【短編】鬼兵隊【五人】
こちらから名前を入力下さい
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「おい……。」
ゆさゆさと緩やかに身体が揺すられる。
「起きろって……」
覚醒してきた意識が周りの空気を感じる。
一人の男が己の側に居る。
そう彼が認識している間にも身体は揺すられている。
腰に何かが当たっている。
いや、踏まれている。
側の男に腰を踏まれ、そこから身体を揺すられている。
その事実に気づいた時、良い気は当然しない。
「おい、さっさと起きろ。」
その足が誰のモノかということも声から推測できた。
その男の足だと気づけばその嫌悪感は加速する。
「おい……」
声をかけてくる男の声が、聞くからに苛立ちを滲ませているのを感じ取っては、このまま寝たふりでもしてやろうかと、悪戯心にも似た嫌がらせを思い付いては、子供のように狸寝入りと再び瞼を閉じてみる。
「ちっ……」
鬱陶し気な舌打ちが聞こえると体の揺れが収まる。腰に置かれた足も消えた。
次はどう出る?なんて、我ながらバカらしいなんて想いながら、相手の目が見えないことを良いことに瞼をちらりと開けてみれば、
キラッと光を受けて輝いた刃が目に入った。
__ガンッ!!!
目の前の床に、刀の切っ先が僅かに食い込む。
反射に近い反応で首をずらしていなかったら、こめかみに、きっと深々と突き刺さっていただろう。
「危ないでござるな~」
極めて冷静な心持ちで声を出す。
似蔵は勿論、万斉が素直に串刺しになるなんて思っていない。
「ふん、起きてたんだろ。」
ばれたか、なんて可笑しくもないのに笑ってみれば、さっさと起きろと不機嫌そうに脇腹に蹴りを入れられる。
何てことない人斬り達の戯れだ。
さてと、と立ち上がれば似蔵と向かい合う形になる。
背には三味線が背負われており安心の安定感だ。
似蔵の背景はどうも見たことのない部屋だ。
真っ白で正方形のそんなに広くない部屋。
「あんたここどこか知ってかい?」
「いいや、主こそ。」
「あったら聞かないさね。」
二人とも見覚えが無い部屋に一体何故。
最後の記憶を辿ってみれば、なるほど、一仕事終えて帰還した後の記憶が抜け落ちている。
「ふむ、一仕事し終えた後、何かあったのでござろうな」
「なんだい、あんたも覚えてないのかい?」
「仕事を終えた後の記憶を覚えておらぬ。」
「若いのにねぇ」
「そういう主は…………覚えてるわけござらんか。」
「おい」
ここでじゃれあっても仕方がないと、部屋を見回す。
「あんたより先に起きてたから部屋を見てたんだがね、どうもあそこの扉一枚あるだけみたいでね。」
そう言って指差す似蔵の方には一枚の扉が壁にあった。
「どうも開かないようだけどね。」
その声を聞きながら扉に近づくと、どうも扉には一枚の板が貼り付けられている。
そこには、
【ハグしないと出られない】
そう書いてあった。
何を言っているのだこの扉は。
訳が分からぬとドアノブを捻るが回らない。
鍵穴も見当たらない。
かなりの力で蹴ってみるがびくともしない。
ならばと背の三味線に手がのびる。
「無駄だよ、もう試した。」
万斉の様子を見た似蔵がそう言ってきた。
信じられないかい?と尋ねると腰の柄に手をかけて閃光一線。
確かに万斉でも漸く見える居合いは扉を捉えた。
しかし、斬れるどころか傷一つ見当たらない。
「ふむ、ならばこれの言う通りハグをするしかないのか。」
「ん、何だって?」
似蔵は盲目。
扉に書かれた文字は知らなかったようだ。
「この扉には板が張り付けてあってこのように書かれておる。【ハグしないと出られない】、と。」
「なんだそりゃ。」
万斉が読み上げてみると似蔵は困惑の声をあげる。
「しかし、何故拙者が主なんかと……」
「おい、河上。」
「なんでござる?」
男同士で何故抱き合わないといけないのか、河上が頭を抱えていると似蔵から声がかかる。
文句ならば自分が言いたいところだと半ば睨むように返せば、
「はぐって何だい?」
「…………………。」
返ってきたのは予想と斜め上の質問。
「そういえば主はカタカナに弱かったでござるな。」
「きすとかちゅーとかは知ってるよ。」
