(姓は固定)
第一章 女官編
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西若慧は、煌帝国きっての悪女である。
別に、税金を使って贅沢をしているおかげで国庫に負担をかけているわけでも、有力者に取り入って権威を振りかざし政に口を出しているわけでもない。
むしろ後者は皇后練玉艶が得意とするところである。
実は皇后も影では悪女と囁かれているのだが、曲がりなりにも自国の皇后の悪評を立てるわけにもいかない。
おまけに彼女は魔法に通じた妙な取り巻きを連れており、迂闊に噂話もできない。
次第に、今はまだ“ただの女官”でしかない若慧にお鉢が回り、人々の悪感情が集まってくる。
この日、若慧は本来あるべき場所でありながら普段は絶対に訪れない場所を訪れた。
“そこ”に勤める女官たちが、若慧の姿を認めるなり驚きと恐怖に慄いた。
「あら、みなさま。どうぞお気になさらずに。お仕事をお続けなさって」
にこやかに話す様子すらわざとらしい。
「西若慧。突然現れて、何の用ですか。ここは皇族の方々のお衣装を管理する場所です」
この場所の監督者らしき女官が居丈高に声をかける。
若慧は彼女に向き直ると、やはりにこやかに言い放った。
「ええ、もちろん存じておりますわ。わたくしも、一応はここの女官ということになっておりますもの」
「おや、覚えていたのですね。しかしこれまで一度もまともに仕事をしたこともないというのに、いったいどういう風の吹き回しですか」
応対に出た女官の纏う空気は真冬のように冷たかったが、若慧は気にした様子もなく、眉尻を下げて申し訳なさそうな顔さえしてみせた。
「ああ、どうかお許しを。わたくしとしたことが、宮中の生活に慣れぬあまりみなさまには大変なご迷惑をおかけしてしまいました。このところようやくここのしきたりにも慣れてまいりましたので、お役目を果たさなければとこうして参った次第です」
若慧が言葉を発するごとに部屋の空気が険悪な物へと変わっていく。
どこかで、白々しい、という内容の悪態が聞こえたが、にっこり笑って聞こえなかったふりをした。
女官は相変わらず厳しい目で若慧を見ていたが、すっと顎を上げて尖った声で言った。
「わかりました」
そして近くにいた女官に声をかけた。
「陵舞、今日からこちらの若慧殿と共に仕事をなさい」
監督役の女官は、若慧と話をするよりもその役目を部下に押し付けようとしたらしい。
陵舞と呼ばれた女官が顔を顰めながらも進み出て、若慧に礼をした。
「
「西若慧ですわ。なにぶん初めてでご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いしますね」
「若慧殿。陵舞はあなたと同じ、紅明皇子の衣装を管理しています。生地の選出から仕立て、お支度まで、衣裳に関することすべてがその職務に含まれます。不慣れなあなたには分からないことも多いでしょうから、陵舞に仕事を習いなさい」
その他注意事項などを事務的に述べた後、監督役の女官はこれ以上関わり合いになりたくないとばかりにさっさと自分の仕事に戻っていった。
今更だが若慧は、紅明の衣服に関することを取り仕切るのが役目である。
経験上では陵舞が先輩だが、役職は若慧の方が高い。
まず若慧がすべきことは、紅明の衣裳を全て把握することだった。
陵舞に説明してもらいながら紅明の服や履物、装身具などをすべて検めた。
「陵舞。一つ確認しますが、これは全て紅明様のお持物なのよね」
「もちろんです、若慧様。宝飾品は玉の産地はもとより、お召し物に至っては染色の職人まで厳選しそろえた、逸品ばかりでございます」
陵舞の淡々とした答えに、若慧は思わず指先でこめかみを押さえた。
造りこそ質素ではあるが、流石皇子が身に着ける逸品物というだけあって、どれも見事な品ばかりである。
それなのに、と若慧は紅明の姿を思い返した。
どうすればあれほど風采の上がらない着こなしになるのか。
衣裳の組み合わせも悪くはない。とすると、あれは一種の才能ではないかとすら思えてくる。
陵舞は冷めた眼差しでそれらの品を見ていた。どうやら彼女も若慧と同じことを考えているらしい。
「紅明様のお支度は、侍女の仕事でしたね。彼女たちを選出したのは誰ですの」
「侍女を選出したのは女官長ですが、あの方が能力に見合った人選を行なったとは思えません。皇族の方々、特に紅炎皇子と紅明皇子の身の回りをお世話するのは、みな家柄のみで選ばれておりますゆえ。そのことは若慧様がいちばんよくご存知かと」
「ええ、そう。確かにそうですわね」
陵舞の皮肉をさらりと受け流し、若慧は嘆息した。
現皇帝には多くの実子がいるが、その待遇は千差万別である。
紅炎、紅明の両皇子が比較的厚遇されているのに対し、妾腹の子である紅覇皇子や紅玉皇女は冷遇されているというよりも、もはや忘れ去られた存在になりつつある。
幸い、紅覇も紅玉も従者に恵まれ、自分の力でこの宮中を生き抜いているが、彼らの従者に関しては半ば投げやりな人事が功を奏した結果と言え、紅炎、紅明のそれはまた性質が異なっている。
