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元旦に雪が降ったら

「約束しよう」
 白い息と共に、稚い少女の声は弾んだ声で言った。
「やくそく?」と舌足らずな声がもうひとつ、尋ねる。そのまんまるの瞳に向かって、少女は大きく頷いた。
 小さな手の、ちいさな小指が差し出される。少女のかんばせは夕暮れの陽に照らされて、橙色に染まっていた。
「また元旦の日に雪が降ったら」
「ふったら?」
「一緒に遊ぼう!」
「……うん!」
 誰もいない小さな神社の境内で、秘め事のように。ちいさな二人は小指を結び、指切りをした。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
「きった!」
「ね、約束ね。忘れないでね。私、ここで待ってるから」
「うん。ゆきふったら、またここであそぼ!」
 暮れていく空。真冬の澄み切った空気。夕日を受けてきらきら光る、溶けかけた雪。
 少女たちだけの約束をして、結んだ指は解ける。
 手を振って走り去っていくちいさな姿を、少女はただそこで見送った。
 きっとよ、と呟いて。


 ──ガタンガタン。
 陸橋を走る車輪の音で、沈んでいた意識が浮上した。くぁ、とひとつ欠伸を噛み殺して、滑り落ちそうになっていた座席に座り直す。
 窓の外の景色は、一年前に見た景色と何ら変わりなかった。田舎の住宅街が続いていて、その隙間から高層マンションが顔を覗かせる。
「間もなく高松、高松。終点です」
 車内のアナウンスが駅名を告げ、乗り換えの案内が続いていく。ポケットからスマートフォンを取り出すと、通知欄には叔母からのメッセージが見えた。
 電車が減速して、駅へと入っていく。マフラーを首に巻き、リクライニングを元に戻すと、彼女は座席上の荷物棚から、リュックサックと小さなキャリーバッグを降ろした。
 ──四国、香川県高松市。
 年に一度の里帰りで、この時期はいつもより人が多い。ぶつからないように人波を縫いながら改札にたどり着くと、スマートフォンを握り締めた叔母がその先で待っていた。
「羽瑠ちゃん、こっち!」
「おばさん!」
 羽瑠もぱっと笑みを浮かべ、叔母へと駆け寄る。一年ぶりに会う叔母は羽瑠を見上げ、嬉しそうに目を細めた。
「あらまた大きくなって」
「いやいや、うちもう十九やで。さすがにもう伸びへんわ」
「そう? それよりも、電車に長いこと乗っとって疲れたやろ。家でゆっくりしよ、おばあちゃんも待っとるよ」
「うん。二時間乗っとったらさすがにしんどいわ。オカン達は? もう着いてんの?」
「姉ちゃん達は飛行機やけんねぇ。昼前には来てからゆっくりしとるよ」
「あ、ほんま? ほなうちが大トリ?」
「大トリ」
「うわ、嫌やわぁ」
 羽瑠が笑う度に、耳元のイヤリングが揺れる。ピアス穴を開けようとしたことは何度もあったが、その度になけなしの勇気が萎んでしまい、結局開けられないままだった。
 駅の外に出ると、真冬の風が羽瑠に吹き付けた。叔母も隣で「寒いねぇ」と首を縮こめている。
 近くのコインパーキングまで歩いて行くうちに、とうとう目の前で雪がちらつき始めた。
「ありゃ、雪降ってきたか」
「香川って雪降るんや」
「そりゃ雪くらい降るよ。積もりゃせんけどね」
「ふうん。積もったことあった?」
「あー、一回だけあったなぁ。十五年くらい前。あん時の羽瑠ちゃん、雪積もったのが珍しかったんやろね。走り回って遊んどったよ」
「……記憶にないなぁ」
「五歳やろ。もう覚えとらんとやなか?」
「そやろなぁ……」
 叔母の車の後部座席に荷物を積み、助手席に座ってシートベルトを締める。料金を払った叔母が運転席に戻ってきて、車にエンジンをかけた。
