誰の為の庭園か
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結局どうしてまた子様が庭園をあの部屋に作ったのか、結局前の部屋の主はまた子様に思いを伝えられたのか。二人はどうなったのか。分からないことが増えただけの気がした。
ぽつぽつと断片的に事実が見えて、か細く線で繋がってはきたが、どうもまだ足りない。
(また子様に聞くのが一番だよな……。)
ただ、それだけはどうしても避けたかった。
また子様が死んだ前の部屋の主をどう思っていたのかは分からない。だが、仮に彼女も同じ気持ちだったらどうだろうか。
今は亡き愛する人との昔話など、辛いだけであろう。その気持ちを痛いほど知っている庭師だからこそ、そんな事は出来なかった。
「はぁ……」
(もう戻ろう)
重たい気持ちになって、庭園へと戻った。
扉を開けると目によく付く金髪を見つけた。
「あ、戻ってきたっす。」
「ま、また子様……。」
突然の思考の渦中にいた彼女の登場に庭師は少なからず動揺した。
「今年も綺麗に咲いたっすねぇ。」
そんな庭師の心中など気にせず爛漫な声で綺麗に咲いた薔薇達をのぞき込む。
「そうですね……。」
そろそろ、摘んでも良い頃だと園芸鋏を持ち出す。
「そろそろ、千本溜まりますよ。」
めでたい、といった心でまた子様にそう言うと。
「そうっすか……。」
彼女はあまり嬉しそうではない。
「どうか、しましたか?」
心配そうにそう聞けば、
「いや……」
首をふって瓶の前に立った。
「……。」
先ほど聞いた話を思い出して、何とも居た堪れない気持ちになった。
彼女の後ろ姿を気にしながら、土に入って薔薇を見定める。大きく花開いた美しい薔薇が何輪も顔をあげている。
先の事件でダメになってしまった百本近い薔薇達も無事補充され、後十本程度で千本に届くだろう。庭を見回してみるともう摘んでも良さそうな薔薇達は何本もあって、もしかしたら今日には千本集まるのかもしれない。
一本一本確認しながら、ぱちんぱちんと薔薇を切り出す。
「ねぇ、」
「はい?」
また子様に話しかけられて開いていた鋏を止めた。
「あんたは、何で庭師になったんすか?」
「え」
本当に急だ。自身の事に聞かれるなんて思っても居なかったために直ぐに答える事が出来なかった。
「えっと、どうしてそんなこと……」
「なんとなく、」
「はぁ」
なんとなくと言われてしまえばそれまでだ。
庭師はまた子様の質問に答えるべく自分の昔を思い出した。
「まぁ、父が庭師だったんでそのまま受け継いだって感じですかね。昔から土弄りが好きでしたし」
「遺伝っすね」
「ははは、」
「でも、土に汚れるわ、虫はいるわ、腰は痛くなるわ、大変じゃないっすか。自分もこの庭園で初めて思ったっす。」
そういってため息を吐いたまた子様に苦笑いをした。
「まぁ、慣れですよ。それに……」
「それに?」
「……幼馴染が、花を好きだったので」
「へぇ~」
そう言ったまた子様の目はキラキラしていて、恋バナを求める女子の顔であった。無言の催促を体中で感じた。
「まぁ、……その子が喜んでくれるから……みたいな……。」
庭師は顔が真っ赤かだ。
「いい話っすねぇ~、もっと恋バナ聞きたいっす」
「うぇ!?いやぁ、この辺で……」
「上司命令っす!」
ビシッと人差し指で刺される。今ほどまた子様に理不尽を感じたことは無いかもしれない。
「あとは……まぁ俺ってこんな性格なんで真正面から気持ちを伝えられないっていうか。照れくさいから、花に思いを込めて相手に送ったり……」
「思い?」
「花言葉ですよ。ガーベラには崇高な美。カトレアには優雅な女性。胡蝶蘭にはあなたを愛します。」
