(姓は固定)
第二章 復讐編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
若慧は焦っていた。
数日前に西慶叔がよこした手紙によると、バルバッドのラシッド王が死んだらしい。
そして、国王崩御とほぼ同時期に第三王子アリババも失踪したと別の筋から追って知らせがきた。
周辺国では、王位を狙う第一王子が国王を殺害し、その罪を第三王子に被せるために弟を始末したのではないかと言う噂が流れていた。
もしくは、譲位を急いだ第三王子が父王を手にかけ、兄王子達に対抗する力をつけるために一時的に身をひそめたのではないかという噂も聞こえてきた。
直前に王宮で火災が起こり建物の一部が焼失したらしく、これもきっと第三王子の仕業に違いない、と。第三王子は王宮に引き取られるまで母親と共にスラムに住んでいたというから、気性も荒く、どのような蛮行に及んでも不思議ではない、と。
煌帝国内でもさまざまな噂が飛び交っている。どれが真実かは分からない。
いずれにせよ早すぎる。
国王亡き今、バルバッド国内は荒れるだろう。
第一王子アブマドの愚鈍さは国内外でも有名だし、かといって第二王子サブマドも王の器ではないと若慧は感じていた。第三王子は知らないが、ラシッド王が生前目をかけていたというから、二人の兄王子達よりも優秀だったのだろう。
待っていればいずれ玉座が手に入っただろうに、何故彼は王の死を急いだのだろうか。
お陰で若慧達の企みが今、崩れようとしている。
慶叔が持ち掛けてきた話では、実行はもう少し先になるはずだった。今はまだ、準備が整っていない。
このままアブマド王子が王位を継ぐとなると、煌帝国はまだ国が不安定な時を狙って一気に西域に進出していくだろう。
慶淑は現在、大急ぎで根回しに奔走しているという。
まだ完全に計画が破綻したわけではない。挽回できる可能性はまだ十分にあるから、今はこちらなど気にせずにお前は自分の役目を果たすことを考えろと言ってきたが、いくら若慧が直接政治に関わる身ではないとはいえ、現状がそんな甘いものではないとわかっている。
若慧は、鳳娥たち侍女を従えて禁城内の回廊を進みながらこっそり嘆息した。
やはり女官と妃では全く生活が違う。
どちらも皇子のために割り振られた仕事があるという点では同じだったが、女官の仕事が主に仕えることであったのに対し、妃の役割は皇子の仕事を補佐し、皇子だけでなく皇室全体のために働かなければならない。時には皇子の代役として社交場に出席することもある。
杜貴桜は、若慧が妃入りすると同時にその“対外的な仕事”を全て彼女に押し付けて、自分は王府の家財管理や人事などの内部業務に徹するために引きこもってしまった。
そのため、最近の彼女は常にあちこちの茶会や行事を渡り歩く羽目になり、一日の大半を王府の外で過ごしている。
高官や他の皇族たちとの交流が多くなり、国内外の様々な情報が得やすくなったのはありがたいが、これまで以上に皇子に取り入ろうとする輩の相手をしなければならなくなったことが煩わしい。
さらにこれは余談だが、いくら仕事の手伝いをしているといっても、昼間は会議室や資料室に引きこもることが多い紅明と会う時間は少ない。
彼が王府で仕事をするときの補佐役は、決まっていつも貴桜である。博識且つ書類仕事が得意な彼女は重宝されていると聞く。
社交場に出ると、どうしても必然的に“紅明皇子”の話をすることになるが、自分が知らない夫の昼間の姿を他人から聞かされるのは、どこか釈然としないものがあった。
ところで、煌帝国には神官がいる。
若慧とも知己のその神官は、黒い衣装に身を包んだまだ年若い少年であった。
「なんだよ。紅明の妃になったって割には、前とあんま変わんねーのな」
牀に寝そべったままで果物を頬張りながら、神官――ジュダルは若慧を目の前にしてそうのたまった。
彼は世界に三人しかいないと言われるマギの一人でもあるはずなのだが、おおよそ国の重要人物とも思えないその態度に、若慧は苦笑しきりである。
「妃と言っても、ほとんど立場が変わっただけのようなものですもの。わたくしといたしましても、部下が大勢に増えただけのような気がいたしますわ」
毎日が忙しくて、女官の時以上に責任も増え、一時も気が抜けない。
慶叔が手をまわしたお陰で西家からの支援も増えたが、それは同時に期待の表れでもあり、まだ女官だったほうが気が楽だったとさえ思えてしまう。
皇子と結婚したからには神官への挨拶は欠かせない。
