1章・アトランタ超大陸
昼に出発し、船に乗ること三時間。
アトランタ超大陸の玄関とも言われる、アトランタ王国レスルク地方――。
レスルク地方は西と東の二つによって成り立っており、西レスルクは漁業、東レスルクは農業が盛んな地域である。漁船に限らず、商船、客船、全ての船が停泊するのが西レスルクの港町で、そのため、漁村や港町が大多数を占める地方にも関わらず、その経済効果は超大国を支える一つの柱となっている。
「名もなき島」からの新たな使者の到着は、港町を駆け巡った。甲板に顔を出したアレンとエドナは、波止場に集まる人の数を目の当たりにし、しばらくの間絶句した。
「なに固まってるの。降りるわよ」
ヘレンが渡し板を歩いて降りると、集まった人々が一斉にざわめきだす。なぜならヘレンはこのアトランタ王国の国家魔術師で、国家魔術師という身分の者がこの港町に現れるなどそうそう無いことだからである。しかもその国家魔術師が「名もなき島」からの使者を連れて来たとなれば、なおのこと騒ぎになるのも無理はなかった。
「名もなき島からの使者は十年に一度。毎回、こんなふうに騒ぎになるのさ。異常なことじゃないから、気にしなくていい」
島の漁師がそう笑って、アレンとエドナの頭をぽん、と一度だけ叩いた。
「頑張れよ」
そう言い残し、漁師は船室へと消えていく。その場に立ち尽くしていたアレンとエドナは顔を見合わせ、お互いの顔に笑みが浮かんでいることを見て取った。
「行くか!」
「うん!」
渡し板を走って渡る。板を渡り終えた足が、アトランタ超大陸の大地を初めて踏んだ。
ただの一歩。
しかし、これが世界を大きく変える一歩になることを、まだこの時アレンたちは知る由もなかった。
港町の町長に出迎えられ、アレンたちは町長の家で夜食を共にした後、厚意で泊めてもらうこととなった。
島とは全く違う家の造りや町並みは、外の世界を知らない二人にとってはただただ新鮮だった。例えば、町はすべて石畳の地面であり、家の造りは島のような木造ではない。屋内を照らす灯りはろうそくではなく、ランプと呼ばれるものを使用している。そして一番驚いたのは――。
パン、とアレンの手を叩く音がこだました。続いて、エドナもそっと手を合わせる。綺麗に全ての料理が食べつくされた食器を見て、町長は嬉しそうに笑った。
「十年ぶりに見ましたな、その挨拶を」
「え?」
町長が言う挨拶とは、島で食前・食後に行う「手を合わせる」という動作。これは食物への感謝を表す動作なのだが、思えば先に食べ終えた町長が手を合わせることはなかった。
「これは名もなき島特有の動作なの。外の世界の人達は手を合わせたりはしないのよ」
「そうなんですか?」
「現に私はしなかっただろう」
「どこもやるんだと思ってました」
町長がおかしそうに声を上げた。どことなく恥ずかしくなったアレンが、カッと顔を赤くする。エドナは何食わぬ顔で水を飲んでいた。
ところで、と町長が懐から一枚の紙を取り出した。
「明日、首都へ行く馬車の手配が済むのだが、どうするかね。ヘレン殿の魔法で行くことも可能ではあるが」
「そうですね。道中で魔物に襲われてはかないませんし、明日は私が魔法で送ります」
「分かった、御者へはそう伝えよう。お三方の部屋は階段を上がって右だ。長旅でお疲れであろう、今日はごゆっくりと休まれるがいい」
アレンはエドナと顔を見合わせ、それからヘレンを見た。ヘレンの方は首を横に振ったため、まだ就寝はしないという意思だろう。自分たちは先に休もうと、アレンとエドナは席を立った。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「ああ、そう言えば名前を聞いていなかったな。これから先、君たちと関わることはそう多くはなかろうが、未来ある君たちの名前を知っておきたい」
