2章・カトリス大陸

 カトリス王国に着いてから早くも一週間が経過した。貨幣の扱い方にも慣れ始めたこの頃になると、魔術学院の周辺の宿には、全大陸からやってきた魔術学院の受験生が集まっていた。

 そして、入学試験当日。

「私は控え室にいなきゃいけないから、しっかりね」
「はい。ありがとうございますヘレンさん」
「私が教えたことをいつもの通りに。緊張しちゃうかもしれないけど、程よい緊張は逆に良い結果を生むものよ。あまり肩に力を入れすぎないでね」

 魔術学院の門前でヘレンに背中を押され、エドナは中に足を踏み入れた。受付で受験番号のついたピンバッジを受け取り、学院敷地中央の大きな広場に向かう。
 エドナの手にあるロッドは、受験生用の共通のロッドだ。そのロッドをしっかりと握り、エドナは列に並んだ。

「次、二五〇番から二六〇番」

 試験監督の声で、エドナの列が進む。横一列に並んだ受験生が一斉にフレイムを唱えた。

「──フレイム!」

 エドナも呪文を唱え、敵を模した的に向かってロッドの先端を向けた。瞬間、的が一瞬にして炎に包まれ、焼け落ちた。

「……に、二五三番、合格」

 呆然とした表情の試験監督が、次の試験会場への案内表を渡した。周囲を見ると、的は一部が焦げただけだったり、チリチリと煙をあげて消えてしまったりといった具合で、全てが焼け落ちたのはエドナだけであった。

「………」

 その光景を目に焼き付け、エドナは次の試験会場へと急いだ。
 次の試験は、怪我をした腕を模した的が置いてあり、その治癒をする試験だった。的の怪我は相当なもので、少しでも傷が塞がれば合格とする旨が伝えられた。

「始め!」

 我先にと治癒キュアを唱える受験生に混じり、エドナも治癒キュアを唱える。的の傷は一気に塞がり、うっすらと傷跡が残る程度にまで回復していった。

「……え?」
「二五三番、合格です……」

 試験監督が驚いたように言うが、一番驚いているのはエドナ本人だ。何か──ヘレンが細工でもしたのか、と勘ぐったが、魔術に関しては人一倍厳しいヘレンが、そんなことをするはずがない。
 手にあるロッドも、受験生共通のものだ。つまり、今までのこれらは、エドナの実力ということになる。

「ありがとうございました……」
「次の試験会場にご案内します。こちらでお待ちください」

 試験監督とは違う魔導士がエドナを連れていく。その周囲では数人の魔導士達がざわついていた。

 一時間ほど待たされて通された試験会場には、エドナ以外誰もいなかった。

「最後の試験です」

 現れた魔導士は、これまで見てきた魔導士とは違い、明らかに上等のローブを羽織っていた。

「この試験は、あなたに魔法を使ってもらうものではありません。気を張らずに、その椅子にお座りなさい」
「は、はい」

 カーテンを閉め切り、真っ暗な教室。この建物の周囲にも人の気配はなかった。言われた通りにエドナが椅子に座ると、椅子を中心に魔術式円が展開した。

「え!?」
「あなたに向かって、探知魔術が流れています。それにあなたの魔力をぶつけて下さい。やりかたは分かりますか?」
「ええと……」

 不安げにロッドを握りしめたエドナへ、魔導士が柔らかに微笑んで見せる。

「難しいことではありません。普段、あなたが呪文を唱える時と同じように、魔力を使ってみてください」
「は、はい」

 言われるがまま、エドナに流れてきている魔力に向かって自分の魔力を流す。瞬間、式円の光は白く輝いた──かと思いきや、すぐに漆黒に輝きを変える。
 白と黒に交互に色を変えた魔術式円の光は、やがて紅蓮の炎のように勢いよく光を放ち、そして収束していった。