「いろんな意味があるんすね……。」
「まぁ、それが彼女に伝わってるかは分からないですが……」
「女子はストレートに言ってもらった方が嬉しいと思うっすけど」
確かにそうだろう、しかし、本当に愛する人には素直に気持ちを伝える事が出来ない。それが男という生き物なのではなかろうか。
「でも、今になって自分の気持ちがきちんと伝わっていたか。それが分からなくて後悔するんだから、救えないですね。」
そう呟いた庭師の声は自分でも驚くくらい悲壮感に満ちていた。
「あんたは、何で鬼兵隊に入ったんっすっけ?」
「まぁ、よくある話ですよ。横暴な天人に村ごと襲われて、親も友達も、彼女も、腹にいた子も……皆、見捨てて無様に生き残ったって感じです。」
本当によく聞く話だ。素人の小説でももっと奇抜な境遇を思いつくのではなかろうか。
「そうっすか……」
また子様はそう言ったきり、同情の言葉も励ましの言葉もかけはしなかった。
「だけどまぁ、鬼兵隊に入っても庭師やれてるんで、その点また子様には感謝してますけどね。」
重苦しく感じる空気を変えようと庭師は笑った。
「……辛くないんすか?庭師、やってて。」
「?」
「昔を思い出したりはしないんすか?」
「……まぁ、しますけど。どうしようもないんで。」
泣いたって嘆いたって、戻って来やしない。そうして悲しみに日々が沈んでいくのであれば、それはとても勿体ないことだろう。彼女にはもう見れない朝日を、自分がたっぷり堪能してやるのが一つの供養の形だと庭師は考えている。
(何とも自分勝手な話だがな。)
庭師が心の内で自嘲していると、
「そうっすよね。死んだ奴のこと、いつまでも思ってるなんてばかみたいっすよね」
明るい声で努めてはいるが、隠し切れないくらいにまた子様は悲しそうだった。
「また子様にも、そういう人が居たんですか。」
我ながらなんて酷な質問だろうと思った。
「別に付き合ってたとかそんなんじゃないっす。あっちが一方的に……自分だってそんな風に思ってた
わけじゃなくて……あんな奴だれが……。」
纏まらない言葉を吐いていく様子は乙女そのものに見えた。
「別にそんなんじゃなかったっす。」
そう否定してみせた彼女に、
「そうですか。」
とだけ返した。
「何で、この庭園を作ったんですか?」
今なら何でも聞ける気がした。ほんの少し調子に乗っていたのかもしれない。悲壮に満ちた空気に酔っていたのかもしれない。
「……奴に頼まれたんすよ。999本の薔薇を私にやるから、もし帰ってこなかったら自分で育てろって」
「え」
「おかしいと思わないっすか?なんで贈る相手に育てさせるんすか?ていうかそんなこと言うなら意地でも帰ってきて育てろってんすよ。てか、何で999なんて半端な数字なんすか。もう意味わかんないっす」
「……。」
庭師には、なんとなくその彼の気持ちが分かった気がした。大切な人に真正面に気持ちを伝えられないその気持ちが。
(やっぱり彼女にも、伝わってなかったかもなぁ……)
己の昔の所業も彼女には伝わっていなかったのかもしれない。
目の前のまた子様を見てそう思った。
花言葉という物は知らなければ分からない。ましてや、999本とこんなマイナーな意味など、別段花が好きなわけでもないまた子様には伝わらないだろう。それを承知で贈ったのか。最期となるかもしれないのに?また子様の気持ちを彼は知らなかったのだろうか。
(ここまでくるとただの自己満足だろうに……)
いつか万斉様が屑と言った事を思い出した。なるほど確かにそうかもしれない。
これを伝えてやるかどうか迷った。知らぬが仏とはよく言ったもんだが、花に思いを込めた男どうし。その思いを報いってやりたいと思った。
「また子様、薔薇の花言葉を知っていますか?」
