序章

 空が青い。
 白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。
 今日も島は快晴だ。空高く飛んでいる鳥を見上げ、ピィッと指笛を吹く。すると鳥は指笛に気付き、スゥッとこちらへ向かってきた。奇異な鳴き声を発しながらの急降下。思った通り、魔物だった。
 向かってくる魔物から目をそらさぬまま、アレンは立っていた。鋭いくちばしが陽光を浴びて輝く。もう間もなく、その切っ先が届く、その直前。
 魔物の視界から、獲物が消えた。直後、右翼に何かが当たった。飛行のバランスを失った魔物が地上に落ちる。
 何が起こったのか分からない。魔物が左翼でバランスを取って立ち上がろうとした瞬間。

「セイヤッ!!」

 魔物の直上へと飛び上がったアレンが、重力と回転を味方につけて魔物へと跳びかかった。双剣を持ちかえ、急所の一点を目掛けて突き刺す。そのまま魔物を踏み台に地面へと降り立ったアレンは、元の持ち方へと戻し、懐へと飛び込んで同じく急所を突いた。
 断末魔の叫び声を上げた魔物が地面へと倒れ伏す。そのまま半透明になり、やがて消えていった。

「お見事!」

 向かい側から叔母のヘレンが手を叩いて歩いてくる。隣には退屈そうに欠伸をかますジェダもいた。

「さすがジェダの一番弟子ね。鮮やかな剣さばきだったわ」
「ありがとう叔母さん。やっと双剣でも、実戦で戦えるようにはなったかな」
「ええ、これならアトランタでも充分通用するわ」
「ま、やるようにはなったんじゃねえか」

 アレンが双剣を納めると、ジェダはじっとアレンを見つめた。こういうときは、何か考えてる合図なんだよな、とアレンは長年の付き合いで知っている。

「なんだよ、じいさん」
「アレン、あとで俺の家に寄れ。見せたいモンがある」
「分かった」

 ひらりと右手を振り、ジェダが草原を去っていく。向かう方角は村がある方だから、このまま村へ戻るのだろう。
 それを目だけで見送ると、ヘレンがパン、と手を叩いた。

「それじゃあ、次はエドナちゃんの番ね」

 遠くでヘレンの杖を持ったエドナがこちらへと走ってくる。にっこりと笑ったヘレンは、右手を空にかざし、呪文を唱えた。
 ヘレンの手から眩しい光が飛び出し、森の方へと飛んでいく。エドナは杖を構え、森の方角を見据えた。
 次の瞬間、森から猛スピードで猪が駆けてくる。これももちろん魔物――先程の鳥を思わせる魔物もだが、これらはすべてヘレンが用意した模倣体コピーだ。
 森から草原のエドナまではまだかなりの距離がある。エドナは慌てることもなく、落ち着いた声で呪文を唱えた。

フレイム!」

 猪の身体が炎で覆われる、と思ったが、その直前で魔物はそれをかわした。魔物は勢いを殺さぬまま、こちらへと向かってくる。それでもエドナは焦ることすらなかった。まずは足止めが先だと、先程とは別の魔法を唱えた。

減速スロウ!」

 途端、魔物の動きが急速に遅くなった。これにはアレンも感嘆の声を上げる。魔法の効力を見逃さず、エドナは杖の先を再び魔物に向け、

サンダー!」

 何もない晴天から一筋の稲妻が魔物に直撃する。動きが遅くなっている魔物は回避もままならず、それをまともに受けた。どう、と横たわり、ピクピクと何度か痙攣して見せたのち、アレンの時と同様に消えていった。

「……やった!」

 杖を持ったまま、エドナが破顔して飛び上がった。ヘレンも教え子の成長を喜ぶようににっこりと笑みを浮かべる。

「ええ、見事だったわ。これで二人とも、外へ出ても大丈夫ね」
「どう、アレン?私だって戦えるんだから!」

 得意げな顔でエドナがアレンを振り返る。その自信にあふれた物言いに、アレンは何故か不安を感じた。アレンの頭の中を、いつかジェダに言われた言葉が駆ける。
――いいかボウズ、目標を達成できたからってそれに満足しちまうと、人間はそこから成長しねえ。ましてや、お前みてえに戦う力を磨いてるやつだとなおさらだ。常に高い目標を持て。じゃねえと、お前は外に出た途端、死んじまうぞ。

「これで満足すんなよ」

 口を衝いて出た言葉は忠告で、気付いた時にはエドナは怒ったようにそっぽを向いていた。やってしまった。なんと言い訳しようかとアレンが頭を悩ませていると、そのエドナが急に肩を落とした。

「でも、アレンが言うならそうなんだろうね。これで満足しちゃ駄目だって私も思う。ありがとう、アレン」
「え……あ、おう」

 杖をヘレンに返すエドナを見ながら、アレンは自然と、自分の両腰に下がっている双剣に触れていた。一年前から使い続けている愛用の双剣。使い慣れているはずなのに、いつまで経っても違和感を拭いきれない。自分に合っていないというわけではないようで、確かについ先ほども、この双剣で魔物を倒したのだから、使いこなせてはいるのだが。

「さ、今日はもう戻りましょう。今夜は村で送別会よ」

 綺麗にウインクをしてみせた叔母が、転移魔法を唱える。目の前の風景と足元がぐにゃりと曲がったような感覚から、足元と目の前の景色がしっかりとしたものに戻る。そこは先程までいた草原ではなく、村の入り口だった。

「明日は早いんだから、あんまり遅くまで起きちゃ駄目よ」
「はい。気を付けるわ」

 一等高い場所にある家へ戻るエドナを見送り、アレンは入り口付近でヘレンと別れた。アレンの足はジェダの家へと向かっていく。
 ジェダの家は村の奥まった場所に建っており、ジェダは息子夫婦と共に住んでいた。家の前ではその夫婦の妻が、干していた洗濯物を取り込んでいる最中だった。