「俺はアレンです」
「エドナです」
「アレンにエドナ。良き名だ」
懐かしそうに目を細めた町長に二人は首を傾げ、それから夕食の席をあとにした。
食堂を出て、階段を上る。言われた通りに右側の部屋を開けると、そこは広い客室で、村とはまた違った調度品が飾られていた。
「見て、アレン。ベッドがふかふか!」
「ベッドって、こんなにふかふかなもんなんだな……。村のベッドはものすごく硬かったのか」
腰から双剣を外し、枕元に立てかける。それからゆっくりとベッドに座ると、驚いたことに体がわずかに沈んだ。
「すげえ、マジでふかふかだ」
「ね、アレン。私ね、本当は外の世界の人達が怖かったの。すごく白い目で見られるんじゃないかって。でも、そんなことなかったね。みんな私たちのこと、すごく温かく迎えてくれた」
「まあ、外の世界の奴ら全員が俺達を歓迎するとは限らないかもしれないけど、でも良かったよ。町長も優しい人だしな」
うん、とエドナも頷く。それから2人で他愛のない会話をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
断りをいれて入ってきたのは、町長の家の使用人で、風呂の用意が整ったということだった。
決め事の定番方法・じゃんけんで順序を決めた二人は、使用人の怪訝な表情により、じゃんけんも「名もなき島」特有のものであることを知ってしまうのだった。
二人だけの食堂で、ヘレンは黙したまま葡萄酒ワインを飲んでいた。レスルク地方は東レスルクが農業地帯で、そこで採れる葡萄は殆どが葡萄酒となる。
「アレン君は――」
町長がそう呟く。葡萄酒を飲むのをやめ、ヘレンは町長を見た。
「一体、何者なのです」
「……それはどういう意味でしょう」
「ただの島の住人ではありますまい。彼は自覚してはおらぬようだが、にじみ出る風格はまさに英雄のそれだ」
「……英雄。五百年前、破滅の王を討ち、この世界に平和をもたらしたという、かの人物ですか」
「そして、彼が身につけていた双剣は」
ヘレンの言葉には答えず、町長がそのまま続ける。返答を求めていたわけではないヘレンは、そのまま閉口した。
「あれは、その英雄がかつて使用し、イグニスを討ったとされるもの。勇敢 と裁き では?」
「……なぜそうであると?」
「私は町長のほかに、鑑定家としての一面も持っておりましてな。アレン君が持つあの双剣は、ただの双剣ではない。あの双剣からは、何かの力を感じたのです」
「力?」
「彼を守り、彼を助けんとする力……。しかしその力は、魔法によるものではない。何か……遺された意志が、あの双剣に宿っている。それが誰の意志かまでは、分かりませんが」
この世界で言う鑑定家は、骨董品などの真贋を見極める者であると共に、その物に宿る力をも見抜く能力を備えていなければならない。古来より伝わる首飾りなどの装飾品には、強弱さまざまな呪いがかけられているケースも多い。そのため、物に宿る力が不浄のものか、加護するものか――それを見極めなければ、鑑定家を名乗ることができないとされている。
そういう意味で、港町の町長はアトランタ王国でもそこそこ名の知れた鑑定家であった。
「アレンは……ただの好奇心旺盛な十九歳の青年です。今の私には、こうお返しするしかありません。ところで、例の件についてですが……」
「ああ、ヒストリア家のことですか。残念ながら、まだ存在の有無は分かりかねます。調査隊もそれらしい発見がないようで」
「……そうですか」
ヘレンが僅かに陰りを落とす。それからグラスに残った葡萄酒を飲みほし、席を立った。
「では、一晩、お世話になります」
杖を手に持ち、食堂を出て行くヘレン。その姿を見送った町長は、何かを考えるように目を閉じ、ゆっくりと席を立ち上がった。
英雄とアレン。
この二人の関係は、結びつくのか。