 羽瑠の母方の親戚達は、正月に合わせて、高松市内にある祖母の家に集まる。全員が集まると、家の中は讃岐弁と博多弁と関西弁が飛び交うようになるが、不思議と会話が成り立つのだ。
 祖母や祖父は生まれも育ちも香川県。生粋の讃岐弁が繰り出されるが、そこを叔母と母が上手く翻訳して羽瑠たち孫へ伝えてくれる。
 叔母は就職した時から香川を出て、福岡に住んでいる。帰省の時は飛行機一本で行き来ができるらしい。叔父は鉄道会社の運転手で、今年は正月の勤務当番に当たってしまったため、こちらには来られないそうだ。
 羽瑠の両親は首都圏で仕事をしていて、住んでいるのも東京都内だ。羽瑠は大阪の大学に通っていて、今は一人暮らしをしている。
 元々、羽瑠の家は転勤族で、羽瑠が中学生の頃まで大阪に住んでいた。高校に入学するタイミングで関東に転勤になったため、中学校までの友人たちとそこで一度別れはしたものの、「大学で会おう」と約束したため、羽瑠は迷うことなく関西の大学を選んだのだ。
「じいちゃんとばあちゃん、元気しとるやろか」
「元気元気。お父さん、大晦日やけど、朝から公民館で将棋打ちよるってよ」
「前は囲碁って言ってへんかった?」
「将棋に変えたとげな。藤井聡太の影響たい」
 ちらちらと舞う雪は程なくして止み、あとはどんよりとした雲が低く立ち込めるばかりだった。
 車のステレオから流れるラジオは、明日の天気予報を喋っている。
「明日は強い寒波が流れ込み、市街地でも積雪が見られるでしょう。路面の凍結による事故にご注意ください。明日の最高気温は──」
「明日、雪積もるらしいで」
「珍しい、香川は雪積もらんのに」
「ええなぁ。大阪は大雪降ったら、電車のダイヤがえらいことなるんやで」
 栄えている市街地を抜け、車は住宅街を走っていく。隣の市との境目近くに祖母の家はあって、ほとんど山の麓に近い場所でもある。
 瀬戸内気候に属する香川県では、温暖な気候も相まって積雪が滅多にない。とはいえ山沿いでは積雪量も多くなるため、まったく積もらないというわけではないのだが。
「積もったら初詣行くのもじゃまくさいわぁ」
「何が邪魔なん?」
「ちゃうねん、面倒くさいって意味やねん」
「もう外で遊ばんの?」
「そんな年ちゃうし。大学生やで? 雪降って外で遊び回るんは子供の──」
 羽瑠の声はそこで途切れた。窓の外に、ちいさな神社が見えたからだ。明日、みんなで初詣に行く神社ではない。どちらかと言うと、地元の子供達の遊び場にしかならないような──何の神様を祀っているかすら分からないような、ぽつんとした神社だ。
 そこを目にした途端、羽瑠の脳裏に指切りの光景が見えた。あの神社に見覚えがある。小さい頃、何かをそこで約束した。でも誰と。何を。
「どうしたの? 車酔いした?」
「え……」
「急に黙り込むけん。もうすぐ着くけんね」
「ああ、うん。……別に、車に酔ったんとちゃうけど」
「ふうん? まあ、長旅で疲れとるとやろ。今日は家ん中でゆっくりしといたら」
「ん……うん。ほなお言葉に甘えよかな」
 少し向こうに、古き良き日本家屋が見えてきた。瓦葺きの二階建てであるその家が、祖母の家だ。
 雪は降っていない。今にも降りそうな天気ではあるけれど。
 車庫に駐車して、叔母と羽瑠は車を降りた。後部座席から荷物を降ろして、玄関へと回っていく。
 勝手知ったるように玄関の引き戸を開けて中へ入る叔母の後ろから、羽瑠も「お邪魔します」と声を掛けて中へ入った。
 戸に鍵を掛けて靴を脱ぎ、荷物はそのままにして居間へと急ぐ。なにせ玄関は足元から冷えるのだ。居間にあるこたつが恋しい。
「来たでー」
「あ、羽瑠ちゃんやん! 久しぶりー!」
「おー、なっちゃん! また背ぇ伸びたんとちゃう?」
 小学六年生になる従妹の夏海がいそいそとこたつから這い出て、羽瑠の隣にやってくる。祖母に雑巾を借りて、羽瑠は玄関へと戻った。
 キャリーバッグの車輪を拭いていると、背後から夏海の声がかかる。
