1章・アトランタ超大陸

 ようやく五階へとたどり着いた頃には、アレンの足は僅かに震えていた。これを毎日上り下りするとなると、足腰が鍛えられそうだ。
 対するユリウスは、変わらない足取りで廊下を歩いていく。学徒会長と言うのだから、きっと上位二十名の中にいるのだろうし、毎日これだけの階段を上ったりしていれば、当然鍛えられているはずだ。

「ここが君の部屋だよ」

 ユリウスが五〇四号室のドアをノックする。すると中から返事が聞こえた。

「よかった、いてくれたみたいだ。失礼するよ」

 ユリウスがドアを開く。それに続いて部屋に入ると、中には一人の男子学徒が立っていた。背丈はアレンやユリウスとさほど変わらない。歳も同じくらいだろう。髪と瞳の色は茶色で、くりっとした二重の瞳が特徴的だった。

「こちらが編入生のアレン君だ。で、こちらが君のルームメイトのハルク」
「ハルク・フェリオットです。よろしく」

 差し出された右手を、アレンも握り返す。

「『名もなき島』から来ました。アレンです」
「そう言えば、アレンは姓は持たないのかな?」
「ああ、村長一家は持ってますけど、俺達みたいなただの村人は、姓は持ってませんね……。無いと困りますか?」
「困りはしないよ。ただ、ほかにもアレンという名の学徒がいないわけじゃないから、混同しないようにと思ってね。じゃあ荷物を置いて」
「アレン君のスペースは部屋の右半分だよ。学校側から、最低限の家具は提供してもらえるから、生活するのに不自由はないと思う」

 寮の部屋は、二段ベッドが一つと、壁に向かう形で机が一つずつ。それから本棚、武器の保管庫、それとクローゼットがある。
 教えられた通りに右側の机に荷物を置き、貴重品だけは身に着けておいた。

「うん。それじゃあ行こうか」
「校内の案内ですか?」
「一通りは見てもらいたくてね。でも、しばらくは慣れないだろうから、一緒に行動してあげてほしい」
「大丈夫です。任せてください」

 にっこりと笑ったハルクと寮の部屋で別れ、アレンとユリウスは寮を出た。

「ここから一番近いのは、食堂かな。まだお昼にするには少し早いけど、どうする?」
「開いてるんですか?」
「閉寮しない限りは年中無休さ」
「行ってみたいです!」

 目を輝かせるアレンに笑みを返し、ユリウスは階段を降り始める。そして二階へと戻ってくると、先ほどのホールを横切り、大きく開く扉を開け放した。

「ここが食堂だよ」

 大きな窓からは日の光が差し込み、天井から下がるいくつもの照明が広い食堂を明るく照らしていた。テーブルは長い列が四つで、両側に椅子が並んでいる。

「今日もやっているよね?」

 ユリウスがカウンターの向こうに声をかければ、「もちろん!」と大きな返事が飛んできた。ふふ、と笑ったユリウスに促され、アレンは彼に続いてトレイが積んであるところまで移動した。

「このトレイを持って、そこにかかってるメニューの中から好きなものを選んで注文するだけだよ。今日は休日だから、そんなにメニューはないけれどね」
「へぇ……」

 カウンターの上部に下げられたメニューの札を見上げる。決めかねたアレンは、助けを請うようにユリウスを見上げた。

「おすすめとか……」
「じゃあ、Aランチを二つ」
「はいよー」

 カウンターの向こうにいる女性がバチンと音がするようなウインクをして、料理を皿に盛り付け始める。まもなくして、ユリウスが注文したAランチが二人分、カウンターの向こうからトレイに置かれた。

「あんたが新入りさん?」
「は、はい。アレンです」
「『名もなき島』から来たんだってね。はるばるご苦労様。慣れないことばっかりだろうけど、気張るんだよ」
「あ、ありがとうございます」
「んじゃあユリウス、お代」
「分かったよ、マダム」

 ユリウスが制服のポケットから財布を取り出し、貨幣を女性に手渡す。それをきっちりと数え、マダムと呼ばれた女性は「毎度あり!」と親指を突き立てた。
 二人は入り口にほど近い場所に席を取り、食事を始めた。いつもの癖で手を合わせようとしたが、これは島だけでの作法だったと気づき、心の中で手を合わせてから料理に手を付けた。
 Aランチは、オムライスとスープ、サラダにパンがついたごくごく普通のランチセットだ。ちなみに、Bランチは料理の材料が少しだけ豪華になるが、その分値段が跳ね上がる。そこそこの値段で、しかしランチには食べ飽きたという学徒は、日替わりランチを頼むことが多いのだ、とユリウスは言った。

