1章・アトランタ超大陸
剣闘序列の関係上、東棟の案内は簡単なもので終わった。それこそ、教員が詰めている教員室の場所と、大講堂の場所を教えてもらったくらいだ。
東棟と西棟は、学舎の外観から大きく異なっていた。例えば、西棟はその片側を鬱蒼とした木々が生い茂り、どことなく陰鬱な雰囲気を醸し出している。それと比べ、東棟は南棟と同様に、どこもかしこも綺麗に磨き上げられており、床に至っては城と同じように赤いカーペットが敷き詰められていた。
それだけ剣闘序列の上位者と下位者で差別化されているのだろう。剣闘大会を勝ち上るということは、それほどまで価値のあることなのだ。
次に訪れたのは、お待ちかねの闘技場だった。
闘技場は周囲を観客席で覆われ、円形の「フィールド」と呼ばれるエリア内で戦闘を行う。一般的なコロシアムと作りは大差ない。
フィールドの地面は草一本も生えていない土で、手にしてみるとさらさらと指の間をすり抜けていった。しばらくそれを見ていたアレンは、立ち上がると周囲を見渡した。
「ユリウスさん、少し試したいことがあるんですけど、いいですか」
「試したいこと?」
「フィールドの土の水はけ具合を確認したいんです。どこか水を汲める場所はないですか」
「それなら通路のほうにホースと蛇口があるから、そこから水を引っ張ってくるといい」
言われた通り、フィールドに入るための通路のわきに、ホースと蛇口が備え付けてあった。蛇口をひねり、ホースでフィールドの地面を濡らす。濡らしたまま地面を触ったアレンは、そのまま乾いた地面の砂を足でかけ、どの程度ぬかるむのかを確認していく。
「どうだった?」
「思ったよりも水はけがいいです。これなら、天候にもよりますけど、短時間で乾きそうですね。さすがに大雨の中で試合をすることはないと思いたいです。これだけ吸水性のいい地面なら、前日の雨でぬかるんだ地面に足を取られるなんてことはなさそうです」
手を洗ってから水を止め、アレンはフィールドをぐるりと一周見渡した。それから助走をつけ、前方にハンドスプリングをしてから空中で半回転。後ろ足で着地したとき、しっかりと足が止まるのを確認してから、アレンはようやく満足げにうなずいた。
「うん、いい土してる」
「まるで野生児のようなことを言うんだね」
「半分そんなもんです。島にはこんなふうに整備された場所なんてどこにもないですから」
闘技場を後にした二人は、寮への道を戻っていった。その間の話題は、もっぱら島の話だった
聞いて面白いものは何もないはずなのだが、ユリウスはアレンの話を聞くたびに目を丸くし、時にはその瞳を輝かせる。彼の脳内で浮かんでいる島は、一体どんなことになっているんだろう──。苦笑すら浮かぶアレンをよそに、ユリウスは終始楽しそうに笑い声をあげるのだった。
街の案内は同室のハルクに頼むことにした。学徒会長は色々とご多忙なようで、別れた後も足早に学徒会室に向かうのを見送ったからだ。
「ただいま」
かぎの掛かっていないドアを開けると、中で本を読んでいたらしいハルクが目を細めて「おかえり」と返してきた。
「どうだった?」
「広すぎて迷いそうだ」
「あはは、僕も最初のころはそうだったよ」
右側のベッドに腰かけ、持ってきた荷物を広げる。とはいっても荷物自体はそれほど多いわけでもなく、十分もすればそれらは綺麗に片付いてしまった。
「アレン君は、『名もなき島』の出身なんだよね」
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
「そこって、どんなところなのかなって。みんなどことなく薄気味悪がって、近づこうともしないから」
申し訳なさそうに眉を下げたハルクにアレンは慌てて首を振った。島の住民が外の世界を関わりたがらないのと同様に、外の世界の住民が島に関わりたくないと考えるのもよく分かる話だ。
「そうだな……。俺たち島民は、島以外の国を全部ひっくるめて、外の世界って呼んでる。ほかの大陸から島に来るような物好きなんているはずがないから、島に住んでるやつらとそれ以外っていう認識で十分なんだ。だから恥ずかしい話、俺は外に出ることになるまで、国の名前一つ知らなかった。そんなところだよ。開放的に見えて、閉鎖的で排他的なんだ。だけどそれを良いことだとは思わないから、十年単位で、島の外に人を送る。外の情報を定期的に仕入れるんだ。その担当が、十年前の俺のおばさんであり、その次に選ばれたのが俺と幼馴染」
きっとこういう話は、ハルク自身には見当もつかないことだろう。見ればハルクは文字通り目を丸くして、手に持っていた本も閉じてしまっている。
「じゃあ、選ばれなかった人たちは、一生島から出られないってこと?」
「そうなるんじゃないかな。というか、俺みたいに島から出たいって思うほうがおかしいんだし。俺の幼馴染も不安がってたぐらいだから」