「キャリーバッグで来たん?」
「うん。楽やん、引っ張るだけやし」
「自分で買ったと?」
「そやで。バイトして買うてん」
 車輪の汚れを拭き取ってから玄関へ上げ、客間へと持っていった。羽瑠と夏海は同じ客間で寝るのが通例だ。
 客間には夏海の荷物も置いてあって、羽瑠はその隣にキャリーバッグを置いた。
「うち、この客間ちょっと苦手っちゃん」
「そうなん? なんで?」
「……人形が怖いもん」
 床の間に飾ってある日本人形。ケースに入っているとはいえ、確かに夏海の年齢ではまだ怖いものかもしれない。もちろん羽瑠にとっては、ただの人形なのだが。
「ほな羽瑠ちゃんがお布団変わったるわ。人形から遠いほうのお布団で寝るんやったらええやろ?」
「うん……」
「大丈夫やって、ただの人形やん」
「羽瑠ちゃんは怖くないと?」
「うちはあんま怖ないなぁ。機嫌悪い時のうちのオカンのほうがまだ怖いで」
 何度、理不尽に雷が飛んできたことか。これ以上は何も言うまいと、羽瑠は口を閉ざした。あの地獄耳は、どこで何を聞いているか分からないのだ。
 居間に戻って、こたつに二人して足を突っ込む。暖かい、と身体の力が弛緩するのを感じながら、夏海の話に相槌を打ってやる。すると隣の座敷から叔母が顔を出した。
「夏海。羽瑠ちゃん疲れとるけん、あんま迷惑かけんごとね」
「え、ごめん羽瑠ちゃん」
「いやいや、うちはそんな……」
「羽瑠ちゃん、隣にお布団敷いたけん、横になりたかったら使ってよかけんね」
「え、ああ、おおきに」
 勢いに圧されて頷くと、叔母はにこにこしてうんうんと頷き、台所へと去っていった。そこまで疲れていたわけではないが、好意はありがたく受け取っておこう。
 テーブルの上にある蜜柑に手を伸ばしかけたとき、居間の襖が開いて、羽瑠の両親が現れた。
「あ、羽瑠。なんや、もう来てるやん。駅着いた時に連絡してくれたら迎え行ったんやで」
「叔母さんが来てくれたわ。どこ行ってたん?」
「買い出しや、買い出し。年越し用のうどん買うてきてん。あんた食べるやろ」
「蕎麦ちゃうんかい」
「うちは毎年うどんで年越すって決まってんねん」
 人数分のうどんが入った袋を持ったまま、母が台所へと入っていく。その後から父が居間に入ってきた。
 父の頭には雪が乗っている。どうやらまた降り出したようだ。天気予報も明日は積もると言っていたが、はたして。


 翌朝。
 いつにも増して底冷えする朝の中で目を覚まし、羽瑠は震えながら着替えると、玄関から外へ出た。
「うーわ……。めっちゃ積もってるやん」
 真っ白になった玄関先は、足跡がいくつも残っている。大方、新聞の配達員と、その新聞をポストまで取りに行った祖母か祖父のものだろう。
 手の中にあるスマートフォンで時間を確認すると、まだ朝の七時前。夏海は昨晩、久々に羽瑠と会えたことではしゃぎ疲れたのか、まだ起きそうになかった。
 少し考えた末、羽瑠はコートを着てマフラーを巻くと、ブーツを履いて家を出た。ザクザクと雪を踏み締めて歩き、すれ違う人と「おはようございます」「積もりましたねぇ」などと言葉を交わした。
 二十分は歩いたろうか。迷うことなく歩いて来られれば、そこまで時間はかからなかったかもしれないが、土地勘の無さが仇をなした。
 昨日、車で通りがかった、ちいさな神社。
 その鳥居をくぐって、中へと入る。お手水は枯れていて、当然ながら社務所などあるはずもない。
 誰もいない。人の気配はまるでない、無人の空間。それでも羽瑠の足は真っ直ぐに社へと向かっていて、お賽銭箱の前で止まった。
「……お賽銭、忘れてきたな」
 ため息をついて、二礼二拍手。特に何をお願いするわけでもなく、羽瑠は手を合わせて目を閉じた。
 心の中でただ一言、「雪が降ったから、遊びに来たで」と呟く。
 そっと目を開けて一礼。そうして背後を振り返ると、真っ白に埋もれた境内に、少女の姿があった。
