サンストリアの悪役令嬢

 サンストリア王立学院は、特別な事情を除いて、基本的に寮生活を送ることになっている。親元を離れることで、一人の貴族として自立心を持たせるためだが、それとは別に狙いがもうひとつ。
 王立学院は、社交界の縮図。家同士の交友関係、または敵対関係を把握し、学院内で上手く立ち回ることが出来れば、それは『噂』という形で大人達の社交界へ反映される。
 政敵を潰す機会を与えることも出来れば、生家を社交界や政界で不利な立場にしてしまうこともあるのだ。
 かつてのライラ・フィニストリア公爵令嬢もそうだった。――と言えば聞こえはいいが、ライラがやったことと言えば、自身が置かれるであろう状況を察知して、早々に己の未来に見切りを付けただけである。
 全ての悪意の責をライラ一人が背負い、処刑されることで、万事解決してハッピーエンド。政界や社交界においては厄介者だったフィニストリア公爵家が潰れて貴族は大喜び。金鉱山の経営権が王家に移り、王家の懐も豊かになってこちらも万々歳。……となるはずだったのだ。
 それがまさか、農協でフォークリフトに轢かれて死んだ人間の意志と、交差点で大型トラックに轢かれて死んだ人間の意志でひっくり返されるとは。
「わたくしの前世の人間、つくづく死に方が情けないんですのよね……」
「フォークリフトだって操作を間違えれば危険な乗り物ですよ!」
「いやそれはそう……そうなんですけれど、フォークリフトっていうのがどうにもこう、締まらないと思いませんこと?」
「……? 死んだ以上、締まるも締まらないも無いのでは?」
「急に鋭角に切り込んで来ますわね。しかもその通りですわよ」
 自身と似た状況で存在する専属女官のリリーから顔を背け、ライラはため息をついた。リリーはリリーで怪訝な顔付きで首を傾げている。
 ライラとリリーはそれぞれ、前世の人間の記憶がある。しかし実を言えば二人の状況は似て非なるものだ。
 リリーは人格そのものが前世の人間。もともとこの世界に個として存在していた『リリー・ブライアン』との親和性が高かったのか、前世の記憶を思い出してからも家族から『人格が変わった』とは言われなかったそうである。つまり根っからのボケなのだが、それについては考えるのをやめた。
 対するライラはどうか。
「わたくしの場合は……そうですわね、思い出すまでのわたくしと変わりませんでしたわ。どう表現すれば宜しいかしら。他人の記録を眺めたような……そういう感じと申し上げればお分かりになりまして?」
「あくまでこの体を動かし、思考するのは、個としてこの世界に存在するライラ様である、と?」
「そうですわね、そう捉えていただいて構いませんわ。もちろん、全く思考に影響を受けなかったかと言われれば、それは否と申し上げますけれど。そうでなければ、卒業パーティー前夜に逃げ出そうなんて思うはずもなかったでしょうから」
「ああ、確かに……。その時は前世の人の意志が強かったということですね」
「ほとんど前世の人間の意のままでしたわ。思考回路も、行動も。『ライラ』を助けなければ、処刑エンドだけは回避しなければ、と必死でしたもの。それに関しては、わたくしよりもずっと昔に前世の記憶を思い出したリリーのおかげで、こうして無事に王太子妃として生きていくことができておりますけれど」
「当然にございます。生涯ライラちゃま最推しを公言して死にましたので。それはともかく、ライラ様の前世の記憶は、今はライラ様のご意思に融合されたということですね。だからたまに前世の人間のようなオタクの反応が出る、と」
「本当にそれだけはどうにかならないものかしらと思っているんですのよ。普通に挙動が不審ですもの。融合されたというよりは、感性を共有していると言った方が正しいような気もしますわね」
 ライラとしてここにあるのは、この世界で生まれ生きてきたライラ本人。前世の人間とはその記憶と感情を共有している。要所で前世の人間らしく興奮してしまうのは、共有している感情の強さに起因するのかもしれない。
 もちろん、前世の記憶があるというのは、ライラとリリーだけの秘密だ。カトレアにだって話していない。オスカーなど尚更知らないだろう。
 誰も知らない。知らないはずなのだ。
「ジョセフお兄様がしれっと知っていそうで怖いんですのよね……」
「公爵家の情報網、凄いですからね」
「恐怖すら感じますわよ。自分の部屋だというのにまったく落ち着かないんですもの」