「あら、アレン君。今日もお疲れ様」
「こんにちは、おばさん。じいさんいる?」
「お義父様なら、蔵の方へ向かったわよ」
「ありがとう」

 家の裏手にある蔵に回ると、確かに扉が開いていた。薄暗い蔵の中に踏み入ると、僅かにかび臭いにおいが鼻をつく。その中に、ジェダの後姿を見た。

「じいさん、来たぞ」
「おう、アレン。おせえぞ」
「悪かったな」

 ふと、ジェダが何をしているのかが気になり、隣に並んで手元を覗く。ジェダは一つの大きな箱の前で腰を下ろし、錠に鍵を差し込んだ。カチリと軽い音がして、鍵が開く。それを横に置き、ジェダは「どっこいせ」とかけ声をかけながら立ち上がった。

「これは?」
「開けてみろ」

 数瞬の躊躇いの後、アレンは言われた通りに箱のふたを両手で開いた。中には質感のある布で覆われた何かが横たえてある。ジェダを見上げると、顎でそれを指された。アレンはこれまた躊躇い、おそるおそる布をめくった。

「……!じいさん、これ……」
「そいつを、お前に渡そうと思ってな」

 布にくるまれていたのは、双剣。それも、今まで見たこともない程の輝きを放つ剣で、相当の名剣であるのは一目でわかる。柄と剣の根元には細かな装飾が彫られており、左右それぞれの装飾は微妙に違っていた。

「元々はお前の家に伝わってたモンだ。それを俺が、お前の親父さんから管理を任された。お前の親父さんは使えなかったからな」
「え?じゃあ、祖父さんも使ってたってことか?」
「いんや、こいつはずっとしまわれっぱなしだった。お前んとこの祖父さんは確かに双剣の腕は良かったが、こいつを扱うほどじゃあなかったのさ。だが、お前ならこいつを使いこなせるだろう」
「こんなすごいものが、なんでうちなんかに……」

 思わず呟くと、ジェダは近くにあった椅子にどっかりと座り、そこに頬杖をついた。それからアレンにこう尋ねた。

「英雄伝説は知ってるな?」
「ああ、五百年前に破滅の王を討ったっていう英雄だろ?けど、それとこれに何の関係が……」
「その英雄が使ってた双剣には、名前がついててな。勇敢ブレイブ裁きジャッジっつうんだが」
勇敢ブレイブ裁きジャッジ……」

 箱に納められた双剣の柄の辺りの装飾を見つめる。目を凝らすと、そこには文字が刻まれていた。それを読みとった瞬間、アレンは全身の体温が急速に下がるのを感じた。
 なぜなら、そこには、勇敢ブレイブの文字が刻まれていたのだから──。

「な、んで……」
「それは俺にも分からねえ。確実なのは、お前の祖先は、元をたどると英雄にたどり着くってことと、今この場に、勇敢ブレイブ裁きジャッジがあるってことだ」
「なんで、こんな大事なこと、ずっと黙ってたんだ……」
「言ってどうする。お前は調子に乗るだけで、なーんも良い事なんざありやしねえだろうが」

 確かにその通りだったかもしれない。自分のことは自分がよく分かっている、とはよく言ったものだが、おそらくジェダの言う通りになっていたはずだ。知らなかったからこそ、アレンはがむしゃらに双剣の鍛錬に打ち込めた。

「知ってたら、多分、ここまで本気でやってなかった、と思う。ジェダにも相手にしてもらえなかっただろうし」
「おう、門前払いに決まってらぁ。話を戻すが、アレン。お前ならこいつを扱えるだろうと俺は踏んでる。その双剣で満足してねえだろう」

 思わず、今装備している双剣を押さえた。確かにこれもいい剣ではあるのだが、やはり違和感が付きまとっていた。目の前にある剣なら、違和感はないのだろうか。
 試してみたい気持ちと、それでも違和感が消えなかったらという不安が混じる。
 しかしアレンは、英雄が遺した双剣に手を伸ばした。
 腰から双剣を外し、英雄の双剣を装備する。それから、震える手をグッと握りしめ、柄に手を添える。
 きつく目を閉じてから、アレンはその目を見開いた。同時に双剣を抜き放つ。

「あ……」

 抜き放った瞬間、身体がしっくりと馴染んだ。違和感などどこにもない。まるで体の一部になったような錯覚すら覚えた。この双剣を使いこなせる自信も沸いてくる。

「言った通りだろ、お前なら使いこなせるってよ。外に出て売ったり盗まれたりするんじゃねえぞ」
「しねえよ、こんな大切なもの……」

 五百年前に実際に使われていたはずだというのに、この双剣は新品のように力強さと鋭利さを兼ね備えていた。おそらく砥いだりせずともその攻撃力は衰えないだろう。
 双剣を握りしめてじっと見つめるアレンをしばらく見つめていたジェダは、どこか満足げに笑うと蔵を出た。閉じ込めちまうぞ、とアレンに声をかけると、アレンが慌てて蔵を飛び出す。手を振って走り去っていくその姿は、何年も前にジェダに剣の指南を乞うてきた少年から見違えるほど逞しく成長していた。

「アレンが英雄アレンの剣を使う。……なにもおかしいことはねえ。そうなるのが必然だったってことだ」

 アレンがこの島で過ごす最後の夜が訪れる。英雄の名を持つ彼は、この広い世界で何を見、何を知り、何を思うのだろう。
 あいつは英雄になれると思うか。
 心のうちで、誰ともなく問いかける。当然、答えはない。それでいい、と思う。

 英雄というのは、なるものではなく、呼ばれるものであるのだから。
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