すべては、神のみぞ知ること。
アトランタ超大陸の玄関とも言われる、アトランタ王国レスルク地方――。
レスルク地方は西と東の二つによって成り立っており、西レスルクは漁業、東レスルクは農業が盛んな地域である。漁船に限らず、商船、客船、全ての船が停泊するのが西レスルクの港町で、そのため、漁村や港町が大多数を占める地方にも関わらず、その経済効果は超大国を支える一つの柱となっている。
「名もなき島」からの新たな使者の到着は、港町を駆け巡った。甲板に顔を出したアレンとエドナは、波止場に集まる人の数を目の当たりにし、しばらくの間絶句した。
「なに固まってるの。降りるわよ」
ヘレンが渡し板を歩いて降りると、集まった人々が一斉にざわめきだす。なぜならヘレンはこのアトランタ王国の国家魔術師で、国家魔術師という身分の者がこの港町に現れるなどそうそう無いことだからである。しかもその国家魔術師が「名もなき島」からの使者を連れて来たとなれば、なおのこと騒ぎになるのも無理はなかった。
「名もなき島からの使者は十年に一度。毎回、こんなふうに騒ぎになるのさ。異常なことじゃないから、気にしなくていい」
島の漁師がそう笑って、アレンとエドナの頭をぽん、と一度だけ叩いた。
「頑張れよ」
そう言い残し、漁師は船室へと消えていく。その場に立ち尽くしていたアレンとエドナは顔を見合わせ、お互いの顔に笑みが浮かんでいることを見て取った。
「行くか!」
「うん!」
渡し板を走って渡る。板を渡り終えた足が、アトランタ超大陸の大地を初めて踏んだ。
ただの一歩。
しかし、これが世界を大きく変える一歩になることを、まだこの時アレンたちは知る由もなかった。
港町の町長に出迎えられ、アレンたちは町長の家で夜食を共にした後、厚意で泊めてもらうこととなった。
島とは全く違う家の造りや町並みは、外の世界を知らない二人にとってはただただ新鮮だった。例えば、町はすべて石畳の地面であり、家の造りは島のような木造ではない。屋内を照らす灯りはろうそくではなく、ランプと呼ばれるものを使用している。そして一番驚いたのは――。
パン、とアレンの手を叩く音がこだました。続いて、エドナもそっと手を合わせる。綺麗に全ての料理が食べつくされた食器を見て、町長は嬉しそうに笑った。
「十年ぶりに見ましたな、その挨拶を」
「え?」
町長が言う挨拶とは、島で食前・食後に行う「手を合わせる」という動作。これは食物への感謝を表す動作なのだが、思えば先に食べ終えた町長が手を合わせることはなかった。
「これは名もなき島特有の動作なの。外の世界の人達は手を合わせたりはしないのよ」
「そうなんですか?」
「現に私はしなかっただろう」
「どこもやるんだと思ってました」
町長がおかしそうに声を上げた。どことなく恥ずかしくなったアレンが、カッと顔を赤くする。エドナは何食わぬ顔で水を飲んでいた。
ところで、と町長が懐から一枚の紙を取り出した。
「明日、首都へ行く馬車の手配が済むのだが、どうするかね。ヘレン殿の魔法で行くことも可能ではあるが」
「そうですね。道中で魔物に襲われてはかないませんし、明日は私が魔法で送ります」
「分かった、御者へはそう伝えよう。お三方の部屋は階段を上がって右だ。長旅でお疲れであろう、今日はごゆっくりと休まれるがいい」
アレンはエドナと顔を見合わせ、それからヘレンを見た。ヘレンの方は首を横に振ったため、まだ就寝はしないという意思だろう。自分たちは先に休もうと、アレンとエドナは席を立った。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「ああ、そう言えば名前を聞いていなかったな。これから先、君たちと関わることはそう多くはなかろうが、未来ある君たちの名前を知っておきたい」