「おっさんがちゅーとかマジキモい。」
「斬るよ?」
あまりの事に思わず現代語になってしまった。
しかしこれをどう似蔵に説明したものか。
抱き締め合うことだと説明すれば事足りるモノの。
それを正直に伝えたところで、似蔵が素直にハグを実行するか。
河上とて似蔵とハグがしたい訳ではない。
むしろこんな無彩色なおっさんと抱き合うなんて誰が望むか。
そしてこの気持ちは似蔵も同じだろう。
ましてや互いに睨み合い、時には対立相手よりも敵愾心を抱く中だ。
何が悲しくて嬉々と抱き合わなければいけないのだろうか。
似蔵の頑固なことだ絶対にハグなどしないだろう。
しかしそれをしなければここから出られないのも事実。
仮に他の出口があったとして、力付くで切り開く事と、少しの嫌悪感を我慢して、ほんの少し抱き着くのと、どちらが要力を必要としないか一目瞭然だ。例え精神的に深い傷を負おうとも。
(少しの我慢だ。)
そう言い聞かせて自身を納得させれば、次はどう似蔵を誤魔化すかだ。
「おい、聞いてんのかい。」
長いこと思考に沈んでいた万斉に痺れを切らしたのか、似蔵が声をかける。
「ハグというのはだな……」
そこまで口に出しては見たが良い嘘が思い付かない。
似蔵の表情を伺えばこちらが次の言葉を発するのを待っている。
(ハグのように身体を密着させる何か……何かないか……。)
「おい、河上、」
似蔵からの催促がかかるも何も思い付かない。
焦りによる感情が似蔵に伝わり嘘だと思案されないか万斉は少しの不安を感じる。
「河上!」
その声に思わず口をついてでたのは、
「ハグとは、互いに向かい合って互いの両肩を着けて腰に手を回して、胸や腰で押し合いへし合いをして、相手の足が一歩でもその場から動いたら敗けという勝負事でござる。」
押し相撲とベアハッグが混じった意味不明の興じ事。
「へぇ、それを俺とあんたで勝負するってことだね。」
「うむ。」
似蔵の様子からどうも万斉の口から出任せを信じているようだった。
(そんな遊び聞いたこともないでござる。似蔵殿、チョロ。)
「それじゃさっさとやってこんなとこ、出るとするかねぇ。」
「そうでござるな。」
実のところを知る万斉は内心、ハグの真似事に蕁麻疹が出そうな思いであったが、仕方無しと疼く皮膚下を抑える。
「しかし、強要されてとは言えあんたと勝負事をするなら負けるわけにはいかないねぇ。」
「そうでござるなー。」
勝手に独りで盛り上がっている似蔵を横目に万斉は精神統一を図る。
似蔵の方は足を肩幅に開いてもう準備は万端のようだ。
(うむ、これはハグであるがハグではない。拙者は似蔵とハグをするのであって、決してハグをするわけではない。)
自身に言い聞かせながら万斉も肩幅に足を開き似蔵に向かい合う。
(しかし、肩を付き合わせて腰に手を回すんだろう?やっぱり体幹が大事かねぇ。)
(何故、このような絵面に……)
睨み合いながら各々思考を巡らした。
(まぁ、何にせよこいつに負けるのは嫌だからねぇ……この部屋を出るためとは言え、本気で行こうかねぇ。)
似蔵の柔らかに閉じられた瞼から殺気にも似た緊張感がその場を包んだ。
(真実を知る拙者はともかく、似蔵殿は本気にしているようだな。)
こんなものはただの遊戯。
しかも万斉の口から出任せから生まれた不可解な遊び。
本来ならバカバカしくて膝裏が緩むが、似蔵の気に当てられると自然と背筋が伸びた。
万斉も無意識に反射に近い性質で殺気を返す。
互いの気がぶつかり合ってはピリッと音を立てる空耳が似蔵に聞こえる。
気を通じたせいか、万斉の内が少し覗けた。
「何か隠してるみたいだね……。」
何故と聞けば勘だと決まったら答えが返ってくるのだろう。
図星を突かれたのも、どこか似蔵が得意気なのも気に入りはしない。
見苦しいなと分かっていてもふん、と鼻を鳴らしてやる。
「まぁ、いい。さっさと勝負つけて帰るさね。」
万斉にとって幸運だったのは、似蔵が深く考えることをしなかったことだ。
「いくでござるよ……」
「いつでも。」
向かい合って後は肩をつけるだけであるが、直ぐには始まらず、互いに見つめ合うばかり。
妙な緊張感が糸を張る。
たかが、遊戯、しかも万斉の口から出任せのだ。