「………」

 空間を沈黙が支配する。呆然とした表情の魔導士に不安を感じ、エドナは恐る恐る声を掛けた。

「……信じられない」
「え?」
「あなた……赤なのね……」
「赤……?」

 きょとんと首を傾げたエドナは、ふと、定期便の中で聞いた魔術師の分類を思い出した。
 ──白魔法も黒魔法も、その道のエキスパートかそれ以上に使いこなす、まさに魔法使いの最高峰に位置する存在、それが。

「……赤魔術師」
「この時を待っていたわ、ずっと……!具体的には二一五年!」
「そんなに!?」
「受験番号、二五三番。あなたを赤魔法使いとして、学院への入学を認めます」
「あ、ありがとうございます……」
「迎えの魔導士を呼んでいますから、そのままここでお待ちなさいね」

 魔導士が手を叩くと、締め切られた真っ黒のカーテンが一斉に開け放たれていく。突然目に飛び込んできた陽光に、エドナは目が眩んで「うっ」と声をあげた。

「あなたのお名前は?」
「エドナ・キースマンです」
「そう、エドナ。私は赤魔導士のクラリスです」
「あ……赤魔導士さん……」
「あなたは私の下でマンツーマン型の指導になります。なにせ赤魔術師は特異な性質を持つ魔術師なので、白や黒の魔法使いのカリキュラムでは、赤魔法使いの能力に見合った指導ができないんです」
「あ、あの。私の面倒を見てくださっている黒魔術師の人が言っていたのですが、赤魔術師は、黒魔法も白魔法も、エキスパート以上に使いこなすって……」

 そうエドナが問うと、赤魔導士──クラリスはころころと笑って見せた。

「すでにエキスパートのように使いこなせていたではありませんか」
「えっ?」
「的をすべて焼き落とし、腕の傷を完治させる……。それが赤魔法使いである、あなたの実力です。初級魔術の授業は必要ないかしら?」
「い、いえっ!一から教えていただきたいです」

 クラリスが椅子から立ち上がり、エドナの前まで歩み寄る。そしてエドナへ向かって右手を差し出した。エドナが恐る恐る手を握ると、クラリスはぎゅっと手を握り返したのだった。

「赤魔導士の誇りにかけて、あなたを立派な赤魔術師にしてみせます。これから、どうぞよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ、ご指導よろしくお願いします」

 そこへ、試験監督役の魔導士が入室してきた。クラリスが事情を話し、エドナは魔導士と共に教室を退室した。

 教室を出て、学院内を箒で飛んで移動する。やがて、「城」と呼ばれる大講堂の前で降り立つと、その扉の前にはヘレンが立っていた。

「ヘレンさん」
「エドナちゃん、あなた……赤魔法使いなんですって?」
「は、はい。そうみたいです」
「すごいじゃない、私も鼻が高いわ! ふふっ、とんでもない子を島から連れてきちゃったかしら」

 嬉し気に破顔するヘレンを伴い、大講堂の中へ足を踏み入れる。下見の時は中には入れなかったため、実際に中に入るのは初めてだ。
 建物の中には、通路に沿って赤いじゅうたんが一本道のように敷かれていた。その絨毯は階段へと続いており、ヘレンも行先を心得ているのか、魔導士と共に迷いなく階段を上っていった。

「ヘレンさん、どこに向かっているんですか?」
「院長室よ。本当なら、合格発表は三日後なんだけど。あなたは特別に手続きが必要なの」
「赤魔法使いが現れたのは、最後に現れてから二一五年ぶりの出来事なので……。私たち魔導士も、手続きに手間取っているんです。ごめんなさいね」