ぱちんっと音を立てて994本目の花を摘んだ。また子様に差し出せば、瓶の中に挿してくれる。
「知ってるっすよ。愛っすよね。」
ぱちんっ
「赤い薔薇の花言葉は確かに愛です。でも、薔薇っていうのは面白くって。贈る本数にも意味があるんです。」
ぱちんっ
「贈る……本数?」
ぱちんっ
「3本だったら「愛しています」「告白」。11本であれば「最愛」。100本だったら「100%の愛」。101本だったら「これ以上無いほど愛しています」。365本は「あなたが毎日恋しい」。これだけじゃなくて、他にもあります。」
ぱちんっ
「……それって、999本の意味も……」
「ありますよ……」
「……どんな……意味っすか…………?」
恐る恐るといった様子で彼女は尋ねた。その姿があまりにもか細くて、人を一人平然と殺せる人物とは思えないほどだ。
しかし、これを伝えるのはあまりに酷ではないだろうか。庭師はそう思って二の足を踏んだ。
「ねぇ、教えて。」
それでも、と頼まれたから庭師は、
ぱちんっと999本目の薔薇をまた子に差し出した。
『______________。』
ぱさりと乾いた音を立てて薔薇が落ちた。
それから誰もが、何もかもが、黙りこくった。
「……へぇ…………」
また子は一点を見つめたまま、乾いた声を漏らした。
それから微動だにしない。
庭師も、身じろぎ一つ、しなかった。
「馬鹿なんすね。やっぱ、」
溢した声に庭師は応えられない。応えるべきではないと思った。
「生まれ変わっても、って。」
ふはは、と小さく笑った。
「あんたの来世なんて知ったこっちゃないっすよ。あんたみたいな馬鹿、来世でもなんてお断りっす。来世こそは晋助様と幸せになりたいっす。お前なんかじゃなくて、晋助様を好きになるっす……お前、なんかぁ、」
ぽろりと堪えきれない涙が落ちて行ったのを見た。それから庭師は地面を見た。彼女の泣き顔を見てはいけない気がしたし、見ていられなかった。
「来世ってなんすかぁ、自分は、自分は、いま、生きてんのに……いま、隣にいなきゃぁ、意味ないじゃないっすか」
ぼろりぼろりと想いが溢れた。
彼が死んだとき、やっぱりか。という落胆こそあれど、涙なんて流れなかった。あまりに薄情な自分に本当に彼を愛していたのか疑う時もあった。もう死んだことを理由に散々に貶してはいたが、それも彼を喪った事実を受け取りたくない感情の裏返しだったのかもしれない。
何よりこうして、彼の遺言通りに好きでもない薔薇など育てているのだ。少しでも縋りたかったのだろう。彼がまた子の下に残した、ほんの小さな想いの欠片を。彼に愛されていたと言う証を。命が雑草のように簡単に摘まれていくこの世界で、命が虫のように簡単に潰されていく世界で。彼に愛されていたという小さな証。それがこの小さな庭園。少しでも彼の生前の景色に浸りたくって、作った小さな庭園。彼が隣に居たこと。彼が愛してくれたこと。
彼女はこんなにも、彼が生きていた頃を想って、彼が生きている内にもっと気持ちを伝えて置ければと悔やんでいるというのに。彼は、死に逝く直前に999本の薔薇を送る事に決めた。彼は彼女を愛することを諦めたのか。戻ってきたら、来世になったら。なんて曖昧で不確かなのか。彼女の為に何がなんでも生き延びてやる。そういう気概はなかったのか。それとも、彼女と同等、それ以上に大切な物でもあったのか。
(どうだったのか、俺には分からないけど……)
「今、隣に居て欲しいんす……今……手を握って欲しいっす……いま……会いたい……いまじゃなきゃ……意味ないじゃないっすか……ばかぁ……____」
しゃがみこんで啜り泣く彼女の小さな声を聞いて
(なんて最低な野郎なんだろう……。)