だというのに、似蔵に本物の気を当てられるとこちらも腰が入るのであるから不思議なものだ。
今から殺し合いでもするかのような圧迫感にも似た緊張が場に満ちる。
「……」
「……」
きっかけは何か、外部からの干渉が無いこの部屋。きっと互いに通ずる何かが起こったのだろう。
どちらともなく前傾に肩をつきだし相手の腰に手を回した。
互いに互いを支えるような姿勢となってこれからどう出るか。互いの気が最も磨がり敏感になっている。
そんなとき、
__カチャン……
気の抜ける音がドアから聞こえた。
二人してそちらを見やれば、ドアは大きく開いていた。
二人とも削がれた気持ちで暫く見ていたが、先に万斉が体勢を直し似蔵から離れる。
「開いたで、ござるな……」
すっかり自分の捏造したハグという遊びで似蔵と勝負をと意気込んでいた身からすれば酷く拍子抜けの思いであった。
(確かにハグの条件は満たされたでござるな……)
万斉の作ったハグとは上半身を密着させて腰に手を回すところから始まる。
一般的にハグと呼ばれる行為と同じではないだろうか。
あのドアが一体何をもってハグとしているのかは不明であったが、恐らく身体を密着させ腰に手を回せば良かったのだろう。
何にせよ出られるのだ。
それで良いだろうと万斉は部屋を出ようとする。
「おい、どこいくんだい?」
「む?ドアが開いたでござるよ、さっさと出るでござる。」
一体何を言っているのかと万斉が進もうとすると、
「まだ、ハグは終わっちゃいないだろう?」
「しかし、もうドアは開いた。これ以上は必要なかろう?」
「逃げるのかい?」
何故頑なに似蔵はハグの続きを望むのか。
どんな勝負事であろうと万斉が相手であるならばキチンと決着を着けておきたいのだろう。
だるまさんが転んだだろうが叩いて被ってじゃんけんぽんだって、いつでも似蔵はそうであった。
「……。」
正直のところを言えばハグなどという万斉作の遊びは体を密着させて行うものだ。
遊びの過程故だと思えばそこまで嫌うこともないのだが、その遊びは誤魔化しのための仮りそめ。実を言えばただのハグになる。
ぞわっと抑えた疼きが感覚をくすぐった。
「とりあえず、ここを出るのが先決であろう」
そう言うと半ば逃げるようにドアに向かった。後ろで似蔵が何か言った気がしたが、気にせずその戸を潜った。
真っ白に意識も視界も塗りつぶされた。
「先輩?」
聞きなれた声に引き寄せられた。
目の前の景色を認識する。
金髪の女が万斉覗き込んでいた。
「……。」
あのドアから出て、直ぐの事だったような気もするし暫く何処かを彷徨っていた気もする。
「どうしたんすか?こんなとこでボーッとして。」
「いや、……。」
また子が不思議そうに首を傾げる背景は見慣れた木造の壁。
アジトと呼んでいる鬼兵隊の隠れ家だ。
先程の出来事は一体何だったのか。
何とも不思議な出来事もあったものだと不可解な出来事のまま懐に仕舞うこともできるのだ。が、もしこれが敵方の影響であったのであれば。
(一応、武市に報告しとおくべきか……。)
「ん、どこ行くんす?」
「ちと、武市のとこにな。」
「あぁ、ここ数時間姿が見えなかったのはどこかに仕事でもしに行ってたんすか。」
「む、数時間?」
ふっと時計を見れば、最後に見た時刻から長い時間が過ぎていた。
あの空間ではそんな何刻という長い時を過ごした覚えはない。
万斉が首を捻っていると、
「先輩どうしたんすか?」
「ん、いや、何でもござらん。」
万斉の歯切れの悪い返事にまた子は訝しげな視線を送る。
「自分もちょっと武市先輩に用があるんで、一緒するっす。」
「そうか、」
そう返事をして立ち上がったのだが、どう説明したものかと武市の部屋へ向かう途中にずっと考えていたものだから、また子は更に万斉を勘繰った。
「武市先輩、入るっすよ。」
顔をあげれば何時の間にやら武市下へ。
考え事にのめり過ぎたか、まだ頭が覚醒しきっていないのか。
「どうぞ。」
扉の向こうから武市の声が聞こえた。
また子に続いて自身も入る。
「おや、万斉さんいらしてたのですね。」
「うむ……」
机に向かいペンを走らす武市の開口一番に気の無い返事を返す。
「私との約束を忘れて一体何をしてらしたので?」
約束?
