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エアリスの魔女・1

 はるか太古の昔、世界は魔法と神秘に満ちていた。
 それらは世界が発展するにつれ、科学の名のもとに淘汰された。
 今、この世界を支配するのは、化学を元にした錬金術である。
 魔法や神秘はまやかし。魔法使いはペテン師。世間は彼らの存在を許さず、各地で魔法使いは迫害された。
 ある者は炎に焼かれ、ある者はギロチンで首を落とされ、またある者は手足に重石を括り付けて海に沈められた。
 魔法と神秘は世界から消え去り、科学こそが人類に発展をもたらすものとなった。
 誰もがこぞって錬金術を学んだ。学者たちは様々な法則を生み出し、生活は大きく発展し、錬金術は人々の生活に溶け込んだ。


 ──中央大陸。セントレイク国、首都エアリス。
 商業エリアであるヘイデル区に、その錬金工房は店を構えていた。
 国一番の錬金術師と名高い、若き天才が店主を務める店は、エリアの外れに位置しながらも客足が途絶えることはない。
 天才の名はシエル=セレシア・クロード。このクロード錬金工房の若き三代目店主だ。シエルというのはクロード家に引き取られた際につけられた名で、実際はセレシアが本名なのだが、自身を含めて皆、彼女をシエルと呼称している。
 シエルは生まれた頃から、首都にある孤児院で暮らしてきた。そのため実の両親の顔も知らなければ、名前も知らない。セレシアという名も、孤児院の院長がつけたものだ。
 幼少期にクロード家に引き取られてからはシエルという新しい名をもらい、それ以降はシエル=セレシア・クロードという長い名前で生活してきた。
「毎度どうも、また宜しくね」
 銅貨を十枚ほどカウンターに置いた客人へ、店主のシエル・クロードはそう言って品物を手渡した。
 紙袋の中には、形の違う歯車が数個、それから部品が数点、収められている。客人は袋の中を覗き込み、それからその口を折って小脇に抱えた。
「相変わらず見事な腕前ですね、シエルさん。まるで魔法──」
「魔法みたいだって? よしてよ、店が潰れちゃうじゃない」
「すみません、ちょっとした喩えですよ。だってあんなにも錆び付いていた部品と歯車が、こんなに新品同然になるなんて」
「それが錬金術の面白いところね。もちろん、錬金術は有用だけど万能じゃない。錆び付いた部品を新品にすることくらいは簡単だけど、無から有を作り出せるわけじゃないのよ。……さて、依頼された分はそれで全部よ。部品の数は合ってる?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました、助かりました。また宜しく頼みます」
「こちらこそいつもありがとう。今後ともご贔屓に」
 カウンターに肘をついて、店を出ていく男性を見送る。微笑みながら手を振っていたシエルは、ドアがパタンと閉まると同時に、表情をほんのわずか暗くした。
 魔法なんて存在しない。神秘なんてありはしない。それがこの世界の常識。魔法を使える者は、既にこの世には一人もいないと言われている。
 シエルしかいない店内は、シンとした静けさに包まれた。外の賑わいが小さく聞こえてきて、尚更に静けさを引き立たせていく。
 不意に、壁にかけていた時計がボーンと音を立てた。はっと顔を上げ、時間を確認すると、午後三時だ。
「……いけない。今朝、テイラーから頼まれたハサミの修理がまだだった」
 店のカウンターから奥の作業場へと引っ込み、シエルは錬金台の前に腰掛けると、テイラーから預かった剪定用のハサミを取り上げた。
「修繕箇所は……錆と刃こぼれ、それから支えの歪みか。まったくテイラーったら、枝葉が切れなくなってからうちに持ってくるんだもの」
 錬金台に書き上げていた方程式をそのままに、テイラーのハサミと、ハサミに使われている鉱物を錬金台に並べていく。そうしてシエルは空白のところに、歪みを正す式を白のチョークで書き加えた。
 カッと錬金台が光り輝き、それからゆっくりと光が収まっていく。そうして残ったのは、新品同様に生まれ変わった剪定バサミだった。
