序章

 アレンの叔母・ヘレンが「名もなき島」へと戻って来たという報せは、村中を駆け回り──。
 村はお祭り騒ぎ一色となっていた。あの村の長でさえ喜びを隠し切れていないことにアレンは驚き、十年も行方が分からなかったのだから、喜ぶのも当然か、と納得する。
 村人に囲まれた叔母を遠くから見ていると、隣から声がかかった。そちらを見ると、立っていたのはエドナだった。

「叔母さん、良かったね。帰って来て」
「うん、そうなんだけどさ。小さい頃の記憶とかなくて、いまいち感動しづらいんだよな……」
「ジェダさんから聞いたんだけど、叔母さんって魔法が使えるんだって?」
「すごかったぜ。討伐隊が手こずってた魔物を一撃だ」

 そう言うと、エドナの目が丸くなる。それからヘレンを見つめ、感嘆の息を漏らした。

「すごい。魔法ってすごいね、アレン」
「俺も初めて見たんだけど、すごかった」
「私も使えるかな」
「さあな。別に魔法が使えなくたって不便だとは思わないけど」
「だって、かっこいいじゃない!魔法使いなんて、みんなの憧れの的よ」
「まあ、そうだろうな」

 この村で唯一の魔法使いとなって戻って来たヘレンは、未だに村人から解放されそうもない。夜は村の長の家でご馳走になるという話なのだが、そこでもゆっくりとはできないのだろう。

「アレン」
「あ、村長」
「夜の席には、お前も同席しなさい」
「えっ」

 村の長からの指名に、アレンは思わず聞き返した。ヘレンが主賓の夜の食事に、なぜ自分まで出席する必要があるのか。そもそも夜は舞の稽古が待っている。あのモニエが許してくれるとは思えないのだが……。

「モニエ、今日の夜はアレンを借りるぞ」
「村長たってのご指名とあらば、この老いぼれモニエも断れませんわい。なあに、ご心配めされるな、明日の稽古を倍にすればよいだけのこと」
「倍って言った?ばあさん、今……」
「言ったぞ?それがどうしたというんじゃ」
「大丈夫よアレン。若いうちは何をしたってすぐには死なないって、うちのお母さんが言ってた」

 夜の席で美味しいものを食べられることに喜びたかったのだが、明日の稽古が倍になる恐怖しか残らなくなった。そのまま村の長に念を押されるように肩を叩かれ、アレンはへらりと笑って頷くほかなかった。

 夜になって、アレンは一人、村の長の館へと向かっていた。ヘレンはまだ家々への挨拶回りが済んでいないのか、姿は見えない。

「こんばんはー」

 館の扉を開け、中へと入る。すぐに使用人が顔を出し、アレンを案内した。
 通されたのは少し広めの部屋で、中は落ち着きのある重厚な調度品で品よくまとめられていた。
 長いテーブルに座っているのは村の長だけで、やはりヘレンの姿はなかった。

「ヘレンはまだ終わってないか」
「みたいです」
「適当に座りなさい」

 適当にと言われても、とアレンはテーブルを見渡す。それから、村の長の座るところから三つほど席を開けたところに座った。
 座ってしまうと、部屋の中は沈黙に包まれた。元来、村の長は無口なほうで、エドナのお喋りな性格は母親の方から来ている。アレンもそこそこ喋る方ではあるため、村の長と話すときはつい緊張してしまう。

「稽古の調子はどうだ」
「えっ、あ……」
「ジェダもモニエも厳しいだろう。大変ではないか」
「いや、じいさ……ジェダは、厳しいけど、確かに強いし、へたくそな俺に、出来るまでずっと付き合ってくれるし……。モニエのばあさんも、鬼みたいに厳しいけど、やっぱり出来るようになるまで付き合ってくれて……」
「充実しているようだな。それは良かった」

 無表情であった長の口元に、僅かな笑みが浮かぶ。それから長は鈴を鳴らして使用人を呼び、アレンに果実を絞ったジュースを持ってくるよう伝えた。

「叔母のことは覚えていたか」
「……いや、正直に言うと、覚えてないです」
「それも無理ないだろうな。なにせ、ヘレンが出て行ったのはお前が八つの時だ。あの時のお前は泣き喚いてはヘレンに縋りつき、行かないでくれと懇願していたものだが」
「……記憶にないです」

