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【羽とシーツと体温と】ドフロ、コラロ

入ってはいけない部屋がある。
拠点を変えるたびに移り変わるアジト。幾十日も航海する船の中。
そのどれもに、決められた時期の決められた日数の間だけ、決して入ってはいけない部屋があった。
その決まった期間だけ入らなければ良い。それ以外の日なら誰が何度出入りしようが別段問題無いのだが、いつだってファミリーの全員が開かずの扉があるその部屋に近付こうとしなかった。それが暗黙の了解であるかのように。


ベビー5は言った。オバケのお部屋だからよ。その時期にだけオバケが泊まるから、あたしたちが入ったら呪われちゃうの。

ディアマンテは言った。ただの仕置部屋だ。お前みたいな生意気なガキを閉じ込めるためのなァ。

グラディウスは言った。それがファミリーの掟だ。若が決めた規律の一つを、俺達はただ堅く守っているに過ぎない。


聞く奴によってそれぞれ返ってくる答えは違った。けど、そのどれもが本当の答えではないのだろう。きっと、大人の奴らは皆知っている。扉の向こうに何があるのか。
ベビー5や俺みたいな子どもには、大人の奴らはそれを話さない。

何も聞かされないまま、そうしてこの時期がやってきた。
決して扉を開けてはいけない、決して近付いてはいけない、開かずの部屋が現れる奇妙で不吉な数日間。
いつもと同じようで、いつもと何か少し違う日常を、俺は胸の裏側をざらりと撫でられるような不穏な感覚を味わいながら過ごす。


閉め切られた、開かずの扉を視界の端にとどめながら。







鍵を挿し、重たい音を立てて施錠を開ける。
軋むドアを押し開けて、一歩また一歩と靴音を立てながら部屋の奥へ足を進めた。何日も空気を入れ替えていない上に、閉め切ったカーテンが外の明かりを尽く遮っているせいで、中の空気は酷く淀んでいた。
陶磁器の食器を収めた棚。アンティークの本棚。モダンで上質な文机。天井を彩る繊細なシャンデリア。シックでいて上品な家具を揃えても尚有り余る広さの寝室だというのに、それでもそこには部屋に入る者を圧迫するような息苦しさがあった。だがそれは所詮普通の人間が抱く印象でしかない。
寝室に渦巻く不穏な空気などものともせず、ドフラミンゴは淀みない足取りで部屋の奥へと歩み、中央に鎮座するベッドの傍に佇んだ。位置にして、足側だろうか。
キングサイズのベッドのシーツが不自然にこんもりと盛り上がっている。人が膝を抱えて頭から被れば丁度こんな小山ができるだろうが、それにしては一回り以上山が大きい。ドフラミンゴ程の体格の人間がこうしてリネンに身をくるませて蹲る者など、この屋敷において一人しかいなかった。

「調子はどうだ、コラソン?」

笑みを隠すことなく滲ませて、ドフラミンゴはシーツの山に向けて尊大に訪ねた。
返事は無い。

「…まぁ、良い訳ないだろうなァ?」

ベッドの端の方に無造作に脱ぎ捨てられた黒い羽コートと、窓を覆った重たい遮光カーテンを見遣る。

「気付いていたか?お前がこの部屋に閉じこもって、もう三日目になる」
「……………」
「その間、お前は何も口にしていない。まァ、そこの窓から抜け出して外で『食事』をしていたというのなら別だが?」

窓を開けた形跡が無いことくらい一見してすぐに分かったが、ドフラミンゴは敢えてシーツの中に閉じ籠る弟を煽った。
聞く者の神経を逆撫でる笑い声を上げれば、案の定。光を遮った薄暗がりの中で暗いシルエットを描くシーツの山がもぞりと蠢いた。…かと思えば、更に縮こまってまるで何かから耐える様に苦しげに震え、やがてシーツの中からバリバリと布を掻く不気味な音が聞こえてきた。

「……フッフッフ、お前がそうやって耐えていられるのもいつまでだろうなァ?俺は別に構わねぇぞ、今すぐにこの部屋から出て好きなだけ『食事』をしても」

言葉を重ねるたび、弟の苛立ちが怒りの興奮へと移り変わる。それに連なって小刻みに震えていたシルエットも獰猛な呼気を繰り返すようになり、その様はさながら棲家から虎視眈々と獲物を狙う飢えた獣のようだった。
明らかに危険な空気を纏い始める弟に、だがしかしドフラミンゴは戸惑うことなくむしろそれを楽しんでいるかのように口端を吊り上げて眺めていた。

「ローが勘付き初めている」

唐突に告げた名に、目の前の陰がピタリと動きを止める。
微かに理性を取り戻したのだろう、息を飲んでドフラミンゴの言葉にじっと耳を傾けているのが分かり、ますます悦が深まる。

「聡いことだ。しきりにこの部屋のことを聞いて回っているみたいだが、いつ好奇心が勝ってここに来るか」
「………………」
「フッフッフ…。ローが今のお前の姿を見たら、どんな顔をするだろうなァ?」

見えるもの全てを壊したがるほど精神が破綻したガキだ。まず怯えることはしないだろう。飽くなき探究心で弟の今の症状を調べようとするところが容易に想像できる。一転して、弱っているようにも見えるこの獣にトドメを刺しにかかるかもしれない。

どの展開になっても興味深いが、弟はローの反応以前に今の己を見られることを何よりも嫌っている。恐らく、その最たる人物がローなのだろう。

「俺は気になって仕方ねぇよ、コラソン。お前の目に、ローがどう映っているかがな」

その時。
頑なに動こうとしなかったシルエットが、おもむろに起き上がった。弟の体格は己とそう大して変わらない。頭では分かっていたのだが、それまでシーツにくるまって小さくなっていたイメージが強く残っている為に、のそりと起き上がった上半身に思った以上に目線を上げることになった。

滑らかな生地の上からでも分かるほどしなやかに隆起した背筋がゆっくりと伸び上がり、静かに振り向く。

部屋の空気が変わった、そんな錯覚がした。

シーツの端が頭に掛かり、中途半端にずれた帽子の下から柔らかに波がかったブロンドの髪が覗く。
その前髪の奥に、暗がりの中で爛々と揺らめく2つの赤い光があった。

「………………」

年に一度、決められた時期の、決められた日数の間だけ姿を表す化物が、目の前にいた。 滴る血が凝縮したような瞳にじっと見据えられ、ドフラミンゴはこの時初めて笑みを消す。
久方ぶりに見る、弟の本来の素顔。道化の化粧という化けの皮が剥がれたその下には、ミカエルのような美しい天使の顔を持った飢えた『狂気』があった。

「……そいつは確かに、ガキには見せられねェツラだな」

そう嘯いて、今度こそ本当に笑ったのだった。
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