 完成したハサミを持ち上げ、修繕箇所をくまなく確認していく。刃先の刃こぼれは全て綺麗に直り、錆もしっかり落ちている。支えの歪みも正されていて、ついでに持ち手にこびりついていた汚れもすっきり落ちた。
「うん、我ながらいい仕事をしたわ」
 自画自賛のように呟いて頷き、シエルはハサミを錬金台から持ち上げた。もうしばらくもすれば、テイラー本人がハサミを取りに来るだろう。
 急ぎで仕上げなければならない仕事は、これが最後だ。このまま仕事が舞い込んで来なければ、今日は早めに店を閉めてもいいかもしれない。
 作業場の床を箒で掃いていると、カランカランとドアのベルが鳴った。
「シエルさーん、いるー?」
「はーい、いらっしゃい。あらテイラー、待ってたわよ」
 店内にはテイラーが立っていて、シエルを見て手を振った。緩いウェーブのかかった金髪を、後ろでひとつに束ねたテイラーは、職人らしくリネンのシャツにオーバーオールの出で立ちだ。
 オーバーオールから土だらけの手袋が覗いている様子から察するに、仕事上がりの足でそのまま来たのだろう。
「依頼されたハサミなら、出来てるわよ。確認してくれる?」
「あー、さっすがシエルさん! 朝イチでお願いして良かったー!」
「次はもう少し余裕のある段階で持ってきなさいよ。って、これ毎回言ってる気がするわね」
「毎回言われてる気がする。……ん、うん、バッチリ、文句なし! さすがはセントレイク一の錬金術師!」
「その呼び方はやめて。それじゃあ、材料費と工賃、特急料金込みで、銀貨三枚きっちり頂くわよ」
「はーい。……ねえそうだ、シエルさん。あの噂って知ってる?」
「噂?」
 急に声を潜めてきたテイラーへ、シエルは首を傾げた。残念ながらシエルは工房から出ることが少なく、街の噂には少々疎い。そのためシエルにとって、テイラーは貴重な情報源でもある。
 テイラーはちらりと外を見やると、シエルへ向かって言った。
「……魔法使いが、生きてるって」
「──えっ?」
「もちろん噂だから、真偽の程は定かじゃあないけど。でも噂にしては、目撃情報が多いんだって」
「目撃情報?」
「そう。みんな揃って、『満月の夜に黒いローブを着た人が、不思議な杖を持って南の森へ向かうところを見た』って言ってるの」
「……」
 魔法や神秘が否定されてから、二百年。魔法使いは一人残らず処刑され、この世には残っていない。それがこの世界の通説だ。
 魔法はまやかし、魔法使いはペテン師。科学のみが真実であり、世界を発展させるのは化学に基づく錬金術である──。
 誰もがそう教わって生きてきた。テイラーも、もちろんシエルも。それなのに、魔法使いが生きていたとなると──それは世界を揺るがす大事件なのだ。
「……有り得ないわよ。魔法使いはとっくに絶滅してるのよ?」
「そうだけど! じゃあその、黒いローブを着て変な杖を持って、満月の夜に南の森へ向かった人は、何しに行ったのって話じゃない」
「そんなの知らないわよ……。持っていたっていう変な杖だって、別の物を見間違えただけかもしれないじゃない」
「んもう、分かってないなぁ! それがもし本当に魔法使いだったら大問題でしょ? そうしたら百年ぶりのウィザードハントよ?」
「うーん……。お偉方はどうお考えなのかしら」
「今夜から騎士団が夜の巡回を強化するらしいよ。ハーツナイト家が公式に知らせを出してた」
「ハーツナイト家が?」
 ハーツナイト家は、首都エアリスを守護するセントラル騎士団を管轄する貴族だ。重罪人から飼い猫まで、探し出せないものはないと言われる、セントレイクが誇る屈強にして精鋭揃いの国家警備組織──それがセントラル騎士団である。
 そのセントラル騎士団の団長を輩出しているのがハーツナイト侯爵家であり、現団長はハーツナイト家の長男が務めている。
「今日は満月よ。疑われることはないと思うけど、シエルさんも夜の外出は控えてね。この工房がなくなったら、エアリスどころか、セントレイクの全職人が困るんだから!」
