序章
ヘレンが帰郷してから、ちょうど一年が経った。
一年経とうとも、島は変わらない生活をしていた。
アレンは変わらずジェダとの鍛錬に打ち込み、ヘレンは村の討伐隊と共に、周辺に出没する魔物の討伐を行っていた。
エドナは家の手伝いをする傍ら、ヘレンから魔法の手ほどきを受けているようだった。以前、アレンが怪我をして鍛錬から帰った時、自慢げに呪文を唱えて怪我を治したこともある。
そのときばかりは、魔法は便利だと感心したのだが、だからといって使えるようになりたいかと言われれば、アレンはそれを否定している。
島や村に変わったことは特にはない。いつも通りの日常を、それぞれが過ごしていた。
空が茜色になってからしばらくもすれば、そこには星が瞬きだす。
アレンは父親のいない家で、母と祖父母と共に夕食を取っていた。今日の鍛錬はどうだった、など、他愛のない話をしながら食事を進めていると、
「ただいま」
アレンの父親がようやく帰って来た。
「おかえり。寄合はどうだった?」
アレン一家の代表として、村の寄合に出席していた父は、自分の席に腰を下ろすと、
「エドナに決まったよ」
とだけ答えた。
今日の寄合の議題は、次に外へと誰を遣るかであった。一年前、村の長がエドナを外へと言っていたので、そこに関してはアレンも、他の村人も予想済みだった。
「いいのかい、長の一人娘だろう。行ったら十年は戻って来られないんだよ。嫁の貰い手も無くなるだろうに」
祖母の言い分ももっともで、エドナが外に出る際に気を遣う部分もそこだといってよかった。エドナが戻ってくる頃には、彼女は二十九になっている。当然、村の若い男衆は全員が所帯を持っており、エドナの嫁入り先は無いだろうと言われている。
「それなんだがな」
父は気難しい顔を崩さぬまま、今度はアレンを見た。視線を受け、自然とアレンの食事をとる手が止まる。
「な、なんだよ」
「今回は二人、だそうだ」
「二人?」
聞き返したのは祖父だ。祖父も何十年も前に、外へ出る役目を担ったと聞いている。そのため、祖母は十年、祖父の帰りを待ったそうだ。
それはともかく、と祖父母の話を隅に追いやる。
「二人って、エドナともう一人ってことか?」
「ああ、そうだ」
「へえ」
少しだけ目を見張って、祖父がまた食事を再開する。母が父の前に、夕食の皿を置くと、父も食事をとり出した。
「それ、誰なんだ?」
「エドナと一緒に行く奴か。お前だよ」
「へえ、俺か。……俺!?」
思わず聞き流すところだった。アレンは今度こそ食事を中断した。それから父親に体ごと向き直る
「それ、本当なのか。俺が行くって」
「本当だ。村長がな、お前ならエドナを任せられるってよ」
「買い被りすぎさ。この脳みそまで筋肉で詰まってるような男がエドナちゃんを守れるもんかい」
「そう言ってやるなよ。アレンは喧嘩やら戦いやらにおいては、頭が働くからね。守るって点では、この村の若衆でアレンの右に出る奴はいないよ」
祖母が楽しげに笑って手を合わせた。この村での食事を終えた挨拶だ。続いて祖父も手を合わせ、席を立つ。母親はどこか不満げに眉間にしわを寄せながらも食べ続け、父親は何食わぬ顔で食事を続けた。アレンはというと、唐突にもたらされた外へ出る絶好の機会で、食事をする手が完全に止まっていた。
「アレン!手が止まってるよ」
「ああ、悪い!」
「本当に大丈夫なのかい、こんなんで」
「なんだよ、俺だって戦えるんだからな」
むっとした気持ちを飲み込むように、夕食を掻きこむ。それからパンッと手を合わせると、アレンも席を立って部屋へと戻っていった。
ベッドに倒れ込むと、冷静になった頭が父親の言葉を繰り返していく。
「俺が、外に出られる……」
夢ではないだろうか。ずっと外に出たいと願ってきた自分に、神様からの贈り物だろうか。自然とアレンの口角が上がっていく。笑い声が漏れ始めた時、部屋の戸をノックする音が聞こえた。
「アレン。明日の昼すぎ、村長の家に行くように」
「ああ、分かった。ありがとう父さん」
父の足音が隣の部屋のあたりで途絶える。アレンの隣の部屋は両親の部屋であるため、おそらくもう寝るのだろう。明日は父も討伐隊の仕事で、日が昇る前に家を出ると言っていたから。
母や祖父母は起きているが、叔母のヘレンは討伐の仕事からまだ戻っていない。
はじめこそ目を閉じていたアレンだったが、案の定、興奮から眠気など一向に来る気配もなく。唸りながらも寝返りを打った時だった。
「アレン、あなたにお客人よ」