顔も見たことのない彼にそう毒づいた。
彼女に受け取られることなく、地面に落ちたままの無い999本目の薔薇が、どうしようもなく醜く見えた。
ぽつぽつと断片的に事実が見えて、か細く線で繋がってはきたが、どうもまだ足りない。
(また子様に聞くのが一番だよな……。)
ただ、それだけはどうしても避けたかった。
また子様が死んだ前の部屋の主をどう思っていたのかは分からない。だが、仮に彼女も同じ気持ちだったらどうだろうか。
今は亡き愛する人との昔話など、辛いだけであろう。その気持ちを痛いほど知っている庭師だからこそ、そんな事は出来なかった。
「はぁ……」
(もう戻ろう)
重たい気持ちになって、庭園へと戻った。
扉を開けると目によく付く金髪を見つけた。
「あ、戻ってきたっす。」
「ま、また子様……。」
突然の思考の渦中にいた彼女の登場に庭師は少なからず動揺した。
「今年も綺麗に咲いたっすねぇ。」
そんな庭師の心中など気にせず爛漫な声で綺麗に咲いた薔薇達をのぞき込む。
「そうですね……。」
そろそろ、摘んでも良い頃だと園芸鋏を持ち出す。
「そろそろ、千本溜まりますよ。」
めでたい、といった心でまた子様にそう言うと。
「そうっすか……。」
彼女はあまり嬉しそうではない。
「どうか、しましたか?」
心配そうにそう聞けば、
「いや……」
首をふって瓶の前に立った。
「……。」
先ほど聞いた話を思い出して、何とも居た堪れない気持ちになった。
彼女の後ろ姿を気にしながら、土に入って薔薇を見定める。大きく花開いた美しい薔薇が何輪も顔をあげている。
先の事件でダメになってしまった百本近い薔薇達も無事補充され、後十本程度で千本に届くだろう。庭を見回してみるともう摘んでも良さそうな薔薇達は何本もあって、もしかしたら今日には千本集まるのかもしれない。
一本一本確認しながら、ぱちんぱちんと薔薇を切り出す。
「ねぇ、」
「はい?」
また子様に話しかけられて開いていた鋏を止めた。
「あんたは、何で庭師になったんすか?」
「え」
本当に急だ。自身の事に聞かれるなんて思っても居なかったために直ぐに答える事が出来なかった。
「えっと、どうしてそんなこと……」
「なんとなく、」
「はぁ」
なんとなくと言われてしまえばそれまでだ。
庭師はまた子様の質問に答えるべく自分の昔を思い出した。
「まぁ、父が庭師だったんでそのまま受け継いだって感じですかね。昔から土弄りが好きでしたし」
「遺伝っすね」
「ははは、」
「でも、土に汚れるわ、虫はいるわ、腰は痛くなるわ、大変じゃないっすか。自分もこの庭園で初めて思ったっす。」
そういってため息を吐いたまた子様に苦笑いをした。
「まぁ、慣れですよ。それに……」
「それに?」
「……幼馴染が、花を好きだったので」
「へぇ~」
そう言ったまた子様の目はキラキラしていて、恋バナを求める女子の顔であった。無言の催促を体中で感じた。
「まぁ、……その子が喜んでくれるから……みたいな……。」
庭師は顔が真っ赤かだ。
「いい話っすねぇ~、もっと恋バナ聞きたいっす」
「うぇ!?いやぁ、この辺で……」
「上司命令っす!」
ビシッと人差し指で刺される。今ほどまた子様に理不尽を感じたことは無いかもしれない。
「あとは……まぁ俺ってこんな性格なんで真正面から気持ちを伝えられないっていうか。照れくさいから、花に思いを込めて相手に送ったり……」
「思い?」
「花言葉ですよ。ガーベラには崇高な美。カトレアには優雅な女性。胡蝶蘭にはあなたを愛します。」
「いろんな意味があるんすね……。」
「まぁ、それが彼女に伝わってるかは分からないですが……」
「女子はストレートに言ってもらった方が嬉しいと思うっすけど」