「はいはい。私はいっつも駆け込み特急料金でボロボロのハサミを置いていく、どこかの剪定師さんに困らされてるけど」
「ちょっとぉ!」
 むくれたテイラーが銀貨三枚をカウンターへ置いていく。笑いながらシエルはそれを受け取り、ハサミを持って去っていくテイラーを見送った。
 カランカランとドアのベルが軽やかに鳴り、ドアが閉まる。店の前を走り去る子供たちの騒ぎ声が遠ざかり、荷馬車を引く馬の蹄の音が近付いて、そしてやはり離れていく。
 店の外の日常をぼんやりと眺めて、それからシエルは手の中にある銀貨をポケットに突っ込んだ。
 店の外を、セントラル騎士団の巡回隊員が隊列を組んで歩いていく。その一団を店の中から見つめて、シエルは小さく首を振った。
「……魔法使い、か」
 再び静かになった店内に、その声はぽつりと落ち、やがて静寂の中に消えた。


 日も落ちた夜。
 夕飯を食べ終えたシエルは、作業場の掃除をしながら、仕事に使う鉱物の残量を確認していた。
「そろそろ銀を仕入れないといけないわね。行商が来るのはいつだったっけ……」
 ぶつぶつと呟きながら掃除を進めるシエルの足が、小さな箱に引っかかった。いてて、と呻きながら箱の中を覗くと、そこには青みがかった黒の石が数個。
「……これ、随分昔に、南の森で拾ったのよね」
 それはシエルが錬金術師になるよりも少し前。お世話になっていた孤児院の手伝いで、薬草を探しに行った時に、こっそり拾っておいたものだ。
 日中や屋内では何の変哲もない鉱石に見えるが、月光を浴びると青白く輝く、不思議な石だった。
 けれどどんなに錬金術に関する本を読んでも、この鉱石に関することは書かれていない。そのうちシエルにとってこの石は、自らの手で解明すべき対象となった──ことを、今の今まですっかり忘れていた。
 この石を拾った時も、満月の夜だった。そして今宵は満月。拾える可能性があるなら、今夜しかない。
 夜の外出は控えてね、と忠告してくれたテイラーの顔が浮かぶ。それでも、錬金術師としての好奇心が勝ってしまった。
(ごめんなさい、テイラー。でもきっと大丈夫だと思うから……)
 黒の外套を羽織り、万が一の護身用に細工を施した特殊な杖を手に持つと、シエルは自宅兼工房になっている店を出た。
 ヘイデル区を歩いているだけでも、夜の巡回に出ている騎士がいつもより多いことは確認できた。
 首都エアリスから南の森までは、大人の足でも歩いて一時間は優にかかる。そして何より、出入口となる門の前には、騎士団による検問所が設置されていた。
 どうしようかと二の足を踏んだその時、シエルの背後から鋭い声が飛んできた。
「そこの者、何をしている!」
 肩を跳ねさせ、シエルは慌てて外套のフードを外すと背後を振り返った。甲冑を軋ませてこちらへ走ってきたのは、セントラル騎士団の団員だ。
 その顔に見覚えのあったシエルは、目を丸くした後、笑って手を振った。
「こんばんは、バーナード」
「えっ。……あっ、シエルさん!?」
 シエルに気が付いた騎士──バーナードが、シエル以上に目を丸くして歩調を緩める。そうして苦笑いを浮かべながら、右手で後頭部を掻いた。
「びっくりしましたよ。何してるんですか、こんな時間に」
「南の森に用があって」
「……南の森に?」
 馬鹿正直に答えてしまったせいで、バーナードの両目がすっと細められる。慌ててシエルは手と首を振り、「違うのよ」と弁解に走った。
「前にね、南の森で、不思議な石を拾ったの」
「石ですか」
「何かの鉱石だとは思うんだけど、でも成分が何なのかはさっぱりで。だからその謎を解明するために、石を探しに行きたいのよ」
「探すって……おひとりで?」
「腕っ節には自信があるわ」
「いやいや、危ないですよ!? なんで夜に探すんですか、明日の朝にしましょうよ」
「夜にしか探せないからよ。特に今日みたいな満月の夜はもってこいだわ。明るいから、石もよく見えるの」
「もぉぉ、これだから学者って奴は!」
 バーナードが嘆くように頭を抱えて、ため息をつく。それから渋々ながらも検問所へと同行してくれた。
