誰の為の庭園か
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次の日、きちんと鍵は閉まっていた。室内を見渡して、異常が無いかを確認する。いつも通りに薔薇の強烈な香りが室内を満たしている。植えられた薔薇の様子は一見して何ともない。
「あれ……」
不思議と感じたのは部屋の隅の瓶に挿してある何百本という薔薇だった。
端に挿された小柄な薔薇。どうにも色がおかしい。回りと比べるとくすんで見える。数年前からあるのであれば、例え強力な切り花用の薬品を入れていても、一本くらい枯れてしまっても何ら不思議ではない。
だが敏感になっている心にはどうも気になって仕方がない。
「あ、」
近づいてみると異常に気が付いた。
慌てて全ての薔薇を花瓶から引っこ抜いて作業台にどさりと置く。何百本という薔薇のうち百本ほどが、その赤色をくすませていた。残りの薔薇も、水に漬かっていた茎の端の辺りが、茶色に変色している。急いで花瓶の中の水を確認してみる。見た目は透明で異常はない。
しかし、鼻を近づけてみると薔薇の香りにも負けない強い塩素の匂いがした。
「えっほ、ごほっ!」
鼻腔を襲う強力な匂いに思わずむせる。喉まで痛い程だ。何が入れられたのかは分からないが、恐らくこれが原因だ。
花瓶をひっくり返して、汚水を流して、新しい水を注ぐ。その間に、まだ無事な薔薇の、変色してしまった茎の部分を切り落とす。溜まった花瓶に、いつも通りに錠剤を入れて、急いで薔薇達を水に入れ直す。
大慌てで瞬きする余力も無い怒濤の作業を終えた。
作業台の上には、手遅れだった百本ほどの薔薇達が力無く項垂れている。
(一体、何が起こったんだ?)
これは不幸な事故か。原因が分からない。ただ、数年間この仕事やっていてこんなことは初めてだということ。
(何か、薬品でも溢したっけ……)
薬品ということで、除草剤等が仕舞われている棚に目をやると、何となく入れ物の位置が変わっている気がした。
(気のせいだったら…………良かったんだがな。)
調べてみれば、除草剤の中身がごっそりと減っていた。誰かが持ち出して花瓶の中にいれたのだろうか。
しかし、ドアにはきちんと鍵がかかっていた。誰も侵入は不可能だ。
(マスターキーとか予備があれば別だが。)
しかし、それを管理しているのも、それなりの地位の人のはずだ。それこそ参謀様辺りの。
何だか面倒事の予感がしてきた。また子様の不在の間、ここを守れるのは自分しかいない。
(幽霊とかだったらいいのにな)
そんな現実逃避気味の事を考えている。
まだ外は明るい。まだ昼にもなっていないというのに心が重い。
とりあえず荒らされた備品の補充と整理をしようと、棚の中身を全て取り出す。空っぽの除草剤を詰め直して、元に戻す。他の備品は弄られていないな、と思っていたら、
「ん?」
半分程、袋に入っていた籾殻の炭が無くなっていた。
「最近、土の状態がおかしいのも……」
酸度測定器にて土の状態を図ってみるとphの値が10程を指しており、アルカリ性に片寄った土壌になっていた。もちろん自分はそんなミスはしないし、元々この土は弱酸性に調整してあった。なんらかの手が加わった事は間違いない。しかも本日より二日ほど前から、もしかしたらもっと前からかもしれない。
(誰かに相談すべきか……でも俺、友達いねぇし、また子様に報告?いや今は仕事中だし……)
不穏な状況に辟易しながら、土にアルカリ性を抑える錠剤を撒く。
(せっかくやっと千本揃うのに……)
自分も心の中では楽しみにしていたのだ。数年間、室内で土を弄り、雑草を引っこ抜き、虫を潰し、茨を整え、水をやる。汗水を垂らし、腰を痛めた努力が、もう少しで報われる。
その手前、どこの誰とも知らん奴にめちゃめちゃにされるところであった。土壌の状態は園芸にとって、命ともいえる。あのまま気づかずにいたら全滅してしまっていただろう。冷静になって考えていると、沸々と怒りが沸いてきた。土を掘り返すスコップに力が入る。恐らく犯人は今夜もやって来るのではないだろうか。
(鍵はきっと意味を成さない……俺が見張ってるか?)