「魔物は?魔物はいるの?」
「普通にいるぞ。当番制で、定期的に討伐組が村周辺の魔物を討伐してるから、村に魔物が入ったことはないけど」
「すごいなあ、ますます興味が沸いてきちゃうよ」
ユリウス同様に目を輝かせたハルクを前に、アレンは何度目かの苦笑いを浮かべた。と、そのとき彼の目に入ったのは、壁に貼られた世界地図だった。
「この地図、ハルクが貼ったのか」
「世界地図は各部屋に貼ってあるんだ。中央に大きく描かれたこの大陸が、いま僕たちがいるアトランタ超大陸」
「超がつくから大きいとは思ってたけど、こんなに大きいんだな……」
アトランタ超大陸は、地図の中央どころか、下手をすれば地図の半分を占めているほどだ。よく見れば大陸にはいくつか線が引いてあり、その線も太い線と細い線の二つがあることが分かる。
「この線は?」
「太い線は国境、細い線は地方の区切り線だよ。これは一般家庭用に売られているものだから、アレン君の島は載ってないんだ」
「えっ、地図なのに載ってないのか?」
「さっきも言ったけど、『名もなき島』には近づきたくもないって思っている人が大半だから、描かなくても問題ないんだ。でも、船乗りが使う地図とか、そういうちゃんとした人たちが持っているような地図には島は載っているよ」
「港では、歓迎されているように思ったんだけど。実際はそうでもないのか。なあ、島ってどのあたりにあるんだ?」
「たぶんだけど、このあたりじゃないかな」
ハルクが指さしたのは、アトランタ超大陸と、ヘストニア大陸と書かれた大陸のちょうど真ん中の海だった。
アレンの脳裏に、広く続く草原と、その奥に広がる森が浮かぶ。それから村の近くを流れる川と、川に沿って広がる田園。
ジェダとの稽古が終わって村に戻ってきたアレンに次々と聞こえてくる「おかえり」の声。
「じいさん、元気かな」
知らないうちに呟いていた。あと十年は戻れないと思うと、急に懐かしさがこみ上げる。
「おじいさん?」
「俺に剣を教えてくれた師匠。六十超えたじいさんのくせに、様付けしろだのなんだのってうるさい人だよ」
「元気なんだね」
「元気すぎてこっちが困ってる。あの人は簡単には死なないだろうな」
「アレン君のお師匠様か、会ってみたいな」
「やめておいたほうがいいぞ、無駄に疲れるだけだ」
地図から手を離す。ちょうどそのとき、夕飯を知らせる鐘の音が寮の中を響き渡った。
ハルクと笑いあって、部屋を出る。
明日からいよいよ、剣術学校での生活が始まろうとしていた。
東棟と西棟は、学舎の外観から大きく異なっていた。例えば、西棟はその片側を鬱蒼とした木々が生い茂り、どことなく陰鬱な雰囲気を醸し出している。それと比べ、東棟は南棟と同様に、どこもかしこも綺麗に磨き上げられており、床に至っては城と同じように赤いカーペットが敷き詰められていた。
それだけ剣闘序列の上位者と下位者で差別化されているのだろう。剣闘大会を勝ち上るということは、それほどまで価値のあることなのだ。
次に訪れたのは、お待ちかねの闘技場だった。
闘技場は周囲を観客席で覆われ、円形の「フィールド」と呼ばれるエリア内で戦闘を行う。一般的なコロシアムと作りは大差ない。
フィールドの地面は草一本も生えていない土で、手にしてみるとさらさらと指の間をすり抜けていった。しばらくそれを見ていたアレンは、立ち上がると周囲を見渡した。
「ユリウスさん、少し試したいことがあるんですけど、いいですか」
「試したいこと?」
「フィールドの土の水はけ具合を確認したいんです。どこか水を汲める場所はないですか」
「それなら通路のほうにホースと蛇口があるから、そこから水を引っ張ってくるといい」
言われた通り、フィールドに入るための通路のわきに、ホースと蛇口が備え付けてあった。蛇口をひねり、ホースでフィールドの地面を濡らす。濡らしたまま地面を触ったアレンは、そのまま乾いた地面の砂を足でかけ、どの程度ぬかるむのかを確認していく。
「どうだった?」
「思ったよりも水はけがいいです。これなら、天候にもよりますけど、短時間で乾きそうですね。さすがに大雨の中で試合をすることはないと思いたいです。これだけ吸水性のいい地面なら、前日の雨でぬかるんだ地面に足を取られるなんてことはなさそうです」
手を洗ってから水を止め、アレンはフィールドをぐるりと一周見渡した。それから助走をつけ、前方にハンドスプリングをしてから空中で半回転。後ろ足で着地したとき、しっかりと足が止まるのを確認してから、アレンはようやく満足げにうなずいた。
「うん、いい土してる」
「まるで野生児のようなことを言うんだね」
「半分そんなもんです。島にはこんなふうに整備された場所なんてどこにもないですから」
闘技場を後にした二人は、寮への道を戻っていった。その間の話題は、もっぱら島の話だった