これも仕事の内だと割り切って、手土産を持参して居所を訪れたは良いが、当の
苦笑する若慧に対しても、ふーん、と気のない返事をするばかりであった。
「それにしてもお前、よく戻ってきたよな。あんなことがあって、自殺でもするんじゃねーかと思ってたのによ」
若慧は目を細めて黒い神官を見る。
「そうですわね。自殺とまではいかないまでも、いっそのこと、気でも狂ってしまった方が楽なのではないかと何度も思いましたわ」
そう言って女官が差し出してくれた茶器を受け取り、一口飲むと、ほうっと息を吐いた。
膝の上に下ろした茶碗に付着した紅を指先でふき取り、茶碗を両手で包み込む。
「でも、考えてみれば、あの方たちにされた仕打ちは、今までわたくしが他の競争相手を追い落としてきたのとそう大差ありませんもの。今回はわたくしが負けただけ。それよりも、あんな方々に、このわたくしが屈することの方が許せませんでしたの。やられた分をやり返さなければ、わたくしの気が済みませんわ。気が狂う暇もありません」
「ハハハ! やっぱお前最高だ!」
我が子を殺され、宮中を追い出されても、結果的には皇子の妃として禁城へ舞い戻ってきた。
一度は負けたが既にその分は取り戻している。今度はこちらから仕掛ける番だというと、ジュダルは膝を打って大喜びした。
「やっぱりちっとも変ってねーじゃん。紅明はよくこんな女と結婚したよな。お前、紅明の前じゃ猫被ってるんだろ。お前がこんな女だと知っていたら、結婚しなかったんじゃないか?」
「あら、紅明様はわたくしが清淑な女でないことくらい、とうの昔にご存知でしてよ。その上で、わたくしの成すことに関しては一切干渉しないと、随分前に確約を頂いておりますの。わたくしとて、自分の分はわきまえておりますわ。紅明様のお手を煩わせるような事にはなりませんので、どうぞご安心を」
白々しく言ってのけると、彼は興が覚めたように鼻を鳴らした。
「何だよ、つまんねーな。裏でこそこそ糸を引くなんて面倒なことしねーで、邪魔者はすっぱり斬り捨てて、みんなをあっと驚かせてやりゃあいいじゃねーか」
そう言われても、既に立場のある身である。夫や実家のことも考えると、昔のように奔放に動き回るわけにもいかない。
ジュダルは猫のようにだらりと牀に寝そべりなおし、肘をついて頭を支えながら果物にかじりついた。
「それで、今日は何の用だよ。俺だって暇じゃねーんだ。要件は手短にな」
本当はいつも暇なくせに、という言葉は、心中で呟くに留め置いた。
暇を持て余すあまりに引き起こされる様々な騒動の後始末に翻弄されるのは、大抵紅明を始めとする文官たちである。
“煌帝国繁栄の功労者”という功績や皇后の後ろ盾があるからこそ、好き勝手に振る舞っても許されるのだ。突然の出奔や女性関係などの放蕩癖然り。
若慧は諸々の悪態を胸中に押し込めて、にっこりと笑って見せる。
「本日は、神官様へのご機嫌伺いに参りました」
「それってつまり、俺の機嫌を取っておいて何か頼みごとをしようってんだろ? 回りくどい言い方はよせよ。で、何をやらかそうっていうんだ?」
どうやら、ジュダルにとって若慧とは、常に何かを企んでいる者らしい。
別に間違ってはいない。今日の訪問だって、下心あってのことである。
若慧は愛嬌を振りまくための作り笑いを消し、薄ら笑いのみを浮かべながら鼻を鳴らすと、ジュダルはにやにやと嫌な笑いを浮かべながら身を乗り出してくる。
室内に積み上げられた、これまでの献上品と思しき品物の数々を見渡した。
その一角に、先ほど若慧が持参した“手土産”も無造作に飾られている。純金製の装身具と銀製の盆と水差し、数種類の香辛料。全て、慶淑に無理を言ってバルバッドから輸入させたものである。
「神官様。果物はお好きですか」
「桃は好きだぜ」
「では、金や銀や宝石は」
「んな腹の足しにもならねーもんに興味はねーよ」
「お昼寝をよくなさっておいでですね」
「他にやることねーもん。屋根の上は誰にも邪魔されねーから最高だぜ。眺めもいいしな」
徐々にジュダルの表情が怪訝なものへと変わっていく。
遠回しな物言いをするなと言われたが、彼が何に対して興味を持つかは把握しておかなければならない。
「たくさんの種類の果物があり、金銀財宝に溢れていて、お昼寝に最適な絨毯を名産とする国がございますわ」
若慧の視線を追って、ジュダルがにやりと笑った。
「バルバッドか」
若慧は無言だったが、彼は一人納得した表情で後ろ手を組みながら牀へ寝転がった。