ドアの向こうからヘレンの声がそう伝えた。ヘレンは一日中、討伐の方を手伝っていたため、今帰って来たというところか。
「俺に?分かった。あと、お帰り叔母さん」
「ただいま」
ドアを開け、横に立っていたヘレンにそう言うと、アレンは階段を駆け下りた。リビングのテーブルにはそのお客人の姿があり、アレンの足もそこで止まった。
「あ、アレン……」
「よう、エドナ……」
お客人とは、まさしく話題の中心であったエドナだった。その表情はどことなく暗く、アレンは訝しげに眉を顰めながらもエドナの正面に座った。
「どうしたんだよ、こんな時間に尋ねてくるなんて。村長の許可がよく下りたな」
村の家は、どこも大抵は日が落ちてからの外出を良しとしない。村長の家はなおさら厳しいだろうと思われたのだが、エドナはそれをやんわりと否定した。
「お父さんが、行けって言ってくれたから」
「そうか。それで、何か用なんだよな」
「私が次に外に行くって言うのは、アレンも知ってるよね。それにアレンも同行するっていう話も」
「全部父さんから聞いた。俺の腕が見込まれたって」
「アレンは、いいの?」
エドナからの問いに、アレンは首を傾げた。
「いいも何も、俺は元から外に出たかったし、村長直々に行けって言ってくれたんだから、これを逃す手はないと思ってる」
「うん……。アレンはそう言うと思って。でも私なんかも一緒でいいのかなって。本当は私じゃなくて、アレンの方がお役目に相応しいんじゃないかなって、ずっと考えてる」
それで浮かない顔だったのかと合点がいく。しっかり者と周囲から謳われるエドナだが、彼女が行くのは未知の世界に等しい場所。それはアレンにも言えることなのだが、アレンとエドナとの違いは、そこに希望を抱くか不安を抱くかと言える。アレンの場合、さすが外へ行きたがっていただけあり、この役目に対して嬉しさと興奮を隠し切れていない。だがエドナは己の未熟さを知っており、それゆえに役目に対して不安を抱かざるを得なかった。
「大丈夫、だと思う。確証はないけど」
かける言葉に迷った末、出てきた言葉はそれだった。俯きかけていたエドナが顔を上げる。アレンは頭を掻きながらも続けた。
「お前、俺と違って突っ走らないし、迷ってるってことは、ちゃんと考えてるってことだし。俺はお前と違って、けっこう考えなしなところがあるから。俺が突っ走っても、お前なら止めてくれるだろ。だから、俺とお前の二人なら大丈夫だろうなって思った。あとはやってみないと分からない」
「アレン……。もしかして、アンタ、外に出られるってだけで簡単に引き受けたでしょ」
「か、簡単に引き受けたわけじゃ……。というか、事後報告だったし」
「お父さんの方が許可出しちゃってたってこと?アンタに黙って?」
「多分そう」
エドナがため息をつく。それからスッと立ち上がり、玄関まで歩いて行った。
「帰るのか?」
「アンタの考えなしは父親譲りって分かったわ。これは私がいないと駄目そうね。仕方ないけど、アンタの分までしっかりしなきゃ」
呆れたような口ぶりとは裏腹に、エドナの表情は明るい。アレンは呆れたように笑って見せ、自身も椅子から立った。
「送るよ」
「大丈夫。じゃあね、また明日」
軽く手を振り、エドナが家を出る。玄関先でそれを見送ったアレンは欠伸をひとつし、今度は眠れそうだと心の中で言いながら部屋へと戻るのだった。
翌日。
「――では、手筈の通りに」
「はい、村長」
日の光が差し込む部屋。長を前にしたヘレンとアレンの父は、長と隣に立つジェダに一礼して部屋を去っていった。
「いいんですかい、あんな小便垂れなんぞがエドナのお嬢のお守りで」
「私はアレンを信じている。それに、言い出したのはお前だと聞いたが」
長の横目の視線を受け、ジェダは肩をすくめた。それを見た長は声を出さずに肩を揺らす。
「それにしても、まさかアレンが双剣使いになるとは」
「言い出したときは驚いちまったんですがね。まあ、さすがと言うべきかなんというか、すっかり使いこなしちまいやがって」
「血筋、であろうか」
「ああ間違いねえ、ありゃあ血でさぁ。……アイツが行く時にゃあ、あれを持たせるつもりなんでね」
「あれか。うむ……。アレンならば使いこなせようか」
「俺ァ、アイツとアイツの腕を信じてる。なに、ご心配いらねえよ。アイツぁもう立派な戦士さ」
どこか誇らしげなジェダに、長は今度こそ声を上げて笑った。つられてジェダも笑ったとき、使用人がアレンの来訪を告げる。緩んだ頬を引き締め、長はアレンを通すよう指示するのだった。