万斉は妙に火照った思考で記憶を辿れば
「あ、」
「その様子であれば、忘れていたようで」
「マジっすか、先輩。」
思わず漏れた声に二人が呆れた様子を見せる。
確かに武市との約束はあった。しかもその時刻はとっくに過ぎていた。
「実はその事なのだが__」
妙な出来事に遇ったと説明しようとすると、
「おや、こんなとこにいたのかい。」
背後から扉の開閉音と共にやって来たのは、
「ノックぐらいしてはどうですか、岡田さん。」
「ふん、固いこと言うなよ…」
武市といつもの如く言い合う似蔵の様子は別段変わった様子がない。
もしあれが現実であれば似蔵も同じ体験をしていたはずなのであるが。
やはりあれは夢であったのか。
「ん。」
意図せず見つめていた万斉の視線に気付き似蔵が万斉の目の前にやって来る。
「あんた何でさっきはさっさと行っちまったんだい?」
そう不満気に万斉を睨んだ。
さっきというのは例のハグの部屋の件であろうか。
ここで下手に口を出してはボロが出そうで万斉は確信が得られるまで黙っていた。
「さっきって何すか?」
「ちょっとこいつとね、ある部屋で二人っきりになってね。」
(話すのでござるか……!?)
確かに万斉も武市に話すつもりではあったモノの、何の前置きもなくそんな軽く言ったって疑われるだけだ。
ましてや似蔵とハグを強要されたこと、似蔵がハグを知らぬことを良いことに散々捏造を聞かせたこと。知られたくない事だらけで万斉にとって隠したい事ばかりな訳で。
「似蔵殿、その話は……」
我ながら愚策だとは思うが、武市らの目の前で似蔵を制止する。
「何でだい?」
「いいから。」
「何すか?」
当然また子が興味を持たないわけもなく。
「なんだい、お前さんまだ途中だったろ?やることもやらずに終われってのかい?」
「そうは言っておらぬ。」
「やることって何すか?」
「聞かぬ方が良いかと……。」
やろうと迫る似蔵を宥め聞き迫るまた子を抑え万斉は手一杯であった。
武市も手は止めていないが耳はしっかりこちらに向いている。
「手ぇ出して来たのはそっちだろ?最後までやりきらないと俺はすっきりしないままじゃないかい。」
「主のすっきりに付き合う暇は無いでござる。」
「あんたが俺に教えてくれたんだろ?」
「何を?何をっすか?」
「ハグだよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
似蔵の爆弾に誰もが閉口した。
また子の表情は心なしか青い。
万斉の表情は蒼白だ。
何故この一番最悪なタイミングで一番最適な言葉を言うのか。
「まぁ、愛の形は人それぞれと言いますからね……」
咳払いの後、武市が震えた声でそういった。
「違っ」
「うん、別に先輩達が何してようと、うん自分達は仲間っすし……」
否定しようとも明からさまな目線反らしがそれを許さない。
ハグという言葉に部屋で二人っきり。武市の約束を忘れてしまうほどの濃密な時間。無駄に想像力の高いまた子と武市の頭に思い浮かんだ光景は、珍しく少しの吐き気と共に合致した。
「今度、お二人の部屋、同じにしときますね。」
「自分、ちゃんとノックしてから入るっす。」
決して目の合わない二人のいらない気遣いが万斉の心を抉る。
「何を勘違いしておるのか知らぬが、拙者らは!」
「大丈夫っす、自分そういう偏見とか無いタイプなんで、」
「えぇ、私がロリコンのように、貴方方がゲイでも何も問題はありません。」
「ストレートに申すな!ゲイではござらん!!」
万斉が必死に否定すれば否定するほど二人の目には一層、真実味を帯びて見える。
「げいってなんだい?」
カタカナに弱い似蔵空気の読めない発言に万斉の胃は悲鳴をあげる。
「先輩とあんたみたいな関係をそう言うんす。」
「へぇ、俺と河上はげいってことかい。」
「我々は応援致しますので、どうかお二人共頑張ってください。」
「あぁ、俺は河上にハグで勝つんだ。」
「ハグに勝ち負けってあったんすか?」
「お二人ならではのやり方があるのでしょう」
「ははは、ラブラブっすね……」
何とも地獄のような状況に一度、心が折れかけた万斉であったが。
その後、胃を削る思いで経緯を説明し、「そんな嘘を吐いてまで知られたくなかったんすか」と疑い半分の目で見られながらも、何とか誤解を解いた。
そして、今度、似蔵相手にカタカナ用語講座を開こうと独りで決意していた。
ゆさゆさと緩やかに身体が揺すられる。
「起きろって……」
覚醒してきた意識が周りの空気を感じる。
一人の男が己の側に居る。
そう彼が認識している間にも身体は揺すられている。
腰に何かが当たっている。
いや、踏まれている。
側の男に腰を踏まれ、そこから身体を揺すられている。
その事実に気づいた時、良い気は当然しない。
「おい、さっさと起きろ。」
その足が誰のモノかということも声から推測できた。
その男の足だと気づけばその嫌悪感は加速する。
「おい……」
声をかけてくる男の声が、聞くからに苛立ちを滲ませているのを感じ取っては、このまま寝たふりでもしてやろうかと、悪戯心にも似た嫌がらせを思い付いては、子供のように狸寝入りと再び瞼を閉じてみる。