確かにそうだろう、しかし、本当に愛する人には素直に気持ちを伝える事が出来ない。それが男という生き物なのではなかろうか。
「でも、今になって自分の気持ちがきちんと伝わっていたか。それが分からなくて後悔するんだから、救えないですね。」
そう呟いた庭師の声は自分でも驚くくらい悲壮感に満ちていた。
「あんたは、何で鬼兵隊に入ったんっすっけ?」
「まぁ、よくある話ですよ。横暴な天人に村ごと襲われて、親も友達も、彼女も、腹にいた子も……皆、見捨てて無様に生き残ったって感じです。」
本当によく聞く話だ。素人の小説でももっと奇抜な境遇を思いつくのではなかろうか。
「そうっすか……」
また子様はそう言ったきり、同情の言葉も励ましの言葉もかけはしなかった。
「だけどまぁ、鬼兵隊に入っても庭師やれてるんで、その点また子様には感謝してますけどね。」
重苦しく感じる空気を変えようと庭師は笑った。
「……辛くないんすか?庭師、やってて。」
「?」
「昔を思い出したりはしないんすか?」
「……まぁ、しますけど。どうしようもないんで。」
泣いたって嘆いたって、戻って来やしない。そうして悲しみに日々が沈んでいくのであれば、それはとても勿体ないことだろう。彼女にはもう見れない朝日を、自分がたっぷり堪能してやるのが一つの供養の形だと庭師は考えている。
(何とも自分勝手な話だがな。)
庭師が心の内で自嘲していると、
「そうっすよね。死んだ奴のこと、いつまでも思ってるなんてばかみたいっすよね」
明るい声で努めてはいるが、隠し切れないくらいにまた子様は悲しそうだった。
「また子様にも、そういう人が居たんですか。」
我ながらなんて酷な質問だろうと思った。
「別に付き合ってたとかそんなんじゃないっす。あっちが一方的に……自分だってそんな風に思ってた
わけじゃなくて……あんな奴だれが……。」
纏まらない言葉を吐いていく様子は乙女そのものに見えた。
「別にそんなんじゃなかったっす。」
そう否定してみせた彼女に、
「そうですか。」
とだけ返した。
「何で、この庭園を作ったんですか?」
今なら何でも聞ける気がした。ほんの少し調子に乗っていたのかもしれない。悲壮に満ちた空気に酔っていたのかもしれない。
「……奴に頼まれたんすよ。999本の薔薇を私にやるから、もし帰ってこなかったら自分で育てろって」
「え」
「おかしいと思わないっすか?なんで贈る相手に育てさせるんすか?ていうかそんなこと言うなら意地でも帰ってきて育てろってんすよ。てか、何で999なんて半端な数字なんすか。もう意味わかんないっす」
「……。」
庭師には、なんとなくその彼の気持ちが分かった気がした。大切な人に真正面に気持ちを伝えられないその気持ちが。
(やっぱり彼女にも、伝わってなかったかもなぁ……)
己の昔の所業も彼女には伝わっていなかったのかもしれない。
目の前のまた子様を見てそう思った。
花言葉という物は知らなければ分からない。ましてや、999本とこんなマイナーな意味など、別段花が好きなわけでもないまた子様には伝わらないだろう。それを承知で贈ったのか。最期となるかもしれないのに?また子様の気持ちを彼は知らなかったのだろうか。
(ここまでくるとただの自己満足だろうに……)
いつか万斉様が屑と言った事を思い出した。なるほど確かにそうかもしれない。
これを伝えてやるかどうか迷った。知らぬが仏とはよく言ったもんだが、花に思いを込めた男どうし。その思いを報いってやりたいと思った。
「また子様、薔薇の花言葉を知っていますか?」
ぱちんっと音を立てて994本目の花を摘んだ。また子様に差し出せば、瓶の中に挿してくれる。
「知ってるっすよ。愛っすよね。」
