1章・アトランタ超大陸

 翌朝、午前の定期便で、エドナとヘレンはアトランタ超大陸を去った。見送りはいらないと言われた。アレン自身もその方が気持ちとしては楽だったため、宿屋の前で「それじゃあまた」という軽い挨拶──まるで近所に住んでいるかのように──で済ませたのだった。
 宿屋で剣術学校の制服に着替え終えたアレンは、一人で商業エリアを抜け、アカデミーエリアへと来ていた。
 剣術学校の制服は、白を基調としている。動きやすいように、少し体にフィットする形で作られているのが特徴だった。
 アカデミーエリアは上空から見ると均等な位置で三角形の頂点をとる。つまり、アカデミーエリアに入って右側にあるのが王立魔術学校、その向かい、といってもけっこうな距離で離れてはいるのだが、そこに王立学術学校がある。そして、中央の噴水広場を抜けたその先に、広大な敷地を持つ王立剣術学校がある。ちなみに、アカデミーエリアを抜けるためには、剣術学校の真横にある道を通る必要がある。すなわち国賓は必ず剣術学校を目にするということであり、この剣術学校はアトランタ王国の顔と言っても過言ではない。学舎もそれを意識してか、他の二校よりも荘厳な造りとなっている。
 その、王立剣術学校の門の前で、一人の男が立っていた。男はアレンを目にすると、右手を左胸に添え、恭しく一礼をしてみせた。

「『名もなき島』から、ようこそ、我らが学び舎・アトランタ王立剣術学校へ。学徒一同、君の編入を心より歓迎いたします」

 金髪の、僅かにウェーブがかかった短髪の男は、そう口上を述べ、右手を差し出した。

「シェイク・ハンド。意味は分かるかい?」
「は、はい。初めまして、アレンです。これからお世話になります」

 自分の名を名乗り、アレンも男の手を握る。ぐ、と握手を交わし、男とアレンは手を離した。

「申し遅れたね。僕はユリウス。ユリウス・ジーク・オスタリアンだ。この剣術学校の学徒会長をやっているよ。よろしく、アレン」

 ユリウスと名乗った青年の腰には、かなり上物の細身の剣が下がっていた。視線に気付いたユリウスは、それを腰から外して見せた。

「これは僕の武器。分類はレイピアと言って、斬ることよりも、刺し貫くことに特化した剣なんだ」
「へぇ……」
「さ、ひとまず中へ入ろう。学校長が君をお待ちになっているからね」
「学校長?えっと、ユリウス……さんは、学徒会長なんですよね」
「ああ。この剣術学校では、ここに通う者たちを学徒と呼び、僕はその学徒の代表として、学徒たちの意見をまとめ、学校側へ代表して意見を述べる、という役目を負っている。学校長は、僕が意見を述べる学校側の長だよ」

 壮麗な門がゆっくりと開く。中へ足を踏み入れた瞬間、アレンは目に飛び込んできたものすべてに心を奪われた。
 城ではないかと思うほどの荘厳な構えの学舎は、ここが生易しい場所ではないということを示すように立ちはだかる。しかしその中にもどこか温かい雰囲気も感じ取れるのはなぜなのだろう。
 学舎の中は板張りの床だ。しかし壁はすべて石膏のようなもので出来ていた。等間隔で備え付けられている灯りは、日中でも消されることはないようだ。
 ユリウスはアレンを連れ、階段を上っていく。

「学舎は西棟と東棟、そして今いる南棟の三つ。ただ、南棟は先生たちしか使わないから、僕たち学徒が使う学舎は西と東の二つ、それから実技を行う闘技場くらいかな」
「闘技場……」
「あとで学舎の中を案内するから、その時に見せてあげよう。実は、今日は学校自体が休みの日でね、学徒は寮にいるか家に帰るか、商業エリアで遊んでいるかだから、ほとんど人がいないんだ」

 道理で剣術学校の割には静かなわけだ、とアレンは合点がいく思いだ。南棟は二階建てで、その二階に学校長の部屋があるのだという。
 二階に上がって一番に目についた大きな扉。そこについている獅子の口には輪の形をした取っ手がついている。その取っ手にユリウスが手をかけ、そして扉を三回叩いた。

