輝ける華と輝ける星

「皆様」
 波を打ったように静まり返るホール内に、アーノルドの声が響き渡った。演説のように高らかな声音が今から告げるのは、この国の王女を断罪する言葉だ。
 哀れな子。大局を見ようともせず、真偽を確かめようともせず、ヒロインの口車に乗せられて。救いようのない阿呆とは、いつの時代にも存在するものである。
「既にご周知のことかと思いますが、我が国サンストリア王国の王女であらせられます、エミリア殿下について、皆様のお考えをお伺いしたく存じます。次期輝ける星ブライトスターたるアイリス・キャロライン侯爵令嬢は、エミリア王女より数々の悪意を受けてまいりました。しかし我々生徒会の質問に対して、エミリア王女は知らぬ存ぜぬの一点張りで、つまらぬ言い逃れをしようとしています。これについて――」
「カールマン侯爵令息」
 アーノルドの声を遮り、ライラが一言名を呼ぶ。カールマン家は貴族派、そしてフィニストリア嫌いの一族。こちらを一瞥したが、しかしなおも声を張り上げた。
「皆様は、この国の王女がこのような人物なのかと呆れて――」
「聞こえませんでしたの? カールマン侯爵令息、あなたの事をお呼びしておりましてよ」
「……チッ。如何致しましたか、王太子妃殿下」
 本人を前にして舌打ちである。将来は大物になるだろう。舌打ち程度なら慣れたものであるので、ライラは内心で『いい度胸ですわね』と褒め称えながら、口を開いた。
「いい度胸ですわね」
 前言撤回。口と脳が直結した。隣でオスカーが吹き出して、誤魔化そうと咳払いをしたが、誤魔化しきれてはいない。
「失礼。忘れてくださいまし。エミリアがアイリス嬢へ行ったという悪意ある行動の数々ですが、具体的にはどのようなものがありまして? 場合によっては、王家としてもエミリアへ罰を与える必要がありますもの。教えてくださいますこと?」
 あくまで王家は中立であると示したことによってか、アーノルドの口角が持ち上がる。いい表情になったものだ。これをどん底に蹴飛ばすのはライラの役目でないことが残念である。
 わざとらしく咳払いをしたアーノルドは、キッとエミリアを睨みつけた。
「ひとつ、アイリス嬢のご友人達が次々と怪我を負った件について」
「まあ。怪我とはどのような?」
「一人は足首を骨折。指を骨折した方、視力に障害が残る方もおられます」
「どなたがそのような酷いことを?」
「エミリア王女殿下のご指示であったと証言が上がっております」
「ではその証言をした方はどなたですの?」
「アイリス嬢です」
「まあ」
 わざとらしくライラは声を上げた。オスカーは厳格な表情を作っているが、ライラの迫真の演技に気付いているためか、口の端が笑いで歪んでいる。
「ち、違うわお姉様! 私、そんなこと――」
「エミリアの言い分は後程伺いますわ」
 さぁっとエミリアのかんばせから色が落ちる。今すぐにでも壇上を降りて強く抱き締め、頭を撫で回したい気持ちを抑えて、ライラはなおもアーノルドへと視線を落とした。
「エミリアの指示をアイリス嬢がご存知でしたの? では、それをご本人へお伝えしたのですか?」
「え? ……いえ、そこまでは……」
「アイリス嬢は、ご友人が害される恐れがあると知りながら、それをご本人にはお伝えしなかったと仰るんですの?」
 アーノルドが黙り込む。そこまでを確認しなかったのだろう。残念だが、目撃情報だけで黒を黒と断定できるほど、世の中は単純にできてはいない。唇を噛むアーノルドへ、それに、とライラはもうひとつ尋ねた。
「エミリアがそれらを指示したという確かな証拠はございますの? その瞬間をはっきりと目撃された方、もしくは文書での指示であれば、その文書を押収されておられますこと? エミリアが対象の方を害せよと指示したのはどなた?」
「……っ、それは。し、しかし、それ以外にも、アイリス嬢と懇意にしていたご令嬢の私物が紛失したり、市街地へ向かわれた際は襲われたりもしております! それらもエミリア王女の指示だったと!」
「――アイリス嬢が仰いましたの?」
「はい!」