一年経とうとも、島は変わらない生活をしていた。
アレンは変わらずジェダとの鍛錬に打ち込み、ヘレンは村の討伐隊と共に、周辺に出没する魔物の討伐を行っていた。
エドナは家の手伝いをする傍ら、ヘレンから魔法の手ほどきを受けているようだった。以前、アレンが怪我をして鍛錬から帰った時、自慢げに呪文を唱えて怪我を治したこともある。
そのときばかりは、魔法は便利だと感心したのだが、だからといって使えるようになりたいかと言われれば、アレンはそれを否定している。
島や村に変わったことは特にはない。いつも通りの日常を、それぞれが過ごしていた。
空が茜色になってからしばらくもすれば、そこには星が瞬きだす。
アレンは父親のいない家で、母と祖父母と共に夕食を取っていた。今日の鍛錬はどうだった、など、他愛のない話をしながら食事を進めていると、
「ただいま」
アレンの父親がようやく帰って来た。
「おかえり。寄合はどうだった?」
アレン一家の代表として、村の寄合に出席していた父は、自分の席に腰を下ろすと、
「エドナに決まったよ」
とだけ答えた。
今日の寄合の議題は、次に外へと誰を遣るかであった。一年前、村の長がエドナを外へと言っていたので、そこに関してはアレンも、他の村人も予想済みだった。
「いいのかい、長の一人娘だろう。行ったら十年は戻って来られないんだよ。嫁の貰い手も無くなるだろうに」
祖母の言い分ももっともで、エドナが外に出る際に気を遣う部分もそこだといってよかった。エドナが戻ってくる頃には、彼女は二十九になっている。当然、村の若い男衆は全員が所帯を持っており、エドナの嫁入り先は無いだろうと言われている。
「それなんだがな」
父は気難しい顔を崩さぬまま、今度はアレンを見た。視線を受け、自然とアレンの食事をとる手が止まる。
「な、なんだよ」
「今回は二人、だそうだ」
「二人?」
聞き返したのは祖父だ。祖父も何十年も前に、外へ出る役目を担ったと聞いている。そのため、祖母は十年、祖父の帰りを待ったそうだ。
それはともかく、と祖父母の話を隅に追いやる。
「二人って、エドナともう一人ってことか?」
「ああ、そうだ」
「へえ」
少しだけ目を見張って、祖父がまた食事を再開する。母が父の前に、夕食の皿を置くと、父も食事をとり出した。
「それ、誰なんだ?」
「エドナと一緒に行く奴か。お前だよ」
「へえ、俺か。……俺!?」
思わず聞き流すところだった。アレンは今度こそ食事を中断した。それから父親に体ごと向き直る
「それ、本当なのか。俺が行くって」
「本当だ。村長がな、お前ならエドナを任せられるってよ」
「買い被りすぎさ。この脳みそまで筋肉で詰まってるような男がエドナちゃんを守れるもんかい」
「そう言ってやるなよ。アレンは喧嘩やら戦いやらにおいては、頭が働くからね。守るって点では、この村の若衆でアレンの右に出る奴はいないよ」
祖母が楽しげに笑って手を合わせた。この村での食事を終えた挨拶だ。続いて祖父も手を合わせ、席を立つ。母親はどこか不満げに眉間にしわを寄せながらも食べ続け、父親は何食わぬ顔で食事を続けた。アレンはというと、唐突にもたらされた外へ出る絶好の機会で、食事をする手が完全に止まっていた。
「アレン!手が止まってるよ」
「ああ、悪い!」
「本当に大丈夫なのかい、こんなんで」
「なんだよ、俺だって戦えるんだからな」
むっとした気持ちを飲み込むように、夕食を掻きこむ。それからパンッと手を合わせると、アレンも席を立って部屋へと戻っていった。
ベッドに倒れ込むと、冷静になった頭が父親の言葉を繰り返していく。
「俺が、外に出られる……」
夢ではないだろうか。ずっと外に出たいと願ってきた自分に、神様からの贈り物だろうか。自然とアレンの口角が上がっていく。笑い声が漏れ始めた時、部屋の戸をノックする音が聞こえた。
「アレン。明日の昼すぎ、村長の家に行くように」
「ああ、分かった。ありがとう父さん」
父の足音が隣の部屋のあたりで途絶える。アレンの隣の部屋は両親の部屋であるため、おそらくもう寝るのだろう。明日は父も討伐隊の仕事で、日が昇る前に家を出ると言っていたから。
母や祖父母は起きているが、叔母のヘレンは討伐の仕事からまだ戻っていない。
はじめこそ目を閉じていたアレンだったが、案の定、興奮から眠気など一向に来る気配もなく。唸りながらも寝返りを打った時だった。
「アレン、あなたにお客人よ」