 申し訳なさそうに眉尻を下げた魔導士に、エドナは慌てて首と手を振った。

「仕方がないわよね、赤魔法使いなんてほいほい現れるものでもないから。それにしても、エドナちゃんが赤魔法使いかぁ」
「ヘレンさんが入学試験を受けた時は、的の試験はあったんですか?」
「あったわよ。私は的を半分くらい燃やしたんだったかしら。それでも結構驚かれたわ。でも、エドナちゃんは全部燃やし尽くしたんだってね?」
「は、はい……」
「私でさえも、あの腕の傷はちょっと傷が塞がったかな、くらいだったのにねぇ、ふふ。将来が楽しみだわ」

 階段を上り切ると、そこにはポツンと謎の天板が置かれていた。広い空間でもなく、バルコニーほどの広さしかない。おそらく、上ってきたのは三階分の高さで、外観からすれば更に上にも部屋があるはずだ。
背後には今まで登ってきた階段と吹き抜けた空間があり、柵から一階が見下ろせる。

「ええと、院長室って……?」
「これに乗って移動するの」
「これ……って、天板ですよね。どうやって……?」
「この天板には転移魔法がかかっているので、乗って行先を選べば、勝手に部屋の前まで運んでくれるんです」
「便利……」

 天板に三人で立って、魔導士が壁にある数字に手を触れた──と思ったときには目の前の景色が歪んでおり、その景色がはっきりとするときには、全く見知らぬ場所に移動していた。
 壁は円状にカーブしており、小さな明り取り用の窓から一筋の光が差し込んでいる。そして目の前には重厚な扉があり、気軽に立ち入ることを許さないような雰囲気さえうかがい知れた。
 その扉を魔導士が叩くと、ひとりでに扉が両側へ開いていく。
 驚いている間にも魔導士とヘレンが部屋へと入っていく。慌てて二人の後から部屋へ入ると、エドナの背後で扉がゆっくりと閉まっていった。

「すごい……」

 ガラス扉のキャビネットには、魔道具なのか、調度品なのか──ともかく様々な物が飾られていて、部屋の中央には何とも座り心地の良さそうなソファが、テーブルを挟んで向かい合うように置かれていた。

「院長、赤魔法使いの受験生と保護者様をお連れしました」
「……おお、手間を掛けさせたな」

 暖炉の前から立ち上がって振り向いたのは、初老の男性。魔導士には女性が多いため、院長も女性だと思っていたエドナは、わずかに目を瞠った。

「おお、ヘレンかね?」
「ご無沙汰しております、院長先生」
「元気そうじゃの、結構結構。あー、ではそこに座ってくれるかの」

 ここまで連れてきた魔導士は、試験監督の仕事が残っているために退室した。
 ヘレンとエドナがソファに座ると、院長はカチャカチャと音を立て、トレーにティーカップを三つ乗せてやってきた。

「まずは、試験ご苦労じゃった。ねぎらいの紅茶じゃよ」
「ありがとうございます」
「懐かしい香りがしますね」

 ヘレンが目を細めて紅茶を口にする。そんなヘレンを見て、院長は朗らかに笑い声を立てた。

「さてさて、赤魔法使いの入学には、いくつか重要なやり取りをせねばならん」

 院長が指を曲げて何かを引き寄せると、キャビネットの引き出しから数枚の書類と、院長の机から羽ペンとインクが勝手に空中を飛んでやってきた。

「これが入学の同意書と、保護者の許諾書……と、ここまではどの魔法使いにも提出を求めている書類じゃな。赤魔導士はこれがいるんじゃよ」

 そう言って院長が見せたのは、「在学期間猶予願」と書かれた書類だった。
 曰く、通常の白魔法使いや黒魔法使いは、在学期間は基本は五年。しかし赤魔法使いは白魔法も黒魔法も使いこなすため、五年では足りないのだという。
 さらに、この学院は王立であるため、魔法使いの寮生活に係る費用、毎月各生徒に与えられる自由費(俗に言うお小遣いだ)といったものまでの全てが、国税によって賄われている。そのため、この「在学期間猶予願」は、国税の用途を国民に開示する際に必要になるらしい。