ぱちんっ
「赤い薔薇の花言葉は確かに愛です。でも、薔薇っていうのは面白くって。贈る本数にも意味があるんです。」
ぱちんっ
「贈る……本数?」
ぱちんっ
「3本だったら「愛しています」「告白」。11本であれば「最愛」。100本だったら「100%の愛」。101本だったら「これ以上無いほど愛しています」。365本は「あなたが毎日恋しい」。これだけじゃなくて、他にもあります。」
ぱちんっ
「……それって、999本の意味も……」
「ありますよ……」
「……どんな……意味っすか…………?」
恐る恐るといった様子で彼女は尋ねた。その姿があまりにもか細くて、人を一人平然と殺せる人物とは思えないほどだ。
しかし、これを伝えるのはあまりに酷ではないだろうか。庭師はそう思って二の足を踏んだ。
「ねぇ、教えて。」
それでも、と頼まれたから庭師は、
ぱちんっと999本目の薔薇をまた子に差し出した。
『______________。』
ぱさりと乾いた音を立てて薔薇が落ちた。
それから誰もが、何もかもが、黙りこくった。
「……へぇ…………」
また子は一点を見つめたまま、乾いた声を漏らした。
それから微動だにしない。
庭師も、身じろぎ一つ、しなかった。
「馬鹿なんすね。やっぱ、」
溢した声に庭師は応えられない。応えるべきではないと思った。
「生まれ変わっても、って。」
ふはは、と小さく笑った。
「あんたの来世なんて知ったこっちゃないっすよ。あんたみたいな馬鹿、来世でもなんてお断りっす。来世こそは晋助様と幸せになりたいっす。お前なんかじゃなくて、晋助様を好きになるっす……お前、なんかぁ、」
ぽろりと堪えきれない涙が落ちて行ったのを見た。それから庭師は地面を見た。彼女の泣き顔を見てはいけない気がしたし、見ていられなかった。
「来世ってなんすかぁ、自分は、自分は、いま、生きてんのに……いま、隣にいなきゃぁ、意味ないじゃないっすか」
ぼろりぼろりと想いが溢れた。
彼が死んだとき、やっぱりか。という落胆こそあれど、涙なんて流れなかった。あまりに薄情な自分に本当に彼を愛していたのか疑う時もあった。もう死んだことを理由に散々に貶してはいたが、それも彼を喪った事実を受け取りたくない感情の裏返しだったのかもしれない。
何よりこうして、彼の遺言通りに好きでもない薔薇など育てているのだ。少しでも縋りたかったのだろう。彼がまた子の下に残した、ほんの小さな想いの欠片を。彼に愛されていたと言う証を。命が雑草のように簡単に摘まれていくこの世界で、命が虫のように簡単に潰されていく世界で。彼に愛されていたという小さな証。それがこの小さな庭園。少しでも彼の生前の景色に浸りたくって、作った小さな庭園。彼が隣に居たこと。彼が愛してくれたこと。
彼女はこんなにも、彼が生きていた頃を想って、彼が生きている内にもっと気持ちを伝えて置ければと悔やんでいるというのに。彼は、死に逝く直前に999本の薔薇を送る事に決めた。彼は彼女を愛することを諦めたのか。戻ってきたら、来世になったら。なんて曖昧で不確かなのか。彼女の為に何がなんでも生き延びてやる。そういう気概はなかったのか。それとも、彼女と同等、それ以上に大切な物でもあったのか。
(どうだったのか、俺には分からないけど……)
「今、隣に居て欲しいんす……今……手を握って欲しいっす……いま……会いたい……いまじゃなきゃ……意味ないじゃないっすか……ばかぁ……____」
しゃがみこんで啜り泣く彼女の小さな声を聞いて
(なんて最低な野郎なんだろう……。)
顔も見たことのない彼にそう毒づいた。
彼女に受け取られることなく、地面に落ちたままの無い999本目の薔薇が、どうしようもなく醜く見えた。