「ちっ……」
鬱陶し気な舌打ちが聞こえると体の揺れが収まる。腰に置かれた足も消えた。
次はどう出る?なんて、我ながらバカらしいなんて想いながら、相手の目が見えないことを良いことに瞼をちらりと開けてみれば、
キラッと光を受けて輝いた刃が目に入った。
__ガンッ!!!
目の前の床に、刀の切っ先が僅かに食い込む。
反射に近い反応で首をずらしていなかったら、こめかみに、きっと深々と突き刺さっていただろう。
「危ないでござるな~」
極めて冷静な心持ちで声を出す。
似蔵は勿論、万斉が素直に串刺しになるなんて思っていない。
「ふん、起きてたんだろ。」
ばれたか、なんて可笑しくもないのに笑ってみれば、さっさと起きろと不機嫌そうに脇腹に蹴りを入れられる。
何てことない人斬り達の戯れだ。
さてと、と立ち上がれば似蔵と向かい合う形になる。
背には三味線が背負われており安心の安定感だ。
似蔵の背景はどうも見たことのない部屋だ。
真っ白で正方形のそんなに広くない部屋。
「あんたここどこか知ってかい?」
「いいや、主こそ。」
「あったら聞かないさね。」
二人とも見覚えが無い部屋に一体何故。
最後の記憶を辿ってみれば、なるほど、一仕事終えて帰還した後の記憶が抜け落ちている。
「ふむ、一仕事し終えた後、何かあったのでござろうな」
「なんだい、あんたも覚えてないのかい?」
「仕事を終えた後の記憶を覚えておらぬ。」
「若いのにねぇ」
「そういう主は…………覚えてるわけござらんか。」
「おい」
ここでじゃれあっても仕方がないと、部屋を見回す。
「あんたより先に起きてたから部屋を見てたんだがね、どうもあそこの扉一枚あるだけみたいでね。」
そう言って指差す似蔵の方には一枚の扉が壁にあった。
「どうも開かないようだけどね。」
その声を聞きながら扉に近づくと、どうも扉には一枚の板が貼り付けられている。
そこには、
【ハグしないと出られない】
そう書いてあった。
何を言っているのだこの扉は。
訳が分からぬとドアノブを捻るが回らない。
鍵穴も見当たらない。
かなりの力で蹴ってみるがびくともしない。
ならばと背の三味線に手がのびる。
「無駄だよ、もう試した。」
万斉の様子を見た似蔵がそう言ってきた。
信じられないかい?と尋ねると腰の柄に手をかけて閃光一線。
確かに万斉でも漸く見える居合いは扉を捉えた。
しかし、斬れるどころか傷一つ見当たらない。
「ふむ、ならばこれの言う通りハグをするしかないのか。」
「ん、何だって?」
似蔵は盲目。
扉に書かれた文字は知らなかったようだ。
「この扉には板が張り付けてあってこのように書かれておる。【ハグしないと出られない】、と。」
「なんだそりゃ。」
万斉が読み上げてみると似蔵は困惑の声をあげる。
「しかし、何故拙者が主なんかと……」
「おい、河上。」
「なんでござる?」
男同士で何故抱き合わないといけないのか、河上が頭を抱えていると似蔵から声がかかる。
文句ならば自分が言いたいところだと半ば睨むように返せば、
「はぐって何だい?」
「…………………。」
返ってきたのは予想と斜め上の質問。
「そういえば主はカタカナに弱かったでござるな。」
「きすとかちゅーとかは知ってるよ。」
「おっさんがちゅーとかマジキモい。」
「斬るよ?」
あまりの事に思わず現代語になってしまった。
しかしこれをどう似蔵に説明したものか。
抱き締め合うことだと説明すれば事足りるモノの。
それを正直に伝えたところで、似蔵が素直にハグを実行するか。
河上とて似蔵とハグがしたい訳ではない。
むしろこんな無彩色なおっさんと抱き合うなんて誰が望むか。
そしてこの気持ちは似蔵も同じだろう。
ましてや互いに睨み合い、時には対立相手よりも敵愾心を抱く中だ。
何が悲しくて嬉々と抱き合わなければいけないのだろうか。
似蔵の頑固なことだ絶対にハグなどしないだろう。