聞いて面白いものは何もないはずなのだが、ユリウスはアレンの話を聞くたびに目を丸くし、時にはその瞳を輝かせる。彼の脳内で浮かんでいる島は、一体どんなことになっているんだろう──。苦笑すら浮かぶアレンをよそに、ユリウスは終始楽しそうに笑い声をあげるのだった。
街の案内は同室のハルクに頼むことにした。学徒会長は色々とご多忙なようで、別れた後も足早に学徒会室に向かうのを見送ったからだ。
「ただいま」
かぎの掛かっていないドアを開けると、中で本を読んでいたらしいハルクが目を細めて「おかえり」と返してきた。
「どうだった?」
「広すぎて迷いそうだ」
「あはは、僕も最初のころはそうだったよ」
右側のベッドに腰かけ、持ってきた荷物を広げる。とはいっても荷物自体はそれほど多いわけでもなく、十分もすればそれらは綺麗に片付いてしまった。
「アレン君は、『名もなき島』の出身なんだよね」
「そうだけど、それがどうかしたのか?」
「そこって、どんなところなのかなって。みんなどことなく薄気味悪がって、近づこうともしないから」
申し訳なさそうに眉を下げたハルクにアレンは慌てて首を振った。島の住民が外の世界を関わりたがらないのと同様に、外の世界の住民が島に関わりたくないと考えるのもよく分かる話だ。
「そうだな……。俺たち島民は、島以外の国を全部ひっくるめて、外の世界って呼んでる。ほかの大陸から島に来るような物好きなんているはずがないから、島に住んでるやつらとそれ以外っていう認識で十分なんだ。だから恥ずかしい話、俺は外に出ることになるまで、国の名前一つ知らなかった。そんなところだよ。開放的に見えて、閉鎖的で排他的なんだ。だけどそれを良いことだとは思わないから、十年単位で、島の外に人を送る。外の情報を定期的に仕入れるんだ。その担当が、十年前の俺のおばさんであり、その次に選ばれたのが俺と幼馴染」
きっとこういう話は、ハルク自身には見当もつかないことだろう。見ればハルクは文字通り目を丸くして、手に持っていた本も閉じてしまっている。
「じゃあ、選ばれなかった人たちは、一生島から出られないってこと?」
「そうなるんじゃないかな。というか、俺みたいに島から出たいって思うほうがおかしいんだし。俺の幼馴染も不安がってたぐらいだから」
「魔物は?魔物はいるの?」
「普通にいるぞ。当番制で、定期的に討伐組が村周辺の魔物を討伐してるから、村に魔物が入ったことはないけど」
「すごいなあ、ますます興味が沸いてきちゃうよ」
ユリウス同様に目を輝かせたハルクを前に、アレンは何度目かの苦笑いを浮かべた。と、そのとき彼の目に入ったのは、壁に貼られた世界地図だった。
「この地図、ハルクが貼ったのか」
「世界地図は各部屋に貼ってあるんだ。中央に大きく描かれたこの大陸が、いま僕たちがいるアトランタ超大陸」
「超がつくから大きいとは思ってたけど、こんなに大きいんだな……」
アトランタ超大陸は、地図の中央どころか、下手をすれば地図の半分を占めているほどだ。よく見れば大陸にはいくつか線が引いてあり、その線も太い線と細い線の二つがあることが分かる。
「この線は?」
「太い線は国境、細い線は地方の区切り線だよ。これは一般家庭用に売られているものだから、アレン君の島は載ってないんだ」
「えっ、地図なのに載ってないのか?」
「さっきも言ったけど、『名もなき島』には近づきたくもないって思っている人が大半だから、描かなくても問題ないんだ。でも、船乗りが使う地図とか、そういうちゃんとした人たちが持っているような地図には島は載っているよ」
「港では、歓迎されているように思ったんだけど。実際はそうでもないのか。なあ、島ってどのあたりにあるんだ?」
「たぶんだけど、このあたりじゃないかな」
ハルクが指さしたのは、アトランタ超大陸と、ヘストニア大陸と書かれた大陸のちょうど真ん中の海だった。
アレンの脳裏に、広く続く草原と、その奥に広がる森が浮かぶ。それから村の近くを流れる川と、川に沿って広がる田園。
ジェダとの稽古が終わって村に戻ってきたアレンに次々と聞こえてくる「おかえり」の声。
「じいさん、元気かな」
知らないうちに呟いていた。あと十年は戻れないと思うと、急に懐かしさがこみ上げる。
「おじいさん?」
「俺に剣を教えてくれた師匠。六十超えたじいさんのくせに、様付けしろだのなんだのってうるさい人だよ」
「元気なんだね」
「元気すぎてこっちが困ってる。あの人は簡単には死なないだろうな」
「アレン君のお師匠様か、会ってみたいな」
「やめておいたほうがいいぞ、無駄に疲れるだけだ」
地図から手を離す。ちょうどそのとき、夕飯を知らせる鐘の音が寮の中を響き渡った。
ハルクと笑いあって、部屋を出る。
明日からいよいよ、剣術学校での生活が始まろうとしていた。