(姓は固定)
第二章 復讐編
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呼び出された江陵舞は、若慧にとっては元部下である。
今では雲の上の人となってしまった元上司に呼び出されて、最初こそ神妙な様子でやってきた陵舞だったが、しおらしいのは格好だけで、礼を終えて目が合うなりわずかに表情が和らいだ。
若慧も、何食わぬ顔で彼女を奥の室へ誘い、
二人の間に置かれた卓には、既に茶の道具が準備されている。
「忙しいでしょうに、突然呼び出してごめんなさいね」
「いいえ、とんでもない。先ほど、春琴様がたいそうお怒りのご様子で戻ってこられましたので、そろそろお呼びがかかるのではないかと思っておりました」
元上司と部下の気安さである。
若慧が手ずから差し出した茶を受け取りながら、陵舞は肩をすくめる。
「とても自分に自信がありそうな娘ですね。それに、随分若いようだけど、あなたとは上手くいっていて?」
「大きな揉め事を起こしたことはございません。どなたかと違って、どちらかというと積極的にお仕事はなさいますので。仕事に対する姿勢などは、他の部署からも評判が良いくらいです」
沈華などは眉を顰めるが、若慧にはこの歯に衣着せぬ物言いが好ましい。
「まあ。それなのに、わたくしとお茶などしていてよいのですか。新しい上司の不興を買ってしまうのではなくて」
「ご心配なく。一向に構いませんわ。私を始めとする紅明皇子の衣裳係はみな、未だに若慧様の部下のつもりでおりますもの」
そうして陵舞は、湯気の立つ茶碗を両手で押し包みながらふうっとため息をついた。
「若慧様がいらっしゃったころが懐かしゅうございます。あの最も忙しい年末年始の時期、若慧様が指示を出してくださるだけで随分仕事が楽になりましたもの。宮中に出仕して以来、私が覚えている限り、あれほど順調に仕事が進んだことはございませんでした」
「わたくしがまともに仕事をしたことなんて、片手で数えるほどしかないというのに、あなたがそれほどわたくしを評価してくれていたなんて嬉しいこと」
「御謙遜を。その方が優秀であるかどうかは人の使い方に表れると申します。才媛とはかような方を言うのだろうと、後で皆と噂したものですわ」
過去を振り返って束の間機嫌よさ気に笑った陵舞だったが、すぐに現実を思い出したのか、眉をきっと吊り上げたかと思うと声を尖らせて言う。
「それが今はどうですか。中途半端に口を出されて、私たちの意見は全く聞き入れられず、優れた仕事をしても手柄は全てあの方の物になるのです。かといって仕事に手を抜くなど論外ですし、本当に、私……」
笑いを噛み凝らしながら続きを促すと、よほど愚痴が溜まっていたらしく、彼女は顔を顰めながら滔々と話し出す。
「正直、あの方の感性は理解しかねます。煌帝国の流行をお教えしても、全く聞く耳を持たずにご自身のお好みを貫き通されますし、あの御気性ときたらもう……。私どもも長く宮中に勤める身ですので、大抵の理不尽には慣れているつもりです。大層な家柄でもないのに横柄に振る舞われる令嬢は決して少なくありません。それでも、自分よりも高い身分の人間には上辺だけでも無礼のないように敬意を払いますし、注意を受けると多少はおとなしくなるものです。しかし、あそこまでになるともう、いっそう育ちを疑いますわ。自分が田舎者だという自覚もないのですから」
「わたくしの前で彼女を悪く言うのは構いませんけれど、他での不用意な陰口はお気を付けなさいな。ああいう方こそ、どこに耳を持っているかわかりませんもの」
「ええ、十分承知しておりますとも。部下たちにもよく注意しておきましょう。なにせ、少しでも時間が空くとあの方の愚痴ばかりこぼしているのですから」
などと、陵舞自身が上司の愚痴をこぼしながら言う。