しかしそれをしなければここから出られないのも事実。
仮に他の出口があったとして、力付くで切り開く事と、少しの嫌悪感を我慢して、ほんの少し抱き着くのと、どちらが要力を必要としないか一目瞭然だ。例え精神的に深い傷を負おうとも。
(少しの我慢だ。)
そう言い聞かせて自身を納得させれば、次はどう似蔵を誤魔化すかだ。
「おい、聞いてんのかい。」
長いこと思考に沈んでいた万斉に痺れを切らしたのか、似蔵が声をかける。
「ハグというのはだな……」
そこまで口に出しては見たが良い嘘が思い付かない。
似蔵の表情を伺えばこちらが次の言葉を発するのを待っている。
(ハグのように身体を密着させる何か……何かないか……。)
「おい、河上、」
似蔵からの催促がかかるも何も思い付かない。
焦りによる感情が似蔵に伝わり嘘だと思案されないか万斉は少しの不安を感じる。
「河上!」
その声に思わず口をついてでたのは、
「ハグとは、互いに向かい合って互いの両肩を着けて腰に手を回して、胸や腰で押し合いへし合いをして、相手の足が一歩でもその場から動いたら敗けという勝負事でござる。」
押し相撲とベアハッグが混じった意味不明の興じ事。
「へぇ、それを俺とあんたで勝負するってことだね。」
「うむ。」
似蔵の様子からどうも万斉の口から出任せを信じているようだった。
(そんな遊び聞いたこともないでござる。似蔵殿、チョロ。)
「それじゃさっさとやってこんなとこ、出るとするかねぇ。」
「そうでござるな。」
実のところを知る万斉は内心、ハグの真似事に蕁麻疹が出そうな思いであったが、仕方無しと疼く皮膚下を抑える。
「しかし、強要されてとは言えあんたと勝負事をするなら負けるわけにはいかないねぇ。」
「そうでござるなー。」
勝手に独りで盛り上がっている似蔵を横目に万斉は精神統一を図る。
似蔵の方は足を肩幅に開いてもう準備は万端のようだ。
(うむ、これはハグであるがハグではない。拙者は似蔵とハグをするのであって、決してハグをするわけではない。)
自身に言い聞かせながら万斉も肩幅に足を開き似蔵に向かい合う。
(しかし、肩を付き合わせて腰に手を回すんだろう?やっぱり体幹が大事かねぇ。)
(何故、このような絵面に……)
睨み合いながら各々思考を巡らした。
(まぁ、何にせよこいつに負けるのは嫌だからねぇ……この部屋を出るためとは言え、本気で行こうかねぇ。)
似蔵の柔らかに閉じられた瞼から殺気にも似た緊張感がその場を包んだ。
(真実を知る拙者はともかく、似蔵殿は本気にしているようだな。)
こんなものはただの遊戯。
しかも万斉の口から出任せから生まれた不可解な遊び。
本来ならバカバカしくて膝裏が緩むが、似蔵の気に当てられると自然と背筋が伸びた。
万斉も無意識に反射に近い性質で殺気を返す。
互いの気がぶつかり合ってはピリッと音を立てる空耳が似蔵に聞こえる。
気を通じたせいか、万斉の内が少し覗けた。
「何か隠してるみたいだね……。」
何故と聞けば勘だと決まったら答えが返ってくるのだろう。
図星を突かれたのも、どこか似蔵が得意気なのも気に入りはしない。
見苦しいなと分かっていてもふん、と鼻を鳴らしてやる。
「まぁ、いい。さっさと勝負つけて帰るさね。」
万斉にとって幸運だったのは、似蔵が深く考えることをしなかったことだ。
「いくでござるよ……」
「いつでも。」
向かい合って後は肩をつけるだけであるが、直ぐには始まらず、互いに見つめ合うばかり。
妙な緊張感が糸を張る。
たかが、遊戯、しかも万斉の口から出任せのだ。
だというのに、似蔵に本物の気を当てられるとこちらも腰が入るのであるから不思議なものだ。
今から殺し合いでもするかのような圧迫感にも似た緊張が場に満ちる。
「……」
「……」
きっかけは何か、外部からの干渉が無いこの部屋。きっと互いに通ずる何かが起こったのだろう。