「ここは男だけなんですか?」
「いや。何名か女子学徒もいるよ。彼女たちとは寮が違うんだ」
「そうなんですか……。女で剣術学校にって、そうとう強いんだな……」
「そうだね、なめてかかると痛い目に合うかもしれないね」

 気を付けよう。アレンは直感的にそう感じた。ユリウスがこう言うのだから、思っている以上に強いんだろう。

 食事を終えた二人は、寮を出た。そのまま、学舎へ繋がる渡り廊下を歩いていく。

「これから案内するのは、西棟だよ。西棟は、主に座学の講義を受ける教室が集まっていて、一番使う学舎になるんだ」
「座学って?」
「授業には実践的なものと、机に座って先生方の話を聞くものの二種類があるんだ。そして、座学は後者のほう。体を動かすのではなくて、知識を蓄えることに重きを置くんだ」

 西棟の扉を開いて、ユリウスが一転を指さす。

「そこに下がっているのが、教室の番号。ここは一階で、この教室が一番初めの位置にあるから、一○一教室。そこから一○二、一○三教室。どの階も教室は三つずつだよ」
「ここって何階建てなんですか?」
「西棟も東棟も三階建てだよ。西棟は、主に剣闘序列が下位の者たちが受ける座学の授業が多いかな」
「東棟は?」
「東棟はその逆で、剣闘序列の上位者たちに向けた座学が多い。君の剣闘序列は百位台だから、惜しくも西棟ってところだね。東棟は九十位台からなんだ」
「え、でも俺、まだ来たばかりで、剣闘大会の序列は……」
「それなんだけど、学校長と僕たち学徒会で見込みの序列を算出したんだ。その結果、君の序列は今日現在で百七位。上位入りなんてすぐだろうと思われるよ」

 歩みを進めるユリウスに続いて、アレンも廊下を歩いていく。
 百七位。おそらく、相当に期待されている分も込みで、その順位にいる。だが、本当に百位台にいられるような実力なのだろうか。本当はもっと下ではないのか?
 どこかで、何かの形で、自分の今の実力を知りたい。見込みなどではなく、本当の序列を知りたい。

「ここがお手洗い。お手洗いはどの階も同じ場所にあるから、大丈夫かな」
「あ、はい」
「うん。それじゃあ今度は東棟だ。……そうそう、急な話で申し訳ないんだけど、再来週の土曜日は今年度最初の校内剣闘大会が開催されるんだ。君の実力を知るいい機会だと思う。ぜひ参戦してほしいな」

 剣闘大会と聞いて、アレンの瞳が輝いた。ちょうど今、自分の実力を知りたいと思っていたところであっただけに、食いつき気味で「やります!」と二つ返事を出した。

「君ならそう言うと思ったよ。まあ、この学院にいる限り、剣闘大会への出場に拒否権はないんだ。体を怪我したとか、何か病にかかったとか、そういう理由でない限りね。じゃあ東棟へ移動しようか。ついてきて」
「はい!」

 歩き出したユリウスを追って、アレンは西棟を後にした。

 再び外へ出たユリウスは、中庭を突っ切って東棟へと向かった。中庭には噴水があり、その周囲を囲むようにベンチが並べられている。北側には闘技場が見えたが、その前面に広がる芝生の庭でも十分戦えそうな広さはあった。

「剣闘大会は一週間かけて行うんだ。最初の五日間は予選。ここで出場者を半分にまで減らす。そして六日目が準決勝。最終日が決勝だよ」
「ユリウスさんは、何位なんですか?」
「それは、君が勝ち上がればわかることさ。それまでのお楽しみだよ」

 食堂のマダムとは違った、綺麗なウインクをするユリウス。勝ち上がればわかる、ということは。
 おそらく、学徒会長をしているくらいなのだ、相当の強者であるのは間違いなさそうだった。

「それにしても、本当に広いんですね……」
「っはは、こうも広いと移動も大変でね。教室移動の時は誰彼問わず全速力で走ってるよ。幸い、廊下を走らない、なんて校則はないから」

 それに、走ることで基礎体力も鍛えられるしね。
 こともなくそう言われ、アレンはヘラリと苦笑いを浮かべた。とにかくこの学校は、日常生活のどこででも鍛えさせる方針らしい。

「……今更ながら、とんでもないところに来てしまった気がしてます」

 これだけ鍛えられていれば、そりゃあ剣術が有名にもなるだろう。

 歩いても歩いても着かない東棟は、本当に存在するのだろうか。
 ──現実からの逃避か、そんなことまで考え始めていた。
5/6ページ
スキ