(姓は固定)
第一章 女官編
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近頃、紅明は毎日のように若慧の元を訪れる。
公務の合間に立ち寄っているらしいのだが、若慧も徐々に体調が安定して気持ちが落ち着いてきたこともあり、疲れ切った彼の世話をするくらいの余裕が持てるようになってきた。
二人でお茶を飲んだり包子を食べたり、まるで隠居のようなゆっくりとした時間を過ごしている。
紅明がたまにぴりぴりした雰囲気を纏ってやってきても、部屋を出ていくときには驚くほど穏やかな顔つきになっているので、彼にとっても必要な時間なのだと思うことができた。
ただ、仕方のないこととはいえ女としての務めが果たせないのが申し訳ないとは思うが、そのあたりは彼も上手くやっているらしい。
侍女からは杜貴桜の名を良く聞くようになった。紅明の書房を管理する役目を担う彼女とはどうも馬が合うようだ。
沈華などは眉をひそめていたが、若慧はそこまで酷なことを言うつもりはなかった。
何より、今は若慧自身が大変な時期なのに、紅明の面倒をすべて見ろというのは土台無理な話である。他の者に任せられるものであれば任せたいというのが本音だ。
杜貴桜は、昔からあまり華やいだ噂を聞かない女だった。
紅明の妃候補に挙げられるだけあって確かに容姿も悪くなく、教養も十分にあるようだが、それも侍女の努力が大きいという。
暇さえあればずっと書庫に籠って本ばかり読んでいるような女で、放っておくと寝食をも忘れてしまうので、そのたびに侍女が書庫から引きずり出して丁寧に磨き上げているのだとか。
少し紅明に似ていると思ったのは恐らく若慧だけではないだろう。
趣味が高じて学問に関してあまりにも優秀なので、女官よりも官吏として出仕した方が良いのではないかという話もあったらしい。
出世欲の強い父親が許さなかったので仕方なく女官になったが、紅明の書房を任された時にははしたなくも大喜びして周囲をドン引きさせたという逸話が残っている。
これが孫蓬簫や範瑛児のように女らしい女であれば若慧も全力で阻止しただろうが、そのような余話のある杜貴桜ならばむしろ安心して送り出すことができた。
お礼代わりの下剤入りの差し入れは未だ続けているが、これも今となってはほんの挨拶代わりである。
先方もそれを分かっているので、礼状を漢詩で送り付けてきたこともあった。
これがまた礼記から引用されたものだったので、感心する反面、本当に女としての役割を果たせるのだろうかと不安に思ったことは記憶に新しい。女にしては過分なほどの教養である。
紅明に貴桜とどのように過ごしているのかと聞いたことがあるが、どうも男女の仲というよりも学友や研究仲間のような関係らしいということが分かってさらに不安になった。
紅明が満足しているようなので特に口を挟むつもりはないが、落ち着いたら一度、彼女ともゆっくりと話をするつもりである。
とまれ、若慧も紅明も近頃は大過なく過ごせている。
若慧を妃にするという話も順調に進んでいるらしく、このまま何事もなければ、夏になる前には宣旨が下るだろうということだった。
紅明は若慧のもとを訪れるたびにその腹に触れては、男か女か、名前はどうしようかなどと言っている。
もしかしたら赤子が生まれるのを楽しみにしているのかしら、などと考えてはあり得ないことだと思い直して苦笑する。
まだ当初の予定を何一つとして果たしていないのに、手放しに喜べるわけがなかった。
若慧の懐妊が判明してから、沈華は福達に呼び出されて席を外すことが多くなった。
二人で何を企んでいるのかは知らないが、沈華が留守にしている間は若慧にとっては少しばかり気の休まる時間でもある。
ところが、そういう時に限って訪れてほしくない客というのは来るものであって。
絶対的優位を信じて疑わない、嫌な笑みを浮かべた
「西妃様の遣いで参りました。妃におかれましては、“妹君”である若慧様と久方ぶりにお会いして、ご懐妊のお祝いなどなさりたいとのこと。若慧様のために珍しい果物などもご用意してございます。急なお召しではございますが、私と共に来ていただきたく存じます」
慇懃無礼も甚だしい、否やを言わせない居丈高な物言いである。
子露のことは西家にいた時からよく知っている。若慧の“姉”である西若麗に仕える侍女である。
つまり、彼女も沈華と同じく、若慧の素性を知る一人であった。
若麗は紅徳帝の妃である。たかが皇子に仕えるだけの一介の女官に、急とはいえ呼び出しを断る権限はない。
おまけに若麗にとって若慧は西家の所有物であり、そこに若慧の都合や体調を慮る配慮など欠片も存在しないのだ。
もしここに近頃の若慧の体調を知っている沈華がいれば、顔なじみの子露に抗議するなどして少しの間の時間稼ぎは出来たのだろ。
沈華は福達の忠実な部下ではあるが、同時に職務に関しては非常に有能な侍女でもある。
主に関する全てのことを把握し、体調管理や予定の調整などもその職域に含まれる。
最近では後進の教育にも力を入れているらしい。薔滴がしごかれて涙目になっているのを見かけるようになった。
しかし今、残念ながら彼女は今留守にしている。
恐らく子露もそれが分かっていて訪れたのだろう。昔からそういう時期を読むことの長けた女だった。
眉をひそめた鳳蛾が多少なりとも抗議しようとしたが、事情を知らない彼女では何の力にもなり得ない。前に進み出てきた侍女を制し、若慧はただ頷いて肯定した。
「わたくしも久方ぶりに“お姉さま”にお会いしたいと思っておりました。喜んでご挨拶に伺わせていただきますわ。すぐに準備いたしますゆえ、しばしお待ちくださいませ」
感情のこもらぬ若慧の声に、鳳蛾だけでなく薔滴までもが不安げに主を伺い見る。
「若慧様」
鳳蛾が気づかわし気に声をかけてくるが、無言の視線で黙らせた。
若麗には極力逆らわない方がいい。非常に不本意ながら、若慧にとって福達は飼い主だが、若麗は福達の実の娘である。若麗が福達に妙な告げ口をされてはかなわない。
そんな若慧の心中を察しているのだろう。子露は目を細めて笑みを深めると、満足げに頷いた。