どちらともなく前傾に肩をつきだし相手の腰に手を回した。
互いに互いを支えるような姿勢となってこれからどう出るか。互いの気が最も磨がり敏感になっている。
そんなとき、
__カチャン……
気の抜ける音がドアから聞こえた。
二人してそちらを見やれば、ドアは大きく開いていた。
二人とも削がれた気持ちで暫く見ていたが、先に万斉が体勢を直し似蔵から離れる。
「開いたで、ござるな……」
すっかり自分の捏造したハグという遊びで似蔵と勝負をと意気込んでいた身からすれば酷く拍子抜けの思いであった。
(確かにハグの条件は満たされたでござるな……)
万斉の作ったハグとは上半身を密着させて腰に手を回すところから始まる。
一般的にハグと呼ばれる行為と同じではないだろうか。
あのドアが一体何をもってハグとしているのかは不明であったが、恐らく身体を密着させ腰に手を回せば良かったのだろう。
何にせよ出られるのだ。
それで良いだろうと万斉は部屋を出ようとする。
「おい、どこいくんだい?」
「む?ドアが開いたでござるよ、さっさと出るでござる。」
一体何を言っているのかと万斉が進もうとすると、
「まだ、ハグは終わっちゃいないだろう?」
「しかし、もうドアは開いた。これ以上は必要なかろう?」
「逃げるのかい?」
何故頑なに似蔵はハグの続きを望むのか。
どんな勝負事であろうと万斉が相手であるならばキチンと決着を着けておきたいのだろう。
だるまさんが転んだだろうが叩いて被ってじゃんけんぽんだって、いつでも似蔵はそうであった。
「……。」
正直のところを言えばハグなどという万斉作の遊びは体を密着させて行うものだ。
遊びの過程故だと思えばそこまで嫌うこともないのだが、その遊びは誤魔化しのための仮りそめ。実を言えばただのハグになる。
ぞわっと抑えた疼きが感覚をくすぐった。
「とりあえず、ここを出るのが先決であろう」
そう言うと半ば逃げるようにドアに向かった。後ろで似蔵が何か言った気がしたが、気にせずその戸を潜った。
真っ白に意識も視界も塗りつぶされた。
「先輩?」
聞きなれた声に引き寄せられた。
目の前の景色を認識する。
金髪の女が万斉覗き込んでいた。
「……。」
あのドアから出て、直ぐの事だったような気もするし暫く何処かを彷徨っていた気もする。
「どうしたんすか?こんなとこでボーッとして。」
「いや、……。」
また子が不思議そうに首を傾げる背景は見慣れた木造の壁。
アジトと呼んでいる鬼兵隊の隠れ家だ。
先程の出来事は一体何だったのか。
何とも不思議な出来事もあったものだと不可解な出来事のまま懐に仕舞うこともできるのだ。が、もしこれが敵方の影響であったのであれば。
(一応、武市に報告しとおくべきか……。)
「ん、どこ行くんす?」
「ちと、武市のとこにな。」
「あぁ、ここ数時間姿が見えなかったのはどこかに仕事でもしに行ってたんすか。」
「む、数時間?」
ふっと時計を見れば、最後に見た時刻から長い時間が過ぎていた。
あの空間ではそんな何刻という長い時を過ごした覚えはない。
万斉が首を捻っていると、
「先輩どうしたんすか?」
「ん、いや、何でもござらん。」
万斉の歯切れの悪い返事にまた子は訝しげな視線を送る。
「自分もちょっと武市先輩に用があるんで、一緒するっす。」
「そうか、」
そう返事をして立ち上がったのだが、どう説明したものかと武市の部屋へ向かう途中にずっと考えていたものだから、また子は更に万斉を勘繰った。
「武市先輩、入るっすよ。」
顔をあげれば何時の間にやら武市下へ。
考え事にのめり過ぎたか、まだ頭が覚醒しきっていないのか。
「どうぞ。」
扉の向こうから武市の声が聞こえた。
また子に続いて自身も入る。
「おや、万斉さんいらしてたのですね。」
「うむ……」
机に向かいペンを走らす武市の開口一番に気の無い返事を返す。
「私との約束を忘れて一体何をしてらしたので?」
約束?
