2章・カトリス大陸

 定期便の船が速度を落としていく。甲板に出たエドナは、まもなく入港しようとしている港町に目を輝かせた。船乗りと思しき者たちがせわしなく走り回り、帰りの定期便でアトランタへ帰るであろう者たちが誘導に従って列を形成している。
 やがて一つの船乗り場へ入港した船はすぐさま錨をおろし、船から足場の板を立てかけた。船室に戻って忘れ物がないかを確認し、二人が乗客の中で最後に降りると、港で待機していたらしい兵士たちが最敬礼で出迎えた。

「お待ちしておりました、アトランタ王国・国家魔術師のヘレン様!」

 力強い声と共に隊列が二つに分かれ、その中心をより上位の衣に身を包んだ兵士が歩いてくる。そして二人の前で踵を鳴らし、ビシッと敬礼をして見せた。 

「女王イルザ・カトリスの命により、ヘレン様とお連れの方の王宮までの護衛をいたします。私が兵団長です。王宮までの安全をお約束しましょう」

 鎧と鉄兜で表情は分からなかったが、声は明らかに女性だった。そして女王ということは、カトリス王国は女性によって統治されているということだ。

「あら、その声はマリア?」

 驚いたようにヘレンが目を瞠る。対した兵団長も、鉄兜の奥の目尻を少し和らげたようだ。

「ああ、久しいなヘレン。またこの地で会えて嬉しい。かつては共に学院で机を並べた仲だから、君がこちらに来ると聞いて、私から女王に護衛を申し出たんだ」
「まぁ、そうだったの。覚えていてくれるなんて嬉しいわ」
「ふふ。国家魔術師の君には、護衛など必要ないかもしれないが、王宮までの街道は魔物も少ない。護衛や魔物の相手は我々に任せて、君たちは馬車でゆっくりしていてくれ」
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃうわね。あなたが団長ということは、彼らは魔法兵団ね」
「ああ。我がカトリス王国が誇る最強の兵団だよ。歴史と伝統ある魔法兵団の団長を務めるなんて、任命されたときは夢のような気持ちだった。……さぁ、立ち話はこれくらいにして、王宮へ出発しよう」

 兵団に案内されると、港町の入り口に大きな馬車が停車していた。天幕の紋章はカトリス王国の王室の紋章だと聞く。国賓のような扱いを受けているようで、エドナは少々居心地が悪かった。
 兵団長が開けたドアから馬車に乗り込み、御者が馬に合図をすると馬車がゆっくりと走り出した。その前後を騎乗した兵団が隊列を組んで進んでいく。

「……なんだか、私が受けていいような扱いじゃない気がします」
「ごめんなさいね。私に合わせるとどうしてもこうなっちゃうのよ。カトリスの王立魔術学院を卒業したアトランタの国家魔術師、なんて立場だから余計にね」
「それだけ、この国にとって魔法が使える存在は特別なんですね」

 窓の外から景色を眺める。アトランタには咲いていなかったような草花や樹木。窓を開けると遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。街道は平穏そのものだ。時折車輪が小石を蹴っては車体が揺れるのすら面白い。

「王宮へは馬車で半日かかるわ。のんびり構えてらっしゃい」
「けっこう遠いんですね……」
「ええ、だから港町に用がある人たちは大抵、移動魔法で移動するわ」
「……なのに、私たちは馬車?」
「ふふ、それはエドナちゃんのため。初めて来る土地だもの、景色を楽しんでほしいんでしょう」

 その時、眼前に広がる木々の間から、何かがきらりと日光を反射したような気がした。それが何かに気付いたのは、兵団長マリアが先だった。

「敵襲!」
「陣形を変更、第二形態!」

 窓の外から緊迫した声が響いてくる。言葉を失ったエドナに変わってヘレンが窓を閉めた。

「何が起きたんですか?」
「敵が襲ってきたの。魔物か……はたまた盗賊か。特にこの馬車は国賓をもてなす際に使うものだから、余計に標的にされちゃったのね」
「だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ、魔法兵団はそれくらいじゃ揺るぎもしないわ」

 窓の外から剣戟の音が響く。そして一筋の稲妻が天空から落ち、街道は元の静けさを取り戻した。

「今のはサンダーね」
「魔法が使えて、武器で戦うこともできる……」
「そうよ。魔法兵団は、魔法剣士たちで構成された兵団なの」

 窓の横を、戦い終えた兵士が颯爽と追い越していく。おそらく前衛に戻るのだろう。こうした戦闘は王宮に着くまでに三度あり、その三度ともが群れとはぐれた魔物との小競り合いだった。

 夕日が山々の間に沈むころ、二人はようやく王宮のある首都カトラリアへ入った。石畳の町を兵団と馬車が横切っていく。居住区を過ぎ、役所のある機関区を抜けたその先にあるのが、王立魔術学院だ。

「わぁ……」

 まるで城のように堂々とそびえ立つ建物は、歴史の重さを感じさせる。敷地内に浮遊しているものは島だろうか。その浮遊した島に一つずつ、小さな建物が建っている。

「ああ、懐かしいわねぇ」
「浮いているのは、島ですか?」
「ええそうよ。あの島に一つずつ、校舎が建っているの」
「ええっ?どうやって移動するんですか?」
「移動魔法を使ったり、魔法の箒で飛んだりね。私は面倒くさがりだったから移動魔法を使っていたけど、マリアは箒で飛んで移動していたわ」

