02:旅立ち編
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(⋯⋯え?)
目を覚ましたエトワールは、見慣れない天井に、しばらく混乱した。
少し経ち、自分が船の中にいる事、昨晩起こった事を思い出し、勢い良く起き上がった。窓から見える太陽は、かなり高い位置まで昇っている。
ふと、ソファーに目をやると、ホメロスが薄手のタオルケットに包まっていた。穏やかな寝息を立てている。
エトワールは無性に腹が立ち、素早く彼に近づくと、バサリとタオルケットを引き剥がした。
「⋯⋯?」
薄眼を開けて不思議そうな表情を浮かべたホメロスを覗き込み、彼女は大きく息を吸った。
「起きろ!!」
とても、上官に対するものとは思えない口調で、一喝。本職の騎士だけあって、その迫力は並大抵のものではなく、ガラスがビシビシと音を立てた。
「は?!」
ホメロスは完全に意表を突かれて、固まった。エトワールは、頬をカッと赤く染めながら、ホメロスの両肩を掴んだ。
「昨日は、よくもあんな真似を⋯⋯! いいえ、それ以前に私は⋯⋯私はキスだって貴方が初めてだったのに、あんな遊びの様に軽々しくするなんて!!」
「急にどうした?!」
「女になれと言ったのは、貴方でしょう!!」
エトワールはカンカンになってホメロスを突き放した。彼は予想外かつ、予定外の怒りを受け止め、言葉に詰まった。何時もなら、鬱陶しい女を彼の方が振り払うのだ。
「それは⋯⋯すまなかっ──」
「許しません!!」
エトワールは、思い切りホメロスの頬を引っ叩いた。
それから一呼吸置き、彼女はツカツカとクローゼットへ向かった。手際よく、洗い立てのシャツとズボン、下着を一式取り出してソファーへ戻った。
「着替えを済ませてください。食事をお持ちします。私は皆の動きを見て参ります」
「あ⋯⋯ああ」
ホメロスは、まだ不自然な瞬きをしながら頷いた。エトワールは着替えをテーブルに置くと、部屋を出て行ってしまった。
静まり返った部屋の中で、ホメロスはようやく頬に痛みを感じ、手を当てた。かなり思い切り叩かれたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
この状況は、ホメロスにとって完全に想定外だった。女が怒って手を挙げる事は、これまでも数回あったが、いずれもホメロスが一夜限りの付き合いだと突き放した時だ。
その後、ホメロスが着替え終わった頃に、エトワールが朝食を運んで来た。
「お済みになりましたら、メイドが下げに参ります。私は甲板の掃除を手伝って来ますので」
彼女は何時も通りだった。いや、何時も通りに接しようと努力していた。耳が僅かに赤く染まっている。
「⋯⋯ああ」
ホメロスは、やや落胆しながらも、何時も通りに返した。昨日の一件は、エトワールの中で既に過去の事として処理されたらしい。
「では、何かありましたらお声掛けください」
彼女はスッと踵を返し、部屋を後にした。
(あの人は、どうしてあんなに平然としていられるの?!)
エトワールは、頭を抱えて泣きたい気分になった。ホメロスは、明らかに遊びだった。女慣れしている。それが嫌という程分かった。
(私にだって分かる。あれだけじゃ、男の人は満足出来ないって⋯⋯。私が寝た後に、誰かと⋯⋯? いえ⋯⋯そんなのホメロス様の勝手だわ。あの人には、それだけの楽しみを享受する権利がある⋯⋯。あの人は、私を愛してなんかいない。自惚れてしまったら、もう側にはいさせて貰えない⋯⋯でも⋯⋯)
「あの、エトワール様」
突然声を掛けられ、エトワールは飛び上がってしまった。心配顔のアンが、水筒を差し出していた。
「こちらを、お持ちしました。⋯⋯やはりお身体の調子が優れないのでは⋯⋯」
「いいえ、大丈夫。ありがとう。しばらくホメロス様の事をお願いね」
「はい」
立場の弱いアンは、そう返すより他に無かった。エトワールは、水筒を抱えて甲板へ向かった。
まだ十六歳になったばかりの、見習い騎士ばかりがデッキブラシを手に、眩い日差しの中、懸命に床を磨いていた。
「ローラン!!」
(エトワールが声を上げると、その中の一人が手を止め、彼の合図で五人の騎士たちが、トコトコ集まって来た。
「なんでしょう?!」
ローランは改まった態度で、エトワールと向き合った。エトワールはクスクス笑い、彼の胸に水筒を押し付けた。