 そして猛烈に恥ずかしい。覚えていないのに。頬の辺りが熱くなって、アレンは出されたジュースを口にした。甘く口当たりの良い柑橘系のジュースは長の家の特製で、作り方も長しか知らないものだ。

「おいしいです」
「それは良かった」

 もう一度飲んでからグラスを置いた時、部屋のドアが開いた。顔を見せたのはヘレンで、再会した時に着ていた紫のローブはそのままに、手には何かを持っていた。

「お待たせしてしまってすみません。挨拶回りが長引いてしまったものですから」
「いや、構わんよ。適当に座ってくれんかね」
「それじゃあお言葉に甘えて」

 ヘレンがアレンの前に座る。そしてテーブルに、手に持っていた棒のようなものを立てかけた。

「それ、なに?」
「ああこれ?これはロッドよ。魔法使いの武器なの」
「そんなの持ってたっけ?」
「ずっと持ってたわよ。あなたが気付かなかっただけ」

 クスクスと笑うと、ヘレンは持ってこられた酒を一口飲んだ。それから村の長に向き直り、頭を下げた。

「ご無沙汰しております、村長。ヘレン、ただ今戻りました」
「外の様子はどうだった?」
「はい。やはり、いたるところで魔物の活動が活発になっています。イグニスの動向は全くないのですが、アリストンはジナ山脈にある魔族の拠点に手を焼いているようです」

 ヘレンの報告に、長は腕を組み唸った。話について行けないアレンは、終始首をひねり、目の前に座るヘレンに視線を寄こした。

「事態は進展もせず、か。それはそうとして、ヘレン。お前はなぜ魔法を修得した?」

 それはアレンも疑問に思っていたことだったため、少しだけ居住まいを正す。

「アトランタの王宮で、カトリスへの交換留学生を募集していたので、それに応募したんです。交換留学生に選ばれた私は、カトリスに行ったのですが、魔法使いの素質があると言われ、カトリスの国王の推薦状をもらって、カトリス魔術学院に入学したんです。それで魔法使いになりました」
「なるほど」

 聞きなれない国の名前は、アレンが今まで「外」と呼んできた世界の話だ。ここにいる自分だけが何も分かっていない子供のように思えて、アレンは疎外感を隠そうとジュースを飲んで、運ばれてきた料理に手を付けた。

「他に他国の動向は?」
「いえ、この十年で目立った動きは」
「分かった。十年の労は追々労おう。して、アレン。お前は聞きたいことがあるのではないか?」

 肉を食べていたアレンは、唐突に話を振られて肩を跳ねあげた。慌てて肉を飲み下し、ジュースで胃まで流す。それから口元をぬぐい、ヘレンと村長を交互に見つめた。

「えっと……俺が聞いてもいい事なんですか」
「それはどういうこと?」
「いや、こういうのって、俺みたいなガキが聞いててもいい事なのかなって……」

 アレンがそういうと、ヘレンと長は互いに顔を見合わせ、それからヘレンが吹き出した。

「いいのよ、何でも聞いてちょうだい。答えられることには答えてあげるから」
「え、えっとじゃあ……叔母さんは、なんで外に出たんですか?」
「敬語なんていらないわよ、身内なのに。外に出た理由ね。あなたは知らないと思うけど、この島は十年単位で外に人を遣るの。こう周りを海で囲まれてちゃあ、外の情報なんて入ってこないでしょう?それが良いことだとは思わないから、定期的に外の情報を仕入れるのよ。本当は外の人がこの島に立ち寄った時に情報を聞けたらそれが一番なんだけど……。『名もなき島こんなところ』に来る人なんていないから。だからこっちから外に行くのよ。十年前、私がそれに当たっただけ」
「そ、そうだったんだ……」

