序章
翌日。
しっかりと朝食をとったアレンが向かった先は、いつもの森の奥――ではなく。
村の長の家だった。昨晩、父から長に会うよう言われていたためだ。昨日の寄合での話し合いがあっての今日の呼びだしなのだから、何の話なのかは想像に難くなかった。
長の家の前に着き、扉を開けると、ちょうど向こうから父とヘレンの姿が見えた。アレンが気付くのと同時に、向かいの二人もアレンに気付き、
「おはようアレン」
「おはよう。村長が待っていらっしゃるわよ」
「おはよう二人とも」
朝の挨拶をかわし、三人はすれ違った。そのまま二人は外へ、アレンは今し方二人が出てきた部屋へと向かう。途中で使用人がアレンに気付き、案内をしてくれた。
部屋の前まで来ると、中から微かに笑い声のようなものが聞こえてくる。使用人がドアをノックし、アレンの来訪を告げると、入室するよう返答が来た。
「し、失礼します。おはようございます」
礼を欠かぬように注意を払いながら、ドアを開けてから頭を下げる。それから音を立てないようにドアを閉め、村長の方を振り返ると、隣にジェダがいることに気が付いた。
「じいさん、なんでここに」
「俺も用があるんだよ」
「おはよう、アレン。昨晩はエドナが訪ねてすまなかった」
村長に声をかけられ、アレンの身体がぴんと伸びる。それからぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「いえっ、俺は気にしてないです」
「そうか。さて、ではいきなりだが本題に入りたい。アレン、そこの椅子にでも座りなさい」
「はいっ、失礼します」
緊張しているのが分かったのか、ジェダは先程から肩を震わせて静かに爆笑している。殴ってやりたい気持ちになったが、アレンはグッと右手を左手で押さえつけた。
「お前を呼び出したのは他でもない。エドナが次の外行きだというのは知っているね」
「あ、はい。父から聞きました」
「今回は特例だが、もう一人つけようと思っている。それがお前だというのも?」
「父から聞いています」
村長とジェダが顔を見合わせ、お互いに頷く。それからジェダが口を開いた。
「単調直入に聞くぞ、アレン。お前にエドナのお嬢を守る決意はあるか」
「いいか、アレン。外での役目を負うのはあくまでエドナであって、お前はいわば、エドナの護衛だ。それを理解しているのかを問うている」
束の間、アレンは答えに詰まった。浮かれてはいたが、頭の片隅には置いていたつもりだった。自分はあくまで、エドナを守る為に外に出るのだ、と。
だが、外へ出たいという願いは、欲求は、エドナの護衛という理由では満足できない程に膨れ上がっている。
外の景色を、その世界をこの目で見てみたい――。ジェダに剣を習う前から抱いていた希望は、提示された条件では到底叶いそうもない。
それを承知で外へ出るのか。それとも、外への憧れを胸に抱いたまま、この狭い村で生き続けるのか――。
答えは半分決まったようなものだった。あとは己の自己中心的で浅薄な欲求を、理由で縛って二度と抱けぬように殺すだけだった。
それだけだった、はずなのに。
「正直に言っていい、アレン。お前の返答で、お前を咎めたりはしない」
村長の静かな声にアレンは顔を上げる。しかし再び俯いたアレンは、途切れ途切れに言葉を発した。
「頭では、理解してます。俺の役目は、エドナを、守ることだって。でも……」
「でも……、なんだ?」
「全部言っちまえアレン。今更隠すのはなしだ」
ジェダの後押しで、アレンは覚悟を決めた。本当の気持ちを隠したまま、嘘偽りを並べて、長やジェダをだましてまで外に出たって意味はない。ぐっと膝の上で握りしめた手のひらは、力を入れ過ぎて白くなっていた。
「でも、俺は、俺自身の目で、身体で、世界を見てみたい。感じてみたい。だって、いつ滅ぶかも分からない世界なんだ。見られるときに、しっかりとこの目で見てみたいんだ」
長の目が細められる。叱責を覚悟して、アレンは目を固く瞑った。だが、言い切ったことで胸のうちはスッキリとしていた。これで外行きを禁止されても文句はない。そう思えるほどに。