 ライラの眼差しは冷たく、微笑みは冷笑のようだ。信じてもらえない苛立ちからか、アーノルドの表情が険しくなっていく。ウィリアムの隣に立つエミリアは、縋るような眼差しをこちらへ向けていた。
 承知しておりましてよ、とライラは目で答え、なおもアーノルドへ尋ねる。
「不思議だと思いませんこと?」
「ふ、不思議?」
「どうしてエミリアの企てを、アイリス嬢がそんなにもご存知でしたの? 仮にエミリアがアイリス嬢を害そうとしたのなら、間違いなくアイリス嬢が確実に不在のタイミングを狙って指示をすると思いませんこと? それに、エミリアの計画を知っておきながら、何の対策も回避策も取らなかったことが不思議ですわね」
「アイリス嬢の自作自演だとでも仰るおつもりですか。王太子妃であらせられるお方の考え方にしては、随分と――」
「それ以上仰れば、あなたの首が危うくなりましてよ?」
 アーノルドが歯噛みして口を閉ざす。周囲が困惑に揺れる中で、今度はオスカーが席を立った。
「実は、この件は王家にも情報として入ってきている。そこで我々は、貴族派の家に連絡して、事実を調査してもらった」
「――貴族派の家に?」
「王室派の貴族が調査したって、君たちはいいように解釈するだろう? 王家がエミリアの証拠を揉み消そうとした、とかね。だから我々は貴族派の家に依頼した。もちろん監視役は王室派貴族だけれど、監視役の家には調査を命じてはいない。では……シュッツ男爵、それからブライアン伯爵。調査の報告を」
「はい、殿下」
 アーノルドの隣に三人の男性が立つ。カトレアの父シュッツ男爵と、リリーの父ブライアン伯爵だ。そして更にその隣には、レオンがいた。
 シュッツ男爵とブライアン伯爵は社交界でも影が薄いため、それほどの動揺はないが、レオンが現れた瞬間にざわめきが起こった。なにせレオンはフィニストリア公爵家の次期当主。そしてフィニストリア公爵家は王室派筆頭にして、王太子妃を輩出した家だ。
「王室からのご依頼により、我がブライアン伯爵家とシュッツ男爵家が共同で調査にあたりました。監視役は王室派貴族フィニストリア公爵家が行いましたが、誓って調査にご協力は頂いておりません」
「それでは、先程カールマン侯爵令息が申し立てた、エミリア王女殿下による行為の件について。結果から申し上げますと、エミリア王女殿下によるご指示は確認されませんでした」
「な――!?」
 ふざけるな、とアーノルドが怒鳴る。それに冷ややかな視線を向けたのは、伯爵と男爵だった。レオンは我関せずという顔で微笑んでいる。
「君が述べたものはどれも状況証拠だ。そう言うのもおこがましい程のな。我々はまず、アイリス嬢へ事情を伺った。エミリア王女の指示を聞いた場所、日時、相手のご令嬢。それら全ての質問にお答え頂き、名の挙がったご令嬢にも話を聞いた。そうして最後にエミリア王女へ事実を確認したところ、全てにおいて矛盾が生じている」
「例えば階段から落ちて足首を骨折したご令嬢。見舞いに向かったところ、ただの捻挫だったそうだ。誰に背を押されたかと問うたら分からないと首を振られたがね。しかしアイリス嬢の『証言』から、エミリア王女の指示だと仮定した。が、ここで問題が生じている」
 伯爵と男爵の視線が合わさる。レオンの視線の先には、顔色を赤くしたり青くしたりするアイリス嬢本人。
 そもそも、完璧に近いライラのアリバイさえ公爵家は見抜いてみせたのだ。アイリス嬢如きの拙いアリバイなど、暴くのは造作もない。
「ご令嬢が怪我をした時刻、エミリア王女殿下は図書室で、懇意にしているご令嬢達と課題に取り組まれている。アイリス嬢が証言してくれたご令嬢も、同様に図書室にいた」
「また、現場となった階段は一本道で、逃げる先もひとつしかない。ご令嬢を階段から突き落としたとして、そこから逃走を図った場合、行き着く先は音楽室――。図書室とは正反対であるし、その時刻は声楽部がレッスン中だったという証拠がある。レッスン中に入ってきた者はいなかったそうだ」
「故に、この件に関してはエミリア王女の指示であるということは立証できない。それから指を骨折した方はただの突き指。視力に障害が残る方は、ただ陽光に目が眩んだだけで、現在は正常な視力であることを確認している」
