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短編


 温かい。
 先ほどから起きなければと思うのに、心地よいまどろみから逃れられないでいる。
 目が覚めてはあまりの心地よさに再び眠るを繰り返して、いったいどのくらい経っただろうか。
 二度寝三度寝を経て、もう寝坊してしまっても構わないとさえ思っている。

 彼女は寝返りを打つと同時に、隣に寝ている紅明にすり寄った。
 こちらを向いて寝ている夫の胸元に額を押し付けると、彼も腕を彼女の背に回す。
 起きているわけではなく、無意識に寝ぼけているらしい。抱き枕代わりに彼女を抱えた紅明は、規則正しい寝息を立てて熟睡していた。
 単越しでも伝わる人肌の温かさと、単調な心臓の鼓動に安心して、彼女も彼にぴたりと体を沿わせる。
 そうして再びまどろみの世界に入り込んでいった。


 はっと気が付いたときには、既に外が随分明るくなっていた。
 紗帳の外から、侍女が主人夫婦を起こすために声をかけたのである。
 窓辺から鳥の鳴き声が聞こえて一気に頭が冴えた。
 隣を見れば、紅明はまだ安らかな寝息を立てて眠っている。彼女を抱き枕代わりにしているのも相変わらずである。

「紅明様、朝でございますわ」

 慌てて起こそうと声をかけるが、夫は全く起きる気配がない。
 体をゆすってもダメ、彼女を抱えている腕を軽くたたいてもダメ。かといって起き上がろうにも、体に回された腕が思いのほか重くて動かせない。今日はいつも以上にしっかり抱えられているらしい。
 それでもなんとか肘をついて上半身だけを起こしながら声をかけた。
 彼の腕の中にいる彼女が体勢を変えたのだから、いくら寝起きの悪い紅明でも気づくはずである。

「紅明様、起きてくださいませ。紅明様」

 案の定、顔をしかめて身じろぎをする。
 すかさず彼女を捕らえている腕を外して、臥牀から滑り降りた。

 窓から差し込む陽の光は、いつも目覚める時間よりも高い位置から室内を照らしている。
 夢うつつに寝坊しても構わないと思ってはいたが、どうやら本当に寝坊をしてしまったらしい。
 着替えを手伝いに姿を現した侍女に身をゆだねつつ臥牀を振り返ると、紗帳の奥では紅明がもぞもぞと蠢いている。
 顔を洗い、口をゆすぎ、髪を梳き、軽くまとめて衣を羽織り、最低限の化粧を手早く済ませて彼女は再び臥牀に戻ってその縁に腰かけた。

「紅明様。いい加減にお目覚めくださいませ。日も随分高うございますわ」

 夫の顔に掛かる紅い髪を除けて、そっと声をかける。
 今しがた侍女にも確認はしたが、今日はそれほど急を要する仕事はないらしい。むしろ、先日から仕事を割り振られていた部下たちが忙しいので、紅明皇子におかれては是非ともたまの休暇を楽しんでいただきたい、と当の部下たちから懇願に近い提案があったという。
 であれば、と彼女はふと考えた。
 普段は多忙を極める夫をこのままゆっくり休ませるか、それとも、久しぶりに二人でのんびりと時間を過ごそうか。
 彼女は迷わず後者を取った。
 もう日は高い。昨夜は二人で一緒に臥牀に入ったのだから、夜更かしもしていない。
 ならば、どちらにせよそろそろ起きてもらわなければ困る。主に部屋付きの女官たちが。
 自分たちがこのまま臥室に留まっていると部屋付きの女官たちが仕事ができなくなるし、なによりせっかく用意された朝食も無駄になる。

「紅明様、紅明様。たまには一緒に花見でもいたしませんか。もう春の花が咲き始めておりますよ。お天気も良くて気持ちの良い日でございますから」

 寝起きの悪い夫の髪を撫でながら根気強く語り掛けていると、不意に紅明が片眼を開けた。

「ま」

 そうしてあっという間に腕を引かれて臥牀の中に引き込まれてしまう。

「もう、紅明様ったら。起きてらしたのですね」

 口を尖らせて文句を言うが、彼は目を細めて彼女を抱きしめながら耳元で囁いた。

「どうやら昨日は遅くまで雨が降っていたようですよ。そんな時に庭になんか出ても、花は地面に落ちてしまっていることでしょう。土もぬかるんで歩きにくいだけです。どうせ今日は急ぎの仕事も会議もありませんし、このままダラダラ過ごしませんか」

「お庭には石畳が敷かれているではありませんか。雨上がりの庭園はまた格別の趣がありますわ。葉の上の雨粒が煌めいているでしょうし、地面に落ちた花もまた風情がありますもの」

「せっかくの休みですよ。わざわざそんな疲れることをせずとも、こうして貴女と語らいあうのもまた一興だと思いますが」

「疲れたら四阿でおいしいお茶とお茶菓子を頂きましょう。ゆっくり座って、景色を楽しみながらお喋りに興じましょう」

「私はあなたと二人きりで話がしたいのに」

「わたくしもですわ。ですから早く起きてくださいまし」

 互いに囁きながら説得し合う。


 時折漏れてくる小さな笑声とささめごとを聞きながら、部屋の外では侍女の一人が、すっかり明るくなった窓の外を見ながら周りに気付かれないようにこっそりため息をついた。
 結局彼らは、昼過ぎまで起きてはこなかった。



 春眠不覚暁
 処処聞啼鳥
 夜来風雨声
 花落知多少

 春の夜の眠りは心地よく、朝が来たのにも気づかなかった
 あちらでもこちらでも鳥が啼くのが聞こえる
 昨夜は一晩中、雨まじりの風が吹いていたが
 花はどれくらい散ってしまっただろうか
 ――孟浩然『春暁』
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