「学校長、学徒会長ユリウスです。編入生のアレン君をお連れしました」
「ご苦労」

 決して若くはない声が応える。

「失礼します」

 扉を開けたユリウスは一礼して、アレンを中へ入れた。床は緋色の絨毯が敷き詰められ、壁一面に本棚が並んでいる。そして目の前の机に、その学校長が座っていた。

「よくぞ参られた。歓迎しよう、新たな学びの友よ。私が学校長のルドルフだ。まあ滅多なことでは会うことはなかろうがな」

 そう言って朗らかに笑う学校長は、ジェダとそう変わらない年齢のように見えた。

「早速だが、君の相棒となる武器を見せてもらいたい。検閲は済ませてあるとは思うが、念のためだ」
「はい」
「呪いなどはかかっとらんとは思うんだがね」

 双剣を受け取った学校長が、じっと双剣を見つめる。勇敢ブレイブ裁きジャッジの名が彫られた双剣であるはずなのだが、その事実を知っているのか、学校長がそれに触れることはなかった。

「うむ、問題はないようだ。結構結構。すまなかったね、君の大切な相棒を」
「いえ、大丈夫です」

 学校長から戻された双剣を腰に装備したアレンは、学校長の咳払いで姿勢を正した。

「さて、君がかの英雄の末裔である……かも知れないという事実は、残念ながら学徒たちの知るところだ。秘密にしておきたかったのであれば、まずはその点を謝罪しよう」
「伏せておくべきだとは思ったのだけれど、発覚して大騒ぎになるよりは、あらかじめ伝えておいた方がいいかもしれないと思ったんだ。君に相談せずに独断でこのような措置をとったことを許してほしい」
「だ、大丈夫です。俺自身もそんなに気にしてないので!俺は、英雄の末裔だからとか、そんな理由で剣の腕を磨きに来たわけじゃないですから」
「そうか。それを聞いて安心した。しばらくは周囲が騒がしいかとは思うが、じきに静まっていくだろう」
「しばらくの間は我慢してほしい。この世界が直面している危機を思えば、周囲が騒ぐのも理解できるだろう?」
「そう、ですね。わかりました」

 この世界は、英雄の復活を待ち望んでいる。知識としては知っているつもりだが、実際に自分が英雄の子孫だという証拠が特にあるわけでもない。そのせいかは分からないが、全く何の気負いも感じていないのが本音だったりする。

「さて、それでは君にいくつか書類を書いてもらいたい。そこのソファに座ってくれ」
「飲み物は紅茶?それともコーヒー?」
「えっと、紅茶で」
「折角だからドライフルーツもブレンドしてあげよう。見た目も華やかで明るい気持ちになれるよ」
「ユリウスの紅茶は格別に美味だと評判でな。滅多なことでは飲まれんぞ、君は運がいい」
「っふふ、学校長はよく飲んでおられるでしょうに」

 勝手知ったる様に戸棚を開け、ユリウスが紅茶の準備をする。その間に、ルドルフは三枚の紙をアレンの前に並べた。

「右から入学同意書、入寮同意書、そして剣闘大会出場届けだ」
「ええと、剣闘大会というのは?」
「王立剣術学校では、月に一度、校内で剣闘大会を行う。試合は年間で十試合。これを勝ち抜いた者の上位二十名が、世界剣闘大会への出場枠を勝ち取ることができる。剣闘大会は、その名の通り、剣術の大会だ。まあ剣のほかにも槍を扱う者もおるがな」
「ついでに言うと、その上位二十名に選ばれると、寮が個室になるんだよ」
「それ以外は?」
「二人から三人部屋だね」
「ヘレン殿から説明もあったかもしれんが、この上位二十名には特権が付与される」
「特権、ですか」
「普通は登城する際、手続きを踏まねばならんのだが、上位二十名に限り、それが免除される」
「……まあ、城に行く用なんてほとんどないから、特に意味のない特権ではあるけどね」

