(姓は固定)
第一章 女官編
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きらびやかな衣装を全て剥ぎ取られた惨めな姿で、若慧は呆然と座り込んでいた。
せっかく“父”が用意してくれた真珠の頸飾りも取り上げられてしまった。
禁城の牢の中である。
茶会の席で倒れた蓬簫の食器から毒物が検出されたのだと聞いた。
そして、若慧の座っていた席に混入した後と思しき毒物の包み紙が落ちていたのが見つかったとも。
もちろん若慧には身に覚えのないことである。
毒殺のような証拠隠滅が必要になりそうなことはしないし、なによりあの場で蓬簫を毒殺する利点もない。
第一、自分がやったのであればその場で蓬簫を助けることもしなかった。
むしろ、若慧が機転を利かせてとっさに吐かせたせいで、幸いにも蓬簫の命に別状はないらしい。
しかし御史台の見解は異なるようだった。
深窓の令嬢がとっさに取ったにしては、若慧の行動は的確すぎたのだという。
毒を盛った本人であるがゆえに、その対処法も心得ていたのではないかと、御史台はそう疑っているようだった。
紅明の妃候補の中で、長官を父に持つものは若慧と蓬簫のみ。
もし蓬簫がいなくなれば、身分で若慧にかなうものはいなくなる。
担当した御史は、今度こそ相応の罰を与えてやると息巻いていた。
「姜禎禾が自害した時は上手く逃げられたからな。今度こそ逃げられないぞ。必ずその化けの皮を剥がしてやる」
「禎禾さんのことでしたら、わたくしは関係ないと申し上げたでしょう。もちろん蓬簫さんのことも知りませんわ。毒殺なんて面倒なこと、するはずがないでしょう」
「ほう。毒殺が面倒なだけで、孫蓬簫に殺意は抱いていたわけだな」
嫌な男だと思った。
陰湿で粘着質で、おまけに不潔ですえた匂いがする。
名前は知らないが、若慧が問題を起こすと必ずこの御史がやってくるので、彼が若慧の担当なのかもしれない。
これまでのやり取りから、若慧が何を言っても相手に都合のよいように取られるのは分かりきっていたので、今回は捕らえられてからずっと黙秘を貫いていた。
何も言わなければお前の不利になるぞと脅され、渋々否定の言葉を口にしたとたんにこれだ。
うんざりしてため息をついた。
「随分余裕だな。また父親に助けてもらえるとでも思っているのか? だが残念だったな。今回はちゃーんと動かぬ証拠があるんだ。いくら西長官だとて、証拠を前には手も足も出ないだろうよ」
おそらく若慧は嵌められたのだ。
蓬簫を邪魔に思うものが、わざと見つかるように毒物の包み紙を若慧の席に置いたに違いない。
もしくは、本命は若慧で蓬簫は生贄にされただけなのか。
若慧は臍を噛んだ。
一体誰が若慧を陥れたのか。
御史の言う通り、物的証拠がしっかりしているため今回ばかりは福達の助力も得られない。
「なぁ、西若慧。そろそろ観念しろよ。俺とお前、一体どんだけの付き合いだ? 御史に目を付けられながらこうも無事でいる女官なんざ、聞いたこともねぇよ」
御史は牢の前にふんぞり返って仁王立ちしていた。
「お前は間違いなく流刑になるだろうな。今回の事だけじゃない。これまで無罪になってきた罪も加味されるはずだ。西福達殿は長官職を追われる、西妃様も二度と日の目を見ることはなかろうな。紅明皇子も、お前のような女を抱えていては大変だろうに」
にやにや笑いながら、脅しとも同情ともつかないことを言っている。
それでも若慧は何も言わず、ただ黙って静かに坐していた。
やがて気が済んだのか、御史は満足げに去っていった。
若慧を待っていたのは拷問だった。
獄吏は若慧の背を鞭で叩き、あらぬ罪を吐かせようとする。
手枷をはめられて天井から吊るされた時、以前紅明に手首の痣について指摘されたことを思い出した。
不本意ながら御史台には何度か世話になっているが、本部に連れてこられて拷問されたのは初めてだ。
鞭で打たれるのには慣れている。
奴隷として扱われていたころ、西福達は決して鞭は使わなかったが、商人たちは奴隷たちの心を折るために情け容赦なく痛めつけてきた。
福達は元々政治に利用するつもりで若慧を買ったので、むしろそれまでに付けられた傷跡はほとんどが消えている。
唯一手枷だけは、若慧が暴れたせいで骨まで達する傷になったため、完璧に消えることはなかった。
顔に冷水をかけられ、飛びかけていた意識が浮上した。
鼻や口から入った水を咳き込んで出しながら、きっと化粧が崩れて凄まじいことになっているだろう己の姿を嘆く。
ここに連れてこられて何日が経ったのだろう。
外部と連絡が取れないため、今外がどういう状況になっているのか、福達や沈華は何をしているのか、毒を飲んだ蓬簫の容態すら分からない。
