01:出会い編
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「ホメロス様。ダーハルーネから書簡が届きました」
凛とした女性の声が、ホメロスの私室に響いた。
「入れ」
入室を許可すると、絹のローブを纏った、黒髪の美しい女が姿を現した。一見貴族の娘の様にも見えるが、彼女はユグノア出身の平民であり、デルカダール唯一の女性騎士だ。
細身の剣を腰に下げている以外に、とりわけ装備は無く、本当に戦えるのかも怪しい風体だったが、それは彼女の戦法に由来する。
「小麦の関税が高過ぎるとのことです」
羊皮紙二巻分もある過美な文書を、一言に纏めて伝える。
「エトワール、私の答えを聞く必要もなかろう?捨て置け。どうせ文句は言えても、行動には移せまい」
「もう六時間経ちました」
エトワールは窓辺に歩み寄り、扉を外へ開けた。穏やかな、初夏の夕暮れの風が室内へ舞い込む。
「今日の所は、休まれてはいかがでしょう?」
実の所、彼女が伝えたかったのは、その言葉だった。ホメロスは、放っておけば際限なく仕事を続けるタチなのだ。
「分かった」
ホメロスが、珍しく一度で従ったため、エトワールは驚いて振り返った。
彼女は、ユグノア滅亡の事件を生き延び、グレイグに拾われてデルカダールへやって来た。
災厄を乗り越えられたのは、決して運が良かったからでは無い。並外れた魔法の腕と、それを活かして戦う剣の腕があったからだ。
彼女は騎士の一人として鍛錬に励み、半年前にホメロスの副官に任命された。そして、未だ解任されずにいる。
ホメロスが将軍になってからというものの、誰一人として、一月以上副官を務められた者はいない。
エトワールが異例とも言える期間、解任されずにいるのには、幾つかの理由があった。
まず、彼女はホメロスに媚び諂う事が一切なかった。そして、彼からの評価に頓着せず、淡々と必要な任務をこなす。
自分の性別を武器として使う事も無く、さりげない気遣いの出来る人間だった。更に、最も優れている点は、洞察力の鋭さだ。
「ホメロス様。妙な報告を受けました」
「なんだ?」
「持ち主の分からぬ馬が、南の方角からやって来たのです」
「それがどうした」
「地図に無い場所に、人が住んでいるのでは無いでしょうか。“悪魔の子”を匿っている者がいるかも知れません」
エトワールが告げると、ホメロスは冷笑を浮かべた。
「⋯⋯なるほどな」
彼は席を立ち、エトワールのすぐ目の前にやって来た。至近距離に寄っても、彼女はたじろぎもしない。
一応ホメロスは、麗人と呼ばれ、外見の美しさを良くたたえられていた。しかし、エトワールは全くもって無頓着らしく、絆される事は無かった。
「エトワールよ。お前はどう思う? そこに”悪魔の子”がいると思うか?」
「可能性は否定出来ません。旅人を装い、兵に搜索をさせるべきかと。⋯⋯先日、”勇者”ゆかりの品、レッドオーブを盗もうとした者を、捕らえたばかり。嫌な予感がします」
「その予感は当たっているやもしれんな」
ホメロスは、自嘲気味に呟いた。彼には大きな秘密がある。誰にも言えぬ、大きな秘密が。副官にさえ、その事を話してはいなかった。
「明日にでも兵をやろう。今日はお前も休むといい」
「はい」
エトワールは、礼儀正しく頭を下げ、退室した。
彼女がそのまま、特別に与えられた私室へ向かわぬ事を、ホメロスは知っていた。
ほんの気まぐれから、彼はそっと後を付けた。足は広間へ。
「グレイグ将軍」
エトワールは、命の恩人とも呼べる、デルカダールのもう一人の将軍の元へ向かった。
「エトワール! 今日は早いな」
グレイグは笑顔で迎え入れた。驚くことに、あの淡白なエトワールが、年相応の快活な笑みを浮かべた。
ホメロスは、初めて彼女がまだ二十四歳の若い女だという事を思い出した。改めて考えれば、弱冠八歳の時に魔物を蹴散らしたのだから、末恐ろしい実力の持ち主だ。
「ホメロス様もお疲れの様で⋯⋯心配です。最近陛下と二人きりでお話をされている時間も多く⋯⋯。私が力になれれば良いのですが」
「そうか。⋯⋯何か悩みがあるのなら、俺に相談をしてくれても良いのだが⋯⋯。まあ、あいつに解決出来ない事が、俺の手に負えるとは思えんが⋯⋯ん?」
グレイグは、無骨な指先でエトワールの額に触れた。
「痛っ!」
彼女は気の緩みから、思わず声を発していた。グレイグは、驚いて目を丸くした。
「切り傷が出来ているぞ!」
彼が回復呪文を唱えると、エトワールは困惑した表情で後ずさった。
「あ⋯⋯あの、ありがとうございます!」
その顔つきを見て、ホメロスは心を掻き乱された。
「エトワール」
