短編
色とりどりの花が咲いている。
「これはまた何とも華やかな」
外国から来た使節団の大使が、顎鬚を撫でながら笑顔になる。
禁城の庭園には牡丹に木蓮、桜など、春の花々が咲き乱れている。
少し前まで庭園を紅白に染めていた梅が散った途端、若葉が萌えて一気に春めいた。
加えて今は、使節団を歓迎するための宴の席で、禁城中の女たちが華やかな装いに身を包んでいる。
今日の彼女は象牙色の襦を対襟にして、緋色の地に紋様を染め抜いた裙と、深緑の地に金刺繍を施した背子を羽織り、腰紐の藍を挿し色にして黄金色の領巾を合わせている。
高く結い上げた髪には八重咲の椿の花を飾り、金の簪から下がる細鎖が涼やかな音を立てていた。
時折、隣に座る紅明から退屈そうな溜息が聞こえてくるが、さっぱりと晴れた空に穏やかな風が吹き、大変気持ちの良い日である。
「紅明様、宴の席ですわよ」
口元を袖で隠してあくびをする紅明をこっそり嗜めると、もそもそと不満気な声で文句を言っている。
「こんな日和に宴をしようというのが間違いなのです」
「まあ」
「こんなところで見え透いた駆け引きをして無為に時間を過ごすくらいなら、鳩に餌でもやっていたほうがましです」
ここでこの宴の有用性を解いても無駄だと思ったので、彼女は苦笑するにとどめる。
外交の必要性は彼もよくわかっているはずだ。
それでも、なにもこんな気持ちの良い日にやらなくてもいいだろうにと思っているのは紅明だけではないらしい。
ちらりと周囲を見渡すと、末席に座る官吏などは先ほどから瞼が半分ほど落ちている。
彼女は箸を取り上げて料理を一つまみ、紅明の口元に持っていく。
彼は一瞬怪訝そうな顔をしていたが、彼女がにこりと笑うとおとなしく口を開けて食べた。
「おいしゅうございますか」
「あなたの作った包子の方がいい」
これは重症だ。せっかく彼の好物のアバレヤリイカの燻製だったのに。
酒を注いだ盃を差し出すと、こちらは素直に飲んだ。
「だめですね。ただでさえ気持ちのいい日なのに、酒が入ると眠くなってしまう」
しかし紅明は眠気を払うように軽く頭を振る。
彼女は 彼の二の腕をさすって宥めた。
「もうしばらく我慢なさいまし。宴が終わればゆっくりできますわ」
中央の舞台では妓女たちによる舞が始まり、大使が上機嫌で笑っていた。
楽の音に合わせて衣装が翻り、花びらを散らせる演出によって宴席をよりいっそう華やかにしている。
特に興味もなさげにそれを眺めていた紅明だが、不意にぽつりとつぶやいた。
「後であなたの琵琶が聞きたいです」
「琵琶でございますか」
「ええ」
彼女は目を丸くして彼を見る。
正直、琵琶をはじめとするあまり楽器は得意ではない。
聞かせられないほどではないが、彼女に琵琶を教えた楽士は「趣のある演奏」と称してくれた。「皇子の気を引くには向かないから、何かほかに得意なものがあればそちらを極めた方がよい」とも。
「わたくしの奏でるものなど、紅明様にお聞かせするほどのものではありませんわ。代わりに、お部屋に楽士を呼んで演奏してもらえば」
「上手下手は問題ではありません」
わざわざ彼女の話をさえぎってまで聞きたがる紅明に、彼女は困惑を隠せない。
「しかし」
「あなたの楽を聞きながら酒を呑んでいるほうが、よほど有意義な時間です」
「そうでしょうか」
彼はすました顔で当然ですと請け合った。
「『春宵一刻値千金』」
「なんですの」
「春の夜は一刻千金の値打ちがある、ということです。昼間から酒を呑むよりも、夜に月明かりで春の気配を感じながらゆっくりするほうが断然よいでしょう」
彼女は指先で頬に触れて少し考える。
「それもよいかもしれませんね」
「では、決まりですね」
そういう彼の声は、先ほどに比べて随分楽しそうである。
機嫌が直ったようでよかったと、胸をなでおろした時だった。
「ところで、先ほどの燻製をもう一つ食べたいのですが」
唐突に言われて、思わず紅明の顔と目の前にある皿を見比べた。
燻製の皿から紅明の顔を見て、そういえば先ほど一口食べさせたことを思い出す。
内心で呆れながらも、一口大の燻製を箸でつまんで差し出すと、心なしか上機嫌で食べにくる。
なにやら小さな笑い声が聞こえたような気がして宴に視線を戻すと、なぜか数人がにこにこしながらこちらを見ていた。
「紅明皇子のところは、随分と仲がよろしいですな。いやまったくお羨ましい」
大使が二人を見て、満面の笑みで言った。
その言葉に宴席中の視線が一斉に二人に注がれる。
彼女は思わず、熱くなった顔を両袖で隠したのであった。
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼台声寂寂
鞦韆院落夜沈沈
春の夜は一刻千金に値する
花は清らかな香りを放ち、月は朧に翳んでいる
歌や管弦で賑やかだった楼台も、今では静まり返っている
中庭にはぶらんこがぶら下がり、夜は深深と更けていく
――蘇軾『春夜』
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