獄吏が持ってくるのは食事と拷問開始の知らせだけだ。
通常、女官が罪を犯した場合は後宮の長である皇后の監督の元、後宮内で裁かれるのが常である。
幾度となく深刻な問題を起こしても御史台が直接若慧に手を出してこなかったのはそういう理由であるが、今回ばかりは違ったようだ。
そういえば、蓬簫の父は刑罰をつかさどる部署の長官だった。
可愛い娘を傷つけられて、父親が怒り心頭に達したということだろうか。
一日数時間の拷問を受け、あとは牢に放り込まれて放置される。
かろうじて食事は与えられるが、寝床や排せつの配慮まではしてくれない。
拷問と不衛生な牢の中で徐々に抵抗する気力を奪っていき、自供を促すのが目的である。
そんな中でも若慧は、最後の気概で以て静かに牢中に端座していた。
鞭で打たれた背中や枷を嵌められたままの手首はずきずきと痛んだが、若慧を若慧たらしめていたのは、自分は無罪だという自信のみである。
時折、拷問にかけられている他の囚人たちの悲鳴が聞こえてくるが、若慧は全てに関心を示さず、ただひたすらじっと耐えていた。
重々しい音を立てて、牢の扉が開かれた。
はっとして顔を上げると、身なりの崩れた女が一人放り込まれる。
「瑛児……さん?」
よくみると、範瑛児だった。
ここに来るまでに相当暴れたらしく、髪も衣裳も乱れてボロボロになっている。
「西若慧。釈放だ、出ろ」
苦々し気な顔の御史が、牢の前で腕を組んで立っていた。
「どういうことですの。なぜ瑛児さんがここに」
「範瑛児の部屋から、孫蓬簫に盛られたものと同じ毒薬が見つかった。この女は孫蓬簫に毒を盛り、その罪をお前に擦り付けたのだ」
「違う! わたくしではない!」
獄吏によって牢の床に押さえつけられている瑛児が叫んだ。
「おのれ西若慧、わたくしを嵌めたわね!」
「黙れ。お前に指示されて薬を手配したと、お前の侍女が証言しているんだ」
若慧は驚いて何も言えなかった。
促されるままに牢を出て、代わりに瑛児が入ったままで無情にも扉に鍵が掛けられる。
「お待ち! わたくしではないと言っているでしょう! ええい、西若慧。覚えておきなさいっ。わたくしは決してお前を許さない!」
格子に縋り付いて泣きわめく瑛児の声が聞こえたが、若慧は振り返ることなく歩き去った。
釈放されても身だしなみを整える余裕は与えられなかった。
軋む体を叱咤しつつ、獄吏に半ば引きずられるようにして歩く。
一歩を踏み出すごとに鞭で打たれた背中が痛み、本当はこの場に蹲ってしまいたかったが、そうしなかったのは若慧の矜持だ。
「相変わらず運のいいやつだ」
同行していた例の御史が毒づいた。
「都合がよすぎるじゃねぇか。孫蓬簫を一番邪魔に思うのは、範瑛児よりもお前の方だろう? なのにお前の身辺を洗えば洗うほど、現場に残されていた包み紙以外は全く証拠が出てきやがらねぇ。それどころか、範瑛児の部屋から毒薬の材料が出て、侍女は自分が手配したと自ら証言した。いったいどうなってやがるんだ、ちくしょう」
もとより、若慧は今回の事件に関しては無関係なのだ。
調べても証拠が出てこないのは仕方ない。
それよりも、なぜ瑛児が蓬簫を毒殺しようとしたのかがわからない。
「蓬簫さんは、どうなったのですか」
「ああ。孫蓬簫なら、先日意識が戻ったそうだ。後は体力さえ回復すれば、後遺症も残らないだろうとよ」
「そうですか。よかった」
心底そう思った。
別に若慧は、蓬簫を嫌っているわけではない。
若慧にとって脅威となる存在でもないのだから、福達の命令がなければ極力手を出さないようにしていただろう。
そう思わせる雰囲気を蓬簫は持っているのだ。
「若慧様!」
悲鳴のような声が聞こえ、女が一人小走りに駆け寄ってきた。
「ああ、若慧様。ご無事でようございました。本当に、一時はどうなることかと」
そう言って体を震わせながら、侍女の沈華が袖で顔を覆った。
「心配をかけたわね。わたくしは大丈夫よ」
沈華を宥めながら、御史の方を振り返る。
「お送りいただきありがとうございます。侍女も参りましたので、ここまでで結構ですわ。世話になりました」
「お前……」
御史は相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「いいか。今度何かやらかしたら、もう容赦はしないぞ。絶対にお前を処刑台に送ってやるから覚悟しておけ!」
吐き捨てるように言う御史を沈華が睨み付ける。
このまま放っておくと食って掛かりかねないので、若慧は慌てて二人の間に割って入った。
「是非、楽しみにしておりますわ」
そうして艶やかに笑って、未だに険しい顔をしている沈華を引き連れて居所へと戻っていったのであった。