(姓は固定)
第二章 復讐編
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目の前に差し出された衣裳を手に取って、若慧は思わずため息をついた。
一目見て金がかかっているのがよくわかる豪奢なその背子は、紅明のためにと用意されたものである。
「随分と仰々しい……いいえ、派手すぎるのではなくて。もっと質素なものでよいのでは」
普段着として着るには贅沢すぎるその衣裳は、閔春琴という女官が次の季節に使えるようにと、針子たちに命じて作らせたものである。
紅明が特に自ら質素倹約を旨としているわけではないが、紅明の兄である紅炎皇子が質実剛健な御仁であるので、その傘下にいる弟は必然的に控えめな装いを求められる。
兄皇子よりも目立つようではいけないのである。同母の兄弟だけに、勘違いした重鎮たちが要らぬ派閥争いを起こしかねない。
ただし、同じ皇子でも紅覇皇子の華やかさは本人の資質によるものが大きい上に、かの皇子は二人の兄に比べると母親の身分が低く、後ろ盾もおぼつかない状態であるため、ある意味例外的なものだと若慧は考えている。白龍皇子など言うに及ばず。
紅炎皇子の求心力は強く、今のところ紅徳帝の皇子たちは二人とも兄皇子を慕っている。これを乱してはいけないのである。
少なくとも、今まで若慧はそう考えて、細心の注意を払って衣裳を準備してきた。
それなのに。
「とんでもない! 若慧様はしばらく宮中にいらっしゃらなかったのでご存じないかもしれませんが、今はこの意匠が最新の流行ですのよ? 一国の皇子たるお方に、時代遅れの衣裳などお召しいただくわけにはまいりませんもの。これでも地味なくらいですのに」
目の前の女官は若慧の後任だと聞いている。
第一妃である杜貴桜がこの第二皇子の王府の家政一般を取り仕切る代わりに、第二妃である若慧には対外的な仕事が多い。紅明の衣裳の監督もその一環であった。
女官は、皇族の私生活を世話し、仕える主人を取立てるのも仕事の内である。
そして今、若慧は紅明と結婚したことで皇族の一員とみなされている。
その割には、この閔春琴と言う女官は、主人の妃である若慧に従う気は全くないらしい。
歳を聞けば十七だという。若慧にも若気の至りで様々な問題を起こした記憶はあるが、この立場になって見て始めて己の愚かさを思い知った気がした。
自分の立場をどう理解しているのかは知らないが、やたらと若慧を小馬鹿にしたような態度の春琴に対して、彼女は指先でこめかみを押さえながら、再び長々とため息をついた。
「お前の言う通り、流行は確かに重要ですが、大切なのは本当にそのお衣裳が殿下にお似合いになるのか、本当に殿下のお立場に合ったお衣裳であるかということです。殿下ご自身がこのような衣裳をお好みになるかという問題もあります。紅炎皇子ですら、華美な装いはお好みにならないというのに。せっかく新しい衣裳を用意しても、お気に召さなければ意味がないでしょう」
「他の皇子が地味好みだからと言って、紅明皇子までそれに倣うことはありませんわ。他が地味でいらっしゃるからこそ、このような華やかなお衣裳が映えるのではありませんか。それに、御心配には及びませんわ! 殿下からは、わたくしの好きにしてよいとお許しを頂いておりますもの。ただ、殿下のお衣裳を統括なさっているのは若慧様でいらっしゃいますので、こうして新しいお衣裳のご報告に参った次第ですの」
とうとう若慧は痛みだした頭を抱えることになってしまった。
まったく紅明はなんということを言ってくれたのだろうか。
自らの装いに対して全く興味を持たない彼のことだから、恐らく何も考えずに許可を出したのだろうが、その結果がこれである。
これまでの彼女の努力を平気で無にしてしまいそうな女官を、一体どう御すればよいのやら。
同じ女としてただ若慧に競争意識を持っているだけであればまだしも、この女官は最初から若慧を舐めてかかっているのである。
早めに灸をすえてやらなければならないと思いつつも、春琴と話をするといつも頭痛がする。
なにせ全く話が通じないのである。彼女の嫌味や皮肉をどれほど理解しているのかもわからない。
「春琴、と言ったかしら。お前はいったい、自分の職分を何だと心得ているのですか。報告に来るのは結構だけれども、このお衣裳を仕立てるのにいったいいくらかかったのです。お衣裳や装身具に関する予算は年間で決められているでしょう。まだ年が始まったばかりだというのに、今後の予算は問題ないのですか」
埒が明かないので具体的に詰問してみると、春琴の眉根にキュッと皺が寄った。
王府の財政は杜貴桜の管轄である。彼女は若慧程口が達者ではないし、直接的にものを言う。そして書類仕事に関しては一切の妥協を許さない。予算が足りないから増やしてくれと言ったところで、そう簡単に頷きはしないだろう。
案の定、春琴は不満そうに顔を歪ませた。まるで、自分の主張が通らなかったことで不機嫌になる子供のようだ。
「ともかく、普段お召しになるだけのお衣裳にこれは認められません。すぐに作り直させなさい」
「では、このお衣裳はどうするのですか? 新しいものを作っては、またお金がかかりますよ」
作ってしまったものは仕方ないだろうと言わんばかりの口調である。
若慧は姿勢を正し、目を細めて春琴を見据えた。
「春琴。そもそも、衣裳ができてから報告に来るのではなく、作り始める前に相談に来るべきでしょう。補佐役の女官は何も言わなかったのですか。お前の仕事は一体何なのか、もう一度よく考えてごらんなさい」
若慧の言いようにさっと顔に血を上らせて何か反論しかけた春琴だったが、若慧が下がるように命じて手巾を一つ振ると、主人の意図を察した侍女たちが彼女の前に立ちはだかり、慇懃かつ強制的に部屋から追い出されたのであった。
「なんですか、あの小娘は!」
春琴の姿が見えなくなるなり、薔滴が憤慨しながら足を踏み鳴らした。
その品のない行動にすぐさま沈華から注意が飛ぶが、怒りの冷めやらぬ様子を隠そうともしない。
「己の立場もわきまえずに、いったい皇子妃殿下をなんと心得ているのか。どうしてあのような者が紅明皇子にお仕えしているのですか! 若慧様も、もっと厳しくおっしゃればよかったのに!」
「おやめなさい、薔滴。若慧様に対してなんという口を利くのです。無礼でしょう!」
「沈華、その程度であれば構わないわ。むしろ薔滴、わたくしの代わりに怒ってくれてありがとう。おかげで少し胸がすっきりしました」
言いながら、薔滴に向かって少し微笑んで見せる。
妃という立場になればその一挙一動が気が抜けない。下手に相手を口汚く罵ろうものなら、あっという間に不本意な噂となって広がってしまう。
後宮の人事は内侍省の管轄であるが、女官の配置は女官長の職分である。
女官長が、当人の能力ではなく、家柄や財力、影響力で人員配置を行うことは周知のことで、今回もどうやらその結果であるらしい。
薔滴が彼女の気持ちを代弁してくれたことで少し溜飲が下がったところで、そばに仕える侍女たちを見渡し、一言命じた。
「陵舞を呼んでちょうだい」