「とって食おうなんて、考えていないわ。全員水を飲んで。倒れるわ。それから、掃除はもうしなくて結構! これ以上床を綺麗にしたいなら、やすりで削るか、一から造り直さないと無理よ。貴方達に、こんな馬鹿な仕事を押し付けた上官の所へ、連れて行ってちょうだい」
「ええ?! 行ってどうするんですか?!」
ローランが、次の仲間に水筒を渡しながら、目を見開いた。
「ぶん殴るに決まっているでしょう!」
エトワールはバシッと言い放ち、弟にする様に彼の栗色の髪をかき混ぜた。
「ねえ、貴方はここの掃除が必要だと、本気でそう思ったの?」
「⋯⋯いいえ」
「それじゃあ、何故指示に従ったの?」
「こ⋯⋯今後の進退に関わると⋯⋯。僕だけではなく、全員の⋯⋯」
「はぁー」
エトワールは溜息を吐き、額に手を当てた。
「貴方も解っているでしょうけれど、完全に嫌がらせよ!! でも、ホメロス様の兵に、そういう命令をする阿呆は殆どいないわ。無視して良いの。何のために剣を持っているの? 腕に自信はある? “自分はエトワールの副官だ! 馬鹿野郎!”って、斬りかかってやりなさい!!」
「ええええ?! そんなっ⋯⋯無茶を言わないでください! 僕、身体も小さいですし──」
「ふーん。つまり相手は貴方より大柄で、馬鹿力のろくでなしか。バルタザールかな?」
「ひぃぃ!! 何で分かっちゃうんですか?! あの、僕は新入りで力関係が良く分からないんですけど、あの人、滅茶苦茶強いじゃないですか?!」
ローランの情け無い言葉に、エトワールは眉を吊り上げた。
「私はホメロス様の副官よ。敵わないと思った?」
「でも! ⋯⋯いえ⋯⋯あの」
ローランの言葉尻は、不自然に小さくなった。(夢主)にも、彼の言わんとしている事が分かる。最近ではめっきり無くなったが、副官に就任した当初、何度も背後で囁かれた。
「着いて来て」
彼女は敢えて何も言わずに踵を返した。無言のまま、食堂へ向かった。途中出くわした騎士達は、皆エトワールに頭を下げるなり、挨拶をするなり、礼を尽くしたが、古びたテーブルを囲んでチェスをしている者たちは違った。
「御機嫌よう、新入りの皆さん。船での生活は如何かしら?」
返事は無かった。エトワールは、一呼吸置き、指先を天井に向けた。大きな火球が生まれる。
「メラミ」
ドーンと音を立てて、チェス盤が灰に変わった。男達はギクシャクと首を動かして、ようやくエトワールに目を向けた。
「私の副官に馬鹿な嫌がらせをしたのは、誰?」
「嫌がらせとは、心外ですな。暇を持て余している雑兵に、仕事を与えたまで」
全身筋肉質の男が、一人太々しく答えた。立ち上がると身長はエトワールよりも30センチは高い。
「ふーん。大した事無さそうね」
エトワールは腕を組んで、冷たい笑みを浮かべた。バルタザールは、彼女の顎を指で持ち上げほくそ笑む。
「へぇ。ホメロス様の副官ってのは、エライ美人ですな。強気の女を手篭めにするのも、さぞ楽しい事で──」
「貴様!!」
壁際で本を読んでいた騎士が、怒りを露わに立ち上がったが、エトワールは手で制した。彼女はバルタザールを睨み付けた。
「貴族出身の騎士は、気位が高いけれど、お行儀が良いのよね。貴方は公募で採用された、元ゴロツキか何か?」
「ああ。俺は“実力”で採用され、此処にいるんですよ」
「ホメロス様がどうして貴方の様な奴を、遠征に連れて来たのか、まるで理解していないのね」
エトワールはクスクスと笑い、男の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「馬鹿に留守番を任せるのは、心配だからよ。子供の様に、目の届く所へ置いておかないと。.⋯⋯勿論、その他は精鋭よ」
彼女はローランたちを振り返って付け加えた。バルタザールは挑発に乗り、鼻の穴を脹めて、エトワールの胸倉を掴んだ。
「へえ。それじゃあ、貴女も精鋭だと? きっと夜の営みでは、優れた才能を披露されたのでしょうねぇ」
下卑た言葉に、騒動を聞き付けて集まって来た騎士たちが、抗議しようと足を踏み出した。エトワールはそれを手の合図一つで制し、笑みを深めた。
「それが、夜はからっきしなの。多分、昨日はさぞかし私に幻滅されたでしょうね」
その言葉で、周囲が一斉に騒ついた。騎士たちは皆、エトワールが実力で副官の座に昇りつめた事を知っている。そして、ホメロスとエトワールは、あくまで騎士として、清い関係だと信じていた。
「それで、金輪際私の部下に、的外れな命令や嫌がらせをしないと誓ってくださるのかしら?」
