(姓は固定)
第一章 女官編
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彼女はどうしても困惑を隠しきれなかった。
場所は西福達の広大な屋敷の中にいくつもある庭の内の一つである。
夏が終わり、秋が訪れようとする季節に、日焼けをしないようにまだ厳しい日差しを遮るべく日傘をさしかけられ、薔滴に手を引かれて草花を眺めながら小道を歩いている。
自分は奴隷ではなかったのか。そんな疑問が彼女の胸中で浮かび上がっては心の底にこびりついて離れない。
療養地を移すという名目で西家の屋敷に連れてこられた若慧を待っていたのは、下にも置かないとしか表現のしようがない扱いだった。
まず、たくさんある離れの中でも最も美しく庭が見える場所へ部屋が設けられ、連れてきた侍女に加えて新しい侍女が追加された。
奴隷扱いだなんてとんでもない。
新しい侍女に新しい部屋、新しい食器や家具に、最高級の生地で作った衣裳や、めったに手に入らないはずの美しい宝飾品の数々。口に入れるものも、金に糸目をつけずに最高級のものを十分に手間をかけて用意されているとわかる。
どこへ行くにも侍女がずらずらと付き従い、箸より重いものを持つ必要がない。
まるでどこかのお姫様の様な扱いである。皇族もここまで贅沢な暮らしはしていないのではないだろうか。
訳が分からず侍女たちを問いただそうとするが、沈華に彼女たちと直接口を利くことを禁じられてしまった。
若慧と直接話をすることができるのは、沈華と薔滴と、それから元からいた侍女の中でもほんの一握りの者のみ。つまり、直接自分の世話をしてくれる者だけである。
それ以外の侍女たちは、まるで空気のように気配を押し殺して、用を言いつけられるまで控えている。
しかしだからと言って、沈華や薔滴が他愛もない世間話に付き合ってくれるわけでもない。
なんとも居心地の悪い空間であった。
日中することと言えば、書を読んだり刺繍をしたり散歩をしたり。まるで普通の良家の令嬢のような生活である。
時折、教養を学ばせるために家庭教師が呼ばれてくるが、彼らもただ淡々と自分の仕事をこなすだけで、余計な話は一切しない。
唯一納得できることと言えば、西家の人間が誰一人として顔を見せないことと、たまに見かける侍女以外の使用人が若慧を見るときの、まるで汚物でも見るような嫌悪感丸出しの表情だけである。
まさか紅明が何かしたのだろうか、彼女を丁重に扱うよう福達に脅しでもかけたのかと考えもしたが、そのようなことをする理由が思い当たらず、すぐに思考を打ち消した。
おかげで未だに困惑は解けることなく、訝しみながらも日々を恙なく過ごしている。
沈華の胡散臭い笑みと世辞に鳥肌を立てながら何でもないふりを装ってはいるが、内心穏やかでいられるはずがない。
訳が分からず猜疑心だけを募らせていると、ある日、珍しく彼女の部屋を訪れる者がいた。
「初めまして、と言うべきか。私は
西慶淑、と頭の中でその名を反復する。
確か西福達の甥で、息子のいない伯父の養子となった男である。
大柄な伯父とは似てもつかない、痩せ気味で神経質そうな男だった。
若慧は内心で首をひねっていた。確かに戸籍上は義理の兄ではあるが、彼が彼女を訪れてくる理由がわからない。
とりあえず兄妹の礼をして、客人に対するよりもいくらか気軽な程度の茶と茶菓子を出したが、始めに彼が名乗った通り、何分互いに初対面である。
話題もなく困惑していると、おもむろに慶淑が切り出した。
「ここの居心地はどうだ? 伯父上が心を砕いて整えた部屋だ。使い勝手が悪いということはないだろうが」
「たいへん心地よく過ごさせていただいておりますわ。侍女たちもよく仕えてくれておりますし、お衣裳やお道具類やお食事もみな良いものばかり。正直、わたくしにはもったいないくらいかと」
質問の意図を測り兼ねているので、細心の注意を払って当たり障りのない答えを心掛ける。
慶淑はさも当然のことであるかのように深く頷いた。
「だろうな。なにせ、今後のことを考えればお前を蔑ろにするわけにもいかないだろう。お前を最高級の品々で囲み、最上級の生活を送らせて高い教養を身に付けさせ、非の打ちどころのない娘に仕立て上げるのが現在の最重要案件だ」
したり顔で言いながら口に放り込んだ茶菓子も、客用には格が劣るという割には普通の貴族の家で出すには過分なほどの高級品である。
西家からつけられた家庭教師のおかげでこれまで以上に目利きになってしまったあまり、どうにも妙な光景を見ている気分で、若慧は心持ち眉尻を下げた。
「あの、それは一体どういうことでしょうか?」
「なんだ、聞いていないのか?」
慶淑は一瞬驚いたように目を丸くした後、顎に手を当ててしばらく考え込んでいたが、ふいと片眉を上げて横柄な態度で若慧に命じた。
「では、信用のおける侍女を残して人払いをしろ」
途端に、部屋の中に緊張感が走った。
全く、この男は嫌な言い方をする。若慧の侍女への信頼度を図っているのだ。
しかし、どうにも不信感ばかりが募って不気味に思いながら日々を過ごすのは気分が悪い。
粗雑に扱われていないだけになおさらである。
若慧は少し考えはしたものの、仕方なく一つため息をついて侍女たちに命じた。
「皆、お下がり」
案の定、室内にいた侍女たちの間にさざ波のような動揺が広がる。
「若慧様」
沈華が遠慮がちに声を掛けてきたが、若慧は視線で黙らせる。
「お下がり。慶淑様はわたくしに話があるとおっしゃっているのです。お前たちが聴いてどうするのですか」
有無を言わせぬ口調で言うと、彼女たちは顔をこわばらせたまま、渋々といった様子でから出ていき、部屋には若慧と慶淑の二人のみが残された。
侍女たちが下がってもしばらくは沈黙が漂っていたが、慶淑はその様子を見ておもしろそうに口を開いた。
「良いのか? あまり彼女たちを蔑ろにすると、後々やりにくくなるのはおまえだろうに」
「あの者たちを危ない目に合わせるわけにはいきませんもの。下手に巻き込んで、何かあってから責任を取ることになるのはわたくしですのよ」
「なるほど。至言だ」
ひとしきり笑った後、慶淑は茶を一口含んでから本題に入った。