 検問所の騎士達も、初めは訝しげにこちらを見てきたが、それがシエルであると分かってからは表情を和らげた。
「シエルさん、どちらへ?」
「南の森に。研究用の鉱石を集めにいくの。バーナードがお目付け役で来てくれるそうよ」
「えっ、いや俺、同行するなんて言ってな……」
「女性の一人歩きは危ないんですものね。さ、勇敢な騎士様、ちゃんと守ってくださいな」
「……ああもう! 分かりましたよ、一緒に行きます!」
「ふふ、ありがとう。次の依頼の時はお代をまけておくわ」
「本当にもう……」
 根負けしたバーナードが項垂れ、額を手で覆う。そんな同僚を、検問所の騎士は同情するような目で見送った。


 門を出て南へ、整備された道を進む。ふと振り返ると、満月の光が首都の防壁を照らしていた。
 今から三百年前、この国は蛮族の侵攻を受けた。セントレイク軍は首都を最後の砦とし、蛮族から国を守るために魔法使いの力を借りたという。
 この高く聳える強固な防壁は、かつての魔法使い達が一夜で築き上げたもの。当時は壁の維持や補修も魔法使いが担っていたそうだが、魔法使いが存在しない今では、国の委託を受けた首都の大工職人が維持管理を行っている。
 その防壁からは三つの道が伸びている。港へ伸びる南の街道と、隣国の国境へ続く東の街道、そして未だ蛮族との睨み合いが続く辺境へ至る西の街道だ。
 今回、シエルとバーナードが歩いているのは南の街道。目的地は港──ではなく、首都からさほど離れていない森林地帯だ。
「昼間に出歩くのとはまた違う雰囲気があるわね。楽しいわ」
「楽しいならよかったですよ……。はは……」
「あら、怖いの?」
「呆れてるんですよ! 森の中で盗賊に襲われる可能性をちっとも考えてない人ですから!」
「金目になるものは持ってないもの」
「もう少し、ご自身の身の安全を考えてもらっても?」
 バーナードは胃の痛そうな顔をしっぱなしだ。そんな顔をされる理由が分からず、シエルは首を傾げながら森を目指した。
 エアリスを出てから、一時間は歩いただろうか。森林への入口の前で、二人は立ち止まった。
「ありがとう、バーナード。ここから先は一人で平気よ」
「何言ってるんですか。ここまで来たら首都に帰るまで付き合いますよ。……というか、その杖は何なんです?」
「これはね、仕込み剣よ。東方の技術を参考に作ってみたの。ほら」
 シエルがおもむろに杖の先端と真ん中あたりを握って、両方に引っ張る。すると杖が割れ、中から剣の刃が顔を覗かせた。
 あんぐりと口を開けたバーナードに笑って、杖を元に戻す。それからシエルは森へと足を踏み入れた。慌てたようにバーナードが追い掛けてきて、シエルの左隣を歩いていく。
「前回はどの辺りで見つけたんです?」
「泉の近くよ。だから今回もそこに行こうと思って」
「森の一番奥深いところじゃないですか!」
「どうして怒るの?」
「危機感がないにも程ってもんがあるでしょ!」
「なによ、人を能天気みたいに言ってくれちゃって」
「能天気だから言ってんですよね!」
 む、と口を尖らせたシエルが、ぷいとそっぽを向く。満月の光に照らされたシエルの黒く長い髪が、絹のように煌めいた。
 若き天才錬金術師、シエル・クロード。はっきりとした目鼻立ちは、初対面の人にはきつい印象を与えがちだが、あっけらかんとした物言いと茶目っ気のある性格は、誰の心もすぐに掴んでしまう。
 ついでに言えば、笑うと眉尻が垂れて表情が柔らかくなる。シエルのそんな笑顔に心を鷲掴みされた男は、両手両足を使っても足りない数だ。……もちろん、バーナードもその一人である。
「そういえばバーナード、おばあ様のご様子はどう?」
「ああ、ばあちゃんですか……。なんというか、変わんないですよ。医者も手立てがないらしくて、もう様子見ですね」
「そう……」
 バーナードの祖母は、去年の夏に体調を崩してから、芳しくない状態が続いている。歳も歳ではあるので、医者でも寿命ばかりはどうしようもないのだ。
 彼女はシエルがまだ孤児院にいた頃、小学校で教師を務めていた。厳しくも優しい教師であったため、彼女が職を辞するときは引退を惜しまれたとの話だ。