「貴女が、上官として尊敬に値する人間ならなぁ!」
調子付いたバルタザールに、エトワールはクルリと背を向けた。
「甲板に来て。剣を持って。⋯⋯見たい人は、ご自由に」
彼女が付け加えると、部屋にいた殆どの騎士がゾロゾロと付いて来た。そして、甲板に着く頃には、非番の騎士がほぼ全員集結していた。
「五人一緒にかかって来なさい!」
エトワールは剣を抜き、元ゴロツキの五人と対峙した。バルタザールを除く四人は、流石に不安げな表情を浮かべていた。
本当にホメロスの副官の身に危険が及ぶのなら、周りの騎士が止めに入るのではないか、と。しかし、熟練の騎士達は、ただ傍観している。
それは、エトワールの死や破滅を望んでいるか、もしくは勝利を疑わずにいるかの、どちらかだろう。
「調子に乗るな!!」
バルタザールは、剣を抜き、上段構えで踏み込んだ。
「遅い!」
エトワールは右に身体を捻ってかわし、彼の延髄に手刀を叩き込んだ。色白の細い腕からは、想像も出来ない程の力だったらしく、バルタザールは一瞬のうちに気絶してハデに倒れこんでしまった。
「さあ⋯⋯次は誰?」
ようやく、エトワールは気怠げに剣を抜いた。四人組は示し合わせた様に、全員武器を放り出して土下座した。
「すみませんっしたー!!」
「許すワケが無いでしょうが! みんな、余興を楽しみに集まってくれたのよ?」
エトワールが踏み込んだ瞬間、船が大きく揺れた。一秒遅れて、物見の兵が笛を鳴らした。
魔物が現れたのだ。
目を覚ましたエトワールは、見慣れない天井に、しばらく混乱した。
少し経ち、自分が船の中にいる事、昨晩起こった事を思い出し、勢い良く起き上がった。窓から見える太陽は、かなり高い位置まで昇っている。
ふと、ソファーに目をやると、ホメロスが薄手のタオルケットに包まっていた。穏やかな寝息を立てている。
エトワールは無性に腹が立ち、素早く彼に近づくと、バサリとタオルケットを引き剥がした。
「⋯⋯?」
薄眼を開けて不思議そうな表情を浮かべたホメロスを覗き込み、彼女は大きく息を吸った。
「起きろ!!」
とても、上官に対するものとは思えない口調で、一喝。本職の騎士だけあって、その迫力は並大抵のものではなく、ガラスがビシビシと音を立てた。
「は?!」
ホメロスは完全に意表を突かれて、固まった。エトワールは、頬をカッと赤く染めながら、ホメロスの両肩を掴んだ。
「昨日は、よくもあんな真似を⋯⋯! いいえ、それ以前に私は⋯⋯私はキスだって貴方が初めてだったのに、あんな遊びの様に軽々しくするなんて!!」
「急にどうした?!」
「女になれと言ったのは、貴方でしょう!!」
エトワールはカンカンになってホメロスを突き放した。彼は予想外かつ、予定外の怒りを受け止め、言葉に詰まった。何時もなら、鬱陶しい女を彼の方が振り払うのだ。
「それは⋯⋯すまなかっ──」
「許しません!!」
エトワールは、思い切りホメロスの頬を引っ叩いた。
それから一呼吸置き、彼女はツカツカとクローゼットへ向かった。手際よく、洗い立てのシャツとズボン、下着を一式取り出してソファーへ戻った。
「着替えを済ませてください。食事をお持ちします。私は皆の動きを見て参ります」
「あ⋯⋯ああ」
ホメロスは、まだ不自然な瞬きをしながら頷いた。エトワールは着替えをテーブルに置くと、部屋を出て行ってしまった。
静まり返った部屋の中で、ホメロスはようやく頬に痛みを感じ、手を当てた。かなり思い切り叩かれたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
この状況は、ホメロスにとって完全に想定外だった。女が怒って手を挙げる事は、これまでも数回あったが、いずれもホメロスが一夜限りの付き合いだと突き放した時だ。
その後、ホメロスが着替え終わった頃に、エトワールが朝食を運んで来た。
「お済みになりましたら、メイドが下げに参ります。私は甲板の掃除を手伝って来ますので」
彼女は何時も通りだった。いや、何時も通りに接しようと努力していた。耳が僅かに赤く染まっている。
「⋯⋯ああ」
ホメロスは、やや落胆しながらも、何時も通りに返した。昨日の一件は、エトワールの中で既に過去の事として処理されたらしい。
「では、何かありましたらお声掛けください」
彼女はスッと踵を返し、部屋を後にした。
(あの人は、どうしてあんなに平然としていられるの?!)
