2章・カトリス大陸
翌朝、二人は王宮を後にすることにした。マリアは賓客の館に留まることを勧めたが、今回の目的はあくまでエドナが主役である。自分はその保護者に過ぎない、と申し出を辞退した。
女王イルザは多忙の身らしく、今日は執務室から出ることができないらしい。昨日謁見できたことだけでも奇跡に近い。大方、予定を調整しての謁見だったのだろう。
さて、ここでカトリス王国の女王、イルザ・カトリスについて述べておく。
イルザ・カトリスは略した名前であり、本名をイルザ=アイリス・フォン・カトリス。この魔法国家カトリス王国の女王として君臨している。その年齢は二十だとも五十だとも百だとも言われ、要するに年齢不詳なわけだが、この国に存在する魔術師の中では最高峰と言っても差し支えない。
そんな彼女も魔法については王立魔術学院で学び育ち、卒業してからは魔法と技術を合わせたより高度な技術発展に尽力している。
女王イルザの思想の根底にあるものは「幸福」。国民が笑って暮らせる世を──。それが、今世が治世と称えられる要因である。もちろん幸福とは「すべてを許す」ことではない。裁かれる事へは厳格に、称えられる事へは盛大に、ということだ。ちなみにではあるが、女王イルザは黒魔術師である。それも、白魔法が一切使えない純粋な。不思議な話だが、カトリス王国は女王が黒魔術師である時代が治世と呼ばれることが多い。
王宮を出たヘレンとエドナは、これから世話になるであろう宿を取り、部屋に荷物を置いてから、王立魔術学院へとやってきていた。カトリス王国に限らず、どの国にある王立の学校も、入学試験の数日前から敷地内を開放する習いになっている。カトリス王国の王立学校は、現在全校が長期休暇中であり、受験生の下見のために開放している。
「おはようございます。下見ですか?」
魔術学院の門前で案内人を待っていると、上空から声と共に人が降りてきた。手にしていたのは箒で、おそらくそれに乗って上空を飛んでいたのだろう。
「……あれ? もしかしてヘレン先輩ですか?」
「あら、もしかしてヨーコ?」
「そうです! お久しぶりですね、先輩。国家魔術師になられてから、お忙しそうですね」
「ええ、おかげさまでね。あなたは魔術学院の教師をやっているの?」
「そうなんです。防衛魔術の成績が特段に良かったので、卒業認定試験の時に、防衛魔術の助勤にならないかと声を掛けられたもので」
ヨーコ、と呼ばれた魔導士が隣に立つエドナに目を向ける。それから少し驚いたようにヘレンを見た。
「お弟子さんですか?」
「ええ、私の出身の島で素質が良かったから連れてきたの。来週の試験を受けさせるつもりよ」
「そうなんですか。ヘレン先輩の見込んだ子だもの、きっと優秀な魔術師になれるでしょうね。楽しみだわ! ちなみに先輩、この子は白黒どちらなんでしょう?」
「さぁ、どうかしら。変に魔法を覚えさせるのもいけないし、私は白魔法はそれほど得意ではないしで、まだ分からないの。雷 くらいの初歩魔法なら使えるんだけど」
「まぁ、まだ魔術路も構築していないでしょうから。来週の試験で決まっちゃうんですね。白魔法使いだったら、ぜひ防衛魔術を学んでね!」
そう言うとヨーコは杖 を振って羊皮紙と羽ペンを二つ出した。
「すみません、下見には誓約書のサインが必要なんです。注意事項をお読みになって、宜しければ日付の下にサインをお願いできますか? ……ああごめんなさい、お弟子さんは魔法の羽ペンの動かし方は分からないですよね」
「あら、出来るわよ。エドナちゃん、島で教えたわよね。魔法で筆記具を動かす魔法は?」
「ええと確か……記録 」
「わあ、すごい。さすがはお弟子さんですね」
羽ペンが意思を持ったかのようにエドナの名前を記入していく。それを回収したヨーコは、もう一度杖 を振り、二人のピンバッジの横にもう一つのピンバッジをつけた。
「このピンバッジがないと建物の中には入れないので、無くさないでくださいね。それでは、お二人は私ヨーコがご案内します。ええと……お弟子さんのほうは、箒は乗れますか?」
「そうね、一度やってみたら?」
ヨーコが二度杖 を振ると、どこからともなく箒が二本飛んで目の前に着地した。
「エドナちゃんはスカートだから、箒は跨がないで腰掛ける形にしましょうか。ええ、そのままこう唱えて。──浮遊 」
そう唱えると、ふわりとヘレンの乗った箒が宙に浮きあがった。箒に腰かけたエドナもしっかりと柄を握り。
「浮遊 !」
瞬間、ぐっと持ち上げられるように箒が浮き上がり、足が地面から離れる。とっさのことでバランスを崩したエドナがお尻から地面に落ちてしまうのは無理からぬ話である。
「あらら……。今日は移動魔法にしましょうか」
「ごめんなさい、大丈夫です。さっきは驚いちゃったけど、次は上手く乗れるはずです。──浮遊 !」
再び浮き上がったエドナがぐんぐんと上空へ上っていく。そしてある程度浮上したところでぴたりと止まった。