 シエルも彼女から三年間だけ教わった。だが彼女が職を辞してからは顔を合わせる機会もなく、今ではバーナード越しに近況を聞くだけだ。
 ホーホーとフクロウの声が聞こえ、虫の鳴き声がかすかに響く、静かな森。その中を二人は泉へ向かって歩いていった。
 泉へ繋がるけもの道を進んでいたシエルは、視界の端にきらりと光る何かを捉えた。そちらを振り向くと、そこにはあの鉱石の欠片が落ちている。
「……あった!」
「え!?」
 道のないほうへ走り出したシエルを、バーナードは慌てて追いかけた。生い茂った草木の中に佇むシエルの後ろから、彼女の手元を覗き込む。シエルの手にはたしかに、青白く光る謎の鉱石の欠片が握られていた。
「お目当てのものは見つかりましたね。じゃあ帰りますか」
「なに言ってるの? この程度じゃ研究素材にするには足りないわ。もっと集めないと!」
「帰りましょうよぉ……」
 バーナードの情けない声を背中で聞きながら、シエルは草木を掻き分けて更に奥へと進んだ。「ちょっと!?」というバーナードの声は聞こえないふりだ。
 錬金術師としての直感が、この先に何かあると訴えていた。腰の高さまである草を掻き分けながら、あの鉱石が落ちていないかと目を光らせる。
 やがて二人は草に覆われた大きな岩の前で足を止めた。どう見ても行き止まりだ。……が、足元に人が一人通り抜けられるくらいの隙間が空いている。
「シエルさん、戻りましょう。行き止まりですよ」
「バーナードはここに残っていて。鎧を着てるあなたじゃ通れないから」
「はい?」
 そう言い残すや否や、シエルは身をかがめて隙間へと頭を突っ込んだ。背後でバーナードが悲鳴を上げたがお構い無し。四つん這いになって隙間を通り抜けると、シエルはローブについた土を払い落として岩を振り返った。
「シエルさん、シエルさん!?」
「大丈夫よバーナード! 夜明けまでには戻ってくるわ!」
「俺が心配してんのは時間じゃなくって!!」
 岩の向こうにバーナードを置き去りにしたまま、シエルは更に奥へと進んだ。木々が月の光を遮り、鬱蒼とした暗い森の中を進んでいくと、不意に手の中の欠片が光を強くした。
 それはまるで何かに共鳴しているかのようだった。いったい、この先に何が待ち構えているのか。左手で持っている杖を握り締め、シエルは警戒心と好奇心を抱きながら、ゆっくりと歩を進めた。
 木々の隙間から、月光が差し込む。やがて頭上を覆っていた木々は途切れ、シエルの目の前には目的地の泉が姿を現した。
「……あの岩からも繋がってたのね、ここ」
 驚きに戸惑いながら泉のある空間へと進み出ると、手の中の青白い石が眩しいほどの光を放った。思わず欠片を取り落とすと、シエルははっと視線を目の前の光景に移した。
 夜とは思えないほど、泉が輝いている。いや、「明るい」のだ。まるでこの空間だけが明かりで照らされたように、青白い光が泉とその周辺を煌々と照らしている。
「……驚いた?」
 背後からそっと囁かれた声に、シエルは文字通り飛び上がった。くすくすと笑う声は女性のものだ。
 慌てて背後を振り返ると──そこには、黒のローブに身を包んだ女性が立っていた。手には杖を持っているが、シエルが持つ仕込み剣の杖ではない。
『満月の夜に黒いローブを着た人が、不思議な杖を持って南の森へ向かうところを見たって──』
 ひょっとして。シエルは直感した。
 目の前にいる人こそが、噂の人物なのではないか、と。
「あなた、は?」
「私は──魔女。エアリスの魔女よ」
「魔女って、あなた何を言っているの。魔法は存在しないのよ」
「ふふ、そうね……そういうことになっているわね。魔法や神秘は嘘で、魔法使いは嘘つき。科学だけが正しくて、化学に基づいた錬金術こそが真実──」
 魔女を名乗る女性の手が、ローブのフードを外す。フードの下に隠れていた顔は、シエルに奇妙な既視感を与えてきた。
 ……似ている。シエルに、よく似ている顔だ。瓜二つではないが、あまりにも特徴が似ている。
 黒い髪は月光を受けて絹のように煌めき、青い瞳は、光の変化で緑のようにも見える──この不思議な虹彩の瞳は、シエルも同じ。
