01:出会い編
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悪魔の子がデルカダール城から逃げてから、二日。エトワールは、まだ目を覚まさない。
ホメロスは執務をこなしながら、死んだ様に眠る彼女に時々視線を向け、深い溜息を吐いた。
グレイグが悪魔の子⋯⋯いや、勇者なる者を追っているが、未だ音沙汰は無し。田舎育ちの平和ボケした青年と思いきや、随分とすばしっこい。あるいは、一緒にいると思われる、盗賊の青年があれこれ知恵を貸しているのかも知れない。
ともかく、大陸の外へ出られては堪らないので、グレイグの部隊は大忙しだ。
一方で、ホメロスは大量のデスクワークを押し付けられ、ノイローゼ気味だった。
「エトワール」
試しに呼び掛けてみても、返事は無い。無理も無い。失血死してもおかしくない程の傷を負ったのだ。元々の傷だけならまだしも、ウルノーガに遠慮なく胸を抉られ、ホメロスですら思い出すと吐き気を覚えるほど、傷付けられたのだ。寧ろ生きている事自体奇跡だ。
「ホメロス、いるか?」
扉の外から草臥れた声が聞こえた。ホメロスはサッと顔を上げた。
「入れ」
入室を許可すると、髪の乱れたグレイグが、幽霊の様にフラリと姿を現した。
「⋯⋯それで?」
ホメロスは、声が裏返らぬ様、細心の注意を払って訊ねる。
「悪魔の子は?」
「⋯⋯取り逃がした」
グレイグの掠れた声を聞き、ホメロスは両手で机を叩いて立ち上がった。
「取り逃がしただと?! 何をしている!!」
「全くだ。今、陛下に報告を終えた所だ」
グレイグは、ベッドに横たわっているエトワールに目を向けた。
「しかし、陛下も何故エトワールに、これほど酷な仕打ちをなさったのだろうか。俺の失態はお許しになられたというのに」
「酷だと思うか?」
ホメロスは、自分自身に言い訳する様に訊ねた。エトワールのすぐ側まで歩み寄り、頬に指先をあてる。
「こいつはお前と違って、オレの命令を待たずに動き、悪魔の子に同情し、逃亡を許したのだ」
「殺されても、当然と言えるのか?!」
グレイグは、憤りを隠せずに、ホメロスの胸倉を掴んだ。
「最近のお前はおかしいぞ!!」
「最近⋯⋯か」
ホメロスは、鼻を鳴らした。“おかしくなった”とすれば、それは最近の事では無い。もう何年も前からだ。気付かない、友とも呼べぬ存在の肩を押し返す。
「それで? 何をしにオレを訪ねて来た? 失敗を叱って欲しいのか?」
「いや⋯⋯もう十分叱られた。報告と、それから」
グレイグは、スッと手を伸ばし、エトワールの頬に触れようとした。その瞬間──
「⋯⋯ホメロス?」
グレイグの手首を、ホメロスが掴んでいた。
「寝ている女性に手を出すのは、どうかと思うぞ」
「そんな言い方をするな! そもそも、お前も触れていただろう!」
グレイグは、驚いて距離を取った。ホメロスの表情から察するに⋯⋯。
しかし、グレイグは気持ちを言葉にせず、引き下がった。
「ともかくだ! 奴を取り逃がしてしまった。すまない、ホメロス。お前の手を煩わせる事になるやもしれん」
「お前がオレの手を煩わせなかった事が、一度でもあったか、友よ」
「それは⋯⋯流石に言い過ぎです」
か細い声が、二人の男の耳に届き、彼らはハッと飛び上がった。ベッドに目をやると、エトワールが目を開け微笑んでいた。
「ユグノアではてグレイグ様お一人でて充分──」
「待て! 水を⋯⋯」
ホメロスは、手を貸してエトワールの上体を起こしてやり、急いでテーブルに向かい、水差しとグラスを手に取った。
「随分悠長に休んでいたが、身体の調子は?」
「どこも悪くはありません。⋯⋯この通り」
エトワールの指先に、小さな火の玉ができ、すぐに消えた。
ホメロスは彼女にグラスを差し出し、深い息を吐いた。
「⋯⋯良かった。また一からバカを教育する必要があるかと、うんざりしていたところだ」
彼は、彼なりの安堵の言葉を口にして、エトワールの額に触れた。熱はもう無い。無いはずなのに、何故か触れた部分が熱を保っている様に感じられた。
エトワールは、気持ち良さそうに目を閉じて、笑みを深めた。