 黒く長い髪を伸ばし、可愛らしい桃色の振袖に身を包んだ少女は、夏海よりも少し年下に見える。その子の横顔を見た瞬間、羽瑠の脳裏にまたもや、指切りの光景が蘇った。
(元旦の日に、雪が降ったら──)
「約束、守ってくれてありがとう」
 南天の実と葉で雪うさぎを器用に作って見せた少女が、そう言って微笑む。どこか人間離れした雰囲気を感じつつ、羽瑠は少女へゆっくりと歩み寄った。
「元旦の日に雪が降ったら、一緒に遊ぼうって約束したでしょ。何して遊ぼっか?」
「雪だるま作ろうや。あん時みたいに」
「覚えてたの?」
「ちゃう、思い出したんや。あん時のうち、勝手に家飛び出して、この辺で迷子になっててん」
 足元の雪を掬っては手で固めながら、羽瑠は答えた。
 十五年前の今日、こっそりと祖母の家を抜け出した羽瑠は、来た道が分からなくなってこの神社へと迷い込んだ。
 おかあさん、とすすり泣きながら、社の前に座り込んだ羽瑠の目の前に、ちいさな手のひらが両手で差し出したのは、雪うさぎ。
 そうしてこの神社で、羽瑠は不思議な少女と日が暮れるまで遊んだ。最後には母親が迎えに来て、こっぴどく叱られたけれど。
「あん時、うちのこと守ってくれたんやろ?」
「どうしてそう思ったの?」
「自分、この神社の神様やろ。迷子になってここに入ってきたうちのこと、放っておけんかったんと違う?」
 少女は微笑んだまま、両手で固めた雪玉を、羽瑠の雪玉の上に乗せた。小さな雪だるまの目は南天の実を。口と手は落ちている枝で。そうして雪うさぎの隣に雪だるまを置いて、羽瑠は満足気に頷いた。
「あはは、可愛らしなぁ。我ながら渾身の出来やわ」
「どうして私が神様だって分かったの?」
「そら分かるよ。だってあん時と見た目が全然変わってへんもん。あとはまぁ、雰囲気?」
「……」
「あ、もしかして神様やって知られたらあかんかった? 忘れよか?」
「ううん。そういうのじゃない。人の子は成長が早いなって思っただけ。……あの日、心細さと怖さで泣きながらここに来たあなたが、今は大人になって、自分の意思でここに来られるようになった。もし次に会う時、あなたはもっと大人になっているのかもしれないと思うと」
「なぁ、なんで雪降った元旦の日しか会えへんの?」
「私が力のない神様だから。雪が積もると、自然の力を取り込みやすいのと、元旦は特別な日で、神様の力も増すの」
「あんた、何の神様なん?」
「私は土地神。昔はここに来てくれる人も多かったけど、今は誰も。近所に住む人の子達が、厚意で社を維持してくれているけど、あの子達も私が土地神だとは知らないみたい」
「ふうん。やっぱ神様って、参拝客がおらなあかんねんなぁ」
 朝日が神社の境内を囲う木々の隙間から、二人を照らしている。土地神の少女は微笑んで、雪うさぎと雪だるまを眺めていた。
 さて、次は何して遊ぼうかな。ぼんやりとそう考えたとき、羽瑠のスマートフォンが鳴った。相手は母親だ。大方、帰ってこない娘を心配して電話をかけてきたのだろう。
「出ないの?」
「散歩行ってるってメッセージ入れとくわ」
「いけない子」
「だって次にあんたと会えるの、また雪降った元旦なんやろ。これで帰るの、勿体ないやん。まだ雪だるま作るくらいしかやってへんもん」
 大きな瞳を丸くして、きょとんと首を傾げた土地神の少女へ、羽瑠は笑って。そうして言った。
「なあ、次は何して遊ぶ?」
「……あらあら。この子ったら、童心に帰っちゃって」
「ええやん、大人かて思いっきり遊びたい時もあんねんで」
「そうね。……雪は午後まで持ってくれそうにないもの。雪合戦はどう?」
「ええな! 負けへんで!」
 二人は立ち上がり、そうして距離を取った。足元の雪を片手で掬って固め、互いへ向かって投げる。ふと、「神様相手に雪玉を投げるのは罰当たりでは?」と不安が過ぎったが、雪合戦を提案してきたのが神様であるので、呪われはしないだろう。