「魔法は、存在するわ。それに伴う神秘も」
「何を言って……」
「錬金術は無から有を作り出せない。だけど魔法は、無から有を作り出せる。例えば今、この泉に橋をかけることも」
 トン、と女性が杖の先で地面を叩く。すると次の瞬間、泉に石畳の橋がかかった。錬金術では成しえない業。どれほど天才といわれようと、シエルの得意とする錬金術では、何も無いところから石畳の橋は作れない。
 くすりと微笑んだ女性が再び地面を叩く。すると石畳の橋は幻のように姿を消した。
「……夢?」
「いいえ、現実。たしかに世界は、私達の同族を排斥した。魔法も神秘も否定して、それらを扱える私達を異端とみなした。……ええ、数え切れないほどの同族が命を落としたわ。私の母も、父もね」
「……」
「蛮族の侵攻を受けた時は、魔法使いに助けられたのにね。……彼らは、魔法使いの力を脅威だと感じた。強大な魔法で蛮族をなぎ倒す魔法使いの力を、自分達に向けられてはかなわない。そうならないように、魔法使いを人々の敵に仕立て上げたの」
 エアリスの魔女は静かにそう語ると、おもむろに足元に転がっていた不思議な鉱石を拾い上げた。拳ほどの大きさがあるそれを、シエルへと差し出す。
 戸惑ったシエルが魔女を見上げるも、彼女は微笑んだまま石を差し出すだけだった。
「いただいていいの?」
「これを探しに来たのでしょう?」
「……そうだけれど」
「これは鉱石ではないの。私達はマナ石と呼んでいるわ。満月の夜は、大気中にあるマナの力が強くなる。月の光で強くなったマナはこうして固まって、石になるの」
「マナって……?」
「ふふ、聞いた事なんてないわよね。マナは魔法使いの力の源。目に見えない神秘の力の総称。私達が使う魔法は、このマナに働きかけることによって作用するの」
 差し出されたマナ石に手を触れる。瞬間、マナ石は眩く輝き始めた。小さく悲鳴を上げて手を引っ込めたシエルを、エアリスの魔女も驚いたように見つめている。
「……驚いた。あなたにそんな力はないと思っていたのに」
「何、が……」
「あなた、魔法が使えるわ」
「……は? 何言ってるの?」
 魔女の発した一言が理解できず、シエルは不躾に聞き返した。しかし魔女はそんなことなど気にも留めず、手の中にあるマナ石を見下ろし、それからシエルを真っ直ぐに見つめた。
「驚くのも無理はないわ。でもマナ石は嘘をつかない。この石はあなたに反応した。それはつまり、あなたにマナを操る力があることを意味している」
「意味が分からないわ。魔法なんてそんなもの、私が扱えるはず──」
「いいえ扱える。このマナ石があなたに共鳴したのが何よりの証拠。あなたは魔法使い。それも特別な力を持った、ね」
「……さっきから何を言っているのか」
「マナ石はその大きさによって、共鳴できる力の大きさを測ることが出来る。これほど大きなマナ石が共鳴したということは、あなたの持つ魔法の才は計り知れないほど強いということ。ふふ、そう……やっぱりあなた、私の子だったわね」
 ぼとり。鈍い音を立てて、シエルの持つ杖が地面に落ちた。フラフラと後退りしながら、シエルは口をはくはくと震わせ──。
 そうしてシエルは、一目散に泉の空間から走り去った。来た道を戻り、岩場の隙間を潜り抜け、腰の高さまである草を踏み倒して走って──。
 不意に、左手を掴まれた。全身から血の気が引いて、振り払おうと左手を大きく捻る。それでも振り解けないくらい、掴んでくる力は強かった。
「い、や……離してっ!」
「シエルさん! 俺です、バーナード!!」
「バッ……バーナード……?」
 月光に照らされた顔は、シエルの見知った男だった。セントラル騎士団のバーナード。シエルに付き添ってここまで来てくれた騎士だ。
 そう理解した瞬間、シエルの両足から力が抜けた。座り込んだシエルを抱き留めて、バーナードの腕がシエルを抱き抱える。
「シエルさん。帰りましょ」
「……ええ」
 ひんやりとした鎧が、シエルの混乱した頭を冷やしてくれる。ようやく気を落ち着かせたシエルは、バーナードの腕の中でほっと息をついた。