「市街地で襲撃されたという件だが、護衛も付けずに市街地を散策する方が悪いと思わんかね? 襲撃してきたのも、スラム街に拠点を置く強盗共だ。逮捕された者達に話を聞いてきたが、護衛のいない貴族令嬢がたまたま歩いていたので、いいカモだと思って襲っただけだそうだ。誰かの指示などではなかったと言っていた」
 普通、どのような爵位の令嬢でも、市街地へ降りる際は護衛役を伴うものだ。もしくは、町娘らしい学校へ変装をするか。ただし後者は身の振る舞い方でやんごとなき身分であると知れてしまうため、全くもっておすすめしない。大人しく護衛を連れていく方が無難だ。
 余談だがライラは在学中、市街地へ降りたことがない。過保護な次兄によって止められていたし、連れていく護衛役も王家の騎士だ。悪目立ちしかしない。休日は大人しく宿舎に籠っていたのを思い出すが、今にして思えば青春のせの字もない学院生活である。
「し、しかし、ハーミット第三侯爵令嬢の件はどう説明されるおつもりですか? アイリス嬢が夏の建国祭に出席された時、刺客を差し向けたと!」
「それなんだが、ハーミット侯爵家がアイリス嬢を襲ったのも嘘だ。あれはどうやらエミリア王女を狙ったものであるらしくてな。いやはや、これは足跡を辿るのに難儀した。一週間で突き止めろとは無茶苦茶を言うものだったな、シュッツ男爵」
「何を仰ることやら。三日で出来ると仰ったのはブライアン伯爵でしょう」
 ははは、と、笑い合う二人の間に立つレオンが手を挙げる。そうして一歩踏み出し、大衆を見渡した。
 相変わらず営業用の笑顔だ。ジョセフが隣にいたら吐く真似をしたかもしれない。他人へ安心感を与えるような微笑みではあるが、この状況では不安を煽るだけだ。
 この双子、本当に敵に回すとろくな事にならないんですのよね……。ライラはつくづく、妹で良かったと自分の出自に感謝した。
「伯爵家及び男爵家より、王女殿下の暗殺計画が動いている可能性があると伺いました。そちらについてはアイリス嬢の件とは別件と判断し、王室にご許可を賜りまして、フィニストリア家が調査致しました。この場をお借りしまして、王太子及び王太子妃両殿下へ、調査のご報告を申し上げます。結論から申し上げれば、建国祭で捕らえた刺客は、エミリア王女殿下を狙うものでした」
 今日一番のどよめきが広がった。エミリアが狙われていたからではない。否、それも大事件ではあるのだが、それよりもだ。
「レ、レオン公子、あの刺客の口を割ったっていうのか!?」
「拷問師がどんなに拷問しても口を割らなかったと匙を投げたのに!?」
「フィニストリア公爵家に、出来ぬことはございませんよ。どのような方法かは伏せておきますが、まあ、ご安心ください。五体満足であることは保証します」
「レオンお兄様、それ……殺してはいませんわよね……?」
「心配いらない。そもそも生死を自身に握らせておくわけがないだろう。彼の生死は俺が握ったままだよ」
「そこの心配をしたわけではございませんのよ……。単純に刺客の命を心配したんですわよ」
「死んではいないよ。そこは大丈夫。まあ、喉を潰してしまったから、喋れないけど」
「それ許されるんですの?」
「だってあとは殺すだけだしなあ」
「朗らかに物騒なことを仰らないでくださいまし。というか早く説明をしてくださいますこと?」
 刺客の口を割れば後は用済みと言わんばかりの発言にフロアにいる全員がドン引きしている。これ以上フィニストリア公爵家の印象を悪くしないでほしいが、今更かもしれない。
 アーノルドはアーノルドで、顔色が青を越えて真っ白だ。こういった公的な場で一人を貶める者は、往々にしてドがつく阿呆であるが、例に漏れず彼もそのタイプであった。
 とはいえ、だ。これは正しく『エミリアの断罪イベント』に他ならない。ここに至るまでの流れは大きく逸れたり、改変されたりはしたが、帳尻合わせのようにイベントが発生している。
(やはりフラグを折ることは出来なかった……? それとも、もしかしてアイリス嬢は、わたくしやリリーと同じ存在……?)