「本来は留年した魔法使いが書くものなんじゃがな」
「赤魔法使いは何年間在学するんですか?」
「最短九年で一応の区切りとしておる。が、見ての通り魔術というのは終わりがない学問。おそらく、卒業しても学院に顔を見せることになるじゃろうの」

「ほっほっほ」と笑う院長にエドナも合わせて笑っておいた。最短で九年とは……。十年後に島に帰れるのだろうかと純粋な疑問が浮上した。

「院長先生、この子の寮はどうなるんでしょう。赤百合寮の存在は聞いたことが無いのですが……」
「赤百合寮?」
「学院は全寮制で、白魔法使いの寮は白百合寮、黒魔法使いの寮は黒百合寮と呼ぶのよ。これはこの学院の初代院長が、百合の花を好んだことに、ちなんでいるそうなんだけど」
「赤魔法使いの寮は無いんじゃよ。なのでまぁ、空室の研究室を寮にする方向で検討しておるよ。クラリスの隣の研究室が空室での」
「クラリス先生、お元気ですか」
「特大魔法をクラリスから習ったのじゃったな。顔を見せていくと良いじゃろう。研究室は五階の一号室じゃ」
「ありがとうございます。あとでご挨拶に伺います」

 ヘレンが書類にサインをしたのを見て、エドナもすべての書類にサインをした。それを院長が回収すると、その書類がまたも勝手にキャビネットへとしまわれていった。

「さて、では何か聞きたいことはあるかの?」
「では私から。赤魔法使いの教科書は何を買えばよいのでしょう」
「ふむ。わしは白魔法使いじゃからの。クラリスに追って伝えよう。滞在先の宿はどこかの?」
「第一商業エリアのホテル・フローラです」
「承知した。ああ、ついでにグレイ洋服店にも連絡を入れねばの。当代の店主も、赤魔法使いの制服を作るのは初めてじゃろうて」

 院長が手を動かすと、真っ新な羊皮紙が現れる。それにさらさらとペンで何かを書くと、羊皮紙は小鳥に姿を変えて窓から飛び立った。

「さて、他に質問が無ければ、今日のところは宿でゆっくり休みなさい。ヘレン、入学に必要なものを買う店は分かるかの?」
「ええ、覚えています。クラリス先生から入学に必要なもののリストが届き次第、購入に向かおうかと」
「それは結構。では、次に会うときは入学式じゃの」
「愛弟子をよろしくお願いします」
「お、お世話になります」

 立ち上がって頭を下げたヘレンに倣って、エドナも頭を下げる。優しく笑った院長が頷き、そして二人は転移魔法で大講堂の外へと送り出された。
 大講堂の外には、試験監督役だったであろう魔導士たちが集っており、その中には先日の下見で案内をしたヨーコも混じっていた。
 魔導士たちはこの後、合否の判定をする必要があるために速足で大講堂へと入っていく。

「さ、私たちも帰りましょ」
「はい」

 ヘレンが転移魔法を唱えると、目の前の景色は学院からホテル・フローラへと変わる。
二人が部屋へ入ると、部屋の窓の外に小鳥が一羽、羽を休めていた。
 それを見たヘレンが窓を開けると、小鳥が羽ばたいて室内へと入ってくる。
 そして、逃がさなきゃ、と慌てたエドナの前で、小鳥は羊皮紙へと姿を変えた。

「えっ!?」
「ああ、やっぱりクラリス先生からのリストだったのね」

 羊皮紙を受け取ったヘレンがリストに目を通す。そして丁寧に羊皮紙を折り畳み、ローブのポケットにしまい込んだ。
 窓の外からは、カトリス王国の首都カトラリアを囲む山々の嶺がうっすらと見える。その山間に沈もうとしている太陽の西日が、室内へ最後の明かりを届けていた。

 開け放していた窓を閉める。
 これから、ここがエドナの生活の拠点となるのだ。島でも、アトランタの首都でもない、ここカトラリアが──。
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