「思いがけず、ホメロス様のお部屋に泊まらせていただき、嬉しい限りです。まだ私が一度も勤務時間外に出入りした事がないと、陰で嗤うメイドもいて。でも、これからは胸を張って言えます。ホメロス様のベッドは、とても寝心地が良かった、と」
「お前は、メイドの嫌味を理解していないだろう」
ホメロスは呆れた様に零し、久し振りに肩を揺らして笑った。理由は分からない。しかし、心につかえていた鉛の様な物が、溶けて行くのを感じた。
彼は自分でも、その感情の理由を理解出来ぬまま、無意識にエトワールの顎を親指で持ち上げ、唇に一瞬触れるだけのキスをした。
「⋯⋯っ?!」
エトワールは、目を大きく見開き、固まってしまった。
「あっ⋯⋯ホ⋯⋯ホメロス!」
何故かグレイグまで赤くなり、一歩後ずさった。ホメロスはそんな二人の姿を目にして、笑い声を漏らした。
「っ⋯⋯凄い顔をしているぞ。⋯⋯っく⋯⋯勘違いはするなよ?」
ホメロスは、腰をかがめてエトワールの瞳を覗き込んだ。
「単なる目覚めの挨拶⋯⋯戯れだ」
「は⋯⋯はい⋯⋯。あの⋯⋯私、自分の部屋へ戻ります」
エトワールは、まだ覚束ない様子で床に足をおろし、そっと立ち上がった。
髪は乱れ、顔色も良くなかったが、彼女はホメロスにとって、これまでで一番魅力的な笑みを浮かべた。
「ありがとうございました。これからも、貴方の力になりたいです。着替えと食事の時間をいただけませんか? すぐ仕事に戻ります」
「湯浴みと、必要な分だけ休息の時間も与える。身の回りの事が終わったら、書類に承諾のサインをするのを手伝え。どれもサインするだけで良い。簡単な仕事だ。⋯⋯ここで手伝え」
ホメロスの表情は、とても穏やかだった。まさか、村人を皆殺しにしようとした男には見えない。彼は、弱ったエトワールを支える様に、背中に手を当てた。
「部屋まで送る。歩けるか?」
「はい」
彼女は大きく頷き、グレイグの方へ向き直った。
「ご心配お掛けして、申し訳御座いません」
「いや。⋯⋯ホメロスを頼む」
「はい。命に代えてでも、ホメロス様をお支えします」
エトワールは、貴族にも引けを取らない、優美な礼をして、ゆっくりとホメロスの部屋を去った。
ホメロスは執務をこなしながら、死んだ様に眠る彼女に時々視線を向け、深い溜息を吐いた。
グレイグが悪魔の子⋯⋯いや、勇者なる者を追っているが、未だ音沙汰は無し。田舎育ちの平和ボケした青年と思いきや、随分とすばしっこい。あるいは、一緒にいると思われる、盗賊の青年があれこれ知恵を貸しているのかも知れない。
ともかく、大陸の外へ出られては堪らないので、グレイグの部隊は大忙しだ。
一方で、ホメロスは大量のデスクワークを押し付けられ、ノイローゼ気味だった。
「エトワール」
試しに呼び掛けてみても、返事は無い。無理も無い。失血死してもおかしくない程の傷を負ったのだ。元々の傷だけならまだしも、ウルノーガに遠慮なく胸を抉られ、ホメロスですら思い出すと吐き気を覚えるほど、傷付けられたのだ。寧ろ生きている事自体奇跡だ。
「ホメロス、いるか?」
扉の外から草臥れた声が聞こえた。ホメロスはサッと顔を上げた。
「入れ」
入室を許可すると、髪の乱れたグレイグが、幽霊の様にフラリと姿を現した。
「⋯⋯それで?」
ホメロスは、声が裏返らぬ様、細心の注意を払って訊ねる。
「悪魔の子は?」
「⋯⋯取り逃がした」
グレイグの掠れた声を聞き、ホメロスは両手で机を叩いて立ち上がった。
「取り逃がしただと?! 何をしている!!」
「全くだ。今、陛下に報告を終えた所だ」
グレイグは、ベッドに横たわっているエトワールに目を向けた。
「しかし、陛下も何故エトワールに、これほど酷な仕打ちをなさったのだろうか。俺の失態はお許しになられたというのに」
「酷だと思うか?」
ホメロスは、自分自身に言い訳する様に訊ねた。エトワールのすぐ側まで歩み寄り、頬に指先をあてる。
「こいつはお前と違って、オレの命令を待たずに動き、悪魔の子に同情し、逃亡を許したのだ」
「殺されても、当然と言えるのか?!」
グレイグは、憤りを隠せずに、ホメロスの胸倉を掴んだ。
「最近のお前はおかしいぞ!!」