 紅茶の最後の一口を流し込み、ライラはソファから立ち上がった。向かったのは執務机だ。今や立派な王太子妃として日々を忙しくするライラには、オスカー程ではないが公務というものが存在する。国内外の要人とのやり取りや、主催するサロンの日取りや招待状の用意などは、もっぱらライラの仕事だ。
 羽根ペンの先にインクを浸して、文書の下にサインを入れる。気を抜くとサインが『ライラ・フィニストリア』になってしまうことがあるため、集中力が必要な作業だ。
 公務の手伝いは専属女官であるリリーの仕事になる。カトレアは現在、休憩のためにお菓子を用意している最中で、この部屋にはいない。
「そういえば……。学院の方はどういう状況かしら」
「至って平和そのものと伺っております」
「……至って平和」
「はい。エミリア王女殿下も王族としてご立派にご令嬢達をまとめ上げ、アイリス侯爵令嬢とも良好な関係を築いておられるそうです」
「……」
「ウィリアム王子殿下も、エミリア王女殿下の手腕には尊敬の眼差しを向けられているそうです。アイリス嬢にはその状況を憂うような素振りはないとの事で」
「……リリー」
「はい」
 優秀な専属女官の報告を遮る。ライラの手元に次の書類を持ってきながら、リリーは応じた。渡された書類に目を通しながら、ふと心に浮かんだ疑問をぶつける。
「やけに詳しすぎませんこと?」
 学院を卒業してしばらく経つライラ達が、学院内部の状況を詳しく知るはずがない。ライラの専属女官となったリリーも多忙な身で、学院の内情など探る余裕も、ましてや探る必要もないのだ。
「ライラ様がお望みの情報かと思い、エミリア王女殿下付きの侍女に手紙で様子を伺いました」
「え? いえ確かに気にはなっていましたけれど、え? わたくし、声に出したかしら」
「いいえ。私のお節介です」
「……その手紙、いつ受け取りましたの?」
「今朝です」
「タイミングが良すぎて逆に怖いですわよ!?」
 狙ったかのような手紙のやり取りを明かされ、ライラは素直に恐怖心が芽生えた。これをジョセフがやるなら分かる。いや分かりたくはないのだが、ジョセフならやりかねない。
 しかしこれをリリーがやるのだから、さすがに恐怖である。ライラの理解者は多いことに越したことはないが、理解しすぎているのは怖いのだ。
「なんにせよ、学院は平和のようです。サンスタが始まる気配がありませんので」
「サンスタが始まらない……」
 本来起こるべきイベントが起こらない。原因は言わずもがな、エミリアが王女として完璧だから。悪役令嬢という存在は、得てして様々なイベントのトリガーになっていることが多い。
 たとえばライラは、リリーに数々の嫌がらせをしたが――厳密にはライラではなく、ライラを密かに慕っていた令嬢の仕業で、ライラはそれを肩代わりしただけなのだが、それは置いておくとして――その嫌がらせを受けたところを攻略対象キャラが偶然目撃して、親愛度が高まるイベントに派生する。
 しかしエミリアがゲームのような傍若無人の振る舞いに至らず、むしろ王族として真っ当な行為しかしないせいで、ヒロインであるアイリスと攻略対象キャラの親愛度イベントが発生しないのだ。
「でもそれって、チャンスでもありませんこと? そのまま何事もなく卒業すれば、エミリアが破滅せずに大団円ですわよ?」
「そうなんです! だからもう本当に楽しみで! あ、もちろん私の最推しはライラちゃまですので、最推しの幸せは約束されたんですけれども! でも私、エミリアたんも大好きなので、どうにかして友情エンドにならないかなって祈ってて!」
「リリー、オタクが出てますわよ」
「はッ!!」
 奇怪な叫びを上げたリリーが大きく深呼吸をして咳払いまでした。忙しないものである。推しを前にするとこうも感情が昂るものですのね、勉強になりますわ。とライラは冷静に眺めた。
 それはともかくとして、はっきり言ってしまえば、サンスタの流れなどどうなろうとライラには関係ない。しかし可愛い義理の妹が命を落とすのは黙って見過ごせない。
 それ故に一度だけ叱責したのだが――まさかたったその一度が、ここまで響くものだったとは。だが、アイリスがその事に何の反応もしていないということは、転生者である可能性はないだろう。もしくは、転生者だったとしても、エミリア推しか。
 いずれにしろエミリアの未来が約束されているなら、ライラも見守るのみだ。この状況がそうそうひっくり返されることは無いだろうから。
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