「そういや、こないだバルバッドの王様が死んだとか言ってたな。煌帝国はこの機に乗じて一気に西域へ進出するらしいぞ」
「それは好都合。その際にはぜひ、西家にご用命くださるよう上奏してくださいまし。勅命が下り次第、すぐにでも我が家の抱える商人たちが責任を以て品々を商い、利益を上げて国庫へ貢献して見せますわ」
「ああ? んなこと、紅明に頼みゃあいいじゃねーか」
「もちろん紅明様にもお願いはしますが、神官様からの御意見も加われば、重臣たちも考えをまとめるでしょう」
皆、神官様を信頼しておりますから、と付け加えると、ジュダルは顔をしかめて舌打ちをした。
「つまんねーな。なんか面白いこと企んでんのかと思ったら、結局、その辺のボンクラどもと同じじゃねーかよ」
ジュダルの悪態を、若慧はほほほと笑って受け流す。
「俗物でごめんあそばせ。ただ、バルバッドは小さいながらも多数の島々を従え、貿易に秀でた海洋国家です。バルバッドを手中に収めるは世界中の大国と渡り合えるも力を得たも同然。煌帝国だけでなく、様々な国があの国を狙っていましてよ。早急に行動しなければあっというまに周辺の国々に先を越されてしまいますわ。それに、貿易によってバルバッドに集まるのは品物ばかりではございません。数多の国から船乗りが参りますから混血も多く、バルバッドの娼館には様々な人種の美人がいると聞いたことがございますわ」
もし煌帝国が無理にバルバッドを接収すれば、虎視眈々とバルバッドを狙っていた国々と戦争が始まる。
しかし、戦争は何も生み出さない。とにかく金がかかるし、人も物資も必要になる。侵攻するにしても余計な戦禍は回避するに越したことはないと、以前紅明も言っていた。
実はジュダルを焚きつけようと思えば、この“戦争”を仄めかせれば簡単なのであるが、さすがの若慧も祖国が戦禍に呑まれるのは望まない。
彼の好戦的な性格は知っているが、国家規模で動くのであればできるだけ穏便に事を運びたい。
今はただ、彼にバルバッド貿易における西家介入の後押しが欲しいだけである。
「ですから神官様。バルバッドとの貿易が議題に出たあかつきには、是非、西家をご推挙くださいませ。他の国々に出し抜かれる前に、いち早く煌帝国の利益とするために」
「ああ、分かってるって。んでもって、バルバッドを煌帝国のものにした後で、出遅れたせいでバルバッドを奪われて怒り狂ってる周辺国相手に戦争をおっぱじめんだろ?」
その言葉を聞いてぞっとした。若慧は一瞬笑みを凍らせる。
彼女があえて言わなかった“戦争”の可能性に、彼はとうの昔に気付いていたのだ。
ジュダルはどこか楽しそうに口笛を吹いている。
「神官様。わたくしのお願いは、あくまでもバルバッドとの貿易に西家を推薦していただくことですわ。それ以外の見返りは求めません。ただ、大臣たちの目の前で、西家を後押ししてくださればよいのです」
不安に駆られた若慧の念押しに、ジュダルはわかったといって手をひらひらさせるだけだった。
夕刻。
ジュダルは、一人で皇后の元を訪れていた。
「どうでしたか、ジュダル? 彼女と話をしたのでしょう?」
玉艶は、目を細めて微笑みながらジュダルを迎え入れる。
ジュダルは部屋の柱にもたれかかりながら、気だるげに答えた。
「どうもこうも、女ってのはこえーな。顔は笑ってるのに、腹ん中は何考えてるかわかりゃしねえ。はらわた煮えくりかえっててもニコニコ笑って関係ない話ができるんだからよ。おまけに女ってのは感情だけで何をしでかすかわからねえ分、大臣や将軍どもより厄介だぜ」
大きなため息をついて後ろ頭を掻きながら、彼は顔を歪める。
「にしても、あの女の
「無理もないでしょう。母親というものは、子供が関わると鬼にも蛇にもなりますからね」
その言葉に、ジュダルが意味深な表情で玉艶を見るが、彼女は素知らぬ顔で続けた。
「せっかく授かった我が子を殺したのが
「ああ、あれはダメだな。実家の話をするときは黒いルフに満ちているのに、紅明の話になると一瞬だけ白いルフが混じる。あの様子じゃあ、完全に染まりきることはないだろうな」
ひょいと肩をすくめて答えたジュダルに、玉艶はやれやれ、と溜息をつく。
「後宮にも時折そのようなものがおりますよ。まあ、所詮はその程度の人間ということですね。どうしても必要というわけでもありませんから、このまま捨て置いても構わないでしょう」
必要なのは実家の権力ではない。『我らが父』の役に立つかどうかである。
よくあることだと片付けて、そうして玉艶は“西若慧”という女への興味を失ったのであった。