エトワールは、頭を抱えて泣きたい気分になった。ホメロスは、明らかに遊びだった。女慣れしている。それが嫌という程分かった。
(私にだって分かる。あれだけじゃ、男の人は満足出来ないって⋯⋯。私が寝た後に、誰かと⋯⋯? いえ⋯⋯そんなのホメロス様の勝手だわ。あの人には、それだけの楽しみを享受する権利がある⋯⋯。あの人は、私を愛してなんかいない。自惚れてしまったら、もう側にはいさせて貰えない⋯⋯でも⋯⋯)
「あの、エトワール様」
突然声を掛けられ、エトワールは飛び上がってしまった。心配顔のアンが、水筒を差し出していた。
「こちらを、お持ちしました。⋯⋯やはりお身体の調子が優れないのでは⋯⋯」
「いいえ、大丈夫。ありがとう。しばらくホメロス様の事をお願いね」
「はい」
立場の弱いアンは、そう返すより他に無かった。エトワールは、水筒を抱えて甲板へ向かった。
まだ十六歳になったばかりの、見習い騎士ばかりがデッキブラシを手に、眩い日差しの中、懸命に床を磨いていた。
「ローラン!!」
(エトワールが声を上げると、その中の一人が手を止め、彼の合図で五人の騎士たちが、トコトコ集まって来た。
「なんでしょう?!」
ローランは改まった態度で、エトワールと向き合った。エトワールはクスクス笑い、彼の胸に水筒を押し付けた。
「とって食おうなんて、考えていないわ。全員水を飲んで。倒れるわ。それから、掃除はもうしなくて結構! これ以上床を綺麗にしたいなら、やすりで削るか、一から造り直さないと無理よ。貴方達に、こんな馬鹿な仕事を押し付けた上官の所へ、連れて行ってちょうだい」
「ええ?! 行ってどうするんですか?!」
ローランが、次の仲間に水筒を渡しながら、目を見開いた。
「ぶん殴るに決まっているでしょう!」
エトワールはバシッと言い放ち、弟にする様に彼の栗色の髪をかき混ぜた。
「ねえ、貴方はここの掃除が必要だと、本気でそう思ったの?」
「⋯⋯いいえ」
「それじゃあ、何故指示に従ったの?」
「こ⋯⋯今後の進退に関わると⋯⋯。僕だけではなく、全員の⋯⋯」
「はぁー」
エトワールは溜息を吐き、額に手を当てた。
「貴方も解っているでしょうけれど、完全に嫌がらせよ!! でも、ホメロス様の兵に、そういう命令をする阿呆は殆どいないわ。無視して良いの。何のために剣を持っているの? 腕に自信はある? “自分はエトワールの副官だ! 馬鹿野郎!”って、斬りかかってやりなさい!!」
「ええええ?! そんなっ⋯⋯無茶を言わないでください! 僕、身体も小さいですし──」
「ふーん。つまり相手は貴方より大柄で、馬鹿力のろくでなしか。バルタザールかな?」
「ひぃぃ!! 何で分かっちゃうんですか?! あの、僕は新入りで力関係が良く分からないんですけど、あの人、滅茶苦茶強いじゃないですか?!」
ローランの情け無い言葉に、エトワールは眉を吊り上げた。
「私はホメロス様の副官よ。敵わないと思った?」
「でも! ⋯⋯いえ⋯⋯あの」
ローランの言葉尻は、不自然に小さくなった。(夢主)にも、彼の言わんとしている事が分かる。最近ではめっきり無くなったが、副官に就任した当初、何度も背後で囁かれた。
「着いて来て」
彼女は敢えて何も言わずに踵を返した。無言のまま、食堂へ向かった。途中出くわした騎士達は、皆エトワールに頭を下げるなり、挨拶をするなり、礼を尽くしたが、古びたテーブルを囲んでチェスをしている者たちは違った。
「御機嫌よう、新入りの皆さん。船での生活は如何かしら?」
返事は無かった。エトワールは、一呼吸置き、指先を天井に向けた。大きな火球が生まれる。
「メラミ」
