「あ?」
澤村遥だった。100億円事件以降桐生と一緒に過ごしている少女がなぜここにいるのだろう。そう小首を傾げると、遥は険しい顔つきで真島をにらみつける。
「真島のおじさん、おじさんと喧嘩したでしょ」
「え」
「ずーっと落ち込んでるんだよ!なにしたの!」
「ええ?」
桐生と一緒に暮らす彼女はすぐに異変に気付いたらしい。聞いても「なんでもない」というばかりでため息をついたり、料理中に呆けて焦がしたりと散々な様子だという。何かがあったと思うのは当然で、桐生をここまで返させる相手は限られると踏んだのだ。聞いても教えてくれないのならば桐生に詳しい人に聞けばいいと、遥はまず警察の伊達を頼った。伊達はすぐに伝手を使って最近の桐生の動向を調べ上げ、ここのところ真島とよく一緒にいるとまで突き止めてくれた。そしてある日を境にその交流が途絶えたことも調べてくれたのだ。
真島と何かあったのは明白である。
「せやなあ。俺が悪いから謝りたいのに、桐生ちゃんが見つからんねん。どこにおるか教えてくれるか?」
「なにしたの?」
「酷いこと言ってもうたわ。ちゃんと謝りたいねん」
「ほんと?喧嘩しない?」
「せん、せん」
心から反省している。この状態で喧嘩するほど人でなしでもない。しゅんとうなだれる真島の様子に遥も信用してくれたのか、今なら家にいると教えてくれた。
「ちゃんと仲直りしてね。私、しばらくヒマワリに行ってるから」
「助かるわあ。今度お礼するなあ」
しっかりしている子で助かった。念のため舎弟と一緒にヒマワリへ行くよう指示し、自分は桐生の住むアパートへ向かった。いかにも安っぽいアパートの二階の角部屋、『桐生・澤村』とまるでカップルのような表札がつけられた部屋の前で息をついた。――なにを緊張しているんだ。子供じゃあるまいし悪いことをしたならばさっさと謝ればいい。意を決してチャイムをならすも、壊れているのか何もならなかった。強く押せばいいのか何回か押せばいいのかと連打してみるも手ごたえがない。まどろっこしいからノックしようかと思ったとき、思いっきりドアがあいた。
「何度も押さないでくれ。セールスならおことわり、…だ」
苛ついた様子の桐生がだるそうにぼやきながら姿を見せる。のぞき穴でチェックする習慣がないのだろうか、真島の顔を確認するなり言葉尻が弱くなった。
「よ。よお。桐生ちゃん。鳴ってたんか?こっちからじゃ聞こえなくてのお」
ドアホンの故障だったのか、しっかりと部屋には聞こえていたらしい。悪質な来客だと思われてしまっただろう。そんなつもりはさらさらなかったのに悪い目ばかりが出ている気がした。
気まずそうに視線を彷徨わせる桐生が言葉を出す前に、真島は押し進めるべく片足を玄関に差し込んだ。桐生に謝る。誤解を解く。それは今日絶対にこなさなければならない目標だった。桐生がどんなに拒もうが先日の言葉を訂正しなければならない。
「桐生ちゃん、悪かった!」
「…あ?ちょ、おい。なにしてんだ」
深く頭を下げて謝ったあと、続けて膝をついて土下座しようとすると桐生が慌てて止めてくる。人の恋路をバカにしたのだからこれくらいのケジメは必要だ。地べたでの土下座で許されるとは思ってないが誠意は見せるべきだと考えていたのだが、桐生はそれを望まなかった。
「ちょっと。ああ、もう。中に入ってくれ。こんなところでそういうことされたら何事かとおもわれるだろ」
あと少しで土下座が完成するところだったのに、桐生は真島の腕をつかんで無理やり部屋へと引き入れる。
こじんまりとした部屋はちゃぶ台とたたまれた布団くらいしか物が置かれていない。奥に続く部屋は遥の部屋だろうか。あとで彼女の好きそうなぬいぐるみでも差し入れしてやろうと考えながら、真島は再び桐生の前で頭をさげる。