「最近⋯⋯か」
ホメロスは、鼻を鳴らした。“おかしくなった”とすれば、それは最近の事では無い。もう何年も前からだ。気付かない、友とも呼べぬ存在の肩を押し返す。
「それで? 何をしにオレを訪ねて来た? 失敗を叱って欲しいのか?」
「いや⋯⋯もう十分叱られた。報告と、それから」
グレイグは、スッと手を伸ばし、エトワールの頬に触れようとした。その瞬間──
「⋯⋯ホメロス?」
グレイグの手首を、ホメロスが掴んでいた。
「寝ている女性に手を出すのは、どうかと思うぞ」
「そんな言い方をするな! そもそも、お前も触れていただろう!」
グレイグは、驚いて距離を取った。ホメロスの表情から察するに⋯⋯。
しかし、グレイグは気持ちを言葉にせず、引き下がった。
「ともかくだ! 奴を取り逃がしてしまった。すまない、ホメロス。お前の手を煩わせる事になるやもしれん」
「お前がオレの手を煩わせなかった事が、一度でもあったか、友よ」
「それは⋯⋯流石に言い過ぎです」
か細い声が、二人の男の耳に届き、彼らはハッと飛び上がった。ベッドに目をやると、エトワールが目を開け微笑んでいた。
「ユグノアではてグレイグ様お一人でて充分──」
「待て! 水を⋯⋯」
ホメロスは、手を貸してエトワールの上体を起こしてやり、急いでテーブルに向かい、水差しとグラスを手に取った。
「随分悠長に休んでいたが、身体の調子は?」
「どこも悪くはありません。⋯⋯この通り」
エトワールの指先に、小さな火の玉ができ、すぐに消えた。
ホメロスは彼女にグラスを差し出し、深い息を吐いた。
「⋯⋯良かった。また一からバカを教育する必要があるかと、うんざりしていたところだ」
彼は、彼なりの安堵の言葉を口にして、エトワールの額に触れた。熱はもう無い。無いはずなのに、何故か触れた部分が熱を保っている様に感じられた。
エトワールは、気持ち良さそうに目を閉じて、笑みを深めた。
「思いがけず、ホメロス様のお部屋に泊まらせていただき、嬉しい限りです。まだ私が一度も勤務時間外に出入りした事がないと、陰で嗤うメイドもいて。でも、これからは胸を張って言えます。ホメロス様のベッドは、とても寝心地が良かった、と」
「お前は、メイドの嫌味を理解していないだろう」
ホメロスは呆れた様に零し、久し振りに肩を揺らして笑った。理由は分からない。しかし、心につかえていた鉛の様な物が、溶けて行くのを感じた。
彼は自分でも、その感情の理由を理解出来ぬまま、無意識にエトワールの顎を親指で持ち上げ、唇に一瞬触れるだけのキスをした。
「⋯⋯っ?!」
エトワールは、目を大きく見開き、固まってしまった。
「あっ⋯⋯ホ⋯⋯ホメロス!」
何故かグレイグまで赤くなり、一歩後ずさった。ホメロスはそんな二人の姿を目にして、笑い声を漏らした。
「っ⋯⋯凄い顔をしているぞ。⋯⋯っく⋯⋯勘違いはするなよ?」
ホメロスは、腰をかがめてエトワールの瞳を覗き込んだ。
「単なる目覚めの挨拶⋯⋯戯れだ」
「は⋯⋯はい⋯⋯。あの⋯⋯私、自分の部屋へ戻ります」
エトワールは、まだ覚束ない様子で床に足をおろし、そっと立ち上がった。
髪は乱れ、顔色も良くなかったが、彼女はホメロスにとって、これまでで一番魅力的な笑みを浮かべた。
「ありがとうございました。これからも、貴方の力になりたいです。着替えと食事の時間をいただけませんか? すぐ仕事に戻ります」
「湯浴みと、必要な分だけ休息の時間も与える。身の回りの事が終わったら、書類に承諾のサインをするのを手伝え。どれもサインするだけで良い。簡単な仕事だ。⋯⋯ここで手伝え」
ホメロスの表情は、とても穏やかだった。まさか、村人を皆殺しにしようとした男には見えない。彼は、弱ったエトワールを支える様に、背中に手を当てた。
「部屋まで送る。歩けるか?」
「はい」
彼女は大きく頷き、グレイグの方へ向き直った。
「ご心配お掛けして、申し訳御座いません」
「いや。⋯⋯ホメロスを頼む」
「はい。命に代えてでも、ホメロス様をお支えします」
エトワールは、貴族にも引けを取らない、優美な礼をして、ゆっくりとホメロスの部屋を去った。