思わず声を掛けてしまい、後悔した。グレイグとエトワールが、飛び上がって彼の方を向いた。
「ホメロス」
グレイグが呼び掛けると、ホメロスはあからさまに嫌そうな顔をした。グレイグの事は無視して、ホメロスはエトワールと視線を合わせた。
「騎士見習いとの稽古で傷を負うくらい疲れているのなら、真っ直ぐ部屋へ戻れ。命令だ!」
「は⋯⋯はい」
エトワールが呆然と返事をすると、ホメロスはふいっと踵を返して部屋に戻ってしまった。
その様子を見て、グレイグはくつくつと笑った。
「よほどお前の事を気に入っている様だな。少し心配だったが、お前を副官にするよう、陛下に相談して正解だった。最近は俺も中々話す機会がない。⋯⋯あいつを⋯⋯友の事を宜しく頼む」
「グレイグ様が、私を推薦してくださったのですね!!」
エトワールは、女性らしく口元を覆って驚きと喜びを表現した。
「勿論です! ホメロス様のためなら、どんな事でも成し遂げます! あの方は、私の憧れだから⋯⋯」
普段隠している想いを言葉にして、彼女は薄っすら頬を赤らめた。それを隠す様に深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! あの⋯⋯私、今日は部屋で休ませていただきますね」
「ああ。ゆっくり休むと良い。⋯⋯それから、休暇には仕事をするな。たまには、城下に行ってみてはどうだ? 因みにホメロスの好物は、ホイップたっぷりの白パンだ」
「なんですって?!」
想定外の情報に、エトワールは大きな声を上げてしまった。表情から、グレイグが嘘を付いていないと知り、クスクスと笑った。
「次の休日に、白パンを探しに行ってみます」
「ああ。そうするといい。ゆっくり休め」
「はい! ありがとうございます」
エトワールは、再度礼を述べ、踵を返して部屋へ向かった。
一連のやりとりを盗み聞きしていたホメロスは、廊下の壁に手を着き、自分の額に触れた。
色んな感情が、彼の中に渦巻いていた。何時迄も、心の中に響いているのは、エトワールの明るい声。
──あの方は、私の憧れだから⋯⋯
グレイグに対する嫉妬、自分に対する劣等感。それを些細な事だと、一時的に頭の隅に追いやってしまうほど、鮮烈な言葉だった。
翌日、エトワールを深く失望させる出来事があると知らずに、ホメロスは自室へ戻った。
日が沈み、窓に浮かぶ淡い月。それが白い夜明けに沈み、“悪魔の子”はやって来た。
凛とした女性の声が、ホメロスの私室に響いた。
「入れ」
入室を許可すると、絹のローブを纏った、黒髪の美しい女が姿を現した。一見貴族の娘の様にも見えるが、彼女はユグノア出身の平民であり、デルカダール唯一の女性騎士だ。
細身の剣を腰に下げている以外に、とりわけ装備は無く、本当に戦えるのかも怪しい風体だったが、それは彼女の戦法に由来する。
「小麦の関税が高過ぎるとのことです」
羊皮紙二巻分もある過美な文書を、一言に纏めて伝える。
「エトワール、私の答えを聞く必要もなかろう?捨て置け。どうせ文句は言えても、行動には移せまい」
「もう六時間経ちました」
エトワールは窓辺に歩み寄り、扉を外へ開けた。穏やかな、初夏の夕暮れの風が室内へ舞い込む。
「今日の所は、休まれてはいかがでしょう?」
実の所、彼女が伝えたかったのは、その言葉だった。ホメロスは、放っておけば際限なく仕事を続けるタチなのだ。
「分かった」
ホメロスが、珍しく一度で従ったため、エトワールは驚いて振り返った。
彼女は、ユグノア滅亡の事件を生き延び、グレイグに拾われてデルカダールへやって来た。
災厄を乗り越えられたのは、決して運が良かったからでは無い。並外れた魔法の腕と、それを活かして戦う剣の腕があったからだ。
彼女は騎士の一人として鍛錬に励み、半年前にホメロスの副官に任命された。そして、未だ解任されずにいる。
ホメロスが将軍になってからというものの、誰一人として、一月以上副官を務められた者はいない。
エトワールが異例とも言える期間、解任されずにいるのには、幾つかの理由があった。
まず、彼女はホメロスに媚び諂う事が一切なかった。そして、彼からの評価に頓着せず、淡々と必要な任務をこなす。
自分の性別を武器として使う事も無く、さりげない気遣いの出来る人間だった。更に、最も優れている点は、洞察力の鋭さだ。
「ホメロス様。妙な報告を受けました」
「なんだ?」
「持ち主の分からぬ馬が、南の方角からやって来たのです」
「それがどうした」
「地図に無い場所に、人が住んでいるのでは無いでしょうか。“悪魔の子”を匿っている者がいるかも知れません」
エトワールが告げると、ホメロスは冷笑を浮かべた。
「⋯⋯なるほどな」
彼は席を立ち、エトワールのすぐ目の前にやって来た。至近距離に寄っても、彼女はたじろぎもしない。