「……護衛の枠に収めるには、もったいないようだな、ジェダ」
「そりゃあそうでしょう。コイツの頭ん中は探究心でパンパンなんだもんな」
「っははは、探究心か。探究心、うむ、それは大切だぞアレン。大切なものだ」
滅多に笑わない長が声を上げて笑った。少なからずアレンはそれに驚いた。そんなにおかしいだろうか。なにか間違ったことを言ったのだろうか。ぐるぐるとアレンが考えていると、長が咳ばらいをした。
「アレン。お前はエドナの護衛としてはふさわしくない。よって、お前を護衛として外に出す件については、ただ今を持って廃案とする」
ぱきん、と体の中の何かが折れた音がした。それはおそらく、長が大切だと言った探究心であっただろう。全身の力が抜け、アレンは茫然と膝に置かれた手を見つめていた。
決まった。自分は一生、この狭い島から出ることは出来ない。広大な世界を見て回ることもできない。自分の中の世界は、この閉ざされた「名もなき島」ただそれだけだ。
力なくうなだれるアレンを見て、ジェダは面倒だと言わんばかりにため息をついた。
「最後までよく聞け、バカ。誰もお前を外に出さねえなんざ言ってねえ」
「……でも、エドナの護衛にはふさわしくないんだろ」
「確かに、エドナの護衛としてはふさわしくないだろう。……だが、私はお前を、正式な外への使者として、外へ遣ろうと決めた」
弾かれたようにアレンが顔を上げる。これでもかと見開かれた瞳が、じわりじわりと潤んでいく。
「お前もエドナと共に、世界を見てきなさい。世界が何に直面しているのか、お前に何ができるのか、しっかりとその目で見極めなさい」
優しくかけられた言葉がアレンの身体に滲みていく。気が付けばアレンは頬を涙で濡らしていた。
「村長……。俺っ……、ちゃんとエドナも、守ります。世界のことも、知りたいこと全部、全部見てきます」
乱暴に目元をこすったアレンが立ち上がる。そして目元は赤いまま、その表情を引き締めた。
「だから、エドナのことも、俺のことも、心配しないでください」
「元より心配はしていない。エドナのことを頼んだ」
「はい!」
頼もしさを感じさせる返事に、長はアレンの成長を感じた。もう一度ジェダと顔を合わせると、ジェダも満足そうに笑って頷く。長も頷き返し、アレンと目を合わせた。
「出立は来月とする。いいな」
「はい」
「いい返事が聞けて良かった。エドナも安心したことだろう。ジェダ、これから鍛錬か」
「もちろん、一日休むと取り戻すのに三日かかりますんでね。行くぞアレン、今日も双剣の鍛錬だ」
「おうっ!」
アレンが一礼して部屋を去ると、ジェダは後に続きかけ、足を止めた。それから長を振り返る。
「俺はね、村長。アイツは只者じゃあねえ予感がしてらぁ」
「というと?」
「英雄が消えたってのは、ひょっとするとでまかせかもしれねえってことでさ」
「……ジェダ」
「どうだか知らないがね。俺の見当違いで終わるかもしれねえ。まっ、年寄りの妄言だとでも思ってくだせえ。それじゃ」
ひらりと手を振り、ジェダが部屋を出て行く。残された長は顎をさすり、それから鍵のついた引き出しに、鍵を差し込んだ。カチリと音がして、錠が開く。その引き出しを開ければ、中には一つの古びた羊皮紙が入っている。
長はそれを机に広げ、いちばん上に書かれた人の名前を指でなぞった。それから伸ばされた線をたどっていく。家系図が書かれたその羊皮紙の最後に書かれた名は「アレン」。そして、いちばん上に書かれていた人の名は――。
「英雄 ……。これは偶然ではないとでも?」
自分自身に問いかけるような呟きは、部屋の中で消えた。ため息をついた長は、羊皮紙を元通りに丸め、紐で綴じなおし、元あったように引き出しに仕舞い込み、カチリと施錠をした。
「すべては年寄りと馬鹿な男の妄言だろうよ……」
だがもし、これが妄言ではなかったら。
長はそこで考えることをやめ、肘をついて組んだ手に額を当て、何度目かのため息をついたのだった。