ドーンと音を立てて、チェス盤が灰に変わった。男達はギクシャクと首を動かして、ようやくエトワールに目を向けた。
「私の副官に馬鹿な嫌がらせをしたのは、誰?」
「嫌がらせとは、心外ですな。暇を持て余している雑兵に、仕事を与えたまで」
全身筋肉質の男が、一人太々しく答えた。立ち上がると身長はエトワールよりも30センチは高い。
「ふーん。大した事無さそうね」
エトワールは腕を組んで、冷たい笑みを浮かべた。バルタザールは、彼女の顎を指で持ち上げほくそ笑む。
「へぇ。ホメロス様の副官ってのは、エライ美人ですな。強気の女を手篭めにするのも、さぞ楽しい事で──」
「貴様!!」
壁際で本を読んでいた騎士が、怒りを露わに立ち上がったが、エトワールは手で制した。彼女はバルタザールを睨み付けた。
「貴族出身の騎士は、気位が高いけれど、お行儀が良いのよね。貴方は公募で採用された、元ゴロツキか何か?」
「ああ。俺は“実力”で採用され、此処にいるんですよ」
「ホメロス様がどうして貴方の様な奴を、遠征に連れて来たのか、まるで理解していないのね」
エトワールはクスクスと笑い、男の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「馬鹿に留守番を任せるのは、心配だからよ。子供の様に、目の届く所へ置いておかないと。.⋯⋯勿論、その他は精鋭よ」
彼女はローランたちを振り返って付け加えた。バルタザールは挑発に乗り、鼻の穴を脹めて、エトワールの胸倉を掴んだ。
「へえ。それじゃあ、貴女も精鋭だと? きっと夜の営みでは、優れた才能を披露されたのでしょうねぇ」
下卑た言葉に、騒動を聞き付けて集まって来た騎士たちが、抗議しようと足を踏み出した。エトワールはそれを手の合図一つで制し、笑みを深めた。
「それが、夜はからっきしなの。多分、昨日はさぞかし私に幻滅されたでしょうね」
その言葉で、周囲が一斉に騒ついた。騎士たちは皆、エトワールが実力で副官の座に昇りつめた事を知っている。そして、ホメロスとエトワールは、あくまで騎士として、清い関係だと信じていた。
「それで、金輪際私の部下に、的外れな命令や嫌がらせをしないと誓ってくださるのかしら?」
「貴女が、上官として尊敬に値する人間ならなぁ!」
調子付いたバルタザールに、エトワールはクルリと背を向けた。
「甲板に来て。剣を持って。⋯⋯見たい人は、ご自由に」
彼女が付け加えると、部屋にいた殆どの騎士がゾロゾロと付いて来た。そして、甲板に着く頃には、非番の騎士がほぼ全員集結していた。
「五人一緒にかかって来なさい!」
エトワールは剣を抜き、元ゴロツキの五人と対峙した。バルタザールを除く四人は、流石に不安げな表情を浮かべていた。
本当にホメロスの副官の身に危険が及ぶのなら、周りの騎士が止めに入るのではないか、と。しかし、熟練の騎士達は、ただ傍観している。
それは、エトワールの死や破滅を望んでいるか、もしくは勝利を疑わずにいるかの、どちらかだろう。
「調子に乗るな!!」
バルタザールは、剣を抜き、上段構えで踏み込んだ。
「遅い!」
エトワールは右に身体を捻ってかわし、彼の延髄に手刀を叩き込んだ。色白の細い腕からは、想像も出来ない程の力だったらしく、バルタザールは一瞬のうちに気絶してハデに倒れこんでしまった。
「さあ⋯⋯次は誰?」
ようやく、エトワールは気怠げに剣を抜いた。四人組は示し合わせた様に、全員武器を放り出して土下座した。
「すみませんっしたー!!」
「許すワケが無いでしょうが! みんな、余興を楽しみに集まってくれたのよ?」
エトワールが踏み込んだ瞬間、船が大きく揺れた。一秒遅れて、物見の兵が笛を鳴らした。
魔物が現れたのだ。