「すごいですね、今日初めて乗ったのにもうコツが分かったなんて」
「ふふ、そうでしょう? さ、私たちも行きましょう」
もちろん二人は初歩魔法の略式詠唱を会得しているため、少し魔力を放出しただけで箒はエドナの高さまで浮き上がる。
「箒の乗り方は、進みたい方向に身体を傾けるだけです。真っ直ぐ進みたいときは少し身を屈める。曲がりたいときは曲がりたい方向へ身体を傾ける。止まりたいときは上体を起こす。これだけです。ちなみに、もっと上へ行きたいときは、柄の部分を持ち上げると進路が上になりますよ。それでは出発しましょう、まずは大講堂からです」
ヨーコがわずかに身を屈めると、箒が前へと進んでいく。エドナもそれに倣って身を屈めた。少し前のめりになっただけで随分とスピードが出る。ヨーコの斜め後ろを飛び、見えてきたのは昨日も目にした城のように立派な建物だった。
「これが大講堂です。来週の試験の結果発表は、この大講堂で行いますよ。普段は全生徒を集めた集会を行ったりすることが多いですね。大講堂というよりは、城って呼ぶ方が多いですけど。ちなみに、大講堂は一階部分だけで、二階から上は先生たちの研究室になっています」
城の周りをぐるりと飛び、それから二人はその周囲に浮いている島へ飛んでいった。一番手前にある島へ着陸すると、扉はすでに解放されていた。
「ここが第一講義棟です。ここで行う授業は、防衛魔術、回復魔術、付与魔術の三つです。白魔法使いはここの出入りが多いので、白魔術棟と呼ばれています」
「習う魔法によって建物が違うんですね」
「そうなんです。教える魔法は多岐に渡りますから、新しい学問が出来るたびに島と棟を作っているので、浮遊魔術の教授と建設魔術の教授が、そろそろ特別手当が欲しいと言っていました」
「建設魔術?」
「魔術式で建物を作る学問です。ベースとなっているのは魔道具学という学問で、これと建築設計技術を合わせた応用の学問になっています」
建物の中はひんやりとしていて、木目の床が歩くたびに音を立てた。教室内はカーテンを開け放して明るくしていたり、逆にカーテンを閉め切って暗くしていたりと様々だ。
建物は三階建てで、教室のネームプレートは階を上るごとに数字が上になっていく。
「ここは回復魔術一級のクラスです。学院の三年生が受ける授業ですね。どの基礎学問もそうなんですが、三級が初級魔術、二級が中級魔術、そして一級が特大魔法を含めた上級魔術を教えることになっています」
階段を降りて玄関から建物の外へ出た三人は、再び箒で隣に浮いている島へと飛び移った。こうして午前中いっぱいを使って行われた下見は、エドナをより魔法の世界の魅力へと惹き付けたのだった。
女王イルザは多忙の身らしく、今日は執務室から出ることができないらしい。昨日謁見できたことだけでも奇跡に近い。大方、予定を調整しての謁見だったのだろう。
さて、ここでカトリス王国の女王、イルザ・カトリスについて述べておく。
イルザ・カトリスは略した名前であり、本名をイルザ=アイリス・フォン・カトリス。この魔法国家カトリス王国の女王として君臨している。その年齢は二十だとも五十だとも百だとも言われ、要するに年齢不詳なわけだが、この国に存在する魔術師の中では最高峰と言っても差し支えない。
そんな彼女も魔法については王立魔術学院で学び育ち、卒業してからは魔法と技術を合わせたより高度な技術発展に尽力している。
女王イルザの思想の根底にあるものは「幸福」。国民が笑って暮らせる世を──。それが、今世が治世と称えられる要因である。もちろん幸福とは「すべてを許す」ことではない。裁かれる事へは厳格に、称えられる事へは盛大に、ということだ。ちなみにではあるが、女王イルザは黒魔術師である。それも、白魔法が一切使えない純粋な。不思議な話だが、カトリス王国は女王が黒魔術師である時代が治世と呼ばれることが多い。
王宮を出たヘレンとエドナは、これから世話になるであろう宿を取り、部屋に荷物を置いてから、王立魔術学院へとやってきていた。カトリス王国に限らず、どの国にある王立の学校も、入学試験の数日前から敷地内を開放する習いになっている。カトリス王国の王立学校は、現在全校が長期休暇中であり、受験生の下見のために開放している。
「おはようございます。下見ですか?」
魔術学院の門前で案内人を待っていると、上空から声と共に人が降りてきた。手にしていたのは箒で、おそらくそれに乗って上空を飛んでいたのだろう。
「……あれ? もしかしてヘレン先輩ですか?」
「あら、もしかしてヨーコ?」
「そうです! お久しぶりですね、先輩。国家魔術師になられてから、お忙しそうですね」
「ええ、おかげさまでね。あなたは魔術学院の教師をやっているの?」
「そうなんです。防衛魔術の成績が特段に良かったので、卒業認定試験の時に、防衛魔術の助勤にならないかと声を掛けられたもので」