「こん前は酷いことを言って悪かった。人の恋愛を悪くいうつもりはさらさらなかったんや。あんときはどうも虫の居所が――いや、言い訳をするつもりはないわ。ただ桐生ちゃんにはちゃんと謝らんといかんと思ってなあ。すまなかった」
「……べつに土下座するほどのことじゃねえだろ」
「いいや。ケジメもんや。本当にすまなかった」
「もういいから、頭をあげてくれよ」
真島の肩をゆすってそう言ってくれる。ゆっくりと顔をあげると、どこか痩せたような桐生がいた。目にクマができているし、全体的に疲れが見えている。それほどまでに傷つけてしまったのか。心臓を針で突かれているかのような嫌な痛みが胸にひろがった。ああ、本当に。なぜあの時自分はあんなことを言ってしまったのか。後悔しても昇華されることのない罪悪感に打ちのめされる。
「いいんだ。別に。男同士ってのはどうしてもそういうもんだってのは、頭じゃわかってたんだ」
「い、いやいや!そんなことないって!俺の知り合いにゲイもバイもおるが、引いたりせんし!一緒に酒を飲んだりもしとんねん!あれやで、普通にそいつのカレシに会ったことだってあるんや。せやから桐生ちゃんがだれが好きでも構わんの!」
桐生がバイであることは驚いたがその程度で退くほど真島もウブではない。
「ただ桐生ちゃんがそいつとばっかり遊んでるようでなあ、ただ詰まらんかっただけやねん」
今思えば子供じみた嫉妬だ。自分ばかりを見てほしい、そんな甘えた根性が恥ずかしい。別に桐生がどんな男と遊んだっていいだろう。それこそ恋愛をすれば真島のことなど二の次になるのは当然のことだ。おとなしく身を引けばいいのにそれができなかった。――なぜなのか。思わず小首をかしげる真島に、桐生もつられるように小首をかしげた。
「…そうだったのか」
「うん。堪忍なあ」
「いや…それなら、別に。…いいんだ」
少し顔を赤くした桐生に、ますます真島の首は傾いていく。いったい何がいいのか、なぜここで顔を赤くするのか。
「そういや、桐生ちゃんの好きな人って誰なん?いろいろ調べたけど見つからんかったし。最近は会えてるんか」
「…そうだな。ちょっといろいろあって会えなかったんだが、まあなんとかなりそうだ」
ホッと息をつく桐生から笑みがこぼれる。その様子に傷んだ胸が癒されるようだったが、同時に締め付けるような窮屈さが真島を襲った。いったいどうしてだろうか。仲直りしてお互いにハッピーになれると思っていたのに、どうもおかしい。
「そおか。それはよかったなあ」
「ただ、そうだな。やっぱり俺から言うべきなんだろうか?」
「そういえば、相手はわかってないとか言うとったなあ。ちょっと試しに言ってもええんやないか」
まただ。息が詰まるような胸のしめつけを感じる。和らいでいた痛みも再びその主張を激しくさせる。いつのまにか手はしっとりと汗ばんでいた。緊張か、はたまた焦りか。桐生一馬の思い人を知りたい一方、一切聞きたくない自分もいる。これは独占欲だ。桐生一馬を自分のものにしたいという、酷い激情だ。
ようやくわかった。桐生一馬が誰かのものになるのが許せない。誰かと二人だけの時間を過ごし、笑って安心するような時間を共有しあうのがたまらなく不快だ。
これは仲間外れなどという疎外感ではない。完全な、恋愛による嫉妬だと気づき、ごくりと喉をならした。たったいま選択を間違えてしまった自分を心の内で罵倒しながら、軌道修正の道を瞬時にはじき出した。
「まあ、もしふられたならいくらでもヤケ酒につきあうし。あ。試しに俺と付き合ってみるか?俺は優しいカレシになれるでぇ~?」
「…いや。いい。たったいま、その必要がなくなった」
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