しっかりと朝食をとったアレンが向かった先は、いつもの森の奥――ではなく。
村の長の家だった。昨晩、父から長に会うよう言われていたためだ。昨日の寄合での話し合いがあっての今日の呼びだしなのだから、何の話なのかは想像に難くなかった。
長の家の前に着き、扉を開けると、ちょうど向こうから父とヘレンの姿が見えた。アレンが気付くのと同時に、向かいの二人もアレンに気付き、
「おはようアレン」
「おはよう。村長が待っていらっしゃるわよ」
「おはよう二人とも」
朝の挨拶をかわし、三人はすれ違った。そのまま二人は外へ、アレンは今し方二人が出てきた部屋へと向かう。途中で使用人がアレンに気付き、案内をしてくれた。
部屋の前まで来ると、中から微かに笑い声のようなものが聞こえてくる。使用人がドアをノックし、アレンの来訪を告げると、入室するよう返答が来た。
「し、失礼します。おはようございます」
礼を欠かぬように注意を払いながら、ドアを開けてから頭を下げる。それから音を立てないようにドアを閉め、村長の方を振り返ると、隣にジェダがいることに気が付いた。
「じいさん、なんでここに」
「俺も用があるんだよ」
「おはよう、アレン。昨晩はエドナが訪ねてすまなかった」
村長に声をかけられ、アレンの身体がぴんと伸びる。それからぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「いえっ、俺は気にしてないです」
「そうか。さて、ではいきなりだが本題に入りたい。アレン、そこの椅子にでも座りなさい」
「はいっ、失礼します」
緊張しているのが分かったのか、ジェダは先程から肩を震わせて静かに爆笑している。殴ってやりたい気持ちになったが、アレンはグッと右手を左手で押さえつけた。
「お前を呼び出したのは他でもない。エドナが次の外行きだというのは知っているね」
「あ、はい。父から聞きました」
「今回は特例だが、もう一人つけようと思っている。それがお前だというのも?」
「父から聞いています」
村長とジェダが顔を見合わせ、お互いに頷く。それからジェダが口を開いた。
「単調直入に聞くぞ、アレン。お前にエドナのお嬢を守る決意はあるか」
「いいか、アレン。外での役目を負うのはあくまでエドナであって、お前はいわば、エドナの護衛だ。それを理解しているのかを問うている」
束の間、アレンは答えに詰まった。浮かれてはいたが、頭の片隅には置いていたつもりだった。自分はあくまで、エドナを守る為に外に出るのだ、と。
だが、外へ出たいという願いは、欲求は、エドナの護衛という理由では満足できない程に膨れ上がっている。
外の景色を、その世界をこの目で見てみたい――。ジェダに剣を習う前から抱いていた希望は、提示された条件では到底叶いそうもない。
それを承知で外へ出るのか。それとも、外への憧れを胸に抱いたまま、この狭い村で生き続けるのか――。
答えは半分決まったようなものだった。あとは己の自己中心的で浅薄な欲求を、理由で縛って二度と抱けぬように殺すだけだった。
それだけだった、はずなのに。
「正直に言っていい、アレン。お前の返答で、お前を咎めたりはしない」
村長の静かな声にアレンは顔を上げる。しかし再び俯いたアレンは、途切れ途切れに言葉を発した。
「頭では、理解してます。俺の役目は、エドナを、守ることだって。でも……」
「でも……、なんだ?」
「全部言っちまえアレン。今更隠すのはなしだ」
ジェダの後押しで、アレンは覚悟を決めた。本当の気持ちを隠したまま、嘘偽りを並べて、長やジェダをだましてまで外に出たって意味はない。ぐっと膝の上で握りしめた手のひらは、力を入れ過ぎて白くなっていた。
「でも、俺は、俺自身の目で、身体で、世界を見てみたい。感じてみたい。だって、いつ滅ぶかも分からない世界なんだ。見られるときに、しっかりとこの目で見てみたいんだ」