ヨーコ、と呼ばれた魔導士が隣に立つエドナに目を向ける。それから少し驚いたようにヘレンを見た。
「お弟子さんですか?」
「ええ、私の出身の島で素質が良かったから連れてきたの。来週の試験を受けさせるつもりよ」
「そうなんですか。ヘレン先輩の見込んだ子だもの、きっと優秀な魔術師になれるでしょうね。楽しみだわ! ちなみに先輩、この子は白黒どちらなんでしょう?」
「さぁ、どうかしら。変に魔法を覚えさせるのもいけないし、私は白魔法はそれほど得意ではないしで、まだ分からないの。
「まぁ、まだ魔術路も構築していないでしょうから。来週の試験で決まっちゃうんですね。白魔法使いだったら、ぜひ防衛魔術を学んでね!」
そう言うとヨーコは
「すみません、下見には誓約書のサインが必要なんです。注意事項をお読みになって、宜しければ日付の下にサインをお願いできますか? ……ああごめんなさい、お弟子さんは魔法の羽ペンの動かし方は分からないですよね」
「あら、出来るわよ。エドナちゃん、島で教えたわよね。魔法で筆記具を動かす魔法は?」
「ええと確か……
「わあ、すごい。さすがはお弟子さんですね」
羽ペンが意思を持ったかのようにエドナの名前を記入していく。それを回収したヨーコは、もう一度
「このピンバッジがないと建物の中には入れないので、無くさないでくださいね。それでは、お二人は私ヨーコがご案内します。ええと……お弟子さんのほうは、箒は乗れますか?」
「そうね、一度やってみたら?」
ヨーコが二度
「エドナちゃんはスカートだから、箒は跨がないで腰掛ける形にしましょうか。ええ、そのままこう唱えて。──
そう唱えると、ふわりとヘレンの乗った箒が宙に浮きあがった。箒に腰かけたエドナもしっかりと柄を握り。
「
瞬間、ぐっと持ち上げられるように箒が浮き上がり、足が地面から離れる。とっさのことでバランスを崩したエドナがお尻から地面に落ちてしまうのは無理からぬ話である。
「あらら……。今日は移動魔法にしましょうか」
「ごめんなさい、大丈夫です。さっきは驚いちゃったけど、次は上手く乗れるはずです。──
再び浮き上がったエドナがぐんぐんと上空へ上っていく。そしてある程度浮上したところでぴたりと止まった。
「すごいですね、今日初めて乗ったのにもうコツが分かったなんて」
「ふふ、そうでしょう? さ、私たちも行きましょう」
もちろん二人は初歩魔法の略式詠唱を会得しているため、少し魔力を放出しただけで箒はエドナの高さまで浮き上がる。
「箒の乗り方は、進みたい方向に身体を傾けるだけです。真っ直ぐ進みたいときは少し身を屈める。曲がりたいときは曲がりたい方向へ身体を傾ける。止まりたいときは上体を起こす。これだけです。ちなみに、もっと上へ行きたいときは、柄の部分を持ち上げると進路が上になりますよ。それでは出発しましょう、まずは大講堂からです」
ヨーコがわずかに身を屈めると、箒が前へと進んでいく。エドナもそれに倣って身を屈めた。少し前のめりになっただけで随分とスピードが出る。ヨーコの斜め後ろを飛び、見えてきたのは昨日も目にした城のように立派な建物だった。
「これが大講堂です。来週の試験の結果発表は、この大講堂で行いますよ。普段は全生徒を集めた集会を行ったりすることが多いですね。大講堂というよりは、城って呼ぶ方が多いですけど。ちなみに、大講堂は一階部分だけで、二階から上は先生たちの研究室になっています」
城の周りをぐるりと飛び、それから二人はその周囲に浮いている島へ飛んでいった。一番手前にある島へ着陸すると、扉はすでに解放されていた。
「ここが第一講義棟です。ここで行う授業は、防衛魔術、回復魔術、付与魔術の三つです。白魔法使いはここの出入りが多いので、白魔術棟と呼ばれています」
「習う魔法によって建物が違うんですね」
「そうなんです。教える魔法は多岐に渡りますから、新しい学問が出来るたびに島と棟を作っているので、浮遊魔術の教授と建設魔術の教授が、そろそろ特別手当が欲しいと言っていました」
「建設魔術?」
「魔術式で建物を作る学問です。ベースとなっているのは魔道具学という学問で、これと建築設計技術を合わせた応用の学問になっています」
建物の中はひんやりとしていて、木目の床が歩くたびに音を立てた。教室内はカーテンを開け放して明るくしていたり、逆にカーテンを閉め切って暗くしていたりと様々だ。
建物は三階建てで、教室のネームプレートは階を上るごとに数字が上になっていく。
「ここは回復魔術一級のクラスです。学院の三年生が受ける授業ですね。どの基礎学問もそうなんですが、三級が初級魔術、二級が中級魔術、そして一級が特大魔法を含めた上級魔術を教えることになっています」
階段を降りて玄関から建物の外へ出た三人は、再び箒で隣に浮いている島へと飛び移った。こうして午前中いっぱいを使って行われた下見は、エドナをより魔法の世界の魅力へと惹き付けたのだった。