鬱屈する感情には何かしらの捌け口が必要だが、今まで彼女の鬱憤を聞いてやる相手はいなかったのだろうかと思う程、彼女の愚痴は留まるところを知らない。
とはいえ、女の愚痴は情報の宝庫である。聞き流すには、若慧も“閔春琴”という女を知らなさ過ぎた。
「おまけに、何か勘違いをなさっているようで」
「あら、どういうことかしら」
時々相槌を打ちながら、より多くの情報を聞き出そうとする。
陵舞もそのつもりで話しているので、今回は話を誘導する必要もなく、世間話のように気軽な会話だった。
「身繕いはいつも熱心になさいますよ。皇子の御前に参じる前には特に。乱れてもいない髪を直したり、簪の角度を確かめてみたり。少なくとも日に二度は、色直しのために半時ほど自室にお籠りになるようです。それに、余所からは『仕事熱心な方』などとお褒めの言葉を頂いたりもしますが、それだって猿に冠をかぶせるようなものだと揶揄われているというのに、まるで気付かずに素直に喜んでいらっしゃるのですから」
「若い娘はみなそうですよ。いいえ、娘に限ったことではないわね。その年頃の若者と言うのは、訳もなく自分が優れていると思い込んでしまうものです。わたくしとて言えた義理ではありませんけれども。……あなたにも多少は覚えがあるのではなくて」
笑いながら茶を一口啜る。
揶揄われた陵舞は憮然としながらも、薦められた茶菓子を一つ摘まんで口に運んだ。本日の茶請けは女性の客であるため、いつもの包子ではなく甘い寒天菓子である。
「大方、誰かが余計なことを吹き込んだのでしょう。美しく着飾って、少しでも殿下の目に留まるように。微笑ましいではありませんか」
「若慧様。のんきに笑っていらっしゃいますが、何事にも限度と言うものがございます。既に笑いごとでなくなってきたからこそ、私をお呼びになったのでしょう?」
陵舞に睨まれて、若慧は目を細めながら薄い笑みを浮かべた。
紅明が春琴を見初めることはない、と陵舞はいう。
「閔春琴は、名は忘れましたが、東方に領土を持っていた小国の名家のご出身だそうです」
「と言うことは、彼女の国はもう滅んでしまったのかしら」
「ええ。つい最近、我が国が接収したそうです。かつての閔氏は、主君のために代々の王妃を輩出してきた名門の一族だそうですよ。王妃の外戚として、相当の権力を揮っていたと噂に聞きましたわ」
「ああ。だからあれほど居丈高に振る舞っているのね。祖国ではみなが彼女の一族に傅いていたのでしょう。逆に自分が傅かなければならないなど、考えたこともないのだわ」
若慧が頬に指を沿えて頷いていると、陵舞はきっと眦を釣り上げた。
「まあ! そのような家柄など、この禁城では珍しくはありませんわ。紅炎皇子の妃殿下とて、旧蘇国の姫君ではございませんか。あの方こそ、故国では大勢の家臣たちに傅かれていらっしゃったでしょうに、少しも驕ることなく、下位の宮女たちにまで細かく気を配ってくださるのですよ」
紅炎の妃 櫓仙姿の人望の厚さは禁城の者ならば誰もが知っている。
美しく穏やかで、賢く、慈悲深い女性であるという。
若慧にとっても密やかな憧れの人だった。陰に日向に、献身的に夫を支える姿には、同じく皇子の妻として自分もあのようにありたいと思わせるものがある。
「とにかく、あの方の故郷は既に煌帝国の一部となっております。あの方の故郷より東に人の住む土地はありません。ああ、一国だけ、鬼倭という島国があるそうですが、今の煌帝国は東よりも西へ領土を広げようとしておりますから、手間ばかりかかってうま味の少ない東方は、現在捨て置かれている状況です。そんな土地の一豪族の娘を娶ったところで、紅明皇子に何ら得はありません。ですから、あの方が皇子の妃となる可能性など万が一にもあり得ぬのです」
陵舞は憤懣やるかたなしといった様子である。