長の目が細められる。叱責を覚悟して、アレンは目を固く瞑った。だが、言い切ったことで胸のうちはスッキリとしていた。これで外行きを禁止されても文句はない。そう思えるほどに。
「……護衛の枠に収めるには、もったいないようだな、ジェダ」
「そりゃあそうでしょう。コイツの頭ん中は探究心でパンパンなんだもんな」
「っははは、探究心か。探究心、うむ、それは大切だぞアレン。大切なものだ」
滅多に笑わない長が声を上げて笑った。少なからずアレンはそれに驚いた。そんなにおかしいだろうか。なにか間違ったことを言ったのだろうか。ぐるぐるとアレンが考えていると、長が咳ばらいをした。
「アレン。お前はエドナの護衛としてはふさわしくない。よって、お前を護衛として外に出す件については、ただ今を持って廃案とする」
ぱきん、と体の中の何かが折れた音がした。それはおそらく、長が大切だと言った探究心であっただろう。全身の力が抜け、アレンは茫然と膝に置かれた手を見つめていた。
決まった。自分は一生、この狭い島から出ることは出来ない。広大な世界を見て回ることもできない。自分の中の世界は、この閉ざされた「名もなき島」ただそれだけだ。
力なくうなだれるアレンを見て、ジェダは面倒だと言わんばかりにため息をついた。
「最後までよく聞け、バカ。誰もお前を外に出さねえなんざ言ってねえ」
「……でも、エドナの護衛にはふさわしくないんだろ」
「確かに、エドナの護衛としてはふさわしくないだろう。……だが、私はお前を、正式な外への使者として、外へ遣ろうと決めた」
弾かれたようにアレンが顔を上げる。これでもかと見開かれた瞳が、じわりじわりと潤んでいく。
「お前もエドナと共に、世界を見てきなさい。世界が何に直面しているのか、お前に何ができるのか、しっかりとその目で見極めなさい」
優しくかけられた言葉がアレンの身体に滲みていく。気が付けばアレンは頬を涙で濡らしていた。
「村長……。俺っ……、ちゃんとエドナも、守ります。世界のことも、知りたいこと全部、全部見てきます」
乱暴に目元をこすったアレンが立ち上がる。そして目元は赤いまま、その表情を引き締めた。
「だから、エドナのことも、俺のことも、心配しないでください」
「元より心配はしていない。エドナのことを頼んだ」
「はい!」
頼もしさを感じさせる返事に、長はアレンの成長を感じた。もう一度ジェダと顔を合わせると、ジェダも満足そうに笑って頷く。長も頷き返し、アレンと目を合わせた。
「出立は来月とする。いいな」
「はい」
「いい返事が聞けて良かった。エドナも安心したことだろう。ジェダ、これから鍛錬か」
「もちろん、一日休むと取り戻すのに三日かかりますんでね。行くぞアレン、今日も双剣の鍛錬だ」
「おうっ!」
アレンが一礼して部屋を去ると、ジェダは後に続きかけ、足を止めた。それから長を振り返る。
「俺はね、村長。アイツは只者じゃあねえ予感がしてらぁ」
「というと?」
「英雄が消えたってのは、ひょっとするとでまかせかもしれねえってことでさ」
「……ジェダ」
「どうだか知らないがね。俺の見当違いで終わるかもしれねえ。まっ、年寄りの妄言だとでも思ってくだせえ。それじゃ」
ひらりと手を振り、ジェダが部屋を出て行く。残された長は顎をさすり、それから鍵のついた引き出しに、鍵を差し込んだ。カチリと音がして、錠が開く。その引き出しを開ければ、中には一つの古びた羊皮紙が入っている。
長はそれを机に広げ、いちばん上に書かれた人の名前を指でなぞった。それから伸ばされた線をたどっていく。家系図が書かれたその羊皮紙の最後に書かれた名は「アレン」。そして、いちばん上に書かれていた人の名は――。
「
自分自身に問いかけるような呟きは、部屋の中で消えた。ため息をついた長は、羊皮紙を元通りに丸め、紐で綴じなおし、元あったように引き出しに仕舞い込み、カチリと施錠をした。
「すべては年寄りと馬鹿な男の妄言だろうよ……」
だがもし、これが妄言ではなかったら。
長はそこで考えることをやめ、肘をついて組んだ手に額を当て、何度目かのため息をついたのだった。