 バーナードは何も聞かずに、シエルを伴って森を出ていく。そうしてゆっくりとした足取りで、エアリス内部へと街道を歩いていった。
「石、見つからなかったんですね」
「……ええ」
「無事で良かったですよ。シエルさんがいないと、エアリス中の人達が困っちゃいますからね。シエルさん、セントレイク一の錬金術師なんだから」
「……そうね」
「お家に着いたら、暖かくしてゆっくり寝てくださいね。明日もお店、開けるんでしょ?」
「……そうよ」
「俺、明日は非番なんですよ。遊びに行きます」
「……そう」
「疲れましたねぇ。シエルさん、寝ちゃっていいですよ。家の前に着いたら起こしますんで」
「……ありがとう」
 睡魔がゆえの生返事ではなかったけれど、たしかに疲労感は否めない。バーナードの言葉に甘えて、シエルは目を閉じて頭を休ませることにした。
 私の子、と魔女は言った。それがもし本当であるなら、シエルは魔女の娘として生まれたことになる。
 この世に魔法使いが生き残っていることだけでも、世界がひっくり返る程の大事件だ。エアリスの魔女を名乗る女性が、まさか本物の魔女だとは信じていないが、泉に橋をかけた技術は錬金術ではなかった。
(もし本当に、あの人が魔女だったら。そしてもし本当に、私があの人の娘だったのだとしたら──)
 世界はシエルをどう扱うだろう。魔女の娘だと迫害するのか、セントレイク一の錬金術師として保護するのか。
 知られてはいけない、とそれだけは確信が持てた。あの女性との血縁関係は定かではないが、まったく関係がないと言い切るには、容姿に似通った部分が多すぎる。
 もしあの女性が、「自分は魔女でシエルは娘だ」と言い広めたら。ウィザードハントにシエルが巻き込まれる可能性は、格段に跳ね上がる。
 ひとまず、南の森にある泉には、当分の間、近付かないほうがいい。またあの自称魔女に会ってしまわないとも限らない。
 うとうととした意識が、浮いたり沈んだりを繰り返していく。首都へ入る門までは、もう少し時間がかかりそうだ。


「着きましたよ、シエルさん」
 バーナードのそんな声で、シエルはふと目を覚ました。目の前には、クロード錬金工房がある。間違いなくシエルの自宅だ。
 つかの間、ぼんやりと自分の店を見上げたシエルは、バーナードの腕から降りた。すっかり夜も更け、出歩く者は一人もいない。こんな深夜に帰り着いたのは、酒場で友人の愚痴に付き合った時以来だ。
「ありがとうバーナード。迷惑を掛けちゃったわね」
「いいんですよ。善良な市民を守ることも、騎士の役目ですからね。それに、次に依頼する時は、お代をまけてくれるんでしょ?」
「……まったくバーナードったら。勿論よ、世話になった礼は必ずするわ。それじゃ、おやすみなさい。あなたも残りの巡回、気を付けてね」
「おやすみなさい、シエルさん」
 店の前でバーナードと別れ、シエルは店のドアを開けた。そうしてドアの戸締りをして、店の奥へと入っていく。
 作業場の奥は自宅と繋がっていて、自宅のほうには明かりをつけたままにしておいた。今日はもう寝てしまおうと、自宅に繋がるドアを開けて──シエルは今度こそ悲鳴を上げた。
 ダイニングテーブルの椅子に、エアリスの魔女が座っていたのだ。
「こんばんは、錬金術師さん」
「えっ、あ、あなたどうして、どうやって!?」
「どうしても何も、私は魔女だもの。瞬間移動はお手の物よ」
「私の家にどうしているのよ!? ふ、不法侵入だわ!」
「ごめんなさい。一応、ここに着いた時にノックはしたんだけど……。あなたはまだ戻っていなかったし、外で待つのは巡回の騎士に見つかりそうで危険でしょう? 仕方ないから、鍵を開けて家に上がらせてもらったの」
 だから店のドアに鍵がかかっていなかったのだ。うっかり戸締まりを忘れて家を出てしまったのかと思ったが、故意に鍵を開けられたからだったとは思わなかった。
 警戒心を露わにするシエルへ向かって、エアリスの魔女はたおやかに微笑んだ。とん、と杖が床を叩くと、ダイニングテーブルの上にシエルの杖が現れる。もはや理屈では説明のできない現象で、シエルは意識を失いそうになった。