両皇子の従者には有力者や実力者が多く、それは彼らの将来を嘱望する者たちが多いことを表している。
ただし、彼らに仕える従者、侍女たちの家柄が良いからと言って、能力までもが伴うとは限らない。
職務において部下の実力は見抜けても、私生活に関してはよほどのこだわりがなければ侍女に任せきりになる。
「頭の痛いこと」
ため息交じりに呟けば、陵舞は黙ってゆっくり首を横に振った。
ともかく、若慧の当面の目標は定まった。
陵舞に命じて急いで資料をそろえさせ、裳裾を引きながら颯爽と女官長の元へ乗り込んでいったのである。
紅明は寝起きが悪い。
毎晩遅くまで書類仕事に追われているせいで単純に睡眠時間が短いせいもあるが、そもそも朝が苦手なのである。
故に、毎朝の支度は半分寝ぼけながら侍女たちにされるがままになっているのだが、この日は彼女の姿を認めるなり一瞬で目が覚めた。
「おはようございます、紅明様」
朝早いというのにしっかりとめかし込んだ女が、拱手の礼をとっている。
「おはようございます……若慧」
なぜここに彼女がいるのだろうか。
困惑して立ち尽くす紅明に、若慧はにっこり笑ってこう言った。
「女官長よりご許可をいただきました。本日より、わたくしが紅明様のお支度をお手伝いいたします」
「……いつもの侍女たちはどうしました?」
「侍女たちでしたら、朝餉の準備をしております。さ、お急ぎくださいませ。朝議に遅れてしまいますわ」
言いながら、てきぱきと衣裳を準備していく。
促されるままに衣裳を身に着け、鏡の前に座らされて髪に櫛を当てられる。
最後にどうぞと差し出されたものを見て、紅明はさらに困惑した。
「これをつけるのですか?」
「ええ。皇族たるもの、質素なだけでは下々の者には示しがつきませぬ。威厳を示すためにも、多少は華やかにしていただかなければ」
青い数珠の腕輪と、同じ飾りのついた耳飾りである。
付け慣れないながらも特に深く考えず、言われるがままに仕度を終えて朝食をとるために居室に移ると、朝餉の支度を終えて控えていた侍女たちがそろって目を丸くしていた。
「どうかしましたか?」
「え!? いいえ……」
なぜか皆で目を見合わせながら口ごもる。
不思議に思いながら朝餉を済ませ、いつもと同じように朝議に出席をしたが、途中で出会った紅覇が目を丸くして言った。
「どうしたの、明兄。なんか今日はサッパリしてるじゃん。もしかして髪型変えた?」
「はあ。特に変わってはいないと思うのですが」
つい癖でいつものように後ろ頭を掻いてしまう。
それでも何か違うと、紅覇は首をひねった。
「でもやっぱりいつもと雰囲気違うんだけど。もしかして、昨日はどこか女のところに泊まったとか?」
「昨日は自分の部屋に戻りましたよ。第一、なぜそういう話になるのですか」
「だってほら、いつもの侍女じゃなくて、泊まった女のところの侍女が仕度したんなら雰囲気違っても納得だしさ。こう言っちゃなんだけど、明兄のところの侍女、センスなさすぎぃ」
紅明は少し考えて、ハタと手を打った。
「そういえば今朝は、若慧が仕度をしましたね」
「え、若慧って、“あの”!?」
紅覇が驚いたが、なぜか偶然その場に居合わせたものたちまでもがどよめいた。
「西福達殿の娘の、西若慧ですよ。朝起きたらなぜかいつもの侍女ではなく、彼女が部屋にいたんです」
何の気なしに言う紅明に、紅覇はあからさまな嫌悪感を隠さなかった。
「それって明兄に取り入ろうとしたんじゃないの? 僕、あの女きらぁい。性格悪いし、化粧濃いしぃ」
「意外と素顔はそうでもありませんよ。あれはあくまで社交用です」
紅覇が顔を顰めてべぇっと舌を出した。
「明兄、女の趣味悪すぎぃ」
噂はどうであれ、西若慧の美貌は宮中でも評判である。
対する父親の西福達は、娘によって敵対者が少なくなったために近頃とみに羽振りが良く、贅沢が過ぎるのかただでさえ大きな体をますます脂肪で膨らませて醜さを増していた。
あまりの醜悪さに、最近では“狸”ではなく“化け蛙”と呼ばれるほどである。
よくもあれほど醜怪な生き物からあのように美しい娘が生まれたものだとさえ言われているが、両者とも己の利益のみを追求し、他者を蹴落とすことに長けていることについてのみ、やはり親子だと囁かれていた。
皇族の婚姻には常に利害が付きまとうものであるが、現時点では残念ながら紅明に西福達を遠ざける理由がなく、故に西若慧が紅明の傍に侍ることはなんら不自然ではない。
もちろん、西福達が皇族に近づくことを良く思わない者も少なからず存在するが、今のところ、彼らの努力が実る気配はない。
煌帝国は軍事国家ではあるが、西福達のその勢力は、文官では最も力を持つ者の一人に届くところまで来ている。
そのため余計に西福達が助長する原因となっているのだが、残念ながらその勢いを止められるものがいない。
紅明が西若慧を妃に迎えれば、その勢力を後ろ盾として得ることができるのである。紅明自身にも拒む理由がない。そこに、性格をはじめとする“相性”というものは関与しないのが政治だ。
故に、紅覇の言う『嫌い』という台詞は紅明がただ苦笑するに留まったのであった。