万斉は妙に火照った思考で記憶を辿れば
「あ、」
「その様子であれば、忘れていたようで」
「マジっすか、先輩。」
思わず漏れた声に二人が呆れた様子を見せる。
確かに武市との約束はあった。しかもその時刻はとっくに過ぎていた。
「実はその事なのだが__」
妙な出来事に遇ったと説明しようとすると、
「おや、こんなとこにいたのかい。」
背後から扉の開閉音と共にやって来たのは、
「ノックぐらいしてはどうですか、岡田さん。」
「ふん、固いこと言うなよ…」
武市といつもの如く言い合う似蔵の様子は別段変わった様子がない。
もしあれが現実であれば似蔵も同じ体験をしていたはずなのであるが。
やはりあれは夢であったのか。
「ん。」
意図せず見つめていた万斉の視線に気付き似蔵が万斉の目の前にやって来る。
「あんた何でさっきはさっさと行っちまったんだい?」
そう不満気に万斉を睨んだ。
さっきというのは例のハグの部屋の件であろうか。
ここで下手に口を出してはボロが出そうで万斉は確信が得られるまで黙っていた。
「さっきって何すか?」
「ちょっとこいつとね、ある部屋で二人っきりになってね。」
(話すのでござるか……!?)
確かに万斉も武市に話すつもりではあったモノの、何の前置きもなくそんな軽く言ったって疑われるだけだ。
ましてや似蔵とハグを強要されたこと、似蔵がハグを知らぬことを良いことに散々捏造を聞かせたこと。知られたくない事だらけで万斉にとって隠したい事ばかりな訳で。
「似蔵殿、その話は……」
我ながら愚策だとは思うが、武市らの目の前で似蔵を制止する。
「何でだい?」
「いいから。」
「何すか?」
当然また子が興味を持たないわけもなく。
「なんだい、お前さんまだ途中だったろ?やることもやらずに終われってのかい?」
「そうは言っておらぬ。」
「やることって何すか?」
「聞かぬ方が良いかと……。」
やろうと迫る似蔵を宥め聞き迫るまた子を抑え万斉は手一杯であった。
武市も手は止めていないが耳はしっかりこちらに向いている。
「手ぇ出して来たのはそっちだろ?最後までやりきらないと俺はすっきりしないままじゃないかい。」
「主のすっきりに付き合う暇は無いでござる。」
「あんたが俺に教えてくれたんだろ?」
「何を?何をっすか?」
「ハグだよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
似蔵の爆弾に誰もが閉口した。
また子の表情は心なしか青い。
万斉の表情は蒼白だ。
何故この一番最悪なタイミングで一番最適な言葉を言うのか。
「まぁ、愛の形は人それぞれと言いますからね……」
咳払いの後、武市が震えた声でそういった。
「違っ」
「うん、別に先輩達が何してようと、うん自分達は仲間っすし……」
否定しようとも明からさまな目線反らしがそれを許さない。
ハグという言葉に部屋で二人っきり。武市の約束を忘れてしまうほどの濃密な時間。無駄に想像力の高いまた子と武市の頭に思い浮かんだ光景は、珍しく少しの吐き気と共に合致した。
「今度、お二人の部屋、同じにしときますね。」
「自分、ちゃんとノックしてから入るっす。」
決して目の合わない二人のいらない気遣いが万斉の心を抉る。
「何を勘違いしておるのか知らぬが、拙者らは!」
「大丈夫っす、自分そういう偏見とか無いタイプなんで、」
「えぇ、私がロリコンのように、貴方方がゲイでも何も問題はありません。」
「ストレートに申すな!ゲイではござらん!!」
万斉が必死に否定すれば否定するほど二人の目には一層、真実味を帯びて見える。
「げいってなんだい?」
カタカナに弱い似蔵空気の読めない発言に万斉の胃は悲鳴をあげる。
「先輩とあんたみたいな関係をそう言うんす。」
「へぇ、俺と河上はげいってことかい。」
「我々は応援致しますので、どうかお二人共頑張ってください。」
「あぁ、俺は河上にハグで勝つんだ。」
「ハグに勝ち負けってあったんすか?」
「お二人ならではのやり方があるのでしょう」
「ははは、ラブラブっすね……」
何とも地獄のような状況に一度、心が折れかけた万斉であったが。
その後、胃を削る思いで経緯を説明し、「そんな嘘を吐いてまで知られたくなかったんすか」と疑い半分の目で見られながらも、何とか誤解を解いた。
そして、今度、似蔵相手にカタカナ用語講座を開こうと独りで決意していた。
1/3ページ