「なぁなぁ、うちが毎年、ここにお参りきたら、あんたの力も少しは強なるんちゃう?」
「あなた一人だけじゃ無理よ。もっとたくさんの人が来てくれるようにならないと」
「ふうん。神様も大変やなぁ」
「ふふ、そうね。それに、普段は子供達の遊び場だもの」
「あ、やっぱりそうなんや。ここ、あんま神社って感じせぇへんもんな。お手水も枯れたままやし」
「いいのよ、それで。ここで遊ぶなんて罰当たりだって怒る大人もいるけど、私は子供達が遊んでいるのを見るのが好きなのよ」
「ええ神様やん」
 微笑む彼女の姿が、少しだけ半透明になっていた。見れば境内の雪も半分ほど溶けている。人の姿を維持することが難しくなってきたのだろう。
 その事に小さく衝撃を受けた羽瑠の顔面に、雪玉がクリーンヒットした。土地神の少女が飛び上がって喜んでいる。
「うちの負けや。悔しいなぁー!」
「隙を見せたのが悪いのよ。はぁ、楽しかった。でももう無理ね。雪が触れなくなっちゃったわ」
「……そやな。今日はこれで終いや。また次、元旦の日に雪が降ったら、遊びに来るわ」
「ええ。約束よ」
 羽瑠の前に、土地神の少女の小指が差し出される。その指に結んだ小指は、あの頃よりうんと大きくなった。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
「指切った。なぁうち、明日も来るわ。明後日も。明後日で大阪に帰らなあかんから、また来年や。そやから……雪降らんでも、ここに来てもええ?」
「勿論よ。私の姿は見えなくても、私はいつだってここにいるもの。あなたが来てくれたら、私とっても嬉しいわ」
「従妹、連れてきてもええ?」
「あら嬉しい。氏子が二人も増えたわ」
「そんな大層なもんやあらへんよ」
「いいのよ、気持ちの問題だもの」
 にっこりと微笑んだ土地神の少女が、また更に薄くなっていく。朝日はすっかり空に昇り、境内に積もっていた雪もほとんどが溶けて、泥水になっていた。
 寂しいなぁ。思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込み、羽瑠は笑って少女を見つめ。
「ほなまた、雪降った元旦に」
「ええ。雪が降った元旦に」
 少女の姿が音もなく消え去る。後に残ったのは頭からびしょ濡れになった羽瑠だけ。それでも不思議と名残惜しさはない。寂しさはあるけれど。
 だってあの神様は、ここにいる。姿も見えないし声も聞こえないけれど、それでも。
 踵を返して境内を出る。そうして羽瑠は祖母の家へと帰っていった。
 十五年前、帰り道が分からないと泣いて神社へ迷い込んだ子供は、来た道を自分で帰ることが出来る大人になっていた。


 ただいまぁ、と居間に入ると、全員から「どこ行っとったんや!」と怒られた。お怒りはごもっともである。言い訳もできず、羽瑠は「堪忍な」と手を合わせて頭を下げるだけだった。
 こたつに入って暖を取っていると、隣に夏海が入ってきた。そうして夏海は声を潜めて、羽瑠へと尋ねた。
「誰と遊びよったと?」
「秘密」
「えー、なんで? 教えてよ、おーしーえーてー!」
「あはは、そやなぁ。またいつか元旦に雪降ったら教えたるわ」
「なんそれ?」
「そういう約束やねん」
「誰と?」
「羽瑠ちゃんの、秘密の友達」
「やけん、それ誰なん!?」
「せやから秘密やって」
「ねーえー!」と隣から肩を揺らされ、羽瑠は笑いながらも「秘密や」と繰り返した。焦らずとも、いつか夏海も知ることになる。
 雪の降る元旦にだけ姿を現す、可愛らしい土地神様。彼女はいつだってあの神社から、この町を見守ってくれているのだから。
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