 なんとなく、ほっとしてしまった。てっきり出来心とか、窮屈な島への反発とか、そういった類の理由からなのかと思ってしまったのだが。

「あ、あと、その……、俺、外のこと全然知らなくて。アリストンとか、アトランタとか、あとカトリスとか。それって何なの?」
「それはすべて国の名前ね。この島から一番近い大陸がアトランタ超大陸なんだけど、その超大陸の名前の由来ともなったのが、アトランタ王国。世界で一番の大国ね。アリストンっていうのは、アトランタの隣国なんだけど、ここは貧困の格差が問題視されてるわ。カトリスは大陸が違って、この島から船で南東にずっと進むと見える大陸があるの。その大陸まるまる一つがカトリスの領土よ。カトリスは魔法の発祥の地だから、大陸のいたるところに魔術学校があるの。私がいたカトリス魔術学院は、世界最高峰の魔術学院でね。世界各国から、魔法使いを目指す子たちがそこに来てるの」
「魔法って、あの魔物を倒したときのやつ?」
「そうよ、でもあれだけじゃないわ。魔法はあの時みたいな至極単純なものから、とても複雑なものまでたくさんあるの」

 ふうん、と頷く。すごいとは思ったが、使ってみたいとは思わないのがアレンなのだが、ふと幼馴染みの顔が浮かぶ。エドナはおそらく、魔法が使えると分かれば喜ぶのだろう。

「魔法って、誰でも使えるの?」
「残念ながらそういうわけにもいかないの。魔法使いになれる素質がある人には、体内に魔力を持っているのよ」
「魔力?」
「魔法を使える力よ。これは天性的なものもあれば、後天性的なものもあるんだけど、鍛えたから魔力がゼロから生まれるってわけでもなくてね。後天性の人にだって、魔力が発芽するための種は備わっているの。ただその種が発芽するタイミングが早いか遅いか、それだけの違いよ」
「じゃあ叔母さんは、その種があったってことか。ねえ、魔法使いなら、誰がその種を持ってるかって分かる?」

 そう問うと、ヘレンは少しだけ顎に手を当て、それから長を見た。

「娘さんからは素質を感じます」
「エドナが?だが、俺も家内も、魔法など使ったこともないぞ」
「魔法の種を持っているのに、遺伝は関係しません。それまで種を持っていなかった家から、急に魔法の種を持った人間が生まれることもありますから」

 ヘレンの答えに、長は再び腕を組み唸った。それからしばらくそうしていたが、やがて腕を解き、

「次はエドナを外に遣るか」

 と呟いた。ヘレンは何も言わなかったが、アレンは思わず「えっ」と声を出してしまった。

「まだ分からんがな。可能性はあるというだけだ」

 取り繕ったように長は言ったが、おそらくこれは確実にエドナが外に行くだろうとアレンは確信した。エドナはしっかり者であるから、外へ行っても一人でやっていけるだろう。それは分かっているのだが、煮え切らない何かがアレンの胸の中を渦巻いていた。

「他に聞きたいことは?」
「イグニスって、英雄が倒したっていう破滅の王だろ?それがまた復活してるっていうのは、俺もさすがに知ってるんだけど。ジナ山脈っていうところに、そのイグニスがいるってことでいいのか?」
「ええ、そうよ。ジナ山脈はアトランタ超大陸の中央を横切る形で形成されていて、アトランタ王国とアリストン公国の二国が半分ずつを領土として持っていることになっているわね。イグニスの居城があるのは、ジナ山脈のアリストン側よ」
「誰かがイグニスを見たりしたのか?」
「いいえ。イグニス自体が動いていないから」

 すっかり冷めきってしまった料理を口に運ぶ。冷めても美味しい料理だったが、アレンの頭の中は、世界への興味でいっぱいで、味わう余裕はなかった。
 アレンが食べ始めたことを、「質問がない」ということに取ったヘレンもようやく料理に手を付け始め、それを見た長も料理を食べ始めた。それ以降は誰も口を開かず、各々が己の世界での思考に耽っていた。
 外に出たい――。
 アレンはいずれ、外へと出るつもりでいた。この狭い島で一生を暮らすのは、アレンの好奇心が許さない。
 けれどアレンは、冷静な思考だった。外へ出るには、今の自分では心もとなさすぎるということも熟知していた。
 外へ出るのは、双剣を完璧に修得してからだと、アレンは改めて心に刻みつけた。
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