 アイリス嬢の様子を伺うと、ライラとばっちり目が合った。あら、と思う前に、アイリスの愛らしい容姿が怒りに歪む。思わずライラは感心した。
 ヒロインとは、ここまでヒールになれるものらしい。むしろ悪役令嬢として定義付けられたライラやエミリアの方が、信念に芯が通っているようにも思える。
「話が逸れましたが、王宮騎士団の拷問官殿にご一緒していただき、襲撃した暗殺犯から情報を聞き出しました。その中で興味深いものが――」
 パチン、とレオンの指が鳴る。腹が立つほど決まっていて、ライラもさすがに腹が立ったが、隣に座るオスカーの手元に差し出された封書を見て、ライラは顔色を変えた。
 飾りっけもない質素な手紙。ざっと目を通しただけでも、エミリアの暗殺依頼だ。そしてサインはアイリス嬢のもの。偽名を使えばいいものを、実名でサインをするとは、律儀なものである。
「そちらはアイリス嬢の名前でサインされた、エミリア王女殿下の暗殺依頼書です。暗殺犯の潜伏先で発見致しました。同じ場所に、この暗殺計画についての契約書がありまして、そちらに書かれているサインは別の人物の名前でした。が、筆跡鑑定を行いまして、アイリス嬢の筆跡と一致することを確認しております」
「嘘よ!!」
 金切り声を上げたのはアイリスだった。だがしかし、残念ながら嘘であるという証明はできない。彼女には反論するだけの余地など何一つない。
 連れていけ、とオスカーの冷ややかな声が無情にもそう告げる。それを制して、ライラはアイリスへと問うた。
「なぜエミリアを嵌めたのです?」
「だっておかしいじゃない。私はアイリス・キャロラインよ? 愛されるのは――大事にされるのは私のはずなの! 本来のエミリアは我儘で傍若無人で、王家の鼻つまみ者だったはずよ!? なのにいざ始まったら、誰もが傅くご立派な王女殿下! あまりにも人間が出来ていて、ええ、反吐が出るわ!! だから嵌めたのよ。ウィリアム様と私が結ばれる為のイベントが起こるようにね! なのにどうして全部バレるのよ? エミリアの断罪イベントにシュッツだのブライアンだのわけの分からないモブキャラがしゃしゃり出て、おまけに存在するはずのないフィニストリア公爵家は存続したまま!! そもそもなんで悪役令嬢ライラが王太子妃なのよ!? 滅茶苦茶じゃない!!」
 喚き散らしたアイリスの言葉を理解できるのは、恐らくライラとリリーのみであろう。大半の者はレオンやオスカー同様、「はぁ?」である。
 しかしライラも罪悪感がないわけではない。サンスタはサンブラの続編、つまり時間軸が続いている。オスカールートで断絶したフィニストリア公爵家が、今日まで何事もなく続いているのはおかしい。もっと言えば王太子妃がライラであることがそもそもおかしい。それを言われるとライラも反論はできなかった。
 とはいえ、だ。アイリスの行動は許されるものではない。一国の王女の命を狙ったのだ、罪は重いだろう。
「追って沙汰は下す。衛兵、連れていけ」
「は!? ちょっと! どうして私が捕まらなくちゃいけないの!? あ、アーノルド! アーノルド、助けて!」
「アイリス……! 王太子殿下、どうかご温情を!」
「エミリアを狙い、濡れ衣を着せるような女に、かける情けがあると思うかい?」
 にっこりとした微笑みが非情な一言を告げる。アーノルドも衛兵に捕らえられ、二人は揃って講堂から消えてしまった。
 この場にリリーがいなくてよかった。間違いなくショックで倒れて、三日は寝込みそうだ。前世の人間には申し訳ないが、王家に仇を成すとは、こういうことなのだ。
「さて、皆の者。長々と騒がせてしまってすまなかったね。創立記念パーティーを始めようか」
「――サンストリア王家へ、申し入れたき事がございます」
 場をとりなそうとしたオスカーの元へ、ひとつの声が届く。
 その声の主は、ルーデンヴァール王国第一王子ウィリアムのものだった。
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