「安心して。今回はこの杖を届けに来ただけ。見たところ、魔法を操る杖ではなくて、護身用の剣を仕込んでいるようね。あなたが作ったのかしら。とてもよく出来ているわ」
「わざわざどうも……。……待って、今回はってどういうこと?」
「ふふ……それは次回のお楽しみ」
 そう言い残して、エアリスの魔女が杖で床を叩く。瞬間、魔女の姿は跡形もなく消えてしまった。
 自宅の中に、夜の静寂が広がっていく。二、三歩よろめいたシエルは、倒れ込むように椅子に座ると、無言のまま両手で顔を覆って項垂れた。
「……魔法なんて、存在しないわ。まやかしよ、きっと悪い夢を見ているんだわ──」
 シエルの苦悩に満ちた声が手の中にこぼれ落ちる。けれどどれほど言い聞かせても、あの不可思議な光景に説明がつかない。
 ……それでも。それでも、魔法はこの世に「存在しない」のだ。それが真実だと誰もが信じている。その真偽を疑いもしないのは、それが明らかな常識であるから。
「……私は錬金術師のシエル=セレシア・クロード。魔女の娘なんかじゃない。錬金術師ヨハン・クロードの娘よ……」
 自己の認識を脳に刻みつける。魔法はこの世に存在しない。魔女も魔法使いも生きてなどいない。錬金術こそが人類を発展させてきた技。
 そう。魔法も神秘も存在しない。存在するはずがないのだ。


「──魔法は存在するわ。神秘もね」
 南の森の、泉のほとりで、エアリスの魔女は静かにそう囁いて微笑んだ。彼女の手の中には、あの錬金術師が携えていた杖のレプリカがある。
 杖の先端と真ん中あたりを両手で掴み、左右に引っ張ると、杖の中から剣が現れた。刃は月の光を受けて輝き、鋭利な先端できらりと光を反射した。
 背後から聞こえてきた足音に気が付き、エアリスの魔女は剣を杖の中に戻した。聞き慣れた足音は、魔女の親族のものだ。
「ほほ、何やら面白い物を見つけてきたの」
「持ってみる? なかなかどうして興味深いわよ」
「いんや、やめておこう。年寄りには、ちと重すぎるじゃろうて」
 杖をついて歩きながら、その老人は朗らかに笑った。エアリスの魔女も特に何を言うでもなく、「そう」と頷いて視線を水面へと戻す。
「して、見つかったのか?」
 先程と同じような口調で問われ、エアリスの魔女は水面から視線を動かさぬままに頷いた。
「ええ、見つけたわよ、伯父様。この世界を救う最後の一手──私の娘を、ね」
 そう答えて、魔女は手の中にあるレプリカの杖を愛おしそうに撫でた。
 若き天才の呼び声高い、セントレイク一の錬金術師。その名は──。
「シエル=セレシア・クロード……。良い名前をもらったのね」
 彼女が触れた、拳ほどの大きさのマナ石を手に取り、エアリスの魔女は伯父へとそれを差し出した。伯父がマナ石を手に取ると、マナ石はほのかに青白い光を放ったが、それはシエルが触れたときの眩さには遠く及ばない。
「あの子、その石と共鳴したわ」
「……なんと」
「あの子は必ず、世界を救う一手になる。魔法や神秘を否定して、私達の祖先や同胞を山ほど殺した世界だけど……。創造主との盟約は、私達に受け継がれているから」
 魔女の手がすっと泉の水面を撫でる。瞬間、泉の水面には、眠れる女神の姿が映し出された。
 魔法や神秘が否定されて、二百年。この女神もまた、二百年もの間、眠り続けている。
 女神の姿を見つめる魔女の瞳は、もう笑っていない。泉に吹きつけた風で水面が揺れて、映し出されていた女神の姿が消え去った。
 ざわざわと森がざわめきあって、魔女と魔法使いは互いに目配せをすると、杖で地面を叩いた。
 二人の姿が消えた数秒後、泉にバーナードが現れた。月に照らされた泉は、光もなく真っ暗だ。シエルが持っていたような青白い鉱石など、どこにも落ちていやしない。
 バーナードは溜息をつくと、落胆した様子で来た道を引き返した。
「あの青白い石、見つからなかったな」と一言、それだけを残して──。
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