きっと鍵を閉め直す慎重さがあるということは、部屋を開けっぱなしにして電気も付けておけば引き返すのではないだろうか。
そもそも、狙われているのを知って放って置くことなど出来ない。これは庭師の数少ないプライドのような物である。
(命とプライド……どっちが大事なんだか。)
もしかしたら返り討ちに遭うかもしれない。そう思っても、今夜は一晩中、この部屋で見張りをするのだ。と椅子に腰掛け正面のドアを睨んでいるのだから、庭師も存外バカなのかもしれない。
嗅ぎ慣れた土と花の香り。ここで横になる方がよっぽど安心して熟睡できる気がした。
電気を爛々と点けて、少し寒いがドアを開け放っておく。暗い廊下に明かりが漏れる。側には万が一に、と鍬や鎌をおいておく。
最初こそ、扉の向こうの薄暗い廊下の壁を延々と睨み続けて、少しでも物音がすれば、鎌を片手に外の様子を確認するほどに神経を尖らせていたが、暫くすると庭師にも限界が来た。ここ二日ばっかし庭園が心配でろくに眠れていなかった。土と花の香りに包まれて庭師はうつらうつらと船を漕ぎ出し、終いには机に突っ伏して熟睡してしまった。
「あれ……」
不思議と感じたのは部屋の隅の瓶に挿してある何百本という薔薇だった。
端に挿された小柄な薔薇。どうにも色がおかしい。回りと比べるとくすんで見える。数年前からあるのであれば、例え強力な切り花用の薬品を入れていても、一本くらい枯れてしまっても何ら不思議ではない。
だが敏感になっている心にはどうも気になって仕方がない。
「あ、」
近づいてみると異常に気が付いた。
慌てて全ての薔薇を花瓶から引っこ抜いて作業台にどさりと置く。何百本という薔薇のうち百本ほどが、その赤色をくすませていた。残りの薔薇も、水に漬かっていた茎の端の辺りが、茶色に変色している。急いで花瓶の中の水を確認してみる。見た目は透明で異常はない。
しかし、鼻を近づけてみると薔薇の香りにも負けない強い塩素の匂いがした。
「えっほ、ごほっ!」
鼻腔を襲う強力な匂いに思わずむせる。喉まで痛い程だ。何が入れられたのかは分からないが、恐らくこれが原因だ。
花瓶をひっくり返して、汚水を流して、新しい水を注ぐ。その間に、まだ無事な薔薇の、変色してしまった茎の部分を切り落とす。溜まった花瓶に、いつも通りに錠剤を入れて、急いで薔薇達を水に入れ直す。
大慌てで瞬きする余力も無い怒濤の作業を終えた。
作業台の上には、手遅れだった百本ほどの薔薇達が力無く項垂れている。
(一体、何が起こったんだ?)
これは不幸な事故か。原因が分からない。ただ、数年間この仕事やっていてこんなことは初めてだということ。
(何か、薬品でも溢したっけ……)
薬品ということで、除草剤等が仕舞われている棚に目をやると、何となく入れ物の位置が変わっている気がした。
(気のせいだったら…………良かったんだがな。)
調べてみれば、除草剤の中身がごっそりと減っていた。誰かが持ち出して花瓶の中にいれたのだろうか。
しかし、ドアにはきちんと鍵がかかっていた。誰も侵入は不可能だ。
(マスターキーとか予備があれば別だが。)
しかし、それを管理しているのも、それなりの地位の人のはずだ。それこそ参謀様辺りの。
何だか面倒事の予感がしてきた。また子様の不在の間、ここを守れるのは自分しかいない。
(幽霊とかだったらいいのにな)
そんな現実逃避気味の事を考えている。
まだ外は明るい。まだ昼にもなっていないというのに心が重い。
とりあえず荒らされた備品の補充と整理をしようと、棚の中身を全て取り出す。空っぽの除草剤を詰め直して、元に戻す。他の備品は弄られていないな、と思っていたら、
「ん?」
半分程、袋に入っていた籾殻の炭が無くなっていた。
「最近、土の状態がおかしいのも……」
酸度測定器にて土の状態を図ってみるとphの値が10程を指しており、アルカリ性に片寄った土壌になっていた。もちろん自分はそんなミスはしないし、元々この土は弱酸性に調整してあった。なんらかの手が加わった事は間違いない。しかも本日より二日ほど前から、もしかしたらもっと前からかもしれない。
(誰かに相談すべきか……でも俺、友達いねぇし、また子様に報告?いや今は仕事中だし……)
不穏な状況に辟易しながら、土にアルカリ性を抑える錠剤を撒く。
(せっかくやっと千本揃うのに……)
自分も心の中では楽しみにしていたのだ。数年間、室内で土を弄り、雑草を引っこ抜き、虫を潰し、茨を整え、水をやる。汗水を垂らし、腰を痛めた努力が、もう少しで報われる。
その手前、どこの誰とも知らん奴にめちゃめちゃにされるところであった。土壌の状態は園芸にとって、命ともいえる。あのまま気づかずにいたら全滅してしまっていただろう。冷静になって考えていると、沸々と怒りが沸いてきた。土を掘り返すスコップに力が入る。恐らく犯人は今夜もやって来るのではないだろうか。
(鍵はきっと意味を成さない……俺が見張ってるか?)
きっと鍵を閉め直す慎重さがあるということは、部屋を開けっぱなしにして電気も付けておけば引き返すのではないだろうか。
そもそも、狙われているのを知って放って置くことなど出来ない。これは庭師の数少ないプライドのような物である。
(命とプライド……どっちが大事なんだか。)
もしかしたら返り討ちに遭うかもしれない。そう思っても、今夜は一晩中、この部屋で見張りをするのだ。と椅子に腰掛け正面のドアを睨んでいるのだから、庭師も存外バカなのかもしれない。
嗅ぎ慣れた土と花の香り。ここで横になる方がよっぽど安心して熟睡できる気がした。
電気を爛々と点けて、少し寒いがドアを開け放っておく。暗い廊下に明かりが漏れる。側には万が一に、と鍬や鎌をおいておく。
最初こそ、扉の向こうの薄暗い廊下の壁を延々と睨み続けて、少しでも物音がすれば、鎌を片手に外の様子を確認するほどに神経を尖らせていたが、暫くすると庭師にも限界が来た。ここ二日ばっかし庭園が心配でろくに眠れていなかった。土と花の香りに包まれて庭師はうつらうつらと船を漕ぎ出し、終いには机に突っ伏して熟睡してしまった。