「あえて注意するとすれば、あの方の兄君でしょうか。閔月城といって、紅炎皇子の元で騎馬隊を率いている武官の一人です」
「あなたが懸念するほど重用されているということかしら」
陵舞は、眉根を寄せて伏し目がちになる。
「政であればともかく、軍に関しては私もあまり詳しくはないのですが、それでもかの国の騎馬兵は昔から有名ですので」
非常に苦々しい口調だった。
「閔月城は既にいくつかの功績をあげて、紅炎皇子の覚えもめでたいと聞いております。閔月城の出世があの方の地位に影響することはありませんが、あの方の出世は閔月城の昇進に影響するのです。もし我々があの方を排除するために動いた場合、閔月城によって紅炎皇子の王府から圧力がかけられる可能性があるのです」
若慧は、陵舞と共に深くため息をついた。
「なんとも面倒だこと。ただのひ弱な地方貴族のままでいればよかったのに。中途半端に地位を得ると、しがらみが増えて何を仕掛けるにも面倒になるわね」
奥の手がないわけではない。
今はまだ大した力を持たない一族であるから、西家の力を使って一族ごと押しつぶしてしまえばいいのである。今ならまだ間に合う。
ただ、それはあくまで奥の手だ。できれば使いたくはない。
もし実行すれば、紅炎皇子の部下であるという閔月城まで潰してしまうことになる。閔春琴を手に掛ければ、どうしたって兄の立場に影響するのだ。
そうなると、紅炎や紅明にも迷惑が掛かってしまうだろう。故に、最低限の線引きをしなければならない。
「安易に排除するのは危険ね。兄君に出てこられると、紅炎皇子や紅明皇子まで巻き込むことになってしまうもの。かといってこのままというわけにもいかない。ならばせめて、己の立場をわきまえて大人しくなってもらいましょう。……陵舞」
名を呼ぶと、陵舞は姿勢を正して若慧へ向き直った。
彼女が閔春琴という女に対してよく思っていないことは十分に分かった。
彼女を始めとする紅明の衣裳係が、未だ若慧の命令を守れることが前提ではあるが、全く手がないわけではない。
「陵舞。いざとなったらわたくしの名を使っても構いません。閔春琴から実権を取り上げておしまい。既にわたくしの名は悪名として知れ渡っていますから、今更、気に入らない女官を一人不当に扱ってもさして変わりはしないでしょう。彼女が怒ってわたくしの元へやってくれば、その後はどうとでもできますからね」
目を細めて口元に薄く笑みを刷くと、陵舞はぱっと顔を輝かせ、するりと牀から降りると床に平伏した。
「お力をお貸しいただき感謝します! 私共の仕事を正確に理解し、評価してくださるのは西妃様だけです。決して西妃様のご期待を裏切らないよう、尽力いたします」
その姿を見て、若慧は鷹揚に頷きながら一言「期待していますよ」とだけ声をかけた。
来た時とは打って変わって上機嫌で帰っていった陵舞を見送った後、後ろに控えていた鳳娥が音もなく近づいてきて、若慧に小さな紙切れを手渡した。
他の侍女に気付かれないようにこっそりと渡されたその紙片は、いつも西慶淑とのやり取りのために使う手口である。
外とのつなぎ役を引き受けてくれた鳳娥は、この役には打って付けだった。
しかしなぜか、この時ばかりはわずかな違和感を感じていた。
鳳娥は優秀だ。普段、他の侍女に気付かれそうな場所で連絡用の紙片を渡したりしない。
妙な胸騒ぎがして思わず鳳娥を振り返ると、彼女は心なしか焦っているように見える。
これは後回しにせず、すぐに読んだ方が良いと判断して、部屋に戻るなり疲れたと言い訳して人払いをした。
客人と長く話し込んでいたことを知っている侍女たちは、これに対して何ら異を唱えることもなく、おとなしく部屋を下がっていく。
そうして一人きりになった部屋で紙片を開くなり、彼女は愕然として紙片を取り落してしまった。
そこにはただ一文のみが記されていた。
バルバッド国王崩御、と。