「俺はアレンです」
「エドナです」
「アレンにエドナ。良き名だ」
懐かしそうに目を細めた町長に二人は首を傾げ、それから夕食の席をあとにした。
食堂を出て、階段を上る。言われた通りに右側の部屋を開けると、そこは広い客室で、村とはまた違った調度品が飾られていた。
「見て、アレン。ベッドがふかふか!」
「ベッドって、こんなにふかふかなもんなんだな……。村のベッドはものすごく硬かったのか」
腰から双剣を外し、枕元に立てかける。それからゆっくりとベッドに座ると、驚いたことに体がわずかに沈んだ。
「すげえ、マジでふかふかだ」
「ね、アレン。私ね、本当は外の世界の人達が怖かったの。すごく白い目で見られるんじゃないかって。でも、そんなことなかったね。みんな私たちのこと、すごく温かく迎えてくれた」
「まあ、外の世界の奴ら全員が俺達を歓迎するとは限らないかもしれないけど、でも良かったよ。町長も優しい人だしな」
うん、とエドナも頷く。それから2人で他愛のない会話をしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
断りをいれて入ってきたのは、町長の家の使用人で、風呂の用意が整ったということだった。
決め事の定番方法・じゃんけんで順序を決めた二人は、使用人の怪訝な表情により、じゃんけんも「名もなき島」特有のものであることを知ってしまうのだった。
二人だけの食堂で、ヘレンは黙したまま葡萄酒ワインを飲んでいた。レスルク地方は東レスルクが農業地帯で、そこで採れる葡萄は殆どが葡萄酒となる。
「アレン君は――」
町長がそう呟く。葡萄酒を飲むのをやめ、ヘレンは町長を見た。
「一体、何者なのです」
「……それはどういう意味でしょう」
「ただの島の住人ではありますまい。彼は自覚してはおらぬようだが、にじみ出る風格はまさに英雄のそれだ」
「……英雄。五百年前、破滅の王を討ち、この世界に平和をもたらしたという、かの人物ですか」
「そして、彼が身につけていた双剣は」
ヘレンの言葉には答えず、町長がそのまま続ける。返答を求めていたわけではないヘレンは、そのまま閉口した。
「あれは、その英雄がかつて使用し、イグニスを討ったとされるもの。
「……なぜそうであると?」
「私は町長のほかに、鑑定家としての一面も持っておりましてな。アレン君が持つあの双剣は、ただの双剣ではない。あの双剣からは、何かの力を感じたのです」
「力?」
「彼を守り、彼を助けんとする力……。しかしその力は、魔法によるものではない。何か……遺された意志が、あの双剣に宿っている。それが誰の意志かまでは、分かりませんが」
この世界で言う鑑定家は、骨董品などの真贋を見極める者であると共に、その物に宿る力をも見抜く能力を備えていなければならない。古来より伝わる首飾りなどの装飾品には、強弱さまざまな呪いがかけられているケースも多い。そのため、物に宿る力が不浄のものか、加護するものか――それを見極めなければ、鑑定家を名乗ることができないとされている。
そういう意味で、港町の町長はアトランタ王国でもそこそこ名の知れた鑑定家であった。
「アレンは……ただの好奇心旺盛な十九歳の青年です。今の私には、こうお返しするしかありません。ところで、例の件についてですが……」
「ああ、ヒストリア家のことですか。残念ながら、まだ存在の有無は分かりかねます。調査隊もそれらしい発見がないようで」
「……そうですか」
ヘレンが僅かに陰りを落とす。それからグラスに残った葡萄酒を飲みほし、席を立った。
「では、一晩、お世話になります」
杖を手に持ち、食堂を出て行くヘレン。その姿を見送った町長は、何かを考えるように目を閉じ、ゆっくりと席を立ち上がった。
英雄とアレン。
この二人の関係は、結びつくのか。
すべては、神のみぞ知ること。