 その魔術学院を横目に見ながら、隊列が王宮へつながる橋を渡っていく。門をくぐり王宮の広場へ着いたところで、馬車と隊列が停まった。
 兵団長がドアを開け、ヘレンとエドナが降りる。二人を降ろした馬車はそのままどこかへと去っていった。

「長らくのご乗車、お疲れ様でございました。ようこそ、我らがカトリス王国の王宮へ」

 形式ばった挨拶を口にしたマリアが、ようやく鉄兜を外す。ウェーブがかかった金の髪に蒼い瞳が良く映えた。きりりとつり上がった眉尻が彼女の気の強さを表しているようだ、とエドナは思った。

「中で陛下がお待ちだ。長旅で疲れたところ申し訳ないが、謁見を済ませてほしい」
「ええ、分かったわ。行きましょ、エドナちゃん」
「君たちの荷物は賓客の館に運ばせてもらうよ」

 マリアに手荷物を預け、ヘレンはロッドを手にしてエドナと共に王宮の中へ入っていった。
 扉を開けると目の前に噴水がある。それは七色に色を変えいていた。

「これも魔法……」
「ええそう。色彩魔法ね。分類としては白魔法に分けられるかしら」

 噴水をぐるりと回って大階段をのぼる。赤いじゅうたんが続く通りに進むと、玉座の間の扉がひとりでに開いた。おそらくこれも魔法だろう。人の気配を感知して勝手に開くようになっているらしい。

「陛下、アトランタ王国専属国家魔術師ヘレン殿と、その弟子エドナ殿にございます」

 傍に立っていた鎧が声を発する。予想だにしていなかったところからの声に、エドナが「きゃあ!」と声を上げると、玉座から楽し気な声が聞こえた。

「うふふふ、その反応は何度見ても飽きませんわね」
「あ、あの……。申し訳ございません」
「いいえ、謝らないでくださいまし。驚かせてしまったのはこちらですのよ。さ、もっとこちらに」

 上品な声が二人を呼びよせる。それに従って玉座へ近づくと、座っていた女性が立ち上がり、両手でドレスを摘まんで頭を下げた。

「ようこそ、我が王国カトリスへ。私が女王イルザです。ヘレン、よく顔を見せてくださいました」
「お久しぶりでございます、女王陛下。陛下におかれましては、お変わりなく」
「ええ、ええ。それもすべて民たちが幸福であるからこそですわ」

 宝冠を戴いた頭は一つにまとめ上げられ、淡いピンクのドレスから覗き見える細い指には魔道具と思われる指輪が二つ。首からはブローチが下がり、首に巻かれたチョーカーからも微かに魔力を感じた。

「マリアとはお話できまして?」
「お陰様で、久方ぶりの旧友との再会を喜べました。護衛のこと、感謝申し上げます」
「構いませんことよ。私もヘレンに会えるのを楽しみにしておりましたもの、道中で何かあっては、せっかくの再会が幸福ではなくなりますわ」

 イルザがロッドで床を軽く叩くと、二人の目の前に一つのピンバッジが現れた。それを手に取ると、ピンバッジはひとりでに二人の服の襟元に付けられた。

「この国での身分証のようなものです。軽い防御の魔術を施してありますから、何か事件に巻き込まれた際はそのピンバッジが助けてくれるでしょう。ヘレンは帰るまで、あなたは魔術学院に入学するまで、それをつけてお過ごしくださいませね。……ああ、いやだ私ったら、お名前をお聞きするのを忘れておりましたわ。といっても、先程あの鎧が教えてくださいましたけれど。ヘレンのお弟子様、宜しければ、このイルザにお名前をお聞かせくださいまし」
「は、はい。私は、エドナ……。エドナ・キースマンです」
「エドナ……エドナと申されますのね。ふふ、では私、この王宮であなたの噂が耳に入るのを楽しみにしておりますわ」

 お部屋までお送りいたしますわ、という声と共にイルザがロッドでもう一度床を叩いた。瞬間二人は賓客の館の前に立っており、ようやく今のが移動魔法だったと気付く。

「あの、ヘレンさん、女王様はいつ呪文を……?」
「陛下は詠唱を省略して魔法を使える、略式詠唱を会得しておられるのよ。だから床を叩いただけで魔法が使えるの」
「それって、とても高度な技なんじゃ……」
「そうよ、だからこそあのお方はカトリス王国の女王なのだもの」

 ヘレンに促されるままに館に入る。中には使用人が三人ほど控えており、すぐに食事を用意された。
 編入の形で剣術学校に入学したアレンとは違い、カトリスの学校は大抵が一年の季節の後半に入学試験を開催する。そしてその入学試験は、来週に迫っていた。
 入学試験で魔力の質、量、魔法使いの分類を分け、正式に入学が決まると決められたカリキュラムに沿って授業が行われる。魔法の授業、というものの想像がつかない為に、どういうことをするのかすら分からない。
 だが、それでも。送り出してくれた島の人たちの期待を裏切らないようにしたい。
 そう心に誓い、エドナは早めの就寝をとることにした。
2/4ページ
スキ