ドアの向こうからヘレンの声がそう伝えた。ヘレンは一日中、討伐の方を手伝っていたため、今帰って来たというところか。
「俺に?分かった。あと、お帰り叔母さん」
「ただいま」
ドアを開け、横に立っていたヘレンにそう言うと、アレンは階段を駆け下りた。リビングのテーブルにはそのお客人の姿があり、アレンの足もそこで止まった。
「あ、アレン……」
「よう、エドナ……」
お客人とは、まさしく話題の中心であったエドナだった。その表情はどことなく暗く、アレンは訝しげに眉を顰めながらもエドナの正面に座った。
「どうしたんだよ、こんな時間に尋ねてくるなんて。村長の許可がよく下りたな」
村の家は、どこも大抵は日が落ちてからの外出を良しとしない。村長の家はなおさら厳しいだろうと思われたのだが、エドナはそれをやんわりと否定した。
「お父さんが、行けって言ってくれたから」
「そうか。それで、何か用なんだよな」
「私が次に外に行くって言うのは、アレンも知ってるよね。それにアレンも同行するっていう話も」
「全部父さんから聞いた。俺の腕が見込まれたって」
「アレンは、いいの?」
エドナからの問いに、アレンは首を傾げた。
「いいも何も、俺は元から外に出たかったし、村長直々に行けって言ってくれたんだから、これを逃す手はないと思ってる」
「うん……。アレンはそう言うと思って。でも私なんかも一緒でいいのかなって。本当は私じゃなくて、アレンの方がお役目に相応しいんじゃないかなって、ずっと考えてる」
それで浮かない顔だったのかと合点がいく。しっかり者と周囲から謳われるエドナだが、彼女が行くのは未知の世界に等しい場所。それはアレンにも言えることなのだが、アレンとエドナとの違いは、そこに希望を抱くか不安を抱くかと言える。アレンの場合、さすが外へ行きたがっていただけあり、この役目に対して嬉しさと興奮を隠し切れていない。だがエドナは己の未熟さを知っており、それゆえに役目に対して不安を抱かざるを得なかった。
「大丈夫、だと思う。確証はないけど」
かける言葉に迷った末、出てきた言葉はそれだった。俯きかけていたエドナが顔を上げる。アレンは頭を掻きながらも続けた。
「お前、俺と違って突っ走らないし、迷ってるってことは、ちゃんと考えてるってことだし。俺はお前と違って、けっこう考えなしなところがあるから。俺が突っ走っても、お前なら止めてくれるだろ。だから、俺とお前の二人なら大丈夫だろうなって思った。あとはやってみないと分からない」
「アレン……。もしかして、アンタ、外に出られるってだけで簡単に引き受けたでしょ」
「か、簡単に引き受けたわけじゃ……。というか、事後報告だったし」
「お父さんの方が許可出しちゃってたってこと?アンタに黙って?」
「多分そう」
エドナがため息をつく。それからスッと立ち上がり、玄関まで歩いて行った。
「帰るのか?」
「アンタの考えなしは父親譲りって分かったわ。これは私がいないと駄目そうね。仕方ないけど、アンタの分までしっかりしなきゃ」
呆れたような口ぶりとは裏腹に、エドナの表情は明るい。アレンは呆れたように笑って見せ、自身も椅子から立った。
「送るよ」
「大丈夫。じゃあね、また明日」
軽く手を振り、エドナが家を出る。玄関先でそれを見送ったアレンは欠伸をひとつし、今度は眠れそうだと心の中で言いながら部屋へと戻るのだった。
翌日。
「――では、手筈の通りに」
「はい、村長」
日の光が差し込む部屋。長を前にしたヘレンとアレンの父は、長と隣に立つジェダに一礼して部屋を去っていった。
「いいんですかい、あんな小便垂れなんぞがエドナのお嬢のお守りで」
「私はアレンを信じている。それに、言い出したのはお前だと聞いたが」
長の横目の視線を受け、ジェダは肩をすくめた。それを見た長は声を出さずに肩を揺らす。
「それにしても、まさかアレンが双剣使いになるとは」
「言い出したときは驚いちまったんですがね。まあ、さすがと言うべきかなんというか、すっかり使いこなしちまいやがって」
「血筋、であろうか」
「ああ間違いねえ、ありゃあ血でさぁ。……アイツが行く時にゃあ、あれを持たせるつもりなんでね」
「あれか。うむ……。アレンならば使いこなせようか」
「俺ァ、アイツとアイツの腕を信じてる。なに、ご心配いらねえよ。アイツぁもう立派な戦士さ」
どこか誇らしげなジェダに、長は今度こそ声を上げて笑った。つられてジェダも笑ったとき、使用人がアレンの来訪を告げる。緩んだ頬を引き締め、長はアレンを通すよう指示するのだった。