一応ホメロスは、麗人と呼ばれ、外見の美しさを良くたたえられていた。しかし、エトワールは全くもって無頓着らしく、絆される事は無かった。
「エトワールよ。お前はどう思う? そこに”悪魔の子”がいると思うか?」
「可能性は否定出来ません。旅人を装い、兵に搜索をさせるべきかと。⋯⋯先日、”勇者”ゆかりの品、レッドオーブを盗もうとした者を、捕らえたばかり。嫌な予感がします」
「その予感は当たっているやもしれんな」
ホメロスは、自嘲気味に呟いた。彼には大きな秘密がある。誰にも言えぬ、大きな秘密が。副官にさえ、その事を話してはいなかった。
「明日にでも兵をやろう。今日はお前も休むといい」
「はい」
エトワールは、礼儀正しく頭を下げ、退室した。
彼女がそのまま、特別に与えられた私室へ向かわぬ事を、ホメロスは知っていた。
ほんの気まぐれから、彼はそっと後を付けた。足は広間へ。
「グレイグ将軍」
エトワールは、命の恩人とも呼べる、デルカダールのもう一人の将軍の元へ向かった。
「エトワール! 今日は早いな」
グレイグは笑顔で迎え入れた。驚くことに、あの淡白なエトワールが、年相応の快活な笑みを浮かべた。
ホメロスは、初めて彼女がまだ二十四歳の若い女だという事を思い出した。改めて考えれば、弱冠八歳の時に魔物を蹴散らしたのだから、末恐ろしい実力の持ち主だ。
「ホメロス様もお疲れの様で⋯⋯心配です。最近陛下と二人きりでお話をされている時間も多く⋯⋯。私が力になれれば良いのですが」
「そうか。⋯⋯何か悩みがあるのなら、俺に相談をしてくれても良いのだが⋯⋯。まあ、あいつに解決出来ない事が、俺の手に負えるとは思えんが⋯⋯ん?」
グレイグは、無骨な指先でエトワールの額に触れた。
「痛っ!」
彼女は気の緩みから、思わず声を発していた。グレイグは、驚いて目を丸くした。
「切り傷が出来ているぞ!」
彼が回復呪文を唱えると、エトワールは困惑した表情で後ずさった。
「あ⋯⋯あの、ありがとうございます!」
その顔つきを見て、ホメロスは心を掻き乱された。
「エトワール」
思わず声を掛けてしまい、後悔した。グレイグとエトワールが、飛び上がって彼の方を向いた。
「ホメロス」
グレイグが呼び掛けると、ホメロスはあからさまに嫌そうな顔をした。グレイグの事は無視して、ホメロスはエトワールと視線を合わせた。
「騎士見習いとの稽古で傷を負うくらい疲れているのなら、真っ直ぐ部屋へ戻れ。命令だ!」
「は⋯⋯はい」
エトワールが呆然と返事をすると、ホメロスはふいっと踵を返して部屋に戻ってしまった。
その様子を見て、グレイグはくつくつと笑った。
「よほどお前の事を気に入っている様だな。少し心配だったが、お前を副官にするよう、陛下に相談して正解だった。最近は俺も中々話す機会がない。⋯⋯あいつを⋯⋯友の事を宜しく頼む」
「グレイグ様が、私を推薦してくださったのですね!!」
エトワールは、女性らしく口元を覆って驚きと喜びを表現した。
「勿論です! ホメロス様のためなら、どんな事でも成し遂げます! あの方は、私の憧れだから⋯⋯」
普段隠している想いを言葉にして、彼女は薄っすら頬を赤らめた。それを隠す様に深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! あの⋯⋯私、今日は部屋で休ませていただきますね」
「ああ。ゆっくり休むと良い。⋯⋯それから、休暇には仕事をするな。たまには、城下に行ってみてはどうだ? 因みにホメロスの好物は、ホイップたっぷりの白パンだ」
「なんですって?!」
想定外の情報に、エトワールは大きな声を上げてしまった。表情から、グレイグが嘘を付いていないと知り、クスクスと笑った。
「次の休日に、白パンを探しに行ってみます」
「ああ。そうするといい。ゆっくり休め」
「はい! ありがとうございます」
エトワールは、再度礼を述べ、踵を返して部屋へ向かった。
一連のやりとりを盗み聞きしていたホメロスは、廊下の壁に手を着き、自分の額に触れた。
色んな感情が、彼の中に渦巻いていた。何時迄も、心の中に響いているのは、エトワールの明るい声。
──あの方は、私の憧れだから⋯⋯
グレイグに対する嫉妬、自分に対する劣等感。それを些細な事だと、一時的に頭の隅に追いやってしまうほど、鮮烈な言葉だった。
翌日、エトワールを深く失望させる出来事があると知らずに、ホメロスは自室へ戻った。
日が沈み、窓に浮かぶ淡い月。それが白い夜明けに沈み、“悪魔の子”はやって来た。
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