 紅茶を淹れながら、ユリウスが笑ってそう言う。ルドルフも否定しないあたり、本当に意味のない特権なのだろう。

「同意書をよく読み、内容に疑問が無ければ、そこに君の名前を記入してくれ」

 入学同意書を手に取り、印字された文字を目で追う。それから入寮同意書、大会出場届けも同様に細部まで目を通し、アレンは渡されたペンにインクをつけ、自分の名を書いた。

「これで君は、晴れて王立剣術学校の学徒だ。改めて、ようこそ、我らが学び舎へ。はい、どうぞ。熱いから気を付けて」
 目の前に出された紅茶はおいしそうな湯気を立てている。一口飲めば、芳醇な香りが口いっぱいに広がった。

「美味しいです」
「お口に合うようで良かった」

 やけどをしないよう、少しずつ冷まして飲み干すと、ユリウスがティーカップを片付ける。

「ユリウス、この後は」
「アレン君を案内して回ります」
「ついでに寮のルームメイトにも紹介すること。よいな」
「はい。失礼します」
「し、失礼します」

 ユリウスに続いて学校長室を出る。そして、ユリウスが制服のポケットから何かを取り出した。

「これは校章。襟の部分につけるんだ」

 ほら、とユリウスが自分の校章を指さす。アレンが同じ場所に校章を付けたのを確認して、ユリウスはまた歩き出した。

「まずは寮に行って、その荷物を置いて行こうか。ついて来て」
「寮は同じ敷地の中にあるんですか?」
「そうだよ。かなり広いから、最初のうちはルームメイトの子と一緒に行動するといい」

 南棟から寮の宿舎までは、そう遠くはないという。理由を聞けば、その昔、宿舎で乱闘騒ぎが起こったらしく、教師陣が駆けつけやすいように建て替えられたのだとか。

 学舎が立派であれば、当然ながら宿舎も大層な造りである。太陽の光を跳ね返す程に磨かれた真っ白な外壁は汚れの一つも見当たらない。玄関の両開きの扉は開け放たれているが、建物の中はしんとしていた。

「君の部屋は、この建物の五〇四号室。はい、これが部屋の鍵だよ」

 ユリウスがポケットから鍵を取り出す。それを受け取り、アレンは制服のポケットに入れこんだ。
 玄関には、外の砂や泥を落とすためのマットが敷かれ、その先は板張りの床が綺麗に磨き上げられている。天井は高くはなく、学舎の南棟の玄関口に比べると荘厳さでは些かこちらが下のようだ。とは言っても、充分豪華絢爛と呼べるくらいには建物内の装飾がきらびやかではあるのだが。
 階段は大理石で、赤い絨毯が敷かれている。その上を歩いて階段を上り、ユリウスとアレンは二階へとやってきた。

「この二階は、学徒のためのスペースが多く設けられている。暇つぶしにここでボードゲームをするもよし、読書をするもよし。ちなみに、読書をするなら今日のように皆が出払ったときがお勧めだよ」

 その説明の通り、二階は目の前全てがホールとなっており、壁側や中央の辺りにいくつかソファとテーブルが置かれている。普段は学徒たちで騒がしいのかもしれないが、今日は誰もいないようだった。
 三階からが学徒たちの部屋となるらしい。宿舎は八階建てで、六階部分から八階までが、校内の剣闘大会上位二十名の個人部屋となっている。

「部屋って、どうやって決まってるんですか?」
「通常は入学試験の成績順に下の階から割り振っていくんだけど、君は編入生扱いだからね。ヘレン様の口添えもあって、入学時の見込み点を算出してから、結構な実力者だと判断させてもらった。もっとも、勇敢ブレイブ裁きジャッジを扱うんだから、相当な手練れだろうとは思っているけれど」

 四階へと昇りながら、ユリウスは背後のアレンを振り返った。無知に等しいこの青年は、いずれ歴史に名を刻むのだろう。今はその気配がなくとも、いつか。そう遠くない未来で……。

「君と共に世界を見て回れたら、楽しいかもしれないね」

 アレンは首をかしげている。
 それ以上は何も言わず、ユリウスは五階に繋がる階段を上り始めた。

 まだ知らなくていいよ。そう胸の中で呟きながら。
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